いつか、かえるところ

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1章

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あの小さい者達との暖かい交流から一年と半年程が過ぎた。

 この世界のある程度の常識を覚え、生きていく為の術を身に付けた。

 一年という歳月はそう長くはないが決して短くもなかった様に思う。


 今、ルド達と野営をしている。明日には拠点にしている街へと帰れるだろう。

 思い返せば目覚めてから今日まで、多くの事を経験した。ただ過ぎていくだけの日々など一日もなかった。


 その日々の中でも最悪だったのは間違いなく、初めて人間を手に掛けた日だろう。


 集落を出て僅か一日目の事だ。

 見晴らしの悪い場所を移動している最中、五人の男達に襲われ止むを得ず殺した。

 初めての殺人は鮮明に感じられた。感触が手に、映像がこの目に焼き付きついた。戦いの後、皆から離れ一人で吐いた。

「俺達は何で襲われたんだ?」ルドに尋ねると「格好があまり見窄らしくない。たぶん、快楽殺人者だ」


 そんな奴らの為に、一ヶ月は食事の後に吐き気を催した。


 殺そうとした訳ではない、ナイフを振ったら死んだ。言葉遊びで自分を誤魔化そうとした。

 だがふとした瞬間、どうしても人間を殺した事を思い出してしまう。

 何故こんなにも辛いのか悩み続けると、やがて一つの結論に辿り着く。


 自分と似た姿の彼を刺したあの感触はきっと自分が刺された感触と同じで、そして親しい誰かの命を奪うのと同じ感触だ。

 それを知ってしまったから苦しいのだと。


 結論に達して分かった事は、この悩みはどうにかできる類のものではなく、時間と共に忘れるしかないという事だった。


 勿論、化け物を殺し動物を狩る最中も脳裏を掠める。だから大切なのは何も考えず、機械的に熟す事だ。

 手に残るであろう感触や目に映る光景、五感で感じ取る全てに反応する感情に蓋をした。

 幸い、人や人間に襲われることは暫くなかった。

 だが順調に、生き物を殺す抵抗は下がっていた。この世界で俺は何になったのだろうか?


 そして多少は慣れた今でも、進んで殺したいとは欠片も思わない。

 救いなのは、ルド達も皆同じ気持ちだった事だ。


 幾つか変わった事もある。

 殺人者達に襲われた後で辿り着いた人間達の街で、意外なことにアヴァリスから贈り物があった。

「使え」その一言と共に渡されたのは飾り気が無く幅の広い一本の剣だった。

「ありがとう。でも、剣なんて持った事すらない」そう話していると「それなら私が使い方を教えてあげる」とエッダに師事する事になった。

 ナイフではなく、剣を使うようになった。


 筋肉が付き身体が大きくなり、元の世界から考えると信じられない様な身体能力になってきた。

 予想だが、魔力が関係しているのではないだろうか。

 魔力とは粒子と波の性質を持つ量子の様な物であり、様々な物に取って代わる性質を持つのではないかと思う。


 そしてもう一つ変化が起きた。


「貴方の指、黒くなってない?……そっちじゃないわ。左手の方」


 気づいたのはエッダだ。

 皆で食事をしている最中、僅かに黒く変色しだした左手の指先に気づいた。

「……確かに黒いな。」

 指先から第一関節の辺りまで日に焼けたかのように黒くなっている。

 黒くなった指を眺めているとルドが覗き込んできた。


「指先だけ日焼けしたみたいだな」

「調度、同じ事を考えていた」

 そんな事を話しているとエッダが苦笑いをしながら「……余裕なのはいいけど、それ大丈夫なの?」と気遣ってくれる。


 もう一度指先を見ても黒くなった以外に特に変化はない。痛みがある訳でも、感覚が無いという事もない。


「ルド、指先だけ急に日焼けする話に心当たりは?」

「残念だけど無いな。さっきまでは黒くなかったんだろ? 案外、洗ったら落ちるんじゃないか?」


「……そんなわけないでしょ」


 左手の指先以外も変色していないか自分の身体を調べてみたが見当たらなかった。

 皮膚が変色する病いや呪いも存在するらしい。だがルドはその可能性は低いと言う。

 医療の知識がある者にも見せたが、病いではないと断言された。

 原因はわからないが、今のところ問題は無いので放置する事にした。



 記憶は戻らず、元の世界へと帰る方法も分からないまま。だがそれでも、辛いだけの旅では決してなかった。


 幻想的な風景。初めて食べる物や酒。新しい出会い。そして何より、いつだって側に居てくれる仲間。

 失ったものの価値は失われたまま。

 だがそれとは逆に、過ごす時間が長くなるにつれ育まれたものがある。

 気付けば、大切なものを両手に抱えていた。



 風が心地いい。今夜は星がよく見える。

 出会ったばかりの頃のエッダに「あの光はなんだ?」と試しに聞いてみた事があった。

 何を言っているんだこいつは? みたいな顔をされたが、それが世界の差異を埋める質問だと理解してくれたらしく、少しの間を置いて「あぁ、そういうこと。あれは星よ。」と答えたくれた。


 とても暑い国があり、そこにある焔の宝を使って神が太陽と月等、輝く星々を作ったらしい。そして彼女は星が好きだと言う。

「きっと太陽は女で、静かな月の方が男だと思う」

 そう言っていたのを思い出しながら一人、星を眺めていた。


「何してるの?」振り返るとエッダがいた。

「星を見ていたんだ。今夜はよく見える」手招きすると彼女が隣まで来てくれた。


「エッダ。今日も月が綺麗だ」


「そうね。これだけ綺麗な星の下なら、死んでもいいわ」


「……なぁエッダ。明日、ルドとアヴァリスに話そう」


「いいの?」


「あぁ。決めたんだ」


「……ごめんなさい。ありがとう」


「俺がそうしたくて、自分で選んだんだ。俺の方こそ、ありがとう」



 思えば、目覚めた場所は酷かったが出会いには恵まれていた。

 あの場所でなければ、彼女達とは出会えなかっただろう。

 何処に居ようと繋がりというのは大切で、一人では生きていけないのだと思う。


 もし、孤独になっていたら。世界に馴染めず溢れてしまったら。


 自分が受け入れて貰えなかったものを、許されてこなかったものを他者が享受する事を認められなくなっていただろう。

 拒絶されてきた者程頑なになる。必死で生きるために。

 他人を、自分を許す事。道を踏み外さない事に必要なものもやはり繋がりだ。

 そういった営みの中で自ら選んだ場所が、帰るべき場所なのだろう。

 今までも、そしてこれからも大切な人と生きていく。
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