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第一章
5 彼女は試されていると思った
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寄り添うように、しゃがみ込んでいる少女がいた。
目の前には三人。一人は見覚えがある。最初に助けてくれた、クレッドと言う青年だ。隣にいるリウィーと、もう一人の無精髭の男が、彼の言っていた仲間なのだろう。彼はホルムヘッドと名乗った。そして、鱗をもつ女。こちらにも見覚えがある。追手に襲われている所に、助けに入ってくれた人だ。あの時、迫る敵に向けて風を撃った所までは覚えている。その時に気を失った事を、フィルナーナは思い出した。
しばらくは水をくれたり体調を伺ったりされていたが、意識が覚醒するにつれ、状況が理解できた。まだ山の中にはいるが、目先の危機は去ったと言って良いだろう。同時に、周囲に同朋がいない事を認識した。
「危ない所を助けていただいたのだと、理解しております。それで、あの、私の仲間を、見かけませんでしたか?」
クレッド達は首を横に振ったが、鱗の女はしばらく自分を見つめると、目の前で膝をつき、頭を垂れた。
「風の民の、姫君とお見受けいたします。相違ございませんか」
畏まったもの言いに、ある程度事情を察する。軽い目眩を感じながらも姿勢を正した。
「はい。フレイア王国、フェルディナン四世が第三王女、フィルナーナと申します。身分を証明する術はありませんが」
「その翼に、先程の術は高位の祝福。王族を証するに申し分ございません」
「頭をお上げください。ご理解、感謝いたします。それよりも、貴女は……」
「私は北大陸北西部に位置する鱗の民。ドラグリアの千人隊長、クリスティーネと申します。クリスと呼んでください。訳あって一人で旅をしている所です。殿下の護衛らしき兵士と一人、会いました。発見した時には既に事切れる寸前でした。一言、姫様を頼む、と」
やはり。感情の波が押し寄せてきた。思わず顔を伏せたが、想像通りの回答だったので何とか耐えられる。波が収まるまでしばらく瞑目した後、視線を戻すと、ある程度事態を察したのか男二人も跪いていた。
隣にいる少女は、そっと手を握ってくれていた。
「戦いの気配を察したので、遺体はそのままに。案内することは出来ますが」
「お気遣い、ありがとうございます。ですが、結構です。事情を、説明させてください」
もちろん、遺体を確認したり葬ったり、といった事は出来れば行いたいが、今の状況はそれを行う余裕が無いほど差し迫っている。
聞いた所では、ここからレナリアの首都・ハイルナックまでは、まだ相当な距離がある。そこにたどり着く前に、敵はまた襲ってくるだろう。一人でたどり着ける自信はない。今の自分には助けが必要だ。いきなり求めて応じてもらえるかどうかは分からないが、死ぬわけにはいかないのだ。
そう自らに言い聞かせると、改めて一同を見回し、ゆっくりと口を開いた。
「我が国、フレイアはここから南の山間にあります。
北大陸とは殆ど交流していませんので、余り知られていないと思います。
一ヶ月ほど前、突然隣国から攻撃を受けました。何とか持ちこたえてはいますが……。
私は援軍を乞うべく、レナリアの王都、ハイルナックを目指しています。
しかし、使者を出す事を察知され、妨害を受けています。
十人仲間がいましたが、クリス様が看取って下さった者を最後に、全員……」
そこで一端、言葉を切った。仲間のほとんどの最後は確認出来ていない。だが、状況を鑑みると、生き延びている確率は限りなく低いだろう。
様子を察したクリスが、少し質問があると前置きしてから話題を変えた。
「先程の戦闘で相対した者は、翼を持っていました。初めは同族争いかと思いましたが、改めて殿下を拝見すると、どこか雰囲気が異なるようですが」
毛皮を羽織っているように見えたが、確認すると体毛だった。自分の鱗と同じようなものだろう、と彼女は話した。
「嵐の民、です。隣国というのは彼らの国です。私達のように風を操るといった能力はありませんが、身体能力は大きく上回っています。我々の国に伝わる伝承では、翼を持つ祝福の民は風と嵐だけです。身体的特徴が近い事もあり、遥か昔は一つの国だったと伝わっています。いつからか仲違いし、国が別れたそうです。それでも直接的に争うことはなく、隣国同士仲良くしていたはず、です」
