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第一章「永遠の森」
第五話「エルフ里の日常・前編」
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ちゅんちゅん──
鳥の小さな鳴き声に、優しいアロマのような香りがする。
「ん……」
ここは……どこだ。
大きな窓、壁や柱にはツタが伸び、ところどころに緑が残っている。
まるで森の中に建てられた部屋だ。
天蓋がついた古びたベッドで、俺は体を起こした。
そうだ、ここはエバーウッド、エルフの里だ。
怒涛の一日だった昨日を思い返していると、
「緋色ー!! 朝だよー! ひーいーろー!」
扉の外からけたたましい声がした。
声の主はドンドンッと扉を叩くと、反応を待たずに中へと入ってきた。
肩下で揺れる淡い青髪に、湖のような瞳。
「良い天気!」
エルフの少女は、開け放った窓の光に照らされていた。
眩しい。
「ふぁ──おはよう。フィオナ」
軽い欠伸を抑えられず、背筋を伸ばしながら返事した。
心地いい程度の少しのだるさ、体の疲れは抜けきっていなかった。
「まだ眠いの? おはよ! さぁ、行こっか!」
「行くって……どこに」
「もちろん、朝ご飯! お腹減ったでしょ?」
ご飯、と聞いた瞬間に腹が鳴る。
体は正直である。
外に出ると、澄んだ森の香りがした。
登り始めたばかりの太陽に、俺は目を細めた。
「緋色、私の真似して!」
フィオナはすーっと息を大きく吸うと、深くはーっと吐き出した。
深呼吸だ。
彼女に続くように、息をゆっくりと吸い──吐きだす。
「すぅ──んッ、ぎっもぢいぃ……」
都会の汚れた空気に慣れた体は、こんな外の楽園を求めていたのかもしれない。
「気持ちいいでしょ」
彼女はくすりと笑った。
コンクリートジャングル・東京にはもう戻れそうになかった。
──エルフの里の風景は、どこか風変わりしている。
一言でいえば、“縦に広い”場所だ。
太い木の幹に沿って、二階、三階、と家々が何層にも組まれ、その間に木橋や小道が掛けられていた。
層になった家々の間から光がこぼれ、崖を伝う小さな滝は澄んだ水音を響かせる。
まるで里全体が、積み重なった一つの大きな家だった。
無駄がない里の設計に、俺は感心していた。
中央市場に足を踏み入れると、空気は一気に明るくなった。
飲食に雑貨、工芸店、多様な露店が商いをしている。
木の階段を上がって、三階ほどの高さの歩道を歩いていると、ふわり──小麦の甘い香りが漂ってきた。
この匂いは……パンだ! それも焼きたての。
香りの先には、丸い形をした木造の店があった。
看板の文字は読めないが、パン屋であることはすぐに分かった。
「ありゃりゃ! 姫様、おはようございます」
中に入ると、銀の長髪に緑のカチューシャをつけた少女が出迎えた。
エプロンをつけ、カウンターでパンをこねている。
「お早いご来店でっ。いらっしゃいませ」
「マリネ! おはよう。出来てる!?」
「ふふ、ちょうど焼きたてのパンが出来たところですよ。ここでお召し上がりになりますか?」
「食べる! 緋色、どれにする?」
フィオナは店頭に並んだパンを前に、どれにしようかと視線を泳がせた。
「ええと、たしか山田……様でしたよね。甘いのがお好きでしたら、こちらのチョパンはどうでしょう」
黒い蜜のようなものがとろりとかかった丸いパン生地。
チョコレートだろうか。
「山田で大丈夫です。頂きます、マリネさん」
店内の木のベンチに腰掛け、チョパンを口に運んだ。
瞬間、俺は目を見開いた。
「美味い……! サクッとした歯ごたえ、甘く溶けるような味わい──良い仕事してますねえ」
世界甘党ランキングがあれば、恐らく上位に入るであろう俺の舌を、ここまで唸らせるとは!
