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第4章 炎が呼び覚ます記憶

ナナ様の温度(ミイア視点)

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「そんなことを企んでいたなんて許しませんわ! お父様に言いつけます!」

「ふんっ! 貴様が私を嫌っているのは周知の事実。
そのような話をでっち上げたとしても不思議ではない。
誰にでも言いふらすがいいわ!
だが、領主に従順な私と、わがまま放題なガキの世迷い事。
はたしてどちらが信じてもらえるか……ぐひひひ」

そう下卑た嗤いを浮かべながら、頭からつま先までわたくしの身体を舐めるように視線を這わせてくる目の前の太った男。
この方はわたくしと30も年が離れているのに、何度断ってもわたくしとの婚姻を父に迫る、本当に気持ちの悪い愚か者ですわ。
わたくしのことを殊更大事に想ってくださっているお父様が、あなたみたいなロリコン野郎にわたくしを差し出すわけがないでしょうに。

最近になってようやく婚姻を諦めたのかと思っていた矢先、わたくしはこのロリコン野郎の独り言をうっかり盗み聞きしてしまいましたの。
それによると、ロリコン野郎はわたくしの大切な弟、テオに対して何か良からぬことを企んでいるみたい。
洗脳……という言葉まで聞こえましたのよ!

もちろんすぐに問い詰めましたわ!
領主の娘に悪事を見破られたんですもの、焦って青い顔で許しを請うかと思っていたのに、何なのでしょう、こいつのこの余裕!
くぁぁぁ! めっちゃ腹が立ちますわ‼

「今の言葉、覚えていなさい! 絶対に後悔させてやりますわ!」

わたくしはそう捨て台詞を残して、ロリコン野郎を放置してお父様の執務室に走りましたわ。
そしてノックもせずにドアを開けて開口一番!

「お父様! やはりミデール様は悪ですわ!
今度はテオを洗脳して取り込もうとしているみたいですのよ‼」

言ってやった!
ええ、言ってやりましたわ‼
誰にも邪魔されないように、誰よりも早く全部言い切ってやりましたわ!

これでお父様にも、ロリコン野郎の悪事が露見しましたわ。
ほら、早くあんな汚物はこのお城から追い出してくださいませ。
視線だけで娘が汚されたような気持になる臣下など、お父様にとっても不要でしょう?

さあ、愛する娘の真摯な言葉に胸を打たれて、決意に満ちたお父様の表情をしっかり確認しましょう。

「ミイア、もう少しおしとやかに行動しなさい。
ミデールにテオの教育カリキュラム案を作るよう指示したのは私だ。
今度は魔法に傾倒しないよう、次期領主に相応しい教育を、とな。
お前がミデールを嫌っているのは知っているが、憶測だけで他人を貶めるような言動をすることは許さん!
……だが、罰は後日としよう。
正直、今はお前の話を聞いている場合ではない。下がりなさい!」

「なっ⁉」

お父様に目を向けたわたくしが見たのは、こちらを見ようともせずに、机に広げた資料を睨みながら冷たく言い放つ、クソオヤジの姿でしたわ。

「この……お父様の分からず屋! クソトウヘンボク! お父様なんか大っ嫌いよ‼」

「ま、待て、ミイア! すまん今のはちょっと機嫌が悪かっただけなんだぁぁぁ!」

≪バタン‼≫

もう許しませんわ!
わたくしがこんなに大切なお話をしようとしたのに、お父様ったら頭ごなしに否定して、わたくしが悪いようにおっしゃるなんてひどいですわ!
くぅぅぅ……まさかあのロリコン野郎が言ったとおりになるなんて!
言葉は汚いですがクソォォォとしか言えませんわ! 

