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6.戸惑い。
しおりを挟む確かに。
リリアンヌは覚悟を決めた。
ここまできたら、この拾い子のひたむきな情熱を受け入れてやるしかないと。
今更手放そうとしても無駄だと。
確かにそう思った。
だがーーーーーーーー
「あいつ…………」
リリアンヌは低く唸りながら腰をさする。
「調子に乗って…………!」
ちょっと抱きしめてやったら、それだけで全部許されたと思ったのか。
あの後リリアンヌはサフィールにまたもや問答無用で貫かれた。何を言う暇もなく埋められた屹立を貪欲に抜き差しされ、胸を弄られ、身体中のあちこちに唇を落とされ。そしてずっと何やら気持ち悪い言葉を囁かれ続ける羽目になった。
本人曰く、自分がいかにリリアンヌを愛しているかについて述べているだけらしく、吸った息を吐く時に抑え切れない情熱が零れるのは自然の摂理、純然たる真理だとか何とか。何はともあれ、あれはかなり気持ち悪かった。
そうして前後不覚になるまで揺さぶられ貪り尽くされた結果、どうなったか。
当然のことだが、リリアンヌの足腰は立たなくなった。
自分の身体なのに、全く言うことを聞かない。少しの身動ぎで何とも言い難い痺れが走り、妙な声が漏れそうになる始末。
散々形を教え込まれたナカは引き抜かれてもなおあの生々しい感覚を覚えていて、油断するとすぐに行為の記憶を引き摺り出してくる。
「こっちは処女だったって言うのに」
全く容赦がなかった。勢いがすごかった。
情熱と体力を持て余した若者、怖い。
第一向こうも初めてだったはずなのに、こうも自分ばかりいいようにされてしまったのが悔しくてならなかった。
がっつかれたが、単に勢いだけでがっつかれたのではない。妙に技巧が凝らされていて、抵抗の隙がなかった。本当に初心者か? と疑うほどの濃い内容だった。
サフィールのクセに、なんて生意気な。
そんなこんなでリリアンヌはこの二日、重い腰が原因でほとんどまともに動けなかったのである。随分な時間を無駄にした。
「アンヌ?」
寝室の扉の隙間から、諸悪の根元が顔を覗かせる。心配する素振りを見せながらもそこら中から滲み漏れ出しているふやけて蕩けた気配が、リリアンヌをまた微かに苛立たせる。
「ご飯出来たよ。持って来るね」
「ーーーーいい」
青の瞳から視線を逸らして不機嫌に彼女は言う。
「え? でも」
「テーブルで食べる」
さすがに今日はもう動ける。
若干ぎこちない動きながらもベッドから降り立とうとしたリリアンヌの元に、サフィールが駆け寄ってくる。
「無理しないで」
お前がさせたんだろうが!
噛み付きたくなるのをぐっと堪えて、自分を抱き上げようとした腕を払い落とすに留めた。
触れられたくない。
触れられれば、色々なことを思い出してしまう。
正直、リリアンヌはまだこの事態を受け止め切れていない部分がある。
どれだけの月日を独りで過ごしてきたと思っているのだ。
どれだけの月日を独りで過ごしていく覚悟だったと思っているのだ。
先日自分の身に訪れたアレは、一生涯経験しないはずのものだった。
経験することがあればそれは魔女としての死を意味し、魔女としての死は、つまり人生そのものの終わりを意味した。
幸いなことに、力を失うような目には遇わなかったが。
とにかくこれは想定外の事態過ぎた。
今後この拾い子をどう扱うべきか迷いに迷っているし、力を失いはしないとは言え男との交わりはあまりに専門外過ぎる。
それに交わりが人生に絶対必要な行為かと問われれば、リリアンヌは否と即答できる。
自分のようなタイプの魔女は、色欲を理性だけでなく本能で抑えられる生き物だ。だって、色欲にかまけていたら、命そのものが脅かされる運命にあるのだから。
覚悟は決めた。
リリアンヌはサフィールを放り出せない。
でも放り出すのをやめにしてやっただけで、何もかもを許した覚えはない。
毎晩毎晩盛られたら、身体だけではなくリリアンヌのアイデンティティすら崩壊してしまうに違いない。
「歩ける?」
「歩けるに決まってるだろう。お前、私を年寄り扱いする気?」
「いや、そうじゃなくて」
無理を強いた自覚はあるらしい。
自分の半歩後ろをついて歩くサフィールは、リリアンヌが食卓に辿り着くとスッと椅子を引いた。引かれた椅子に腰を下ろしながら、彼女は食卓の向こうに視線を向ける。
チラリと視界の端に映ったソファーには、タオルケットがかけられていた。
サフィールが再びやらかしてくれたその後、リリアンヌは怒った。それはもう怒った。身を起こすことも叶わなかったので、横になったままという威厳のない態勢ではあったが。
だからこの二日間、サフィールは寝台での睡眠を許されなかった。
一緒の寝台にいれば、何がどうなるか分からない。若者の体力の底なし加減は学習した。
それでなくともサフィールはリリアンヌを抱き枕にするのが日常だ。だが、痺れて疲れ切った身体にはそれも毒。
それに、自分に触れたサフィールが何もしないなんて全く思えなかった。信用はゼロだ。
ということで、ヤツはソファーで寝起きすることになったのである。
身長があるから、きっと足なんかはみ出してるだろうが……
そうは思うが、同情の余地はない。
野菜がくたくたになるまで煮込まれたスープを口にしながら、視線を目の前の男に戻す。
戻した瞬間、ばっちりと目が合った。
「味、大丈夫? 濃すぎない?」
どうやらずっとこちらを見ていたらしい。
「別に、普通」
素っ気ない声にも、相変わらずにこやかな顔。
コイツ、本当に反省してるのか……?
