黄土と草原の快男子、毒女に負けじと奮闘す ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・3.5部~

西川 旭

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甲の巻 暴れん坊公爵と肉山の巌さん

壱ノ伍 信疑、定まらずとも

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 巌力(がんりき)の想定した作戦の通り、得(とく)さんの尋問は楽に進んだ。

「ぼ、僕たちはなにも知らないんですぅ……大師(たいし)さまたちがどこに行ったのかも、堂にあったお金がどうなったのかも、なにも……」

 髪の短い方の男は、すっかり巌力に怯えてしまっている。
 泣きじゃくりながら、自分が知ることはないと言うだけだった。
 ここまでは半ば予想の範囲であったが、もう一人の髪を伸ばした男は違う情報をもたらしてくれた。

「た、大師さまたちが街を出て行く直前に、偉そうな役人風の男が、堂に来たのを覚えています。首尾はどうなっているかとか、手抜かりはないかとか、神経質そうに何度も確認していました」
「どんなやつだった?」

 長髪青年の話に、得さんが食い付いた。

「え、ええと、口髭がヒョロっと長く、額のしわが深い男でした。お前たちにこれまで恩義をかけてやったことを忘れるなと、偉そうにしつこく言っていました」
「へえ……」

 ペラペラと情報を話してしまう相方に、短髪男が抗議する。

「お、お前、そんなこと言っちまって、大丈夫なのかよぉ……」
「知ったことか、俺たちはろくに事情を説明もされずに行き場を失ったんだ。今更なにを気にする必要があるんだよ。修業だって中途半端でさ……」

 彼らの話を横で黙って聞きながら、巌力は現時点で得られた情報を、頭の中でまとめた。
 イカサマ臭い宗教結社が、後ろ暗いところがあって斜羅の街から逃げるように消えて行った。
 翠蝶(すいちょう)を眠らせた集団と関連があるのかどうかまでは、まだ未知数だ。
 目の前の青年たちのような、結社の中枢運営に関与していない一般信徒は、深い事情を知らずに置き去りにされた。
 得さんの話を信じるのであれば、借金を踏み倒して夜逃げした形である。
 
「逃げた一部の連中は、逃げる当てがあった、ということにございますかな」

 巌力の発言に、得さんが頷いた。

「そうだ。それは同時に『逃げ場、逃げる手段』を用意した誰かさんがいるってことよ。兄ちゃんが話してくれたヒョロ髭のオッサンが怪しいんだが……」

 ある一定数の集団が、誰に怪しまれることもなく忽然と姿を消すというのは、人の多い街であるほど考えにくい。
 瞬く間に逃げられる段取りをした協力者がいる。
 財力なり、組織力なり、権力を持っている、誰かが。

「その髭男は、お仲間の信徒ではないのですかな」

 巌力の問いに、長髪の青年は首を振って答えた。

「普段の礼拝や修業にも顔を出してなかったし、まず違うと思う。家族の誰かが信徒で、そのオッサンが沢山の寄付をしてたってのはあるかもしれませんが」

 ある程度の話を聞き、巌力と得さんは二人を解放した。

「お前さんたち、しばらく雑夫(ざっぷ)溜まりのボロ宿にでも行ってな。得の知り合いだと言っときゃ、食って寝るだけの仕事と部屋は用意してもらえっからよ」

 巌力が壊してしまった寝場所のフォローを忘れない得さんであった。

「この広い斜羅(しゃら)の街で、話に出ていた怪しい男の糸口が掴めるものでありましょうか」

 巌力の疑問に、得さんはドヤ顔で答えた。

「こういうときは、まず明らかに関係ねえやつを除外して範囲を絞りながら、じわじわとあたりを付けていくもんだ。幸い俺の親父は戸籍係の役人なもんでな。風体や面相から、どんなやつが街のどの辺に暮らしているかの検討はだいたい付けられるってもんよ」

