World of Fantasia(ワールド・オブ・ファンタジア)

緋色牡丹

文字の大きさ
12 / 32
第一章「永遠の森」

第十二話「英雄の旅立ち」

しおりを挟む
 鳥のさえずる声が聞こえる。
 瞼を開けると、窓辺に立つ彼女──
 『おはよう』
 揺れる青い髪に、眩しい笑顔。
 一瞬浮かんだそれは、霧のようにほどけて消えてしまった。
 頭の隅には、彼女の泣き顔がずっと残っている。
 指輪を渡したあの日から二週間。
 彼女は一度も部屋に訪れることはなかった。
 俺はベッドから身を起こし、窓辺へと歩いた。
 両手で大きな窓を押し開けると、柔らかな朝陽が流れ込んでくる。
 肌を刺すような光に、思わず右手で目元を覆った。
「くぅ~、今日もいい天気だな」
 二階から見える外の森は、ほのかな桜色に染まっている。
 この里にも桜があるのかと思っていたが、“春星”という名の木らしい。
 柔らかな木の匂いに春を感じていると、
「ひーろー!! おはよー! いこー!」
 弾むような明るい声がした。
 窓下の玄関先に視線をおろす。
 緑髪の少女、リーリーがぶんぶんと手を振っている。
「ああ! いま行くー!!」
 晴れやかな今日は、英雄を見送る祝祭だ。
 彼女に──フィオナに別れを告げる日だった。

 リーリーと並んで中央広場を歩く。
 いつもより人が多く、通りはごった返していた。
 街は祭りのような空気に包まれ、別れを惜しむ気配はない。
 活気だけが朝の広場を満たしていた。
 石畳の両脇では、店先に色とりどりの布が掲げられている。
 ふと、飲み屋の軒先から弾んだ声が流れてきた。
「それにしても姫様、まだ九十なのに出発が決まるなんてなあ」
「エリン様以来の才女だ。おかしくはないだろう」
「里の未来は安泰ってもんだな。ガッハッハ!」
 そんな会話が、行き交う人のざわめきに紛れて耳に入る。
 皆が英雄に──フィオナに期待しているようだった。
 人混みを抜けると、里の東へと足を向けた。
 目的地はフィオナの家だ。
 水辺に沿って続く土手道を歩くと、澄んだ朝風が草の香りを運んできた。
 土手道を抜けると、両脇に木が生い茂る林道に出る。
 道は真っすぐ伸びており、遠くに青い屋根の小さな家がぽつんとある。
 英雄が住む場所にしては、あまりにも質素な家だった。
「フィオナ―! おはよー!!」
 ノックも無しに、リーリーは勢いよく扉をあけた。
 しゅる──柔らかな布が、肌をなぞる気配。
 薄青い髪は白い肩先に揺れ、衣服は音もなく落ちた。
「ん、おはよ!」
 フィオナは着替え中だった。
「おぉ──」
 もはや罪悪感もなく眺める俺の心境は、女神を崇拝する信徒だ。
 両手を合わせ拝む。
「……何してるの?」
「いえ。今日もありがとうございます」
「ん~?」
 彼女は首をかしげ、不思議そうに笑った。
 そして一息つくと、胸に巻いた絹布を整え始める。
「胸布がサイズ合わなくってさ。ちょっと待っててね」
「……ずるい」
 横で、リーリーが自分の平らな胸元に触れた。
「ずるい!」
 そのままフィオナの胸元に飛び込んでいく。
「ずーるーいー!!」
「ちょっと! リーリー! 邪魔しないでったら!!」
「……外で、待ってますね」
 騒がしい室内を後にして、俺は家の前にある小さなベンチに座った。
 林に囲まれたこの場所は、里の中より空気が美味しく感じる。
 ──しばし座っていると、扉が開いた。
「お待たせっ。準備完了!」
「ああ、行こうか」
 へそを出した軽装の皮服は、とても動きやすそうだ。
 背中には、体の半分ほどある大きなリュックを背負っている。
「それ……重くないのか?」
「全然! 鍛えてるからね! 忘れ物ないかなぁ」
 フィオナはがさごそと中身を確認した。
「水筒に、寝間着に、あと寝る前に読もうと思ってる本でしょ~」
「おかし、持ったー!?」
 リーリーがいう。
「もちろん! 一週間は困らないはず」
「子供の遠足かよ」
 ……大丈夫なんだろうか。

「──行ってきます」
 誰もいない部屋にぽつりと呟き、フィオナは名残惜しむように鍵を閉めた。
 里のみんなが見送る大門、旅立ちの場所へと歩いていく。
 リーリーは何も言わず、フィオナの右手をずっと握っている。
「私たち、会ってからもう半年以上たってるんだね」
「実感ないなぁ。まだ二カ月ぐらいの気分だ」
「そうだね。緋色が来てから、楽しいこといっぱいあったから……一瞬だったかも。本当にありがとう」
「俺は、何もしてないよ」
「……緋色がいるから、リーリーはたくさん訓練に来るようになったし、ライルは前より明るくなったんだよ」
「そうなのか?」
「私も緋色が来て、色んな話をするようになって、毎日が楽しかった」
 彼女は口角を緩め、笑った。
「本当はね、私……逃げちゃおうと思ってたんだ」
「え?」
 逃げる。
 そんな言葉が出るとは思わず、間の抜けた顔になった。
「毎日のように辛い修行をして、なんで私が、なんでって。私じゃなくても良いじゃないって。ずっと何年も、何十年も思ってたの」
 フィオナの告白を静かに聞きながら、俺たちは歩く。

