追放されたS級清掃員、配信切り忘れで伝説になる「ただのゴミ掃除」と言って神話級ドラゴンを消し飛ばしていたら世界中がパニックになってますが?

あとりえむ

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第5章:クリーン・ファンタジーの夏休み

第24話:タコ入道は『インク漏れ』

 翌日。
 旅館『海神館』の目の前に広がるプライベートビーチは、抜けるような青空と、エメラルドグリーンの海に輝いていた。

「海だー! 天気も良くて最高の海ですわー!」

「わぁっ、冷たくて気持ちいいですね!」

 新しい水着に着替えたセシリアとコアちゃんが、波打ち際ではしゃいでいる。
 その少し奥で、人事部長の剣崎はパラソルの下、デッキチェアに身を預けてトロピカルジュースを啜っていた。

「……平和だ。本当に平和だ」

 彼はサングラスの奥で涙を流していた。
 モンスターもいない。爆発もしない。神様からの理不尽な命令もない。
 これぞ、彼が夢見ていたバカンスだ。

「おい剣崎。背中、流してやろうか?」

「ひぃっ!? や、やめてください社長! カッパのトラウマが!」

 灰坂ソウジが、ゴーグルと、黒いラッシュガード(作業着に見えるデザイン)姿で現れた。
 首にはいつものタオル。手には何も持っていないが、その立ち姿は完全に「現場入り」した職人のそれだった。

「冗談だ。せっかくの海だ、ひと泳ぎしてくる」

 ソウジは準備運動を終えると、綺麗なフォームで海へ飛び込んだ。
 クロールで沖へと進む。

 一般人の目には、美しいエメラルドグリーンの海中風景が広がっているはずだ。
 色とりどりの魚が泳ぎ、太陽の光が差し込む楽園。

 ――だが、ソウジのゴーグル越しに見える世界は、全く違っていた。

【水質:透明度A(不純物なし)】
【塩分濃度:3.4%(生理食塩水に近い)】
【対象:浮遊性タンパク質汚れ(魚群)、繊維状ゴミ(海藻)】

 彼の視界にあるのは「広大な色あせた水槽(プール)」だけ。
 目の前を泳ぐカラフルな熱帯魚の群れも、彼には「水中を漂うホコリ」にしか見えていない。

「ふむ。いい水だ。濁りがない」

 ソウジにとっては、景色が美しいかどうかはどうでもいい。
 「水が澄んでいる(掃除が行き届いている)」ことだけが、彼にとっての癒やしなのだ。

 彼が満足げにターンしようとした、その時だった。

 ズズズズズ……。

 突如、灰色の視界が赤い警告色に染まった。
 足元の深海から、ドス黒い液体が湧き上がり、クリアだった水槽を一瞬で漆黒に染め上げたのだ。

「きゃああああ!? な、何これ!?」

「海が……真っ黒に!?」

 浜辺のセシリアたちが悲鳴を上げる。
 黒い海面が盛り上がり、巨大な影が出現した。

 ヌラリと光る巨大な頭。
 ねじり鉢巻きのような模様。
 そして、建物をなぎ倒すほど太い8本の触手。

 【海難法師・大入道(タコ変異種)】だ。

 かつて沖合で沈没したタンカーの重油や、海洋プラスチックゴミを飲み込んで巨大化した、環境汚染の化身。

 タコ入道は怒り狂い、口を大きく開けた。

「ブモォォォォォォ!!」

 ブシュッ!!
 口から猛烈な勢いで「黒いスミ(有害ヘドロ)」が噴射される。
 それは海を汚し、空を曇らせ、浜辺のパラソルを黒く塗りつぶしていく。

「嘘だろ!? 俺のバカンスが!」

「逃げてください! あのスミ、触れると腐食しますわ!」

 パニックになる浜辺。
 しかし、海上のソウジだけは、冷静にゴーグルの解析画面を見つめていた。

【警告:インク漏れを検知】
【発生源:巨大カートリッジ(黒)】
【原因:タンクの破損、または詰め替えミス】
【被害予想:周囲への飛び散り(洗濯不可)】

「うわぁ……。最悪だ」

 ソウジは顔をしかめた。
 彼の目には、タコ入道が「インクがダダ漏れしている、故障した巨大プリンターのカートリッジ」にしか見えていない。

「インク汚れは服につくと落ちないんだよ。……誰だ? 純正品じゃない安物インクを使ったのは」

 彼は舌打ちし、周囲を見渡した。
 手持ちの武器(掃除用具)はない。
 あるのは、波打ち際に打ち上げられた漂流物だけだ。

「……使えるな」

 ソウジは浜辺へ戻るのではなく、漂流物に向かって泳いだ。
 拾い上げたのは、海流に乗って流れてきた「古びた漁網」と、中身の入っていない「2リットルのペットボトル」、あと着ている「ラッシュガード」を乱暴に脱ぐ。

「現地調達。これさえあれば十分だ」

 彼は海中で素早く手を動かした。
 ペットボトルの底を石で叩き割り、筒状にする。
 その中に、丸めた漁網とラッシュガードをギチギチに詰め込んだ。

 即席【油吸着ハンディ・フィルター】の完成だ。

「おい、そこのポンコツカートリッジ! 海を汚すんじゃねぇ!」

 ソウジはバタ足で加速し、暴れるタコ入道へと突っ込んだ。
 タコが触手を振り回し、さらなるスミを吐こうと口を尖らせる。

「ブモォッ!(また汚してやる!)」

「吐かせねぇよ!」

 ソウジはタコの口元(スミの噴出孔)に、ペットボトルの飲み口をガポッ! と押し当てた。
 そして、ペットボトルの底(漁網が詰まっている側)から、手で海水を送り込みながら「負圧」をかけた。

「フィルター交換だ! 詰まったインクごと吸い出してやる!」

 ズズズズズズッ!!!

