聖剣と歩む最果てまで

わさび醤油

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始まりの一歩目

最初の試練

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 なんてことないように吐かれた言葉。けれど俺にはそれを簡単には飲み込めなかった。

 俺に、剣を持てと? 包丁とカッター以外の刃物など滅多に握らないような俺にこの鉛の刃を、人に向けて振れというのか。

 確かに鎧を着ているのだから、もし当たってもダメージは少ないのかもしれない。そう考えれば、軽いテストにはなるのだろう。

 だからといってそれをやれというのか。刃物を人に向けてはいけないと、そんな常識を抱えて生きてきた人間に、いきなり言われても出来るわけがない。

「い、いきなりそんなことを言われても……」
「口を動かすのは勝手だが、貴様に選択権があると思うか?」
「……え?」
「私は貴様が生きてさえいれば、如何なる場合でも報酬を得ることができる。……そう、例え四肢がなくなろうともな」

 そのエキセントリックな言葉が、この場を和ませようという類の冗談ではないことは嫌でも理解できる。

「今ここで私に試されるか。──それとも負け犬の如く逃げ出すか。ああ、私はどちらでも良い」

 俺がどうするのかなど、本当にどうでもよさそうに告げてくる。
 言葉の通り、今ここで後ろ姿を晒し無様に逃げようとも、追ってくることはないのだろう。

 ──それが出来たらどれほど苦労はないか。そんなことは自分が一番よくわかってる。
 けど、今このわけのわからない世界で頼って良い人間なんてこの人しかいない。善意の救済なんてありはしない。そんなものがあるのなら、そんな奇跡が存在したら──。

「待つ気は無いぞ。……ああ、それとも私が殺しに行かねば動くこともできんか?」

 思考が止まった。考えるべき頭が、今にも切り傷でもつきそうなくらいに鋭く悍ましい感覚の刃に怯える。
 ──殺される。依頼など関係ない。今この場で、蟻が踏みつぶされるように、容易く己を終わらせられる。

 最早猶予はない。この一瞬で剣を取るか後ろに駆け出すか。どちらの茨の道を選ぶのかを決めなければならない。

 逃げることに抵抗を抱く事なんてない。そうやって辛いことから目を背けた人生を歩んできたからこその俺だ。後ろ向きな意見に忌避感などないはずなのだ。 
 ああ、けど。だからこそ。こんな世界でたった一人。もう守ってくれる人はいないのだから──。

 覚悟を決め、地に倒れる剣の柄に手を掛ける。
 初めて感じた重さ。包丁とは違い、命を奪えるという重さを実感させてくるずしっとした重み。

 振り方なんてわからない。これを当ててしまえば相手がどうなるかなんて知りたくもない。 
 それでもやるしかない。もう選んでしまった。人生をチップにした片道分の切符に穴を開けてしまった。

 ここでやらなければ俺が死ぬ。もし死なないにしても、俺が終わってしまうことだけはわかる。
 ならば、ここで一番に俺を守れる選択は──!

「──うらあぁ!!」

 恐怖を振り切るため、全力で声を張り上げながら相手に向かって走り剣を振りかざす。
 相手は全く動かない。舐めているのかなんてどうでも良い。この一撃が当たればおわ──。

「──ふん」

 瞬間、腹部に走る痛み。今まで味わったことのない暴力的な刺激と共に膝から崩れ落ちる。
 からんと金属音が耳に入り、ようやく手から剣がこぼれ落ちたことを認識する。

「どうした? もう終わりか?」

 上から掛けられた馬鹿にしたような声が、ようやく自分が地に伏しているのを認識する。
 力が入らない。何も見えなかった。気が付いたときにはもう手遅れでしかない。

「そこいらの幼子でもまだましに剣を振るえるものだがな。……なんだ? もう立つ気はないのか?」

 それは疑問にも嘲りにも聞こえた。本当にこれで終わりなのかと、さしたる興味も無いくせに投げかけられた言葉であった。

 ──痛い、痛いなぁ。このまま倒れていれば何もされないかなぁ。

 先程まで宿っていた、ちっぽけな決心をへし折るには強すぎる一撃に、弱音が零れそうになる。
 それでも零れた剣を、どうにか拾おうと手は動くことを辞めない。

「あああぁ!!」

 剣を掴み、杖のように支えにして、まだ残っている力という力で立ち上がる。
 どうにか二本の足で地を握り、再び相手目掛けて、無我夢中に鉄の塊を振りまくる──。

「くだらん」

 鬼にも等しい激情を露わにしながら、空中をなぞる銀閃。
 剣は愚か竹刀すら振ったことのない素人の攻撃。少しでも囓ったことあるものから見れば、あまりにも情けなく愚かに感じてしまう遊戯。

 ──そんなものが通用するわけがない。そんな一撃で、命ある敵が止まるわけがない。

 次に放たれる一撃を実感したのは、己の感覚があまりにもふわふわしたものだと感じたとき。
 地が足から離れ、空に浮かぶあの輝く太陽が、いつもより近く見えると場違いにも考えてしまったその瞬間。