民族間での対立はあるものの、戦争に至ることはなく、この百年やってきたはずだ。フレイアの王都にも嵐の民が住んでいたし、風の民との混血人も相当数いる。交易も行われており、王宮にも貿易商が訪れていた。
自身でも見た事がある。風を読んだり、祝福の力で風を操ったりといった事は出来ないが、体格が良く、体力や運動能力に優れる。体毛、正確に言うと羽毛が濃く、翼以外にも肩や背中など身体の背面に生えている。強度もあり、生身と比べれば防御力も高い。変わりに濡れてしまうと全身が重くなってしまい、飛行困難になる。鳥類に例えると嵐の民は猛禽類、風の民は濡れても飛べるので水鳥、といった所だろうか。
「それ故の油断もあったのでしょう。国境沿いの砦は一日で陥落しました。
かの軍勢は、嵐の民だけでなく、別の人種も混じった混成軍でした。隣国も我が国と同程度の国力ですので、嵐の民が他国を従えた、というのは考えにくい。
逆に嵐の民が従属したのか、同盟を結んだのか。それはわかりません。
混成軍には幾種類かの民がいたようですが、中でも特異な力を持つ者達がいました。
……狼に変身する能力を持つ者達です。その感覚の鋭さは驚異です。
空では簡単に嵐の民に発見されてしまいます。私達は、視力も、早さも、飛べる距離も劣ります。ですが、地上を歩く分には差はほとんどありません。陸路を行けば追手に捕まると言う事は、まず起こり得ないのですが。先程言った狼に変身する者達には、簡単に足取りを掴まれてしまいます」
クレッドとホルムヘッドが顔を見合わせる。リウィーの手を握る力が強くなったような気がした。
「お願いがあります」
しばらくの沈黙の後、そこにいる全員に頭を下げた。
「ハイルナックまで、護衛して頂けないでしょうか」
誰も何も言わない。頭を下げたままなので、どのような表情をしているかも分からない。
「追手は、私を殺す為に必ずまた襲ってきます。一人で王都までたどり着くのは困難です。
今、死ぬわけにはいかないのです。待っている仲間の為に」
頭はそのままに、続ける。
「もちろん報酬もお払いいたします。満足のいく額を保証できるかは……分かりませんが」
沈黙が続いた。じっと返事を待った。
「頭を上げてください」
最初に沈黙を破ったのはクレッドだった。見ると、少し困ったような顔をしていた。
「俺は、手伝いたいけど」
言葉とは裏腹に、表情には迷いがある。自分が判断するような事ではないと、視線はホルムヘッドに向けられていたが、彼の反応はあまり芳しくなかった。
「私は一応、レナリアの文官、村の役人のようなものですが。それはともかく。
風の民については、個人的な嗜好である程度存じています。ですが、レナリアの一般人は殆ど知らないでしょう。フレイア王国という国名も初めて聞きました。ここから近くの村、たぶん、レナリアの中で最も殿下の国に近い集落ですが、そこでも話を聞いた事はありません。その程度しか知られていない状況で、いきなり王都に行っても話にならない。
……かと、と思いますが」
彼の言うことは正論だ。存在すら認知されていないのでは、交渉以前の問題だ。
「国王の親書は持っていますが、国交のない国の書簡が意味を成さない事は承知しております。親書に意味を持たせるための証拠は、あります。出発前に父から直接聞かされた話ですが、我がフレイアは周辺国との間に古い盟約があるそうです。証もあります。盟約の存在を知っているのは限られた人だけだと思いますが、その方に声が届けば、きっと」
胸元に手を当てる。衣服の中には「盟約の証」がある。翼を模し、特殊な金属と宝石で作られた首飾りだ。今は亡き、母の形見。これがそういった意味を持っているという事を知ったのは、出発直前だった。
「なるほど。それが事実なら、確かに公算はありますが。
ええっと、周辺国との間にという事なら、援軍の要請は他の国にも?」
「はい、他にも二組。姉達が、それぞれ東西の国に向かっています。……ただ、方角的には私が向かった北が、隣国と反対方向なので一番安全なはず、でした」
二人の姉も、只では済んでいないはずだ。最悪の場合、残されているのは。
一瞬、そう思ったが口には出さないでおいた。いずれにしても、確かめる術はない。
「事情と、要請は理解しました」
しばし、瞑目していたクリスが目を開いた。
「話を聞く限りですが。里に降りれば、嵐の民はさほどの驚異ではない。飛べば、目立ちますしね。しかし、その狼達は非常に厄介です。巻く事はまず不可能でしょう。