 おそらくは長い年月をこの街で暮らしてきた彼だからこそ、高い解像度で見えるものがあるのだろう。

「なるほど、天は得どのに地の利と人の和を与え給うたのでありますか」
「おだてるない。俺なんかただのいい歳した放蕩野郎さ」

 その言い方が椿珠(ちんじゅ)に似ていて、なんだか巌力はおかしかった。
 椿珠も十年二十年と年齢を重ね、相変わらずフラフラしたままで中年男になればこうなるのかもしれない。
 それはそれで好ましい未来かもと巌力は思った。

「とにかく俺はまたちょっと雑夫溜まりに顔を出せなくなるかもしれねえが、バカどもが喧嘩なんぞおっぱじめたときは、巌さんに任せてもいいかねえ?」

 役人の息子としての立場を最大限に活用しながら、得さんは結社に出入りしていた怪しく偉そうな男を探ると言う。
 顔を見せない間のことをよろしく頼まれ、巌力は胸を張って頷いた。

「ご安心めされよ。足しげく様子を見に行くつもりでござる」
「恩に着るぜ。なにかあれば例の飲み屋の女将に伝えておいてくんな」

 こうして各々の方針の下、巌力と得さんは別行動に移る。
 街中で細かく動いて人探しともなれば、さすがに巌力は目立ちすぎるので、同行しない方が良い。
 なにより巌力自身がその手のことに向いていないことを、強く自覚していた。
 港の肉体労働者たちに混ざれば、巌力の体格でもそうそう悪目立ちはしないだろうが、果たしてそんなエリアで欲している情報が得られるだろうか。
 思い悩みながら、巌力は司午家(しごけ)への帰り道を遠回りして、港をくるりと散策する。
 中型の船舶から、人が降りるのが見える。
 どうやら人も貨物も両載(りょうさい)する公的な商船で、湾を挟んだ南の向かい、爪州(そうしゅう)から来たのだと、人々の会話から拾えた。

「船……」

 それなりに大きな街から、それなりの人数の法師が、唐突に消えた。
 手段は?
 ここは港街、船で移動した可能性が最も高いのではないか。
 一度出航してしまった船を追いかけるのは、物理的な障害が大きすぎる。
 だがせめて、誰がいつ、どの船でどこへ向かったのかを知ることができれば。
 昂国(こうこく)で船の旅券を手に入れるためには、それなりの金銭と確かな身元が必須である。
 海洋の交通は厳しく管理されていて、気軽な思いつきから船に乗って遠くへ行くのは、事実上不可能なのだ。

「思ったように、試してみるのも一興か」

 翌日から巌力は港の荷揚げを短時間、手伝うことに決めた。
 その帰り道で雑夫溜まりに立ち寄り、日々の噂話を二つのスポットで集めることにした。
 たまに酔っ払い同士が喧嘩を始めそうな雰囲気があれば、黙って現場に赴き、腕を組んで仁王立ちした。
 それだけでたいていのものたちは、暴力の気配を引っ込めて、気まずそうに酒場なりねぐらに戻って行った。
 肉山の巌さんは、なにかありがたいモニュメントのように人々からの好評を得つつあった。

「ぬうむ……」

 情報集めの日々を送る中で、しかしまだ巌力は迷っていた。
 次に得さんに会ったときに、自分が司午家の関係者であることを打ち明けるかどうかについてである。

「貴妃がおかしな術をかけられた時期と、得どのが話す法師たちが消えた時期が一致している。堂で修行していた法術も、恒教(こうきょう)と沸教(ふっきょう)のいいとこどりのようなものらしい」

 得さんと巌力がそれぞれの思惑で追っている連中が、もしも同じであるなら。
 必要な情報は開陳して共有しなければならない。
 でなければ調査はチグハグにしか進まないだろう。
 得さんを疑うことで逡巡して浪費された時間は、逃げた敵を利することにしか働かない。
 最大の敵は自分の迷いであることを、巌力は麗央那や覇聖鳳(はせお)の行動から、痛いくらいに学んでいた。

