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ひろいもの
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「隠しておいた方が、いいかもしれないね。」
友人の言葉に、私は目を伏せた。頷く以外の選択肢がない。友人は、台上でぷぅぷぅと鳴く毛玉を一撫でしてからカルテを持ち上げた。
「猫、って書いておくよ。そうしよう。」
猫。毛玉を胸に抱くとじわりと温かさを感じる。長いしっぽがゆらゆらと、ゆっくり振られて時折私に当たる。そうか、猫か。
「うん、そうだな。猫。猫だ。」
「ぷぅ。」
ゆっくりと毛玉を撫でる。くりっとした二つの愛らしい目がこちらを見た。撫でる。ふさふさとした毛の感触が伝わるばかり。
「じゃあ、何かあったら連絡してね。」
知り合いに獣医がいて良かった。毛玉をまたタオルに包んで、会釈して外に出る。生き物を拾って獣医に見せないのは問題だが、この毛玉を見せられる獣医なんてそういないだろう。見せたら最後、どこかの研究機関にでも連絡がいってしまう。
「君、今日から猫だってさ。」
爪も、肉球も、何より耳のない猫なんていない。そんな事は私だって知っていた。真ん丸な体に短い手足、長いしっぽの生えた毛玉。パッと見、猫かと思ったけれど全然違う。家に連れ帰って体を洗ってやって驚いたものだ。
病気もなく、ノミもいないことは診察して貰えた。まぁあくまで犬猫と同じように検査しただけで、そもそも何を食べるかも分からないのだが。思ったより高い診察代を払って、病院を出る。
車通りの多い道路をうろちょろしていた毛玉を拾ったのは今日の朝だ。野草の多い道で、いつも蓬の匂いがする道。
道路回りを動き回る毛玉の動きが見るからに危なっかしくて、思わず足を止めた。仕方が無いので散歩を切り上げ、カバンに入れていたタオルで包んで連れ帰ったのだ。持ち上げた時に蓬の強い香りがしたから、それなりに長くあの辺をうろついていたのだろう。
おいで、と言ったら随分素直にタオルに収まった上に野良にしては車に警戒心がなかったから、迷子に違いないと思って保護したのに。やれ、まさか未知の生物だったとは。連れ帰って洗ってやり、首を傾げながらも病院に連れていけば友人の顔がたいそう強ばってしまった。
キャットフードと己の昼飯を買い、家に着く頃には十二時を回っていた。勝手に合鍵で入り浸る谷澤は、今日は来ていないらしい。
「なぁ猫。」
「ぷぅ。」
「飼い主を探すにも君の写真は見せられないし、うちの子になるか?」
タオルから出してやって、床に毛玉をおく。あっという間に家主より早くソファの真ん中を占拠しに行ったのを見てから、台所に皿を取りに向かった。
「うちにいるなら色々買った方がいいし。あぁ、名前がいるな。」
「ぷぅー!」
気の抜ける鳴き声が返事をした。平皿を二枚見繕って、キャットフードと水を入れてみる。キャットフード、食べるんだろうか。
「名前、何にするかなぁ。」
キャットフードを置いてみる。一応ソファからおりてきたものの、匂いを嗅ぐばかりで、食べる気配はない。水にすら興味を示さないのだから、まいった。ただ、ぷぅと鳴かれると、まぁ別に強いることもないかと頬が緩む。
「お腹空かないのか?」
少しキャットフードを手に取ってから毛玉を抱き上げて、そのままソファに座る。抱えた毛玉の口元に、いや待てよ、どこが口だ?毛が長いから見えてなかったのだとばかり思っていたんだが。そういえば洗った時にも口らしいものはなかった、ような。
「困ったな。腹が空かないのならいい、のか?」
「ぷぅ。」
「いいのかぁ。」
撫でていると、また蓬の香りがした。風呂に入ったのに落ち切らなかったらしい。
「名前、蓬でいいか。」
「ぷぅ!」
「ぷぅ、って、鳴き声それしかないのかよ。」
「ぷぅー!」
得体はしれないけど、まぁ暫く様子を見るしかない。ふと、谷澤に見つかって騒がれるのも面倒だと思い、スマートフォンを鞄から引っ張り出した。
「……うん、だからしばらく来ない方がいいかもしれない。谷澤、君猫アレルギーだろ。」