……でも、実際困りましたわね。お父様が頼りにならないとなると、わたくしが自分でなんとかするしかないではありませんか……。

これは少し、状況を整理する必要がございますわね。

わたくしの名前はミイア・アバト。
名前の通り、アバト領主であるジェイムズ・アバト辺境伯の娘ですわ。
お母様ゆずりの鮮やかな赤髪と明るい青緑色の瞳を持ち、12歳にして城の皆から美しいと評される美少女ですの。

もちろんただ可愛いだけではありませんわ。
これでも領主の娘。そこらの同い年の者達とは鍛え方が違いますもの。
幼いころから文字や算術、礼儀作法、領地経営、軍事学に至るまでを叩き込まれている上に、剣術や魔法の修行も毎日つけてもらっていますわ。
中でも魔法は得意でして、火と土と風、3属性の魔法を初級はもちろん、中級の一部も使うことができますわ。
け、決して、魔法以外が苦手と言うわけではありませんのよ!
……ほ、本当ですわよ!
お父様のお仕事の相談にだって乗って差し上げられるレベルですわ!

……もしかしなくてもお父様、先程の『今度は魔法に傾倒しないよう』って、わたくしのことをバカにしましたわねぇぇぇ!
確かにわたくしは魔法の修練に重きを置いて、食事や睡眠をほんの少し後ろ(翌日以降)に回すことがあるかもしれませんが、領主の娘として必要なアレコレをサボったことなどございませんのよぉ!

も、もう絶対に許せませんわ!
あとで髪の毛を火魔法でチリチリにしてやりますわ!
情けない姿を晒して、お母様に愛想をつかされてしまえばいいのです!

……想像したらちょっと胸がすっきりとしてきましたわ。
これからのことを考えましょう。

ロリコン野郎が言っていたのは、
『洗脳の魔道具でテオを傀儡とし、このアバト領を私が支配するのです。ですが、魔道具が使えるのは蒼月の日……あと1カ月ですか。待ち遠しいですねぇ』
だったわね。
ということは、ロリコン野郎が行動を起こすのは1カ月後。

わたくし、決意しました。

1カ月かけてわたくし自身が強くなって、姉として可愛い弟を守るのですわ!


そう決めたわたくしは、その日のうちにお城を飛び出して冒険者になりましたの。

冒険者になった日に、その場にいた同じぐらいの年頃の新人冒険者2人とパーティを組みましたわ。
適当に選んだ2人でしたが、予想に反してわたくしと同程度に強く、とてもよく働いてくれる逸材ですのよ。
わたくし、けっこう運がいいみたいですわ。

それからわたくしは2人と共に数々の依頼を達成し、レベルも上げてきましたの。

ですが、全てが順調というわけではありませんでしたわ。
冒険者になって3日目、討伐依頼で強めの魔物と対峙した際、私達は手も足も出ない状況に全滅を覚悟したことがございましたの。
でも、その依頼は初めての討伐依頼だったので、ギルドから指導役として高ランクの冒険者が同行してくださっていたおかげで、助けられましたわ。

ニアン様とヴァリア様とおっしゃる美男美女の2人パーティで、とても強く、その太刀筋や魔法には、芸術的な美しさが潜んでいましたわ。

わたくし、もう一目で憧れましたの。

それに彼らを味方に付けることができれば、テオを守ることにもつながるかもしれない。
そう思ったわたくしは、わたくし達3人をニアン様のパーティに入れて欲しいとお願いしましたの。

でも、そのお願いは断られてしまいましたわ。
いえ、別にそのこと自体は仕方がないと思っていますの。
危険な依頼を沢山受けると聞いておりましたし、わたくしたちと彼らでは実力差がありすぎますもの。

だから諦めて、わたくしたちは3人で頑張ってきましたの。

ですが、そんな時、ニアン様がある少女を連れて帰ってきましたわ。
それも、とても大切そうに周囲から守りながら……。
い、いえ、それだけならわたくしだって何も言いませんでしたわ。
誰と一緒にいようが、ニアン様の勝手ですもの。

けれどニアン様はその少女をあろうことかパーティに入れたんですの!

