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第5章:クリーン・ファンタジーの夏休み
第22話:職業病は『不治の病』
慰安旅行の一行を乗せた車は、海岸沿いの道を走り抜け、目的地である老舗旅館『海神館(わだつみかん)』に到着した。
創業三百年。断崖に建つその宿は、歴史の重みを感じさせる木造建築でありながら、どこか神秘的な気配を漂わせている。
「おぉ……! 素晴らしい! 海が一望できますよ!」
「潮風が気持ちいいですわ! 早く泳ぎましょう!」
通された最上階の客室で、人事部長の剣崎と聖女セシリアが歓声を上げた。
窓の外には、水平線まで広がる真っ青なオーシャンビュー。
畳は井草のいい香りがし、床の間には季節の花が生けられている。
どこからどう見ても、完璧な癒やしの空間だ。
――ただ一人、灰坂ソウジを除いては。
「…………」
ソウジは荷物を置くこともなく、腕組みをして部屋の隅を睨みつけていた。
その視線は、絶景の海ではなく、窓際の「アルミサッシ」と頭上の「エアコン」に釘付けになっている。
「社長? どうしました?」
「……空気が、澱んでるな」
ソウジが呟くと同時に、彼の装着した解析ゴーグルに不吉なウィンドウがポップアップした。
【警告:室内の運気低下を検知】
【発生源1:サッシのレールの固着汚れ(結界の綻び)】
【発生源2:エアコン送風口の黒カビ(邪気の吹出口)】
一見綺麗に掃除されている部屋だが、ソウジの目には、部屋の四隅にドス黒い靄(もや)が溜まっているのが見えていた。
それは長年、多くの宿泊客が落としていった「疲れ」や「ストレス」の残留思念
――いわゆる「穢れ」だ。
「悪い、みんな先に行っててくれ。俺はここを『攻略』してから行く」
ソウジは作業着(ツナギ)の袖をまくり上げた。
剣崎が「えぇ……」と絶句する。
「せっかくの旅行ですよ!? 掃除用具なんて持ってきてないでしょう!」
「甘いな、剣崎。プロは現地調達が基本だ」
ソウジは洗面所から、宿泊客用のアメニティグッズ(クシ、カミソリ、スポンジ)をごっそり持ってきた。
さらに、手持ちのバッグから「ウェットティッシュ」と、弁当についていた「割り箸」を取り出す。
「はぁ……また始まりましたね。じゃあ、お先に失礼してビール飲んでますからね!」
剣崎とセシリアは呆れ顔で部屋を出て行った。
だが、一人だけ目を輝かせて残った社員がいる。
「私も残ります! 社長の『攻略』、お供させてください!」
「コアちゃん? せっかくの海だぞ? 退屈だぞ?」
「ううん、社長と一緒に作業するのが一番のバカンスですから!」
秘書のコアちゃん(元ダンジョン・コア)は、満面の笑みでソウジの隣に座った。
その健気さに、ソウジは少し照れくさそうに鼻をこすった。
「……そうか。じゃあ、助手に任命する。まずは武器の作成だ」
ソウジはテーブルの上にアメニティを並べ、職人の顔になった。
「いいか。今回の敵(汚れ)は、『隙間』と『複雑な形状』だ。普通の雑巾がけじゃ届かない死角に潜んでいる」
彼はプラスチック製のヘアコーム(クシ)を取り出した。
「まずは第一の武器。【多連装・コーム・スクレイパー】だ」
ソウジはクシの歯全体に、ウェットティッシュをググッと深く噛ませるように被せた。
すると、クシの歯一本一本がウェットシートで覆われ、無数の「極薄のヘラ」が並んだような形状になった。
「わぁ! 包帯を巻いた剣みたいでカッコイイです! これなら狭いところも行けそうですね!」
「よし、実践だ。コアちゃん、あっちのサッシを頼む」
二人は窓際に移動し、レールの上に並んでしゃがみ込んだ。
サッシのレールには、砂埃と髪の毛が固まって黒くなった「謎の汚れ」がこびりついている。
指も入らない狭い溝だ。
「行くぞ……装填!」
「はい!」
ズズズッ……!
