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第1章 異世界転移
顕現
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(守るべき世界を残して、心残りというには大きすぎるが――)
一体の霊が、未練を残したまま死したことを嘆き、その想いを吐露している。
時は真夜中。
体育館ほどはあろうかと思われるその空間は、ほのかな青白い明かりに照らされていた。
紫紺の壁と天井は、渦を巻いたような模様や、苦悶の表情を浮かべる生物を思わせる有機的な彫刻で埋め尽くされている。
そして開け放たれた扉の反対側、つまり空間の奥側の半分は破壊されて焼けただれていた。
その影響か、室内には少なくない粉塵が舞っている。
(だがまあ、こうなってしまったのでは仕方ない。
せめてカードを持って逝きたいから、少し待っていただきた――あ。
カード、身体ごと燃えたのであった。
……詰んだ)
声にならない声で意味不明なことをつぶやくその存在は、数分前まで魔族の王、つまり魔王であったものだ。
故あって死亡し、霊体となって部屋のその破損部分の中央に漂っている。
だがその絶望を占める内容の割合がおかしい。
冒頭で嘆いていた世界を守る使命を果たせなかったという件と、趣味のカードゲームのカードが燃えた件。
この2件を同列扱いするという、何とも突っ込み待ちな状況だった。
しかも、どちらかというと、カードが燃えたことに対して、強く絶望しているようだ。
そして、彼はその時が訪れようとしていることを感じた。
彼が悲嘆に暮れているのを無視して、周囲が明るくなって来たのだ。
夜明けのようなゆっくりとした速度ではない。
その状況からついに昇天するのかと推測した彼は、全てを諦めて流れに身を(すでに焼失しているが)任せることにした。
しかし、彼は微かな違和感を覚える。
『これは、違う』と。
自分が昇天しようとしているのではなく、何かがここに顕現しようとしている兆候に見える。
現に異常に強い気配が近づいている。
方向はわからないが、感覚的に、空間を捻じ曲げて来ると予想できる。
(こちらの空間に到達する前からこの気配の強さとは、どうなっておるのだ。
歴代魔王でもここまでには至らなかったはずだ。一体何者だろうか。
まあ今となっては我にはどうすることもできんか……。
だがもし対話可能であれば、破損したカードの交換手続きを代行してもらいたい……そういえば手数料はいくらだったか――)
そんな異常な事態を前にして、しかし自身には何もできないので諦めつつ、彼は本当にしょうもないことを考えていた。
彼の目の前に虹色の光の柱が降りてきた。
そこが何か特別な場所というわけではない。
部屋の中の、中央より少し奥側の何もない場所だ。
その光は何を思ってそうしたのか、明らかに彼の位置を基準に、彼を目指して空間を超えようとしている。
懐かしさ……に近い何かが、彼の心を揺さぶる。
気配は強烈で神秘的だが、一方でそれは穏やかな日差しのようであり……死にゆく灯火の揺らぎのようでもあった。
程なくして、光の中から少女が現れ、ゆっくりと地面に降り立った。
だが感じた懐かしさとは程遠く、彼にとって見知らぬ少女だ。
その外見から、ここ魔族領に住む魔族ではなく、人族であることがわかる。
魔族である彼と種族は異なるようだが、少女の容貌は目を離せないほどに美しい。
透き通るような白い肌。
すべらかな漆黒の長い髪に、華奢な体つき。
その整った顔立ちは幼く、閉じた瞳からは、なぜか涙を流した跡がある。
彼は無意識に、少女に向かって近づいていく。
いや、正確には彼が近づいているのではなく、少女が彼を吸い寄せているようだった。
抵抗しようとするも、霊体となった彼はそもそも動き方がわからない。
(ぬ、ぬおぉおおおお⁉ カ、カード! せめて我のカードをぉぉ‼)