そのことにどうしてもわたくしは納得できませんでした。
どこの誰かもわからない、ちょっと容姿がいいだけの弱い平民より、身分がはっきりしていて、腕も悪くないわたくしの方が、ニアン様のパーティに相応しいはずではないか、と考えましたの。

今思えばただの醜い嫉妬ですが、その時のわたくしは本気でそう思ってしまいましたの。

そして、わたくしはその少女、ナナ様に突っかかりましたわ。
その流れでわたくし、ナナ様に差を見せつけてやろうとして、少し無謀な依頼を受けてしまいましたの。

その依頼のために街の南東の森を探索したわたくし達でしたが、森の入口近くではフォレストウルフを発見することができませんでしたの。
そこで諦める選択もあったのでしょうが、ここ最近は大した危険もなく依頼を達成することができるようになっていましたから、油断していたのですわ。
危険と知りながら森の奥に踏み込み、そこで発見したフォレストウルフ1匹に攻撃を仕掛けてしまいました。

そして、隙を突かれてフォレストウルフに仲間を呼ばれてしまったのが運の尽きでしたわ。
わたくし達は次々と集まってくるフォレストウルフの群れに追われることになりましたの。
何とか必死に戦いながら、森の出口を目指して逃げ続けましたが、もう少しという所で力及ばず、わたくしも致命傷を受けて、地に、伏してしまいました。

そして、残り少ない命の時間で私は後悔いたしました。
わたくし自身の醜い嫉妬が、仲間と自分の命を奪うことになったのですもの。
悔やんでも悔やみきれませんでしたわ。

状況と後悔に打ちのめされたわたくしは、仲間の死を見る勇気すらも無くて、ぎゅっと目を閉じてしまいました。

でも、最後に一つだけ、お願い事をしましたわ。

もしこの命を糧に、願いが聞き入れられるのであれば、どうか仲間の命だけは助けて欲しいと。

直後に、こんな絶望的な状況でそんな願いが叶うはずもないと虚しくなりましたが。

ですが、こんなわたくしの願いは、なぜか聞き届けられたのです。

わたくしが蔑んだ黒髪の美しい少女、ナナ様によって。

「大丈夫。私に任せて」

あの時の聖女様のような優しく温かい声音を、わたくしはきっと一生忘れませんわ。

ナナ様のおかげで、もう死んだと思っていたリアムもアレンも無事救出されました。

でも2人とも、ほっとしたような笑顔の裏に、暗いモノを抱えていました。
いえ、2人だけではありませんね。
わたくしも、自分の罪の重さに耐えかねていましたわ。
冒険者を続けることも、領主の娘として領民に尽くすことも、もう無理だと全てを投げ出そうと思っていましたの。

「……でもね、それでも最後まであきらめずに仲間の無事を願ってたみんなは……
うん、そう! 最高にカッコいい、憧れのパーティだよ!」

一瞬、ナナ様が何を言ったのか理解できませんでしたわ。

でも、ボロボロだった心に、何かがしみ込んでくるのを感じました。
それは温かくて、冷えた身体に熱を取り戻してくれるようで……気づいたら、涙が止まらなくなっていましたわ。
顔を上げると、わたくしと同じ顔をしたリアムとアレンが目に入りました。

無事でよかった。
そう思った時、生きてくれていた2人が愛おしくて、掛け替えが無くて、もう2度と失いたくなくて……気付いた時には2人を抱き締めて号泣してしまっていましたわ。

その後、アバトに戻る道すがら、わたくしは冒険者になった経緯や、ロリコン野郎やテオの事をナナ様に包み隠さずお伝えしましたわ。
そうしたら、ナナ様は一も二もなく助力を申し出てくださいましたの。

わたくし、ナナ様を救世主として崇め、一生お慕いすることを誓いましたわ。

今ではナナ様がわたくしの一番憧れている人ですの!


    ◇
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