この娘、ただものではないッ──
「ふふ、喜んでもらえて嬉しいです。里の黒実の樹からとれた豆で作ったソースなんですよ」
恐らくカカオのようなものだろう。
「それに、姫様にパートナーが出来るなんてっ」
マリネは両頬に手をあて、羨ましそうに身を揺らす。
「マリネは感動です~!」
「パッ!? 緋色はそんなんじゃっ、でもまぁ、お試しぐらいなら? 別に私は嫌じゃないというか──」
顔を赤くして、フィオナはあたふたしていた。
自分の慌てぶりに気づいたのか、こほん、と小さく咳払いをした。
「里の案内をしなさいって、長老に言われてるの。とりあえず、次は学校かな」
「そうでしたか。学校に行くのでしたら、これを母に持っていって頂けませんか? 忘れていってしまって」
マリネが差し出した木のバケットには、肉をパン生地で包んだ焼き物が詰められていた。
「わかった! イリナばあちゃんに持ってくね」
イリナ……昨晩、串焼きの店で見た女性の姿が頭に浮かんだ。
「あぁ──」
彼女は、イリナさんの娘なのか。
銀の長髪にどこか既視感を覚えていたが、俺は納得した。
緑あふれる小道を歩いていると、ふわふわと光る蝶が浮いていた。
これも精霊の一種らしい。どこにでもいるわけではなく、森が深まる場所に特に多い気がする。
「まてまて~!」
草木の茂みをかきわけるように、薄緑の髪をした小さな少女が飛び出してきた。
布と皮で作られた緑の軽装に、弓と矢筒を背負っている。
「るららっ♪ るらら♪ るんるんらっら♪」
不思議な歌を口ずさみながら、蝶と戯れている。
「リーリー! 何してるのよ、こんな所で」
「あっ、フィオナ! リーリーは、蝶を追いかけてる!」
くるくると、彼女はその場を跳ねるように動いた。
「今は訓練の時間でしょう? ライルにまた怒られるわよ」
「むっ。ライル、うるさい、きらい! リーリーは天才、練習などいらんのです」
少女はビシッと手のひらをこちらに向けると、どや顔で胸を張った。
「人間だよね!? あそぼ! リーリーとあそぼ!」
目をキラキラさせ、ぐいぐい距離を詰めてきた。
あまりの近さに、反射的に一歩下がってしまう。
「えーっと」
「こら、困らせないの。あと、名前は緋色よ」
そう言われると、少女は元気いっぱいに顔を上げた。
「ひーろ! あそぼ!」
「……訓練場に、遊びに行こうと思ってたのに」
ぼそっと、しかし聞こえるようにフィオナはいった。
「んっ……!!」
「サボってるみたいだし、リーリーとは遊べないわね……あーあ、残念」
その一言に、リーリーの長い耳はピンッと立った。
「むぅ……! わかった! リーリー戻る!」
「ん! えらい、えらい」
フィオナは落胆した表情から、ころりと笑顔に切り替わった。
少女の扱いには慣れているようだ。
「絶対……絶対来てね! 絶対だよ!?」
何度も後ろを確かめるように、リーリーはすたすた歩いていく。
「──約束だからねー!!」
彼女は振り返ると、念押しするように声をあげた。
「あんな小さな子も、弓を持つのか」
「ああ見えて緋色より年上だよ。甘やかしちゃダメなんだから」
「あの子が、俺より……年上……」
人は見かけによらない、もとい、エルフは外見では判断できない生物のようだった。
林の小道を抜けると、森の中にひっそりと石造りの建物が姿を現した。
緑色の木瓦の屋根に、石の外壁にはつる草が静かに揺れていた。
「これが……エルフの学校」
「そ! お祭りの次の日は祝日だから、今日は誰も居ないけどね」
フィオナは古さびた扉を押し開けた。
真っすぐ伸びる木製の廊下を、彼女の後ろをなぞるように進んだ。
「祝日なのに、イリナさんは居るのか?」
年季の入った教室の木扉はまばらに開いており、人の気配はない。
「うん。イリナばあちゃんは、この先にある書庫の司書なんだ」
廊下の奥には、ひときわ存在感のある扉があった。それは森の巨木を削り出したような重厚な木肌に、古い文様が彫り込まれていた。
フィオナが扉を押した。
ギィ……低い木鳴りは、静かな校舎にゆっくり溶けた。
──広い。