「ウン、まぁネ。でもマスクしとけば平気だヨ。」
「そう。」
電話に出た谷澤が、ケロリと言い放つ。本音を言えば、来て欲しくなかったのだけれど。蓬をチラリと見て、どう説明したものかと言葉を探す。でも谷澤の事だから、猫と言っておけば蓬のことも猫だと認識してくれるかもしれない。なにせ通り雨に気が付かずに帰宅して、なんで頭が濡れているんだと首を傾げるような奴だ。
「猫、見てみたいナ。今から向かってもいいカイ?」
「いい、けど。」
「じゃあ、また後でナ。」
いつもの事ながら、さっさと電話を切られてしまう。泊まるつもりなのかとか、迎えに行こうかとか、そういったことを確認出来た試しがない。
「ぷぅ。」
またソファの真ん中を占拠していた蓬が鳴く。撫でれば、気持ちよさそうに目を閉じた。どこから鳴き声を出しているんだろう。
「蓬、谷澤と喧嘩するなよ。」
なんだか蓬を見ていると、何とかなるだろうという気になってきた。動物にはストレスを解消する効果があるのだったか。
「あ、ご飯食べてない。」
「ぷぅー。」
「蓬につられちゃったよ。」
コンビニの弁当を食べているうちに、谷澤が到着したらしい。チャイムも鳴ってないのに鍵が回る音がする。ドアが開いた音がしたので谷澤?と大きめの声をかければ、玄関から肯定の返事が飛んできた。
「ヤァ。猫どこ?」
リビングのドアを開けるなりそう言った彼に、手に持った箸を下ろす。
「あのなぁ、チャイムくらい鳴らしてくれよ。」
「ウン、ごめんネ。」
「もしかして、猫好きなのか?」
「大好き。なのにアレルギーなんだヨ、参っちゃうデショ。」
マスク姿の谷澤は、手に持ったビニール袋を私に押し付けてくる。ビールが何本か入っていて、彼が泊まる気なのが分かった。ただビニール袋以外に手荷物はなく、後ろのポケットにスマホが突っ込まれているのが見えるだけだ。一人暮らしには無駄に広いこの家にあるものは、大半は勝手に谷澤が持ち込んだもの。だから荷物がなくとも特に困りやしないのだろう。
「君が動物を拾うようなタイプだと思わなかったヨ。」
「まぁね。」
相変わらずソファで丸くなっていた蓬を持ち上げて、谷澤に向かって突き出す。彼はぱちくりと瞬きをしたあと、首を少し傾けた。
「生まれつきカイ?」
「何が?」
「耳。ない、ヨネ?」
流石の谷澤でも、違和感を覚えたらしい。正直に言うべきか悩んでいるうちに、谷澤は私から蓬を受け取った。
「ワ、この子本当に猫カイ?ちょっと失礼、ねぇ爪もないジャナイ。」
いちいち蓬に断りを入れつつ、谷澤はわしゃわしゃと毛を撫で回しながら蓬と猫の違いを上げていく。口がないことにも気がついたようで、もしかしてロボットなのか、と首を捻る。当の蓬はぷぅぷぅと声を上げてなされるがままだ。嫌がっているようには見えず、むしろ楽しげにすら見えた。
「実は何かよく分かってないんだ。獣医も首を傾げていた。」
正直に伝えれば、へぇ、と間の抜けた返事が寄越された。
「蓬のこと、もっと怖がるかと思ったよ。」
「蓬って言うのカイ。かわいいネ。」
話を聞く気があるのかないのか、谷澤は蓬を撫でるのをやめない。
「怖かないサ、だって何かの動物デショ。病院に行ったなら、病気の検査だって一応したんだヨネ?」
「うん。」
「じゃあ無害だモノ。それにホラ、噛まれる心配も引っ掻かれる心配もないしネ。」
猫じゃなくても猫じゃらしで遊ぶかナァと呑気に呟きながら、谷澤はポケットから羽飾りのついた紐を取りだした。聞けばわざわざ買ったのだというから、思わず笑ってしまう。
「だって谷澤、分からないものは怖いって言っていたじゃないか。」
玩具にじゃれつく蓬は、やはり猫に見えた。可愛いと思う反面、得体の知れない物に対する恐怖はどうしたって心の隅に燻っては消え、燻っては消えを繰り返している。
「蓬はここにいるデショ。分からないものじゃないからネ。」
ふぅん、と今度は私が間の抜けた返事をした。付き合いは長いけれど、やっぱり彼のことは分かるようで分からない。