どれ程の数の追手がいるのかはわかりませんが、困難な旅になるのは間違いない。
もし、私の命が危険に晒されたとしたら。例えば、私が看取った者と同じ状況になったとしたら。殿下は、どうされますか?」
空気が変わった。燃えるような、紅い瞳が向けられている。
フィルナーナは感じた。これは、試されている。
少女が何か言おうとしたのを察し、手を握る事でそれを制した。自分が答えなければいけない。僅かな間に、頭の中で言葉を選ぶ。
「出来る事は何でもします。可能な限りの助勢もします。ですが、同じ状況であるなら。
……申し訳有りませんが、見切ります」
目を真っ直ぐに見返す。紅い目がわずかに細くなり、鋭さを増した。
「では、もう一つお尋ねします。
先程も言った通り、この護衛はかなり危険が高い。報酬もあまり当てにならない。で、あれば。今ここで貴方様を打ち取り、その首を嵐の民に差し出す方が良いと存じます。
そちらの方が安全で、報酬も確実に得られるでしょう」
後ろにいた二人が驚きの表情を浮かべた。口を開きかけて何も言わない。いや、言えないようだ。そこで発する雰囲気、緊張感が周囲に発言を許さなかった。
「今、ここで。剣を抜いたら、いかが致しますか」
射るような視線。初めての経験だが、今感じているものが殺気、というものだろう。
たまらず立ち上がろうとした気配を、より強く手を握る事で抑えた。
正直、怖い。が、今ここで目を逸らすわけにはいかない。
怯むな。姿勢を正せ。声を震わせるな。一呼吸の間に気を引き締めると、口を開いた。
「私一人では、到底クリス様には敵いません。もし、他の皆様にご助力頂いたとしても、結果はおそらく変わらないでしょう。武芸には疎いですが、それぐらいはわかります。
ですが、抵抗します。全力で、抵抗します。最後まで諦めません」
しばし、沈黙が流れた。クリスがふっと息を吐き、緊張が一気に溶けていった。リウィーが体の力を抜くのが、繋いだ手を通して伝わってきた。クレッドは大きく息を吐き、ホルムヘッドは、がっくりと項垂れていた。
「無礼な質問をいたしました。お許しください。
先程の、従えたのか、逆に従属したのかという話。南大陸の情勢はあまり詳しくはありませんが、近年、鉱の民の国、ガスティールが勢力を伸ばしていると聞き及んでいます。彼らが嵐の民を従属させ、侵攻してきたと考えるのが自然でしょう。
ガスティールの驚異を訴えれば、レナリアも聞く耳を持ってくれるかもしれません」
彼女は、交渉の切り口にこの事を添えろと言ってくれているのだ。それは、つまり。
「我らには、王や貴族といった身分に仕える風習はありません。強き者に従うのみ。
……ただし、強き者とは武力のある者のみを指すわけではありません。
フィルナーナ殿下。貴女の強い意思に、戦士として剣をお貸しする価値がある、と判断いたしました。微力ながら、お力添えいたします」
先程までの殺気はどこにもない。勇壮なる戦士だが、粗暴さは感じない、凛とした女性。
「ありがとうございます」
他に言葉がなかった。ただ、深く頭を下げた。
「私も、もちろん協力するよ!」
ようやく話がまとまったと言わんばかりに、少女が宣言した。明るい声。思わず抱き締めた。クリスが、少し後ろで跪いていた二人を振り向いて「あなた達は?」と訪ねる。クレッドは無言で頷いた。ホルムヘッドは「断れる雰囲気じゃ無いだろ」と言いながら頭を掻いていたが、突然何か閃いたように前のめりになった。
「条件がある。いや、あります。落ちつた後でいいから、祝福の事を詳しく教えて下さい!」
「却下!」
少女が即座に言い放った。何のことかわからず曖昧に頷いたが、今のやり取りで場が和んだのは確かだった。
「そうと決まれば、早くここを離れましょう。今は可能な限り、距離を稼ぐ方が良い」
クリスは立ち上がると周りに出発を促した。
「極力、戦闘は避けた方がいいからな」
ホルムヘッドはそう言うと荷物をまとめ始めた。
「昼までには村に戻れると思うよ」
リウィーはもう準備が終っているらしく、いつのまにか荷物を背負って隣に立っていた。
「殿下、でいいかな? お疲れだとは思いますがもう少し頑張っていただけますか」
そう言うと、クレッドは笑ってみせた。ぎこちなくはあるものの、何故か安心できる笑みだと感じた。
「殿下も敬語もよしてください。私の事はフィナ、で結構です。親しい人にはそう呼ばれていますから」