本棚が幾重にも並び、古い羊皮紙の匂いがほんのり漂った。
視線をあげると長い彩光窓があり、柔らかい光で室内を満たしていた。
「あら──」
腰まで伸びる銀長髪、黒縁の眼鏡、柔らかい笑み。
書庫の中央、背の高い本棚の前にイリナは立っていた。
灰色のローブを纏い、耳元には金の小さなブローチをつけている。
「フィオナ。それと……またお会いしましたね」
温和だが、よく通る声だ。
パン屋のマリネが明るい向日葵だとすれば、彼女は静かに香る百合のようだった。
「こんにちは。改めまして、山田といいます」
俺は胸に片手を当てると、ゆっくりと頭を下げた。
「まあ、エルフの儀礼をご存じなのね」
フィオナが長老にしていた挨拶を真似ただけだが、形になっていたようだ。
イリナはにこやかに目を細めると、俺の横へと視線を移した。
「ここに来るなんて珍しい。今日はどうしたの?」
「里の案内だよ! あとこれ、忘れ物」
フィオナは胸の前にひょいと木のバケットを持ち上げると、彼女に差し出した。
「あらあら、歳をとると忘れっぽくなっていけないわ……ありがとうね」
「うんっ。じゃ! 私は読みたい本あるから、探してくるね」
「ああ、わかった」
ぱたぱたと、軽い足音は書庫の奥に消えていった。
二人取り残され、何となく気まずくなった時──
「……いい子でしょう? 彼女は」
「ええ。分からないことだらけで、本当に助けられています」
くすりとイリナは笑った。
「ここの書庫には、あらゆる本があります。よろしければ、手に取ってみてくださいな」
「ありがとうございます」
周囲を見渡すと、あらためて感嘆した。どこを見ても本棚だらけである。
無数の背表紙がぎっしりと並び、見るだけで圧倒されてしまう。
凄まじい量だった。
「これは、悩みますね……」
「そうね……例えば、これなんてどうかしら」
イリナは本棚の一つに手を向けると、そっと手のひらを招くように動かした。
ふわり、分厚い本が一冊、空気を滑るように棚から抜け出す。
それは俺の前で静かに止まり、手に取るのを待っているようだった。
「これって……やっぱり魔法、という奴ですか?」
「──ええ。ごく簡単な魔法ですけれど」
眼鏡の奥、イリナの瞳が細くなった気がした。
なんだ?
「あーそうですよね。簡単なやつですよね」
「……ええ」
変なことを聞いてしまったか。
そうだ──ここは異世界。エルフがいるなら、魔法があっても不思議じゃない。
おかしいのは、知らない俺のほうだ。
気まずさを紛らわせるように本を開くと、曲がりくねった無数の文字の羅列が──
「あぁ~……」
……うむ。
まったく、分からんッ。
「すみません。学が無いもので、文字が読めなくて……」
「やはり、読めないのですね」
イリナはすちゃりと眼鏡をかけ直した。
「え?」
「私がまだ少女だった頃に、あなたと似たような人に会ったことがあります」
「それって……」
「そう、“異界人”──です」
「……気づかれてましたか」
「長生きすると、目ざとくなるのです」
イリナは穏やかに笑った。
「その本の題名は、『異界の伝承』。文字もよろしければ、私が教えましょう」
なぜこうも親切にしてくれるのか。
彼女の優しいまなざしは、俺ではなく、どこか遠くを見ているように感じた。
「いいんですか……?」
「ええ、もちろん。この世界の知識が、あなたには必要でしょう」
トントントン──
静けさを押しのけるように、小気味のいい足音が聞こえた。
「たっだいまー!! 何の話してたの?」
「しーっ。書庫では静かにね」
子をあやす母のように、イリナは人差し指を唇に立てた。
「あなたが、良い子だという話をしていましたよ」
「えぇっ! えっ、ええー? いや、それほどでも、あるかもだけど」
フィオナは大げさにのけ反ると、恥ずかしそうににやけた。
「静かに、ね」
そういえば、フィオナには俺が異界人であることを、まだ伝えていない。
まぁ言ったところで、何が変わるわけでもないか。
「ところで、何の本を持ってきたんだ?」
「ふふん。転生したらドラゴンになってた件について、第五巻!」
ラノベかよッ!