***
蓬がうちに来てから一週間程経った。蓬は相変わらず何も飲み食いをしない。食べないから、追加のキャットフードも、それからトイレだとかも購入していない。
ぷぅぷぅと鳴き声を上げ、玩具で遊び、人に擦り寄り、触れれば暖かい。全てが生を謳歌しているように見えるのに、生命活動と呼べそうなことはまるで行わない毛玉だ。
「ほんとにロボットなんじゃないのカナ。不思議だネ。」
家に帰れば、今日も今日とて家に居座り続ける谷澤が、蓬と戯れている。仕事は、と聞けば、彼はちゃんとやっているヨと机の上のパソコンを指さした。
具体的に何をしているのかは知らないが、彼は職場というものを持たないらしい。だから結局彼が一週間ここに住み着いていても、特に驚きはないのだ。良くある事だし、特に今回は蓬から離れたくないという分かりやすい理由がある。何も言わずとも、こうやって居候する時は谷澤が冷蔵庫を補充し、それなりに掃除をしてくれるから文句を言う気にもならなかった。
「蓬は一日中、ほんとに何も食べないのか。」
「ウン、見た事ないナ。水も飲まないネ。」
蓬は上機嫌で羽に飛び掛っている。痩せた様子もなかった。
「光合成するタイプなのカナ。でも水はいるよネェ。」
本気か冗談か分からないようなテンションで呟く彼に、私はずっと考えていたことをぶつけてみる。
「蓬は、感情を食べているんじゃないかな。」
「感情?食べられるもんじゃないデショ。」
ケラケラと笑う彼は、さして取り合いもせずに私に玩具を渡した。台所へ向かう背中に、言葉を続ける。
「嫌な気持ちが長続きしないんだ。蓬が来てから。」
「ペットの癒し効果ってじゃないのカイ?」
「そういうんじゃ、なくて。」
蓬をじゃらしながら、疑問は確信に変わっていく。
仕事で疲れた。
蓬が怖い。
分かってくれなくてもどかしい。
頭を過る嫌な気持ちは、外にいると暫く頭の隅に巣食うのに、蓬がそこにいればサラサラと流れていく。その度に感じる薄ら寒さすら、サラサラと。
「でも、分からないナァ。もし蓬の餌が嫌な事だとしたら、蓬が食べ続けていたら、いつか君はとっても幸せになっちゃうデショ。蓬の餌が無くなっちゃうヨ。」
「そうでもないよ。」
作ってくれたらしい夕飯を並べ始めた彼を手伝う為に、玩具を置いて立ち上がる。蓬は動かなくなった羽を前足で少しつついた後、玩具から目を離してソファへ飛び乗った。
「原因が消えるわけじゃないから、嫌な気持ちは割合直ぐに湧いてくるんだよ。いたちごっこみたいなものでさ。」
「原因を解消出来ないことで悩むのカイ?どうしようもないなら、諦めるほうがいいと思うんだケド。」
谷澤は不思議そうに首を傾げた。そりゃまぁ、少しはイラついたりするかもしれないけど、と腕を組む彼に、思わず苦笑が漏れた。
「谷澤と違って、私はそうも割り切れないんだよ。」
谷澤の言う通りだ。自分じゃどうしようもないことを悩んだとて、気が滅入るだけ。
羨ましい。彼のことをそう思ったことは何度となくあった。根無し草のようにフラフラとした奴だけれど、常に「今此処」を謳歌している強さがある。
蓬のことも、そう。余計なことは考えずに、蓬そのものだけを見て愛でる彼のような強さは私にはない。分かりもしないことが気になって、何処かでやはり、蓬が怖い。怖いけど、気がついたら手が伸びる。もう依存しているような気すらした。外では消えない重い気持ちに、以前のように対処出来なくなってきている。
一通り並べ終わった皿を横目に、ソファにいた蓬を抱き上げた。谷澤、君のようにはいかないよ。飲み込んで、腕の中の蓬を繰り返し撫でた。谷澤は何も言わない。君のようには、私は。
ふと、蓬が満足気に目を細めた。するりと私の腕を抜けて、リビングを出ていく。
「蓬?どこに行くのサ。」
立ち上がった谷澤について、私も玄関の方へ進む。見れば蓬は、玄関のドアの前でちょこんと座っていた。
「ぷぅ。」
ドアを前足で叩きながら、蓬が一声鳴いた。
もう、お腹いっぱい。
なんの根拠もないけれど、確かにそう言われた気がしたのだ。気がつけば、私はドアを開けて蓬を通していた。蓬が出ていく。谷澤も黙り込んだままで何も言わない。追いかけもせずドアを閉めて振り返る。そのまま暫く、私と谷澤は黙って顔を見合わせていた。