 土手を踏む足音だけが、さく、さくと続いた。

 しばらくして──
「初めて会ったあの日だって、修行さぼってたんだ……」
 彼女はくすりと笑うと、ふいに立ち止まった。
「そんなとき、あなたに会った」
 左手を上げ、薬指の指輪に目をやった。
「人間の色んな話は面白いし、里はいつもより綺麗に見えた。一緒にいる日々は本当に楽しかった」
「……」
「この里を、守りたいって思えた」
 久しく見ていなかった、陽だまりのような笑顔。
「あなたがいてくれたから、私は前を向ける。本当に……ありがとう」
 その真っすぐな瞳に、俺は何も言うことが出来ない。
「行こっか!」
 フィオナは進む。迷いなく。
 足が重い。
 無意識に、前に進むのを拒んでいた。
 
 大門の前につくと、里中のエルフが集まっていた。
 里には総勢五千をこえるエルフがいるという。
 これほどの数がいるのに、広場は静まり返っていた。
「──緋色」
 淡い青髪をさらりと流し、彼女は振り向いた。
「……フィオナ」
 何を言えばいいかわからない。
 彼女の泣き顔が今も頭から離れない。
 いったい俺は、フィオナに何をしてやれるのだろう。
「必ず帰って来るから。その時は、また一緒に串焼き食べて、踊って、お酒飲んで……それから……それから……いっぱい、いっぱい話そうね」
「……ああ。待ってるよ。約束だ」
 右手を前に出し、小指をさしだす。
「これは?」
「俺の故郷でいう約束。指切りっていうんだ。小指を絡めたあと、約束を守ると誓って、指を離す」
 彼女は一瞬だけ迷い、そっと小指を絡めた。
「寿命で死ぬ前に帰ってくれ。人間はすぐ死ぬからさ」
「ふふ、そうね!」
「……リーリーも! リーリーもやる!」
 ずっと黙っていたリーリーも、小さな指を差し出す。
「はいはい。三人でしよ」
 フィオナは笑うと、三人で小指を絡め合った。
「誓うわ。必ず、必ず帰って来ます」
 固く結んだ小指は、ゆっくりと──ほどかれた。
「それじゃ……もう行くね」
 彼女は穏やかに足を進めた。
 その後ろを追うように、俺とリーリーも歩き出す。
 フィオナが群衆に近づくと、滝が割れるように道が開いていく。
 広場中央には、石畳に刻まれた古い円環の紋。
 大神樹が描かれたその場所に、七人のエルフが横一列に並んでいた。
 フィオナは、まっすぐその一人──長老の前へと進む。
「別れの挨拶は……済んだか?」
「ええ。もう……行けます」
「我ら七聖、英雄の旅路の幸運を祈る。フィオナ・レスターに、女神の幸あらんことを」
 低く澄んだ鐘の音が、ひとつ、ふたつと鳴った。
「合掌──ッ!」
 長老の低い声に応えるように、全員が手を合わせた。
 中心を歩いていく彼女を、鐘の音と共に見送る。
「フィオナー! リーリーのこと、忘れないでねー! 待ってるからねー!!」 
 彼女は大門の前で振りかえった。
 そして、笑顔で手をふった。
「みんなー!! またねーーーー!!!!」

 フィオナは、最後まで笑っていた。
 桜色の花吹雪。
 彼女は春の星のように明るかった。
「フィオナー! またなぁー!」
 大きく振ったその手は、すぐに力なく落ちた。
 笑って送り出す、そのはずなのに。
 胸にはトゲが刺さったような、鈍い痛みが残っていた。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

大和型戦艦、異世界に転移する。

焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。 ※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件

美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…? 最新章の第五章も夕方18時に更新予定です! ☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。 ※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます! ※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。 ※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!

勇者の隣に住んでいただけの村人の話。

カモミール
ファンタジー
とある村に住んでいた英雄にあこがれて勇者を目指すレオという少年がいた。 だが、勇者に選ばれたのはレオの幼馴染である少女ソフィだった。 その事実にレオは打ちのめされ、自堕落な生活を送ることになる。 だがそんなある日、勇者となったソフィが死んだという知らせが届き…? 才能のない村びとである少年が、幼馴染で、好きな人でもあった勇者の少女を救うために勇気を出す物語。

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

MP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

最強無敗の少年は影を従え全てを制す

ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。 産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。 カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。 しかし彼の力は生まれながらにして最強。 そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。

処理中です...