どこかで聞いたようなタイトルに、心中で突っ込んだ。
「すごく、斬新なタイトルだな……」
「えぇっ! 転ドラ、超人気なのに! 知らないの!?」
エルフというのは、ミーハーな生き物なのかもしれない。
「それじゃ、イリナばあちゃん。また来るね~」
「ええ。山田さんも、いつでもいらして下さい」
メガネの縁に手をやると、イリナは微笑んだ。
「ありがとうございます」
この世界のことを、もっと知りたい。
純粋に、そう思った。
鳥の小さな鳴き声に、優しいアロマのような香りがする。
「ん……」
ここは……どこだ。
大きな窓、壁や柱にはツタが伸び、ところどころに緑が残っている。
まるで森の中に建てられた部屋だ。
天蓋がついた古びたベッドで、俺は体を起こした。
そうだ、ここはエバーウッド、エルフの里だ。
怒涛の一日だった昨日を思い返していると、
「緋色ー!! 朝だよー! ひーいーろー!」
扉の外からけたたましい声がした。
声の主はドンドンッと扉を叩くと、反応を待たずに中へと入ってきた。
肩下で揺れる淡い青髪に、湖のような瞳。
「良い天気!」
エルフの少女は、開け放った窓の光に照らされていた。
眩しい。
「ふぁ──おはよう。フィオナ」
軽い欠伸を抑えられず、背筋を伸ばしながら返事した。
心地いい程度の少しのだるさ、体の疲れは抜けきっていなかった。
「まだ眠いの? おはよ! さぁ、行こっか!」
「行くって……どこに」
「もちろん、朝ご飯! お腹減ったでしょ?」
ご飯、と聞いた瞬間に腹が鳴る。
体は正直である。
外に出ると、澄んだ森の香りがした。
登り始めたばかりの太陽に、俺は目を細めた。
「緋色、私の真似して!」
フィオナはすーっと息を大きく吸うと、深くはーっと吐き出した。
深呼吸だ。
彼女に続くように、息をゆっくりと吸い──吐きだす。
「すぅ──んッ、ぎっもぢいぃ……」
都会の汚れた空気に慣れた体は、こんな外の楽園を求めていたのかもしれない。
「気持ちいいでしょ」
彼女はくすりと笑った。
コンクリートジャングル・東京にはもう戻れそうになかった。
──エルフの里の風景は、どこか風変わりしている。
一言でいえば、“縦に広い”場所だ。
太い木の幹に沿って、二階、三階、と家々が何層にも組まれ、その間に木橋や小道が掛けられていた。
層になった家々の間から光がこぼれ、崖を伝う小さな滝は澄んだ水音を響かせる。
まるで里全体が、積み重なった一つの大きな家だった。
無駄がない里の設計に、俺は感心していた。
中央市場に足を踏み入れると、空気は一気に明るくなった。
飲食に雑貨、工芸店、多様な露店が商いをしている。
木の階段を上がって、三階ほどの高さの歩道を歩いていると、ふわり──小麦の甘い香りが漂ってきた。
この匂いは……パンだ! それも焼きたての。
香りの先には、丸い形をした木造の店があった。
看板の文字は読めないが、パン屋であることはすぐに分かった。
「ありゃりゃ! 姫様、おはようございます」
中に入ると、銀の長髪に緑のカチューシャをつけた少女が出迎えた。
エプロンをつけ、カウンターでパンをこねている。
「お早いご来店でっ。いらっしゃいませ」
「マリネ! おはよう。出来てる!?」
「ふふ、ちょうど焼きたてのパンが出来たところですよ。ここでお召し上がりになりますか?」
「食べる! 緋色、どれにする?」
フィオナは店頭に並んだパンを前に、どれにしようかと視線を泳がせた。
「ええと、たしか山田……様でしたよね。甘いのがお好きでしたら、こちらのチョパンはどうでしょう」
黒い蜜のようなものがとろりとかかった丸いパン生地。
チョコレートだろうか。
「山田で大丈夫です。頂きます、マリネさん」
店内の木のベンチに腰掛け、チョパンを口に運んだ。
瞬間、俺は目を見開いた。
「美味い……! サクッとした歯ごたえ、甘く溶けるような味わい──良い仕事してますねえ」
世界甘党ランキングがあれば、恐らく上位に入るであろう俺の舌を、ここまで唸らせるとは!