二人が同時にコームを溝に差し込み、スッと横に引く。
すると、信じられないことが起きた。
クシの歯がレールの隅(コーナー)に完全にフィットし、雑巾では絶対に取れなかった「角の黒い塊」を、ごっそりと掻き出したのだ。
「うおっ、取れた! 角のホコリが一網打尽だ!」
「すごーい! 一発で真っ黒です! 気持ちいい~!」
掻き出されたのは、ただのホコリではない。
ドロリとした黒いオーラ(邪気)も一緒に除去されている。
淀んでいた窓際の空気が、一瞬で軽くなった。
「次はこれだ。第二の武器、【マキシマム・マンゴー・ワイパー】」
ソウジが取り出したのは、水で戻して膨らませた「ボディスポンジ」と、アメニティの「T字カミソリ」。
彼はカミソリを使い、スポンジの表面に深めの格子状の切れ込みを入れた。
まるで、カットされたマンゴーのように、サイコロ状のスポンジが並ぶ形になる。
それを割り箸に突き刺して固定した。
「マンゴーみたいでおいしそう……あ、食べちゃダメですよね」
「ああ。だが汚れにとっては捕食者だ」
ソウジはエアコンの下へ移動し、椅子に乗った。
ターゲットは、送風口のルーバーと、奥にあるフィルターの網目だ。
「凸凹した場所は、平らなスポンジじゃ表面しか拭けない。だが、このマンゴーカットなら……」
彼がスポンジを押し当てると、切れ込みによって生まれた無数の「角」が、ルーバーの裏側や網目の隙間にグイッと入り込んだ。
あらゆる角度からフィットする、可変式の3D清掃だ。
「逃がさないぞ……!」
キュッ、キュッ、キュッ!
スポンジの角が、こびりついた黒カビ(邪気の発生源)を絡め取る。
コアちゃんも反対側から、小さな手でマンゴーワイパーを操り、換気扇のカバーをなぞる。
「わわっ! 網目の裏まで届いてます! これが3D清掃……!」
「そうだ! 面ではなく『点』で攻めるんだ!」
傍から見れば、旅館のアメニティで地味な掃除をしているだけの光景だ。
しかし、その効果は劇的だった。
エアコンから吹き出す風が、カビ臭いよどんだ風から、高原のそよ風のような清涼な空気に変わる。
窓から差し込む光が、曇ったガラスを突き抜け、神々しい輝きを増していく。
【タスク完了:客室の浄化】
【浄化レベル:S(神社本殿クラス)】
【報酬:ものすごく美味しい空気】
「ふぅ……。攻略完了だな」
「やりましたね、社長!」
二人は顔を見合わせてハイタッチした。
額にはうっすらと汗が滲んでいるが、その表情は達成感に満ちている。
ガラッ。
そこへ、お茶菓子を持った女将さんが入ってきた。
彼女は部屋に入った瞬間、お盆を取り落としそうになった。
「な、なんてこと……」
女将さんは震える声で呟いた。
彼女には見えていたのだ。
創業以来、数百年の歴史の中で溜まっていた「開かずの結界(サッシの詰まり)」が解かれ、部屋全体が光り輝く神域へと昇華されているのが。
「久しぶりにお会いしたと思ったら……また『大掃除』なさったんですか? ここは現場じゃなくて、客室ですよ?」
彼女は呆れたように、しかしどこか懐かしそうに微笑んだ。
かつて、泥にまみれて秘湯を蘇らせた、あの背中と同じだ。
「ああ、女将さん。ご無沙汰してます。……ちょっと職業病が出ちまって」
ソウジは真っ黒になったスポンジとクシをまとめ、バツが悪そうにニカッと笑った。
その顔を見て、女将さんは「ふふっ」と吹き出した。
「相変わらずですねぇ、灰坂様は。……おかげで、この部屋の『澱み』が数百年ぶりに晴れましたわ」
「ついでにアメニティ、全部使い切っちまったんで捨てといてください。……よし、コアちゃん! 海行くぞ!」
「はいっ! 行きましょう!」
コアちゃんに手を引かれ、ピカピカになった部屋を後にするソウジ。
その背中を見送りながら、女将さん(正体は海の精霊)は深々と頭を下げた。
「……やっぱり、とんでもない方だこと」
S級清掃員の休日は、まだ始まったばかりだ。
(続く)
創業三百年。断崖に建つその宿は、歴史の重みを感じさせる木造建築でありながら、どこか神秘的な気配を漂わせている。
「おぉ……! 素晴らしい! 海が一望できますよ!」
「潮風が気持ちいいですわ! 早く泳ぎましょう!」
通された最上階の客室で、人事部長の剣崎と聖女セシリアが歓声を上げた。
窓の外には、水平線まで広がる真っ青なオーシャンビュー。
畳は井草のいい香りがし、床の間には季節の花が生けられている。
どこからどう見ても、完璧な癒やしの空間だ。
――ただ一人、灰坂ソウジを除いては。
「…………」
ソウジは荷物を置くこともなく、腕組みをして部屋の隅を睨みつけていた。
その視線は、絶景の海ではなく、窓際の「アルミサッシ」と頭上の「エアコン」に釘付けになっている。
「社長? どうしました?」
「……空気が、澱んでるな」
ソウジが呟くと同時に、彼の装着した解析ゴーグルに不吉なウィンドウがポップアップした。
【警告:室内の運気低下を検知】
【発生源1:サッシのレールの固着汚れ(結界の綻び)】
【発生源2:エアコン送風口の黒カビ(邪気の吹出口)】
一見綺麗に掃除されている部屋だが、ソウジの目には、部屋の四隅にドス黒い靄(もや)が溜まっているのが見えていた。