少しだけ、笑みがこぼれた。ずいぶん久しぶりに笑ったような気がした。
明け方に近い傾いた月が、夜の森を静かに照らしていた。
目の前には三人。一人は見覚えがある。最初に助けてくれた、クレッドと言う青年だ。隣にいるリウィーと、もう一人の無精髭の男が、彼の言っていた仲間なのだろう。彼はホルムヘッドと名乗った。そして、鱗をもつ女。こちらにも見覚えがある。追手に襲われている所に、助けに入ってくれた人だ。あの時、迫る敵に向けて風を撃った所までは覚えている。その時に気を失った事を、フィルナーナは思い出した。
しばらくは水をくれたり体調を伺ったりされていたが、意識が覚醒するにつれ、状況が理解できた。まだ山の中にはいるが、目先の危機は去ったと言って良いだろう。同時に、周囲に同朋がいない事を認識した。
「危ない所を助けていただいたのだと、理解しております。それで、あの、私の仲間を、見かけませんでしたか?」
クレッド達は首を横に振ったが、鱗の女はしばらく自分を見つめると、目の前で膝をつき、頭を垂れた。
「風の民の、姫君とお見受けいたします。相違ございませんか」
畏まったもの言いに、ある程度事情を察する。軽い目眩を感じながらも姿勢を正した。
「はい。フレイア王国、フェルディナン四世が第三王女、フィルナーナと申します。身分を証明する術はありませんが」
「その翼に、先程の術は高位の祝福。王族を証するに申し分ございません」
「頭をお上げください。ご理解、感謝いたします。それよりも、貴女は……」
「私は北大陸北西部に位置する鱗の民。ドラグリアの千人隊長、クリスティーネと申します。クリスと呼んでください。訳あって一人で旅をしている所です。殿下の護衛らしき兵士と一人、会いました。発見した時には既に事切れる寸前でした。一言、姫様を頼む、と」
やはり。感情の波が押し寄せてきた。思わず顔を伏せたが、想像通りの回答だったので何とか耐えられる。波が収まるまでしばらく瞑目した後、視線を戻すと、ある程度事態を察したのか男二人も跪いていた。
隣にいる少女は、そっと手を握ってくれていた。
「戦いの気配を察したので、遺体はそのままに。案内することは出来ますが」
「お気遣い、ありがとうございます。ですが、結構です。事情を、説明させてください」
もちろん、遺体を確認したり葬ったり、といった事は出来れば行いたいが、今の状況はそれを行う余裕が無いほど差し迫っている。
聞いた所では、ここからレナリアの首都・ハイルナックまでは、まだ相当な距離がある。そこにたどり着く前に、敵はまた襲ってくるだろう。一人でたどり着ける自信はない。今の自分には助けが必要だ。いきなり求めて応じてもらえるかどうかは分からないが、死ぬわけにはいかないのだ。
そう自らに言い聞かせると、改めて一同を見回し、ゆっくりと口を開いた。
「我が国、フレイアはここから南の山間にあります。
北大陸とは殆ど交流していませんので、余り知られていないと思います。
一ヶ月ほど前、突然隣国から攻撃を受けました。何とか持ちこたえてはいますが……。
私は援軍を乞うべく、レナリアの王都、ハイルナックを目指しています。
しかし、使者を出す事を察知され、妨害を受けています。
十人仲間がいましたが、クリス様が看取って下さった者を最後に、全員……」
そこで一端、言葉を切った。仲間のほとんどの最後は確認出来ていない。だが、状況を鑑みると、生き延びている確率は限りなく低いだろう。
様子を察したクリスが、少し質問があると前置きしてから話題を変えた。
「先程の戦闘で相対した者は、翼を持っていました。初めは同族争いかと思いましたが、改めて殿下を拝見すると、どこか雰囲気が異なるようですが」
毛皮を羽織っているように見えたが、確認すると体毛だった。自分の鱗と同じようなものだろう、と彼女は話した。
「嵐の民、です。隣国というのは彼らの国です。私達のように風を操るといった能力はありませんが、身体能力は大きく上回っています。我々の国に伝わる伝承では、翼を持つ祝福の民は風と嵐だけです。身体的特徴が近い事もあり、遥か昔は一つの国だったと伝わっています。いつからか仲違いし、国が別れたそうです。それでも直接的に争うことはなく、隣国同士仲良くしていたはず、です」
民族間での対立はあるものの、戦争に至ることはなく、この百年やってきたはずだ。フレイアの王都にも嵐の民が住んでいたし、風の民との混血人も相当数いる。交易も行われており、王宮にも貿易商が訪れていた。