この娘、ただものではないッ──
「ふふ、喜んでもらえて嬉しいです。里の黒実の樹からとれた豆で作ったソースなんですよ」
恐らくカカオのようなものだろう。
「それに、姫様にパートナーが出来るなんてっ」
マリネは両頬に手をあて、羨ましそうに身を揺らす。
「マリネは感動です~!」
「パッ!? 緋色はそんなんじゃっ、でもまぁ、お試しぐらいなら? 別に私は嫌じゃないというか──」
顔を赤くして、フィオナはあたふたしていた。
自分の慌てぶりに気づいたのか、こほん、と小さく咳払いをした。
「里の案内をしなさいって、長老に言われてるの。とりあえず、次は学校かな」
「そうでしたか。学校に行くのでしたら、これを母に持っていって頂けませんか? 忘れていってしまって」
マリネが差し出した木のバケットには、肉をパン生地で包んだ焼き物が詰められていた。
「わかった! イリナばあちゃんに持ってくね」
イリナ……昨晩、串焼きの店で見た女性の姿が頭に浮かんだ。
「あぁ──」
彼女は、イリナさんの娘なのか。
銀の長髪にどこか既視感を覚えていたが、俺は納得した。
緑あふれる小道を歩いていると、ふわふわと光る蝶が浮いていた。
これも精霊の一種らしい。どこにでもいるわけではなく、森が深まる場所に特に多い気がする。
「まてまて~!」
草木の茂みをかきわけるように、薄緑の髪をした小さな少女が飛び出してきた。
布と皮で作られた緑の軽装に、弓と矢筒を背負っている。
「るららっ♪ るらら♪ るんるんらっら♪」
不思議な歌を口ずさみながら、蝶と戯れている。
「リーリー! 何してるのよ、こんな所で」
「あっ、フィオナ! リーリーは、蝶を追いかけてる!」
くるくると、彼女はその場を跳ねるように動いた。
「今は訓練の時間でしょう? ライルにまた怒られるわよ」
「むっ。ライル、うるさい、きらい! リーリーは天才、練習などいらんのです」
少女はビシッと手のひらをこちらに向けると、どや顔で胸を張った。
「人間だよね!? あそぼ! リーリーとあそぼ!」
目をキラキラさせ、ぐいぐい距離を詰めてきた。
あまりの近さに、反射的に一歩下がってしまう。
「えーっと」
「こら、困らせないの。あと、名前は緋色よ」
そう言われると、少女は元気いっぱいに顔を上げた。
「ひーろ! あそぼ!」
「……訓練場に、遊びに行こうと思ってたのに」
ぼそっと、しかし聞こえるようにフィオナはいった。
「んっ……!!」
「サボってるみたいだし、リーリーとは遊べないわね……あーあ、残念」
その一言に、リーリーの長い耳はピンッと立った。
「むぅ……! わかった! リーリー戻る!」
「ん! えらい、えらい」
フィオナは落胆した表情から、ころりと笑顔に切り替わった。
少女の扱いには慣れているようだ。
「絶対……絶対来てね! 絶対だよ!?」
何度も後ろを確かめるように、リーリーはすたすた歩いていく。
「──約束だからねー!!」
彼女は振り返ると、念押しするように声をあげた。
「あんな小さな子も、弓を持つのか」
「ああ見えて緋色より年上だよ。甘やかしちゃダメなんだから」
「あの子が、俺より……年上……」
人は見かけによらない、もとい、エルフは外見では判断できない生物のようだった。
林の小道を抜けると、森の中にひっそりと石造りの建物が姿を現した。
緑色の木瓦の屋根に、石の外壁にはつる草が静かに揺れていた。
「これが……エルフの学校」
「そ! お祭りの次の日は祝日だから、今日は誰も居ないけどね」
フィオナは古さびた扉を押し開けた。
真っすぐ伸びる木製の廊下を、彼女の後ろをなぞるように進んだ。
「祝日なのに、イリナさんは居るのか?」
年季の入った教室の木扉はまばらに開いており、人の気配はない。
「うん。イリナばあちゃんは、この先にある書庫の司書なんだ」
廊下の奥には、ひときわ存在感のある扉があった。それは森の巨木を削り出したような重厚な木肌に、古い文様が彫り込まれていた。
フィオナが扉を押した。
ギィ……低い木鳴りは、静かな校舎にゆっくり溶けた。
──広い。
本棚が幾重にも並び、古い羊皮紙の匂いがほんのり漂った。
視線をあげると長い彩光窓があり、柔らかい光で室内を満たしていた。
「あら──」
腰まで伸びる銀長髪、黒縁の眼鏡、柔らかい笑み。
書庫の中央、背の高い本棚の前にイリナは立っていた。
灰色のローブを纏い、耳元には金の小さなブローチをつけている。