「そこまで得どのを信用していいものか……」

 司午家から与えられた部屋に座した巌力。
 悩みの末に泰学(たいがく)とその注釈書の二冊の本を開き、過去の叡智にヒントを求めた。
 中に書かれている「信」という言葉の項目を読み進める。
 泰学の原典に書かれている「信」の記述は短い。

「人の言うところ、もしくは言わざるところを義して、信と字を作るなり。信は真の音に従う」

 これではなんのことやらわかりにくい。
 真実を言うか、嘘を言うか、あるいはなにも言わないか。
 人の意志が関わる、人為的である、ということだろうと巌力は思いつつ、分厚い注釈書を参照する。
 そこでは次のように解釈されていた。

「人が言を為すと書いて信である。言は神にも捧げられるものであるから、偽りがあってはならない。依って真と同じ音を成す。神に捧げる心を信と云い、人の中で交わされる言もまた、信でなくてはならない」

 信用のならない言動をしていても、デタラメに言葉を弄したとしても。
 神さまがどこかで見ているのだぞ、ということであろうか。
 注釈部分には、補記として沸教(ふっきょう)における「信」の観念に就いても短く書かれていた。

「信は理であり、理は万事を疑う意も孕む。依って信は疑であり、疑は信である。信疑は相反するものではなくひとつながりに循環している」

 信じるというのは、真実であれと願う気持ちである。
 しかし人は真実を探るとき、理性を武器にして万物を疑わなければならない。
 疑った末に手に入るのが真実であり、信なのだ。
 だから信疑は矛盾するものではなく、循環する、という理屈だろう。

「わからぬ」

 そのうち巌力は考えるのをやめた。
 麗央那が帰ってきたら、このことに関して詳しく聞いてみようと思った。
 きっと、巌力は。
 ただでさえ身分をコソコソ隠しているのに、これ以上に得さんを疑いながら行動するのが。
 純粋に、性に合わなかったのだ。

「という事情から、拙者は恩義ある司午(しご)貴妃を陰謀に巻き込んだ輩を、調べ上げたいと思って力を尽くしているのでありまする」

 後日の、馴染みとなった安居酒屋。
 翠蝶(すいちょう)や玉楊(ぎょくよう)のプライベートに関わる部分は秘しつつ。
 しかし巌力は、大まかに自分たちが置かれている立場と、これからどうしたいのかを、率直に得さんに打ち明けた。
 もちろん他の酔客に聞き耳を立てられないよう、座席も声量も考慮しての話ではあったが。
 いつか玉楊に言われた通り。
 自分の心に従うままに、巌力は行動したかったのだ。
 得さんを信じる前に、自分を信じたのである。

「……ちんけな詐欺術師を追いかけてたと思ってたら、こりゃあとんでもねえ大魚が横を一緒に泳いでたもんだぜ」
「見かけばかり無駄に大きくてあい済みませぬ」

 ぽかん、と得さんはマヌケに大口を開け。
 やがてそれが巌力なりの冗談、持ちネタなのだと理解し、くははっとこらえきれず、笑った。

「いやあ参った、突然の打ち明け話の後にこりゃあ、一本取られちまった」

 実にイイ顔で酒をぐびりと呷り、得さんは巌力に顔を寄せ、小さい声で言った。

「なにを隠そう俺もな、本当を言えば先の皇帝陛下の隠し子なのよ。今上帝とは腹違いの兄弟なんだ」
「先帝は主上の伯父にあらせられます。隠し子がいたとしても兄弟ではなく従兄であるはずでは」

 疑うまでもなく、巌力は得さんのバカ話の矛盾を突いた。

「さすが巌さん、よく知ってるな。また一本取られちまったか」

 ケケケと笑いながら、楽しそうに得さんは杯を空にした。
 得さんが自分を信じているのか、疑っているのかはわからない。
 しかし目の前の笑顔を見ていると、巌力は素直に打ち明けて良かったと、心の底から思えたのだった。
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