「パンは今朝焼いたのだから、柔らかいよ」
訝しみながらも勧められたパンを一口千切って含めば、確かに柔らかく、そして香ばしく美味だった。
昔はお湯を沸かすのにもヤケドしそうになったりと、見ていて危なっかしいところしかなかったというのに、人間の成長とはすごいものである。
「ジャム、イチゴにする? ブルーベリー?」
今ではパンでもジャムでも何でも作るし、ウサギやシカなんかの動物だって器用に捌いてみせる。
「イチゴ」
当然のように彼女が持っていたパンを取り、掬ったジャムを塗ろうとするので、その手から素早くパンを取り返し、バターナイフを奪う。
「なんでも勝手にするな」
これでは介護されている老人だ。
「パンにジャムくらい自分で塗れる」
「知ってるよ。でもオレがやりたくて」
「私はそんなに耄碌していない」
言ったら、サフィールはあからさまに残念なものを見る目をしてきた。
「なんでそうなるの?」
「何が」
おかしなことは言っていない。おかしなことをしてるのはサフィールの方だ。
「誰もアンヌのこと、耄碌してるなんて思ってないよ。これは違うでしょ、そういうのじゃなくて」
「じゃなくて?」
問い返せば、サフィールは思いっきり溜め息を吐いた。
何でだ、溜め息を吐きたいのは常にこっちなんだぞ、とリリアンヌはムッとする。
「……そう言えば、リリアンヌって年寄り扱いするなってよく怒るよね」
「それはお前がいつもあれこれ代わりにしようとするから。それも助けのいらないようなことばかり」
リリアンヌは自立した大人だ。そしてまだ特に衰えを覚えるような段階ではない。生活能力だってちゃんとある。何だって大抵のことは自分でできるのだ。
ふん、と言い放てば、"伝わらないなぁ……"とサフィールはぼやいた。
それから、訊いてくる。
「そう言えばリリアンヌって今いくつなんだっけ?」
不躾な質問に、思い切り眉が寄った。
「サフィール、女に年齢なんて訊くもんじゃない」
そういえば十二年一緒にいたが、今まで言ったことはなかったし、訊かれたこともなかった。
ただ、お前よりずっと長く生きているよと、それだけを告げただけ。
年を忘れている訳ではないが、あまり言いたくもない。ここら辺は多分、人間とは大分感覚が違うところだ。びっくりするだろうし、それで"やっぱり年寄りじゃない……"と思われるのも癪に障る。
「いいじゃない。アンヌは永遠の二十三歳なんでしょ? っていうか、実際それより大分幼く見えるよね」
年寄りと言われても腹が立つが、幼いと言われてもいい気はしない。
自分のことながら、魔女心は扱いが難しい。
そう思いながらも、言っておく。これは魔女に限らず、人間の女性だって同じなはずだ。
「サフィール、覚えておけ。女に幼く見えるって言うのは、褒め言葉じゃない。そこは若く見えるって言うところ」
"幼い"は"子どもっぽい"と通じる。褒められているように思えない。
「あー、うん、そうだね。でも、アンヌはことによるとオレよりも年下に見えるところがあるじゃない?」
「私のアドバイスを聞いてたか?」
あからさまな溜め息にも、サフィールは笑顔を崩さなかった。
リリアンヌはたまに、いや、頻繁にこの拾い子と自分は実はあまり上手く意志疎通ができていないのでは、と思うことがある。
「実際は違っても、リリアンヌと近く見えることが嬉しいんだよ。それにオレがしてるのは年寄り扱いでも、子ども扱いでもないよ。分からない?」
「?」
「好きな相手のことは何でも構いたい。できるって分かってても代わりにやりたい。考えるより先に手が出てしまう。アンヌが可愛くて可愛くて仕方なくてやってることなんだよ?」
臆面なく言われて、リリアンヌは思わずバターナイフを取り落とした。
「わっ、大丈夫?」
言われていることが今一つ処理しきれない。可愛いなんて、素面の時に口にするセリフだろうか、と彼女は思う。
だってサフィールが言うのは"あのリス、可愛い"ではなく、"リリアンヌ、可愛い"なのである。
魔女を捕まえて、可愛いだなんて。
可愛いから好きだから、どんなことでもしたいだなんて。
リリアンヌはこんなことになる前にも数えきれないほどあった、"年寄り扱いするな"発言を思い出す。
あれも全部、リリアンヌは憤慨していたけれど、愛やら恋やら可愛いやらそんな感情の元にされていたことだったのかと思ったら、頭の中が沸騰しそうだった。
眼前で、やはりサフィールは微笑んでいる。
柔らかく、どうしようもなく幸せそうな顔で。
なんだこの甘ったるい空気は!
耐えられない!
リリアンヌは早々に心の中で白旗を挙げた。
無理だ。無理に決まっている。
こんな状態で日々を過ごすなんて、絶対に無理。
ストレスで早晩倒れるに違いない。
応援ありがとうございます!
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