友人の言葉に、私は目を伏せた。頷く以外の選択肢がない。友人は、台上でぷぅぷぅと鳴く毛玉を一撫でしてからカルテを持ち上げた。
「猫、って書いておくよ。そうしよう。」
猫。毛玉を胸に抱くとじわりと温かさを感じる。長いしっぽがゆらゆらと、ゆっくり振られて時折私に当たる。そうか、猫か。
「うん、そうだな。猫。猫だ。」
「ぷぅ。」
ゆっくりと毛玉を撫でる。くりっとした二つの愛らしい目がこちらを見た。撫でる。ふさふさとした毛の感触が伝わるばかり。
「じゃあ、何かあったら連絡してね。」
知り合いに獣医がいて良かった。毛玉をまたタオルに包んで、会釈して外に出る。生き物を拾って獣医に見せないのは問題だが、この毛玉を見せられる獣医なんてそういないだろう。見せたら最後、どこかの研究機関にでも連絡がいってしまう。
「君、今日から猫だってさ。」
爪も、肉球も、何より耳のない猫なんていない。そんな事は私だって知っていた。真ん丸な体に短い手足、長いしっぽの生えた毛玉。パッと見、猫かと思ったけれど全然違う。家に連れ帰って体を洗ってやって驚いたものだ。
病気もなく、ノミもいないことは診察して貰えた。まぁあくまで犬猫と同じように検査しただけで、そもそも何を食べるかも分からないのだが。思ったより高い診察代を払って、病院を出る。
車通りの多い道路をうろちょろしていた毛玉を拾ったのは今日の朝だ。野草の多い道で、いつも蓬の匂いがする道。
道路回りを動き回る毛玉の動きが見るからに危なっかしくて、思わず足を止めた。仕方が無いので散歩を切り上げ、カバンに入れていたタオルで包んで連れ帰ったのだ。持ち上げた時に蓬の強い香りがしたから、それなりに長くあの辺をうろついていたのだろう。
おいで、と言ったら随分素直にタオルに収まった上に野良にしては車に警戒心がなかったから、迷子に違いないと思って保護したのに。やれ、まさか未知の生物だったとは。連れ帰って洗ってやり、首を傾げながらも病院に連れていけば友人の顔がたいそう強ばってしまった。
キャットフードと己の昼飯を買い、家に着く頃には十二時を回っていた。勝手に合鍵で入り浸る谷澤は、今日は来ていないらしい。
「なぁ猫。」
「ぷぅ。」
「飼い主を探すにも君の写真は見せられないし、うちの子になるか?」
タオルから出してやって、床に毛玉をおく。あっという間に家主より早くソファの真ん中を占拠しに行ったのを見てから、台所に皿を取りに向かった。
「うちにいるなら色々買った方がいいし。あぁ、名前がいるな。」
「ぷぅー!」
気の抜ける鳴き声が返事をした。平皿を二枚見繕って、キャットフードと水を入れてみる。キャットフード、食べるんだろうか。
「名前、何にするかなぁ。」
キャットフードを置いてみる。一応ソファからおりてきたものの、匂いを嗅ぐばかりで、食べる気配はない。水にすら興味を示さないのだから、まいった。ただ、ぷぅと鳴かれると、まぁ別に強いることもないかと頬が緩む。
「お腹空かないのか?」
少しキャットフードを手に取ってから毛玉を抱き上げて、そのままソファに座る。抱えた毛玉の口元に、いや待てよ、どこが口だ?毛が長いから見えてなかったのだとばかり思っていたんだが。そういえば洗った時にも口らしいものはなかった、ような。
「困ったな。腹が空かないのならいい、のか?」
「ぷぅ。」
「いいのかぁ。」
撫でていると、また蓬の香りがした。風呂に入ったのに落ち切らなかったらしい。
「名前、蓬でいいか。」
「ぷぅ!」
「ぷぅ、って、鳴き声それしかないのかよ。」
「ぷぅー!」
得体はしれないけど、まぁ暫く様子を見るしかない。ふと、谷澤に見つかって騒がれるのも面倒だと思い、スマートフォンを鞄から引っ張り出した。
「……うん、だからしばらく来ない方がいいかもしれない。谷澤、君猫アレルギーだろ。」
「ウン、まぁネ。でもマスクしとけば平気だヨ。」
「そう。」