「フィオナ。それと……またお会いしましたね」
温和だが、よく通る声だ。
パン屋のマリネが明るい向日葵だとすれば、彼女は静かに香る百合のようだった。
「こんにちは。改めまして、山田といいます」
俺は胸に片手を当てると、ゆっくりと頭を下げた。
「まあ、エルフの儀礼をご存じなのね」
フィオナが長老にしていた挨拶を真似ただけだが、形になっていたようだ。
イリナはにこやかに目を細めると、俺の横へと視線を移した。
「ここに来るなんて珍しい。今日はどうしたの?」
「里の案内だよ! あとこれ、忘れ物」
フィオナは胸の前にひょいと木のバケットを持ち上げると、彼女に差し出した。
「あらあら、歳をとると忘れっぽくなっていけないわ……ありがとうね」
「うんっ。じゃ! 私は読みたい本あるから、探してくるね」
「ああ、わかった」
ぱたぱたと、軽い足音は書庫の奥に消えていった。
二人取り残され、何となく気まずくなった時──
「……いい子でしょう? 彼女は」
「ええ。分からないことだらけで、本当に助けられています」
くすりとイリナは笑った。
「ここの書庫には、あらゆる本があります。よろしければ、手に取ってみてくださいな」
「ありがとうございます」
周囲を見渡すと、あらためて感嘆した。どこを見ても本棚だらけである。
無数の背表紙がぎっしりと並び、見るだけで圧倒されてしまう。
凄まじい量だった。
「これは、悩みますね……」
「そうね……例えば、これなんてどうかしら」
イリナは本棚の一つに手を向けると、そっと手のひらを招くように動かした。
ふわり、分厚い本が一冊、空気を滑るように棚から抜け出す。
それは俺の前で静かに止まり、手に取るのを待っているようだった。
「これって……やっぱり魔法、という奴ですか?」
「──ええ。ごく簡単な魔法ですけれど」
眼鏡の奥、イリナの瞳が細くなった気がした。
なんだ?
「あーそうですよね。簡単なやつですよね」
「……ええ」
変なことを聞いてしまったか。
そうだ──ここは異世界。エルフがいるなら、魔法があっても不思議じゃない。
おかしいのは、知らない俺のほうだ。
気まずさを紛らわせるように本を開くと、曲がりくねった無数の文字の羅列が──
「あぁ~……」
……うむ。
まったく、分からんッ。
「すみません。学が無いもので、文字が読めなくて……」
「やはり、読めないのですね」
イリナはすちゃりと眼鏡をかけ直した。
「え?」
「私がまだ少女だった頃に、あなたと似たような人に会ったことがあります」
「それって……」
「そう、“異界人”──です」
「……気づかれてましたか」
「長生きすると、目ざとくなるのです」
イリナは穏やかに笑った。
「その本の題名は、『異界の伝承』。文字もよろしければ、私が教えましょう」
なぜこうも親切にしてくれるのか。
彼女の優しいまなざしは、俺ではなく、どこか遠くを見ているように感じた。
「いいんですか……?」
「ええ、もちろん。この世界の知識が、あなたには必要でしょう」
トントントン──
静けさを押しのけるように、小気味のいい足音が聞こえた。
「たっだいまー!! 何の話してたの?」
「しーっ。書庫では静かにね」
子をあやす母のように、イリナは人差し指を唇に立てた。
「あなたが、良い子だという話をしていましたよ」
「えぇっ! えっ、ええー? いや、それほどでも、あるかもだけど」
フィオナは大げさにのけ反ると、恥ずかしそうににやけた。
「静かに、ね」
そういえば、フィオナには俺が異界人であることを、まだ伝えていない。
まぁ言ったところで、何が変わるわけでもないか。
「ところで、何の本を持ってきたんだ?」
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ラノベかよッ!
どこかで聞いたようなタイトルに、心中で突っ込んだ。
「すごく、斬新なタイトルだな……」
「えぇっ! 転ドラ、超人気なのに! 知らないの!?」
エルフというのは、ミーハーな生き物なのかもしれない。
「それじゃ、イリナばあちゃん。また来るね~」
「ええ。山田さんも、いつでもいらして下さい」
メガネの縁に手をやると、イリナは微笑んだ。
「ありがとうございます」
この世界のことを、もっと知りたい。
純粋に、そう思った。
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