自身でも見た事がある。風を読んだり、祝福の力で風を操ったりといった事は出来ないが、体格が良く、体力や運動能力に優れる。体毛、正確に言うと羽毛が濃く、翼以外にも肩や背中など身体の背面に生えている。強度もあり、生身と比べれば防御力も高い。変わりに濡れてしまうと全身が重くなってしまい、飛行困難になる。鳥類に例えると嵐の民は猛禽類、風の民は濡れても飛べるので水鳥、といった所だろうか。
「それ故の油断もあったのでしょう。国境沿いの砦は一日で陥落しました。
かの軍勢は、嵐の民だけでなく、別の人種も混じった混成軍でした。隣国も我が国と同程度の国力ですので、嵐の民が他国を従えた、というのは考えにくい。
逆に嵐の民が従属したのか、同盟を結んだのか。それはわかりません。
混成軍には幾種類かの民がいたようですが、中でも特異な力を持つ者達がいました。
……狼に変身する能力を持つ者達です。その感覚の鋭さは驚異です。
空では簡単に嵐の民に発見されてしまいます。私達は、視力も、早さも、飛べる距離も劣ります。ですが、地上を歩く分には差はほとんどありません。陸路を行けば追手に捕まると言う事は、まず起こり得ないのですが。先程言った狼に変身する者達には、簡単に足取りを掴まれてしまいます」
クレッドとホルムヘッドが顔を見合わせる。リウィーの手を握る力が強くなったような気がした。
「お願いがあります」
しばらくの沈黙の後、そこにいる全員に頭を下げた。
「ハイルナックまで、護衛して頂けないでしょうか」
誰も何も言わない。頭を下げたままなので、どのような表情をしているかも分からない。
「追手は、私を殺す為に必ずまた襲ってきます。一人で王都までたどり着くのは困難です。
今、死ぬわけにはいかないのです。待っている仲間の為に」
頭はそのままに、続ける。
「もちろん報酬もお払いいたします。満足のいく額を保証できるかは……分かりませんが」
沈黙が続いた。じっと返事を待った。
「頭を上げてください」
最初に沈黙を破ったのはクレッドだった。見ると、少し困ったような顔をしていた。
「俺は、手伝いたいけど」
言葉とは裏腹に、表情には迷いがある。自分が判断するような事ではないと、視線はホルムヘッドに向けられていたが、彼の反応はあまり芳しくなかった。
「私は一応、レナリアの文官、村の役人のようなものですが。それはともかく。
風の民については、個人的な嗜好である程度存じています。ですが、レナリアの一般人は殆ど知らないでしょう。フレイア王国という国名も初めて聞きました。ここから近くの村、たぶん、レナリアの中で最も殿下の国に近い集落ですが、そこでも話を聞いた事はありません。その程度しか知られていない状況で、いきなり王都に行っても話にならない。
……かと、と思いますが」
彼の言うことは正論だ。存在すら認知されていないのでは、交渉以前の問題だ。
「国王の親書は持っていますが、国交のない国の書簡が意味を成さない事は承知しております。親書に意味を持たせるための証拠は、あります。出発前に父から直接聞かされた話ですが、我がフレイアは周辺国との間に古い盟約があるそうです。証もあります。盟約の存在を知っているのは限られた人だけだと思いますが、その方に声が届けば、きっと」
胸元に手を当てる。衣服の中には「盟約の証」がある。翼を模し、特殊な金属と宝石で作られた首飾りだ。今は亡き、母の形見。これがそういった意味を持っているという事を知ったのは、出発直前だった。
「なるほど。それが事実なら、確かに公算はありますが。
ええっと、周辺国との間にという事なら、援軍の要請は他の国にも?」
「はい、他にも二組。姉達が、それぞれ東西の国に向かっています。……ただ、方角的には私が向かった北が、隣国と反対方向なので一番安全なはず、でした」
二人の姉も、只では済んでいないはずだ。最悪の場合、残されているのは。
一瞬、そう思ったが口には出さないでおいた。いずれにしても、確かめる術はない。
「事情と、要請は理解しました」
しばし、瞑目していたクリスが目を開いた。
「話を聞く限りですが。里に降りれば、嵐の民はさほどの驚異ではない。飛べば、目立ちますしね。しかし、その狼達は非常に厄介です。巻く事はまず不可能でしょう。
どれ程の数の追手がいるのかはわかりませんが、困難な旅になるのは間違いない。