それは長年、多くの宿泊客が落としていった「疲れ」や「ストレス」の残留思念
――いわゆる「穢れ」だ。
「悪い、みんな先に行っててくれ。俺はここを『攻略』してから行く」
ソウジは作業着(ツナギ)の袖をまくり上げた。
剣崎が「えぇ……」と絶句する。
「せっかくの旅行ですよ!? 掃除用具なんて持ってきてないでしょう!」
「甘いな、剣崎。プロは現地調達が基本だ」
ソウジは洗面所から、宿泊客用のアメニティグッズ(クシ、カミソリ、スポンジ)をごっそり持ってきた。
さらに、手持ちのバッグから「ウェットティッシュ」と、弁当についていた「割り箸」を取り出す。
「はぁ……また始まりましたね。じゃあ、お先に失礼してビール飲んでますからね!」
剣崎とセシリアは呆れ顔で部屋を出て行った。
だが、一人だけ目を輝かせて残った社員がいる。
「私も残ります! 社長の『攻略』、お供させてください!」
「コアちゃん? せっかくの海だぞ? 退屈だぞ?」
「ううん、社長と一緒に作業するのが一番のバカンスですから!」
秘書のコアちゃん(元ダンジョン・コア)は、満面の笑みでソウジの隣に座った。
その健気さに、ソウジは少し照れくさそうに鼻をこすった。
「……そうか。じゃあ、助手に任命する。まずは武器の作成だ」
ソウジはテーブルの上にアメニティを並べ、職人の顔になった。
「いいか。今回の敵(汚れ)は、『隙間』と『複雑な形状』だ。普通の雑巾がけじゃ届かない死角に潜んでいる」
彼はプラスチック製のヘアコーム(クシ)を取り出した。
「まずは第一の武器。【多連装・コーム・スクレイパー】だ」
ソウジはクシの歯全体に、ウェットティッシュをググッと深く噛ませるように被せた。
すると、クシの歯一本一本がウェットシートで覆われ、無数の「極薄のヘラ」が並んだような形状になった。
「わぁ! 包帯を巻いた剣みたいでカッコイイです! これなら狭いところも行けそうですね!」
「よし、実践だ。コアちゃん、あっちのサッシを頼む」
二人は窓際に移動し、レールの上に並んでしゃがみ込んだ。
サッシのレールには、砂埃と髪の毛が固まって黒くなった「謎の汚れ」がこびりついている。
指も入らない狭い溝だ。
「行くぞ……装填!」
「はい!」
ズズズッ……!
二人が同時にコームを溝に差し込み、スッと横に引く。
すると、信じられないことが起きた。
クシの歯がレールの隅(コーナー)に完全にフィットし、雑巾では絶対に取れなかった「角の黒い塊」を、ごっそりと掻き出したのだ。
「うおっ、取れた! 角のホコリが一網打尽だ!」
「すごーい! 一発で真っ黒です! 気持ちいい~!」
掻き出されたのは、ただのホコリではない。
ドロリとした黒いオーラ(邪気)も一緒に除去されている。
淀んでいた窓際の空気が、一瞬で軽くなった。
「次はこれだ。第二の武器、【マキシマム・マンゴー・ワイパー】」
ソウジが取り出したのは、水で戻して膨らませた「ボディスポンジ」と、アメニティの「T字カミソリ」。
彼はカミソリを使い、スポンジの表面に深めの格子状の切れ込みを入れた。
まるで、カットされたマンゴーのように、サイコロ状のスポンジが並ぶ形になる。
それを割り箸に突き刺して固定した。
「マンゴーみたいでおいしそう……あ、食べちゃダメですよね」
「ああ。だが汚れにとっては捕食者だ」
ソウジはエアコンの下へ移動し、椅子に乗った。
ターゲットは、送風口のルーバーと、奥にあるフィルターの網目だ。
「凸凹した場所は、平らなスポンジじゃ表面しか拭けない。だが、このマンゴーカットなら……」
彼がスポンジを押し当てると、切れ込みによって生まれた無数の「角」が、ルーバーの裏側や網目の隙間にグイッと入り込んだ。
あらゆる角度からフィットする、可変式の3D清掃だ。
「逃がさないぞ……!」
キュッ、キュッ、キュッ!
スポンジの角が、こびりついた黒カビ(邪気の発生源)を絡め取る。
コアちゃんも反対側から、小さな手でマンゴーワイパーを操り、換気扇のカバーをなぞる。
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窓から差し込む光が、曇ったガラスを突き抜け、神々しい輝きを増していく。
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「やりましたね、社長!」
二人は顔を見合わせてハイタッチした。
額にはうっすらと汗が滲んでいるが、その表情は達成感に満ちている。
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女将さんは震える声で呟いた。
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「ついでにアメニティ、全部使い切っちまったんで捨てといてください。……よし、コアちゃん! 海行くぞ!」
「はいっ! 行きましょう!」
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