戯曲「サンドリヨン」

黒い白クマ

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第一幕

第八場面:サンドリヨンの屋敷、どこかの部屋

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 しばらくそうしてドアを眺めていたサンドリヨンは、ふと思い立ったように部屋を見回した。しばし彼女は何かを思い出すようにただ部屋を眺めていたが、じきにゆっくりと目を閉じた。

 元は彼女の部屋であったであろう部屋が、ぐるぐると姿を変えていく。

 次に彼女が目を開けた時、サンドリヨンは大きなベッドの横に立っていた。ベッドには夫人と同じくらいの年に見える女性が横たわっている。しかし顔色がひどく悪く、一目で病人と分かるほどだった。

「お母様。」

 ベッドに横たわるのは、今まで彼女にそう呼ばれていた相手ではない。ならばこれは、彼女の過去の記憶だろうか。彼女は女性に優しく話しかける。その笑顔は、今までのそれより余程柔らかい。

「お話って何かしら。」

 女性は何か話そうとしたが、咳に阻まれた。痛々しい音に、娘は眉を寄せる。

「無理をなさらないで。何も今日じゃなくてもいいわ、調子が良い時にお話してくれればいいのよ。私ならいつでもお見舞いに来ることが出来るんだから。」
「いいえ。今伝えなきゃならないのよ、カラー。」

 カラーの言葉に、女性は否と返してまた咳をした。何とか息を整えて、小さな声でカラーに語りかける。

「私はもう貴方と共に過ごせる時間があまりないのよ。だから今のうちに愛する貴方に伝えておきたいことがあるの。」
「……大丈夫よ。お父様も使用人たちもお母様を治す方法を探しているわ。だからそんなことを仰らないで。」

 女性は首を横に振った。カラーは俯いて、分かっているわ、と小さくこたえた。また、咳の音が部屋に響く。

「ねぇカラー。私がいなくなっても、いつも思いやりのある子でいるのよ。それだけ約束して。そうすればきっと、貴方は幸せに暮らせるわ。」

 女性の手がカラーの頬を撫でる。

「いつも思いやりのある子でいれば、皆が、貴方を愛してくれる筈よ。」

 そう言ってから、女性はひどく咳き込んだ。医者や使用人たちが駆けつけ、カラーは押し出されるようにベッドから離れた。

 最後に部屋に顔を出した男性を見上げて、カラーは尋ねる。

「お父様、お母様は……もう、助からないの?」

 父親はさっと顔色を変えた。何かを言おうと息を吸って、結局、何度かただ息を吐く。

「縁起でもないことを、言うんじゃない。」

 父親はそう短く喘ぐようにこたえて、妻のベッドに駆け寄った。

 慌ただしく人が行き来していた。医者が、使用人が、出入りする。彼らが手に持つものは食事と薬から次第に薬だけに、そして何もなくなる。

 女性が運び出された。

 部屋に残ったのはカラーと彼女の父親だけだ。

 カラーは黙って父親を見上げた。たくさんの声が、あちこちから慌ただしく聞こえる。部屋の中は対照的に静かだった。父親はしばらく戸惑いを乗せて彼女を見つめていたが、黙って首を横に振るとカラーに言葉もかけずに背を向ける。

「きっと、私が余計なことを言ったからだと思っているのね。私のせいでお母様が死んだと。」

 父親はカラーの言葉に返事をせずに部屋を出て行った。カラー一人が部屋に残される。

「誰かのせいにしてしまえば楽だってことは、私もよく知っているわ。何か理由が、あるはずだと。そう思いたいのよ。そうでしょう、お父様。」

 閉じたドアに呟いてから、カラーは目を閉じる。まわりの喧騒が消えた。

「儲けたところで、死の前には人は平等に無力、なのに。」

 景色がまわる。サンドリヨンは、姉の部屋で一人ゆっくりと目を開いた。過去の影はもうない。

「……そうよ、お姉様の言う通り。」

 サンドリヨンは、姉の髪を結っている間は脇に避けていた掃除道具を掴んだ。どこか妙に明るい声で、彼女は歌うように続ける。

「あんなにお母様を救おうとお金をつぎ込んだお父様に残ったのは、残りの充分なお金と、さして面倒を見たことも無い、縁起の悪い一人娘だけなのだもの。」

 手慣れた様子で棚の埃を掃いながら、彼女は笑っているとも泣いているともつかない表情を浮かべた。

「でも、死ぬまでの間愛されるために必要なものはある。」

 彼女は宙を睨んでハッキリと言葉を紡ぐ。歌うように、己に言い聞かせるように。

「舞踏会、ええ、行きますとも。なんとしてでも行くわ。だってドレスさえあれば、王子の妃になるチャンスなのでしょう?」

 サンドリヨンは掃除道具を手に持ったまま、部屋を見回した。

「きっと、このみじめな生活から逃れられる。」

 そう噛みしめるように言って、彼女は宙に向かって頷く。

「大丈夫よ、お母様。私、ちゃんと思いやりのある良い子の顔が出来ているから。」

 一度言葉を切ってから、サンドリヨンが目を伏せてほとんど音にならない声で囁いた。

「ちゃんと誰かに、愛されるから。」

 返事をするものは、いない。それきり黙り込んで掃除に取り掛かったサンドリヨンの姿が、徐々に暗闇に消えていった。
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