と叫びながら《シュポッ》と音を立てて、哀れな魔王の霊は不思議な少女に吸収されたのであった。
◇ ◇ ◇
一体の霊が、未練を残したまま死したことを嘆き、その想いを吐露している。
時は真夜中。
体育館ほどはあろうかと思われるその空間は、ほのかな青白い明かりに照らされていた。
紫紺の壁と天井は、渦を巻いたような模様や、苦悶の表情を浮かべる生物を思わせる有機的な彫刻で埋め尽くされている。
そして開け放たれた扉の反対側、つまり空間の奥側の半分は破壊されて焼けただれていた。
その影響か、室内には少なくない粉塵が舞っている。
(だがまあ、こうなってしまったのでは仕方ない。
せめてカードを持って逝きたいから、少し待っていただきた――あ。
カード、身体ごと燃えたのであった。
……詰んだ)
声にならない声で意味不明なことをつぶやくその存在は、数分前まで魔族の王、つまり魔王であったものだ。
故あって死亡し、霊体となって部屋のその破損部分の中央に漂っている。
だがその絶望を占める内容の割合がおかしい。
冒頭で嘆いていた世界を守る使命を果たせなかったという件と、趣味のカードゲームのカードが燃えた件。
この2件を同列扱いするという、何とも突っ込み待ちな状況だった。
しかも、どちらかというと、カードが燃えたことに対して、強く絶望しているようだ。
そして、彼はその時が訪れようとしていることを感じた。
彼が悲嘆に暮れているのを無視して、周囲が明るくなって来たのだ。
夜明けのようなゆっくりとした速度ではない。
その状況からついに昇天するのかと推測した彼は、全てを諦めて流れに身を(すでに焼失しているが)任せることにした。
しかし、彼は微かな違和感を覚える。
『これは、違う』と。
自分が昇天しようとしているのではなく、何かがここに顕現しようとしている兆候に見える。
現に異常に強い気配が近づいている。
方向はわからないが、感覚的に、空間を捻じ曲げて来ると予想できる。
(こちらの空間に到達する前からこの気配の強さとは、どうなっておるのだ。
歴代魔王でもここまでには至らなかったはずだ。一体何者だろうか。
まあ今となっては我にはどうすることもできんか……。
だがもし対話可能であれば、破損したカードの交換手続きを代行してもらいたい……そういえば手数料はいくらだったか――)
そんな異常な事態を前にして、しかし自身には何もできないので諦めつつ、彼は本当にしょうもないことを考えていた。
彼の目の前に虹色の光の柱が降りてきた。
そこが何か特別な場所というわけではない。
部屋の中の、中央より少し奥側の何もない場所だ。
その光は何を思ってそうしたのか、明らかに彼の位置を基準に、彼を目指して空間を超えようとしている。
懐かしさ……に近い何かが、彼の心を揺さぶる。
気配は強烈で神秘的だが、一方でそれは穏やかな日差しのようであり……死にゆく灯火の揺らぎのようでもあった。
程なくして、光の中から少女が現れ、ゆっくりと地面に降り立った。
だが感じた懐かしさとは程遠く、彼にとって見知らぬ少女だ。
その外見から、ここ魔族領に住む魔族ではなく、人族であることがわかる。
魔族である彼と種族は異なるようだが、少女の容貌は目を離せないほどに美しい。
透き通るような白い肌。
すべらかな漆黒の長い髪に、華奢な体つき。
その整った顔立ちは幼く、閉じた瞳からは、なぜか涙を流した跡がある。
彼は無意識に、少女に向かって近づいていく。
いや、正確には彼が近づいているのではなく、少女が彼を吸い寄せているようだった。
抵抗しようとするも、霊体となった彼はそもそも動き方がわからない。
(ぬ、ぬおぉおおおお⁉ カ、カード! せめて我のカードをぉぉ‼)
と叫びながら《シュポッ》と音を立てて、哀れな魔王の霊は不思議な少女に吸収されたのであった。
◇ ◇ ◇
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