人魚姫の恋

猫屋ネコ吉

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第13話

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無言で見つめ合う二人だったが、体調の不調からくる眩暈が芳樹を襲い身体が倒れそうになり明は咄嗟に芳樹の身体を支えた。
10年ぶりに触る芳樹の身体はスーツの上からでも分かるほどに細い…。

「大丈夫か?」
「ああ…少し眩暈がしただけ…ありがとう…。」

直ぐに離れた芳樹に少し残念に思ってしまう自分に苦笑いした。
それ以上に細くなっている芳樹に言葉を探して…。

「葬儀は…するのか?」
「ああ…叔父に任せている。」
「そうか…じゃあホテルに戻るなら俺が送ろう…顔色が真っ白になっている…休んだ方がいい。」
「いや…まだ病院で待っていなければならないし、タクシーを呼んで貰うから大丈夫だ…ここからホテルに戻ると遠回りになるから…心配してくれて、ありがとう…。」
「いや…顔色が悪いし熱があるのではないか?後は親戚に任せてお前は休んだ方がいい。」
「…いや…ああ…確かにフラフラしているな…先程のホテルに送ってくれるか?」
「ああ…待たせている車を呼ぶ…。」
「俺は叔父に話して来る。」
「ああ。」

細い背中を見つめながら明はスマホを操作して正面玄関へ車を呼んだ。

肩が触れそうで触れない距離で高級車の後部座席で、お互い何を話す訳でもなく…だけど全身でお互いの存在を意識していた。
車窓から眺める景色を見ているフリで芳樹は久し振りに感じる明の体温を、さっき抱きとめて貰った手のひらの感触を…思い出している自分に悲しくなりながら…。
そうこうしながら車はホテルのエトランスに静かに停車した。
老舗ホテルのドアマンは遅い時間でも入って来た車の後部座席のドアを開き、芳樹は明に一つ頭を下げて…。

「ここまで送ってくれて、ありがとう…。」
「ああ…。」
「じゃあこれで…。」
「ああ…。」

そんな短い会話をして芳樹は優雅に車を降りた。
背中には相変わらず明の強い視線を感じていたが、芳樹は自分の中の意地を振り絞って振り向かずに、ゆっくりとホテルの中へ歩いていった。
ドアマンが丁寧に閉じた車のドアの音を聞きながら…。

明もまた芳樹の優雅な立ち振る舞いを見つめていた。
手を伸ばせば近くにあったのに…。
そんな事を思う自分を呆れながら、それでも見ずにはいられない美しい背中を、ドアマンが閉めたドアをもう一度開けたいと思ってしまう自分の中の衝動を抑えた。

そしてホテルに入って行く芳樹の姿を確認してから運転手に車を出す様に指示を出した。
静かに走り出した車内で、明は密かにため息をついた。
車内にはまだ芳樹の使うフレグランスの甘い香りが残っていて…心が再び芳樹へと向かう。

あの日から…夏は嫌いになった。
明の心が封印した過去を開き始めたのを止める事も出来ずに…思い出の波が明を飲み込んでいった。


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