もし、私の命が危険に晒されたとしたら。例えば、私が看取った者と同じ状況になったとしたら。殿下は、どうされますか?」
空気が変わった。燃えるような、紅い瞳が向けられている。
フィルナーナは感じた。これは、試されている。
少女が何か言おうとしたのを察し、手を握る事でそれを制した。自分が答えなければいけない。僅かな間に、頭の中で言葉を選ぶ。
「出来る事は何でもします。可能な限りの助勢もします。ですが、同じ状況であるなら。
……申し訳有りませんが、見切ります」
目を真っ直ぐに見返す。紅い目がわずかに細くなり、鋭さを増した。
「では、もう一つお尋ねします。
先程も言った通り、この護衛はかなり危険が高い。報酬もあまり当てにならない。で、あれば。今ここで貴方様を打ち取り、その首を嵐の民に差し出す方が良いと存じます。
そちらの方が安全で、報酬も確実に得られるでしょう」
後ろにいた二人が驚きの表情を浮かべた。口を開きかけて何も言わない。いや、言えないようだ。そこで発する雰囲気、緊張感が周囲に発言を許さなかった。
「今、ここで。剣を抜いたら、いかが致しますか」
射るような視線。初めての経験だが、今感じているものが殺気、というものだろう。
たまらず立ち上がろうとした気配を、より強く手を握る事で抑えた。
正直、怖い。が、今ここで目を逸らすわけにはいかない。
怯むな。姿勢を正せ。声を震わせるな。一呼吸の間に気を引き締めると、口を開いた。
「私一人では、到底クリス様には敵いません。もし、他の皆様にご助力頂いたとしても、結果はおそらく変わらないでしょう。武芸には疎いですが、それぐらいはわかります。
ですが、抵抗します。全力で、抵抗します。最後まで諦めません」
しばし、沈黙が流れた。クリスがふっと息を吐き、緊張が一気に溶けていった。リウィーが体の力を抜くのが、繋いだ手を通して伝わってきた。クレッドは大きく息を吐き、ホルムヘッドは、がっくりと項垂れていた。
「無礼な質問をいたしました。お許しください。
先程の、従えたのか、逆に従属したのかという話。南大陸の情勢はあまり詳しくはありませんが、近年、鉱の民の国、ガスティールが勢力を伸ばしていると聞き及んでいます。彼らが嵐の民を従属させ、侵攻してきたと考えるのが自然でしょう。
ガスティールの驚異を訴えれば、レナリアも聞く耳を持ってくれるかもしれません」
彼女は、交渉の切り口にこの事を添えろと言ってくれているのだ。それは、つまり。
「我らには、王や貴族といった身分に仕える風習はありません。強き者に従うのみ。
……ただし、強き者とは武力のある者のみを指すわけではありません。
フィルナーナ殿下。貴女の強い意思に、戦士として剣をお貸しする価値がある、と判断いたしました。微力ながら、お力添えいたします」
先程までの殺気はどこにもない。勇壮なる戦士だが、粗暴さは感じない、凛とした女性。
「ありがとうございます」
他に言葉がなかった。ただ、深く頭を下げた。
「私も、もちろん協力するよ!」
ようやく話がまとまったと言わんばかりに、少女が宣言した。明るい声。思わず抱き締めた。クリスが、少し後ろで跪いていた二人を振り向いて「あなた達は?」と訪ねる。クレッドは無言で頷いた。ホルムヘッドは「断れる雰囲気じゃ無いだろ」と言いながら頭を掻いていたが、突然何か閃いたように前のめりになった。
「条件がある。いや、あります。落ちつた後でいいから、祝福の事を詳しく教えて下さい!」
「却下!」
少女が即座に言い放った。何のことかわからず曖昧に頷いたが、今のやり取りで場が和んだのは確かだった。
「そうと決まれば、早くここを離れましょう。今は可能な限り、距離を稼ぐ方が良い」
クリスは立ち上がると周りに出発を促した。
「極力、戦闘は避けた方がいいからな」
ホルムヘッドはそう言うと荷物をまとめ始めた。
「昼までには村に戻れると思うよ」
リウィーはもう準備が終っているらしく、いつのまにか荷物を背負って隣に立っていた。
「殿下、でいいかな? お疲れだとは思いますがもう少し頑張っていただけますか」
そう言うと、クレッドは笑ってみせた。ぎこちなくはあるものの、何故か安心できる笑みだと感じた。
「殿下も敬語もよしてください。私の事はフィナ、で結構です。親しい人にはそう呼ばれていますから」
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