スライム姉妹の受難

未羊

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第一部 スライム姉妹、登場

第20話 ゼリアの訓練

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 ゼリアが訓練場に顔を出す。すると、訓練場の空気が一変する。これだけで、カレンがどれだけやらかしてきたかが察せられるというものである。
(私が来てこうも空気が変わったって事は、またいろいろ壊されると思ってるわね。心中お察しするわ……)
 ゼリアは兵士たちに同情する。自分自身も強力な一撃を食らわされたので、カレンは普通のお姫様とは大いにかけ離れた存在なのだ。
「し、心配しないで下さい。私だって、手加減を覚えましたから……」
 ゼリアが顔を引きつらせながら言ってはみるものの、兵士たちからは疑いの眼差しを一斉に向けられただけだった。
(どんだけなのよ、カレン!!)
 心の中で絶叫するゼリア。
 まぁ喚いたところでどうにもならない事を察したゼリアは、おとなしく訓練場の隅っこで体術の練習を始める。この国に来てからというもの、まともに体は動かしていないし、そろそろカレンの体格にもなじんできた事だろう。人間の感覚にもっと慣れるために、ゼリアはまずは正拳突きから始める。
 ちなみにゼリアの周りには兵士がまったく居ない。ルチアから聞いた話では、カレンが吹き飛ばした瓦礫に当たりたくないからである。それこそ、人の頭よりも大きな瓦礫が周囲数メートルにわたって飛んだらしいので、シャレにならないのだ。規格外すぎるでしょ、このお姫様。
 人伝に聞いたカレン伝説には、さすがのゼリアも両手両膝をついて現実逃避をした。壁に穴を開けたり、扉を蹴破ったりは当たり前。それこそ、城に迷い込んだ魔物を一撃で沈めたなんて話もあった。この時は、警備の兵士たちも逃げ惑うような上級の魔物だったので、鮮血の姫君ブラッディプリンセスなんて密かに呼ばれ始めたらしい。
(まぁ、細々と鍛錬できるのは助かるけどね……)
 伝説の数々のせいで、ゼリアの周囲には何があっても人が入って来なかった。剣術の稽古での回避行動中でも、カレンの居る方向と見たらそこで切り返すくらい器用な事をやってのけていた。
 カレンに化けているゼリアも、アサシンスライムの能力でそこそこカレンの状態をコピーできている。筋力とか確認した時は腰を抜かしそうになったくらいだ。剣の素振りを試そうとして少し握った時には、剣の柄が無残にも手の形に歪んだのだ。ゼリアが握った跡がくっきりである。ゼリアは絶句するしかなかった。
 アサシンスライムはミミックスライムの上位という位置づけなので、ミミックスライムの持つ『完全擬態』というスキルを当然のように持っている。カレンの髪の毛一本からでもコピーしたゼリアだったが、その身体能力の凄まじさに震えたものである。
 最初のうちはルチアに不敬な態度を取られながらも、懸命に頭を下げてこの桁外れの筋力を抑える特訓をした。その結果、限界設定リミットキャップというスキルを新たに取得した。これによってゼリアはようやく安心して普通の生活ができるようになったのだ。それまでに壊した物品は数知れずだが。
 さて、周りに余裕がある中で、ゼリアは鍛錬を始める。目の前には簡単に壊れないように保護が掛けられた大きな藁人形が立てられている。ちなみに、カレンはこれもたくさん破壊してきた。鋼鉄の剣すら跳ね返す強度を誇る魔法の藁人形を一撃粉砕である。兵士たちはそのイメージがあるので、カレンの動向に注意を払っている。
 さて、ゼリアはその事を気に掛けながらも、今は鍛錬に集中する。カレンの姿になってからは、多分初めての激しい動きだ。うっかり擬態が解けないか気になるところだが、ゼリアは意を決して藁人形へと攻撃を加える。
 殴ったり蹴ったり、時には距離を取ってから突進など、見ている兵士が唖然とする攻撃の数々が繰り出されていた。しかし、これもカレンなら平気でやっていた事である。ただ、藁人形の耐久を超えていただけなのだ。
「お淑やかになったと聞いたが、聞き間違いだったのかな?」
「カレン様はやっぱりカレン様だった」
 諦観に包まれる兵士たち。それでもゼリアは藁人形をタコ殴りにしていた。
「よしっ、体の調子はいいみたい」
 攻撃の手を止めたゼリアは、満足げに汗を拭う。その後ろで兵士たちが呆然としている事になど、まったく気が付いていない。
 ゼリアは擬態が解ける事なく、カレンの動きをある程度再現できた事をとても喜んでいた。ただ、やはり本物にはまだまだ敵わないようである。一応の目的は果たせたので、ゼリアは笑顔で兵士たちに頭を下げて、訓練場を後にした。
 訓練場には、絶望の色に染められた兵士たちの群れだけが残されていた。
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