電話に出た谷澤が、ケロリと言い放つ。本音を言えば、来て欲しくなかったのだけれど。蓬をチラリと見て、どう説明したものかと言葉を探す。でも谷澤の事だから、猫と言っておけば蓬のことも猫だと認識してくれるかもしれない。なにせ通り雨に気が付かずに帰宅して、なんで頭が濡れているんだと首を傾げるような奴だ。
「猫、見てみたいナ。今から向かってもいいカイ?」
「いい、けど。」
「じゃあ、また後でナ。」
いつもの事ながら、さっさと電話を切られてしまう。泊まるつもりなのかとか、迎えに行こうかとか、そういったことを確認出来た試しがない。
「ぷぅ。」
またソファの真ん中を占拠していた蓬が鳴く。撫でれば、気持ちよさそうに目を閉じた。どこから鳴き声を出しているんだろう。
「蓬、谷澤と喧嘩するなよ。」
なんだか蓬を見ていると、何とかなるだろうという気になってきた。動物にはストレスを解消する効果があるのだったか。
「あ、ご飯食べてない。」
「ぷぅー。」
「蓬につられちゃったよ。」
コンビニの弁当を食べているうちに、谷澤が到着したらしい。チャイムも鳴ってないのに鍵が回る音がする。ドアが開いた音がしたので谷澤?と大きめの声をかければ、玄関から肯定の返事が飛んできた。
「ヤァ。猫どこ?」
リビングのドアを開けるなりそう言った彼に、手に持った箸を下ろす。
「あのなぁ、チャイムくらい鳴らしてくれよ。」
「ウン、ごめんネ。」
「もしかして、猫好きなのか?」
「大好き。なのにアレルギーなんだヨ、参っちゃうデショ。」
マスク姿の谷澤は、手に持ったビニール袋を私に押し付けてくる。ビールが何本か入っていて、彼が泊まる気なのが分かった。ただビニール袋以外に手荷物はなく、後ろのポケットにスマホが突っ込まれているのが見えるだけだ。一人暮らしには無駄に広いこの家にあるものは、大半は勝手に谷澤が持ち込んだもの。だから荷物がなくとも特に困りやしないのだろう。
「君が動物を拾うようなタイプだと思わなかったヨ。」
「まぁね。」
相変わらずソファで丸くなっていた蓬を持ち上げて、谷澤に向かって突き出す。彼はぱちくりと瞬きをしたあと、首を少し傾けた。
「生まれつきカイ?」
「何が?」
「耳。ない、ヨネ?」
流石の谷澤でも、違和感を覚えたらしい。正直に言うべきか悩んでいるうちに、谷澤は私から蓬を受け取った。
「ワ、この子本当に猫カイ?ちょっと失礼、ねぇ爪もないジャナイ。」
いちいち蓬に断りを入れつつ、谷澤はわしゃわしゃと毛を撫で回しながら蓬と猫の違いを上げていく。口がないことにも気がついたようで、もしかしてロボットなのか、と首を捻る。当の蓬はぷぅぷぅと声を上げてなされるがままだ。嫌がっているようには見えず、むしろ楽しげにすら見えた。
「実は何かよく分かってないんだ。獣医も首を傾げていた。」
正直に伝えれば、へぇ、と間の抜けた返事が寄越された。
「蓬のこと、もっと怖がるかと思ったよ。」
「蓬って言うのカイ。かわいいネ。」
話を聞く気があるのかないのか、谷澤は蓬を撫でるのをやめない。
「怖かないサ、だって何かの動物デショ。病院に行ったなら、病気の検査だって一応したんだヨネ?」
「うん。」
「じゃあ無害だモノ。それにホラ、噛まれる心配も引っ掻かれる心配もないしネ。」
猫じゃなくても猫じゃらしで遊ぶかナァと呑気に呟きながら、谷澤はポケットから羽飾りのついた紐を取りだした。聞けばわざわざ買ったのだというから、思わず笑ってしまう。
「だって谷澤、分からないものは怖いって言っていたじゃないか。」
玩具にじゃれつく蓬は、やはり猫に見えた。可愛いと思う反面、得体の知れない物に対する恐怖はどうしたって心の隅に燻っては消え、燻っては消えを繰り返している。
「蓬はここにいるデショ。分からないものじゃないからネ。」
ふぅん、と今度は私が間の抜けた返事をした。付き合いは長いけれど、やっぱり彼のことは分かるようで分からない。
***
蓬がうちに来てから一週間程経った。蓬は相変わらず何も飲み食いをしない。食べないから、追加のキャットフードも、それからトイレだとかも購入していない。
ぷぅぷぅと鳴き声を上げ、玩具で遊び、人に擦り寄り、触れれば暖かい。全てが生を謳歌しているように見えるのに、生命活動と呼べそうなことはまるで行わない毛玉だ。