 ──空を飛んでいた。いや、正確に言えば上に向かって吹っ飛ばされていた、ただそれだけのこと。

「──っ」

 それを自覚したほんの一瞬の間に、羽をもがれた鳥のように地に吸い付けられる。
 鈍く重い音と共に、今にも意識が飛びそうになるほどの激痛と不快感が脳を支配していく。

「う、うああああァ!!!!」
「……終わりか」

 鼓膜を劈くような絶叫を出しながら、その場をのたうち回ることでなんとか痛みを誤魔化そうとするが、そんな足掻きすら出来ないほど程度に、最早体は壊れてしまっていた。

「……ここで終わらせてやるのも救い、か」

 向かい合う相手が何かを言ったことすら俺の耳に入ることはなかった。

 今にも意識を手放してしまいそうな激痛。僅かに残った感覚で、片腕が曲がってはいけない方向に曲がっているのがわかる。それ以外は、もう痛みだけしか感じれない。

「恨むなら、こんな世界に来てしまった自分と、私を恨め」

 死にたくない。そう考えていたのに、死んだらもう開放されるのかなぁ。痛くないのかなぁ。

 遠のく感覚。もう少しでもこの“何かを”手放してしまえば、俺という人間の、ちっぽけでくだらない人生は終わる。
 もう十分頑張った。召還などという、まるで意味のわからない異常事態を前に、良くやったではないか。
 どうせ、俺のことなんて心配するやつはいない。あのくそったれの公務員共も、厄介者を見るかのように不快を示していた両親も、きっといなくなったことすらどうでも良いと思うだろう。

 ……だから、ここで終わり。どうせ生きてったって、いいことなんて何もないんだから。

『──君は笑って生きてね』
「せめて楽に殺してやろう。さらばだ」

 クリアの放つ一撃。先程まで優馬の手に握られていた剣が、凡庸な少年の命を刈り取るため、寸分の狂いもなく放たれる。
 どうしようもない。実力差は明白。少年は死に体。誰が見たってどうしようもない詰み。

「っ」

 だからこそ、この事態は異常であった。
 クリアが放った一閃。それは間違いなく必殺の一撃で、阻まれる要素などなかったのだ。

 ──受け止められていた。剣など持ったこともないであろう少年が、渡してもいない透明な剣を片手に握り防いだ。
 息も絶え絶え、呼吸も弱々しく、その眼が目の前の敵を映すことがなかろうと。確かに一撃を凌いだのだ。

 その奇跡にも近いその偶然が、ほんの少しだけクリアの時間を奪う。

 ──限りなく短い刹那、ほんの僅かに開いた淡すぎる希望の光。
 その僅かな可能性を、強引に体を動かすこの本能が見逃すことはない──!

「……触れた、か」

 今にも死にそうな素人が放った最後の一閃。透き通った透明な刃が、クリアの持つ剣を真横から切り裂き鎧に届かせた。

 例え一生分の奇跡を費やしたとしても。今後、これ以上の幸運などなかったとしても。届いたのだ。超えなければいけないゴールラインに、触れたのだ──。



「ここまで足掻くとは。……少々侮りすぎたか」

 糸の千切れた人形のように崩れ落ちた優馬に、クリアは鎧越しで、少しだけ驚きを含んだ視線を向ける。

 倒れ落ちた優馬には、既に意識はない。今にも死んでしまいそうな、そんな体。

 勝ち目がないと分かってもなお挑んだ愚か者。だというのに、意識を手放しても止まることはなく、結果として通すつもりのなかった試練をくぐり抜けてしまった。

「……馬鹿な奴め。死か逃亡を選べば、まだ楽であったろうに」

 何処からか小瓶を取り出し、その中の液体を三滴ほど優馬に振りかける。
 先ほどまでとは違い、寝た子供を寝室に運ぶ時のような優しさで担ぎ上げる。

 この凡庸な少年は、この世界の残酷さを知らぬ人の子。この世界において最も弱く、最も恐ろしい最多の生き物。
 そのまま終われば良かった。かつて同じような立場であった異世界人のように、プライドなど捨て一目散に逃げ出していれば、私は追う気などなかったのだ。
 
 それなのに逃げなかった。泣きそうで、恐怖を隠そうともしないくせに、それでも剣を握ったのだ。
 見ればわかる。剣は愚か、闘争など無縁な場所にいたのだろう。こんな世界に呼ばれることなどなければ、そのまま短い一生を歩いたのだろう。

 どこか見覚えのある情けなく弱々しさ。少しだけ懐かしい、かつて取りこぼしたあの子に良く似ている。
 今のままでは、少年が迎える末路は凄惨な最期であろう。この世界は、どれだけ勇気があったって、力が無ければ何も為すことは出来やしないのだから。

 ――精々潰れてくれるな、人の子よ。

 励ましなど不要。私のやるべきことは一つだけ。少しの勇気と可能性を見せてくれたこの少年が悪意に沈むことがないように。少しでも試してみるしかないのだ――。
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