 漁網の細かな網目とラッシュガードの極細繊維が、タコの体内に溜まっていた重油やヘドロを強力に絡め取る。
 黒い液体がペットボトルのフィルターに吸着されていく。

 だが、相手は巨大な怪獣だ。
 数秒もしないうちに、ペットボトルから黒い液体が溢れ出した。

【警告:廃インクタンク満杯】
【許容量(2L)を超過しました】

「チッ、やっぱり2リットルじゃ足りないか……!」

 ソウジが舌打ちした瞬間、吸い出しを止められたタコ入道が激昂した。

「ブモォォォォォ!!(調子に乗るなぁぁぁ!)」

 ドゴォォォォォン!!
 タコ入道は8本の触手を振り回し、海面を叩きつけた。
 発生した高波がソウジを吹き飛ばし、さらに触手が浜辺へと伸びる。

「きゃあああああ!?」

「離しなさい! ぬるぬるしますわ!」

 伸びた触手が、逃げ遅れたコアちゃんとセシリアを捕らえ、空高く吊り上げた。
 ヌラヌラしたヘドロが、彼女たちの綺麗な水着を汚していく。

「社長、助けてぇぇ!」


「おい……!」

 海から顔を出したソウジの目が、据わった。
 ゴーグルの奥の瞳が、冷徹な光を放つ。

「うちの従業員を、汚い手で触るんじゃねぇ」

 ソウジは「吸い出し(修理)」を諦めた。
 これだけの規模の汚れ、もはやチマチマ吸っている場合ではない。

「剣崎!! 車のトランクだ! 『アレ』を持ってこい!」

「えっ!? アレって……まさか!」

「早くしろ! 繊維の奥まで染み込む前に『手洗い』するぞ!」

 剣崎は慌てて駐車場へ走り、トランクから業務用の黄色いポリタンクを抱えて戻ってきた。
 ソウジが旅行前に「念のため」と積んでいた、最強の洗剤だ。

「受け取ってください社長! 【スライムキラー・ウルトラ(業務用・超強力アルカリ電解水 強粘度タイプ)】です!」

 剣崎が全力で放り投げたポリタンクを、ソウジは空中でキャッチした。

「サンキュー! ……おいタコ! インク汚れにはな、直接揉み込んで落とすのが一番なんだよ!」

 ソウジはポリタンクの蓋を開け、タコ入道の頭上(巨大な頭)に飛び乗った。

 ドボドボドボッ!!
 粘り気のある洗剤液を、タコの頭皮(?)に直接ぶちまける。

「ヌメヌメするぅぅ!?(なんだこれは!?)」

「逃がすかよ! ここからは手作業だ!」

 ソウジはタコの頭にしがみつくと、全身の体重と筋力を指先に込めた。
 狙うは、汚れが溜まっている毛穴(のような部分)の深層だ。

「奥義……【プロ式手洗い・もみ出し洗い】!!」

 ギュッ、ギュッ、ギュルルルルッ!!

 ソウジの指が、タコの皮膚を強烈な握力で「揉みしだく」。
 それは攻撃ではない。
 繊維の奥に入り込んだ粒子を、物理的に押し出すための「洗濯」だ。

「痛くはねぇだろ! ただ汚れを出してるだけだ!」

「ブ、ブモォォォォ……ッ!?(あああ、そこ、凝ってるぅぅぅ!?)」

 洗剤の分解力と、ソウジの絶妙なマッサージ(もみ洗い)が組み合わさり、タコの毛穴から黒い汁がジュワジュワと湧き出てくる。

「仕上げだ! 【遠心・分離】!!」

 ソウジはタコの巨体を抱え込むと、立ち泳ぎのまま、ジャイアントスイングのように振り回した。
 凄まじい高速回転で、最後の一滴まで汚れを吹き飛ばす。

 ブシューーーーーッ!!

 タコの全身から、凄まじい勢いで黒い廃液が噴出した。

 ドサッ。

 全てを出し切ったタコ入道は、脱力して海面に浮かんだ。
 その体は汚れが完全に落ち、手のひらサイズになっていた。
 ついでに、ソウジのマッサージ効果で身も柔らかくなっているようだ。

【タスク完了:インク漏れの洗浄】
【工法:手洗い(強)】
【仕上がり:ふっくら柔らか】

「ふぅ。……頑固な汚れだったな」

 ソウジは息を整え、小さくなったタコを拾い上げた。
 タコはもう暴れる元気もなく、ソウジの指に吸い付いて「ごめんなさい」と水を吹いた。

「お前も被害者だからな、もう変なもん食うんじゃねーぞ」


 浜辺に上がったソウジを、泡まみれで解放されたコアちゃんとセシリアが出迎える。

「社長! 助かりました!」

「すごいですわ! あの巨体を素手で揉み洗いするなんて!」

「……でも社長、この洗剤代、経費で落ちますかね?」

 心配そうにする剣崎に、ソウジはニカッと笑って親指を立てた。

「安心しろ。……今回は休日出勤扱いだ」

 S級清掃員の休日は、どこまで行っても「業務」と隣り合わせだ。
 だが、再び青さを取り戻した海は、彼らの疲れを癒やすように優しく輝いていた。

(続く)
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