「ほんとにロボットなんじゃないのカナ。不思議だネ。」
家に帰れば、今日も今日とて家に居座り続ける谷澤が、蓬と戯れている。仕事は、と聞けば、彼はちゃんとやっているヨと机の上のパソコンを指さした。
具体的に何をしているのかは知らないが、彼は職場というものを持たないらしい。だから結局彼が一週間ここに住み着いていても、特に驚きはないのだ。良くある事だし、特に今回は蓬から離れたくないという分かりやすい理由がある。何も言わずとも、こうやって居候する時は谷澤が冷蔵庫を補充し、それなりに掃除をしてくれるから文句を言う気にもならなかった。
「蓬は一日中、ほんとに何も食べないのか。」
「ウン、見た事ないナ。水も飲まないネ。」
蓬は上機嫌で羽に飛び掛っている。痩せた様子もなかった。
「光合成するタイプなのカナ。でも水はいるよネェ。」
本気か冗談か分からないようなテンションで呟く彼に、私はずっと考えていたことをぶつけてみる。
「蓬は、感情を食べているんじゃないかな。」
「感情?食べられるもんじゃないデショ。」
ケラケラと笑う彼は、さして取り合いもせずに私に玩具を渡した。台所へ向かう背中に、言葉を続ける。
「嫌な気持ちが長続きしないんだ。蓬が来てから。」
「ペットの癒し効果ってじゃないのカイ?」
「そういうんじゃ、なくて。」
蓬をじゃらしながら、疑問は確信に変わっていく。
仕事で疲れた。
蓬が怖い。
分かってくれなくてもどかしい。
頭を過る嫌な気持ちは、外にいると暫く頭の隅に巣食うのに、蓬がそこにいればサラサラと流れていく。その度に感じる薄ら寒さすら、サラサラと。
「でも、分からないナァ。もし蓬の餌が嫌な事だとしたら、蓬が食べ続けていたら、いつか君はとっても幸せになっちゃうデショ。蓬の餌が無くなっちゃうヨ。」
「そうでもないよ。」
作ってくれたらしい夕飯を並べ始めた彼を手伝う為に、玩具を置いて立ち上がる。蓬は動かなくなった羽を前足で少しつついた後、玩具から目を離してソファへ飛び乗った。
「原因が消えるわけじゃないから、嫌な気持ちは割合直ぐに湧いてくるんだよ。いたちごっこみたいなものでさ。」
「原因を解消出来ないことで悩むのカイ?どうしようもないなら、諦めるほうがいいと思うんだケド。」
谷澤は不思議そうに首を傾げた。そりゃまぁ、少しはイラついたりするかもしれないけど、と腕を組む彼に、思わず苦笑が漏れた。
「谷澤と違って、私はそうも割り切れないんだよ。」
谷澤の言う通りだ。自分じゃどうしようもないことを悩んだとて、気が滅入るだけ。
羨ましい。彼のことをそう思ったことは何度となくあった。根無し草のようにフラフラとした奴だけれど、常に「今此処」を謳歌している強さがある。
蓬のことも、そう。余計なことは考えずに、蓬そのものだけを見て愛でる彼のような強さは私にはない。分かりもしないことが気になって、何処かでやはり、蓬が怖い。怖いけど、気がついたら手が伸びる。もう依存しているような気すらした。外では消えない重い気持ちに、以前のように対処出来なくなってきている。
一通り並べ終わった皿を横目に、ソファにいた蓬を抱き上げた。谷澤、君のようにはいかないよ。飲み込んで、腕の中の蓬を繰り返し撫でた。谷澤は何も言わない。君のようには、私は。
ふと、蓬が満足気に目を細めた。するりと私の腕を抜けて、リビングを出ていく。
「蓬?どこに行くのサ。」
立ち上がった谷澤について、私も玄関の方へ進む。見れば蓬は、玄関のドアの前でちょこんと座っていた。
「ぷぅ。」
ドアを前足で叩きながら、蓬が一声鳴いた。
もう、お腹いっぱい。
なんの根拠もないけれど、確かにそう言われた気がしたのだ。気がつけば、私はドアを開けて蓬を通していた。蓬が出ていく。谷澤も黙り込んだままで何も言わない。追いかけもせずドアを閉めて振り返る。そのまま暫く、私と谷澤は黙って顔を見合わせていた。
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