黄土と草原の快男子、毒女に負けじと奮闘す ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・3.5部~

西川 旭

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甲の巻 暴れん坊公爵と肉山の巌さん

壱ノ捌 両雄、踊る

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 夜の屋敷に、怒声が響く。
 得(とく)さんと巌力(がんりき)。
 対するは角州(かくしゅう)司祝門(ししゅくもん)の長官の手勢、及び謎の尾州(びしゅう)訛りの男。

「でやあああああっ!!」

 屋敷の使用人の一人が、細剣を構えて大上段に巌力へ向かって行く。

「踏み込みが甘いっ」

 巌力は相撲の立会いのように勢いよくぶつかって行き、男の振るった剣の鍔元を、自分の額でがちんと受け止める。
 剣戟の手元に頭突きをかますという、信じられない対応に男は仰天を超えた驚きを味わい。

「ごべっぶ!」

 巌力の下方向からの掌底打ちに顎の関節を外されて、数メートル離れた壁際まで吹き飛ばされた。

「剣を持った大勢が相手ならば、この巌力、手加減をせずに向かわざるを得ない」
 
 ぎろりと巌力が一瞥し、他の男たちを視線だけで制圧した。
 単なるウドの大木ではなく、暴れ狂う猛牛であることを、巌力はこの一挙一撃で周知せしめたのだ。
 元々巌力は環家(かんけ)の使用人であると同時に、玉楊(ぎょくよう)や椿珠(ちんじゅ)の用心棒であった。
 特に今より更に若き放蕩を尽くしていた椿珠と行動を共にしているときは、大小の危険が隣り合わせである。
 誠実で温厚なれど、ただの気が優しい力持ちではなく、喧嘩の類は大の得意分野でもあるのだ。

「ちいぃっ、ならこっちの小男だ!!」

 数人は直ちに標的を得さんに変えた。
 修羅場において弱い点を集中的に攻めるのが妥当な選択であることは、議論の余地はない。
 もっともそれは、狙った先が本当に「脆弱な箇所」であるという条件に、大きく依存する話である。

「おっとっと、こっちにまとめて来やがったかい」

 軽く言って、得さんは仕込み刀を後ろ手に引き絞った構えを取り。

「ぎゃっ」
「うぐっ」
「おぅッ!?」

 どすどすどす、と眼にも止まらぬ三連突きで、男たちのみぞおちや金的の急所を正確に狙い打つ。
 刃を研いでないとはいえ、鋼鉄の棒で突かれるのである。
 やられた方は涙目でうずくまり、倒れ、口から泡を吹く。
 間合いにも寄れずに仲間たちが地に伏し悶絶するのを見て、他の男たちの顔色が青ざめる。
 到底、片足が不自由な人間の技ではない。
 得さんはなんらかの武術に熟達した、いっぱしの武芸者であると思われた。

「ご主人、お客さま、こちらからお逃げ下され!」

 中には目端の利くものがいるようである。
 巌力と得さんを瞬時に取り押さえることはできないと判断し、今は逃げの一手を打つべきだと声を上げたのだ。

「逃がさぬっ」

 ドドドドドとラッセル車のように邪魔な男たちを蹴散らしながら、巌力は目標である尾州の男を追う。
 あの男こそが、理屈はわからぬまでも、今回の陰謀を解く一番大きな鍵だと確信する不思議な力が、巌力の中に湧いていた。

「待てーい! これ以上は行かさぬっ!!」

 突進を阻んだのは、巌力に負けず劣らずの巨躯を持った偉丈夫であった。
 おそらく屋敷の用心棒の中で、最も力自慢の男なのであろう。
 阿吽一対の羅漢仁王像のように二人は睨み合い、隙と呼吸を窺った。

「つまらぬ怪我をしたくなければ、そこを退(の)くが好(よ)かろう」

 相手を慮って本心からそう言ったのか、こいつは手強そうだと思ったのか。
 巌力は曖昧な心境で相手に譲歩を説いた。
 しかしそれで引き下がる物分かりのいい相手など、なかなかいやしないものである。

「ふん、少しは腕に覚えがあるようだが、この屋敷で好き勝手したいなら、まずこの俺さまを踏み越えて行くことだ」

 対峙する大男がそう言ったので、素直な遠慮なしの気持ちで巌力は首肯する。

「では、そうさせていただく」

 ぐわあ、と巌力が両手を左右に広げ、相手に躍り掛かる。
 掴み技か、はたまた打撃か。
 どちらが来ても良いように、相手の男は両腕をボクシングの防御姿勢のように顔の前に上げ、身を屈める。
 タックルや抱きつきなら自分の手肘を広げれば解除することができるし、打撃なら二本の腕がその軌道上にあるので防ぐことができる。
 男の取った行動は全く格闘理論に適っており、間違いなどないように思われた。
 しかし、理論は理論、実戦は実戦。
 両者の間には深い溝と高い壁が厳然として存在することを、相手の男はこのとき、その身を以て知ることになった。

「だあっ」

 気合いの掛け声とともに、巌力の両手が左右から中央に収束する。
 巌力は、両手で一度に相手の両頬を挟むようにビンタしたのだ。
 もちろん相手は両の逞しい腕で、左右から同時に襲う巌力の掌をブロックするわけであるが。

「ごっぎ!?」

 純粋な腕力の問題で、男のガードは全く意味を成さずに弾かれた。
 両頬と両耳にあたる顔側面の部分を万力のような暴力でブチ喰らわされて、大男の鼓膜は破れ、目と耳と鼻からだらりと血を流した。
 まるで合掌するような形で巌力は男の顔を両の掌で覆い、挟んだのである。
 おそらくは、数トン単位の衝撃力で。

「強敵にござった」

 巌力は若干痺れる両手指をニギニギし、呟いた。
 男がガードする腕力(かいなぢから)は予想よりも強く、打った巌力の手も大きな衝撃を受けたのだ。
 どしいん、と音を立てて巨体が地に沈んだが、目的である尾州の男の姿がない。

「角州にもとんだバケモンがおるのう!!」

 尾州の男は、手に鉤爪のような暗器を構え、得さんのところへと走っていた。
 ただの使者、使いっ走りのメッセンジャーではなく、自身も戦えるのであろう。
 その身のこなしに無駄はない。
 笑って待ち構える得さんを巌力は案じ、叫ぶ。

「得どの!」
「おうよ、巌さんっ!」

 軽快な声で返した得さんは、敵の爪牙を服一枚の距離で避け。

「成敗っ!」

 仕込み刀を逆胴で薙ぎ払い、相手のあばら下部付近、格闘技で言うところのレバーあたりを、美しく一閃した。
 衣服の右上半身を敵の鉤爪に切り裂かれたものの、体は無傷なようである。

「あ~、一張羅が台無しじゃねえかっ」

 嘆く得さんの鎖骨から胸の辺り。
 星形と言おうか、桜の花びら模様と言おうか、そんな痣が無数に散らばっているのを、巌力は見た。

「ぐ、ぐおおおぉぉぉぉ……おのれぇぃ……」

 呻きながら尾州の男は、屋敷の庭に倒れた。
 肝臓へのダメージはともかくとして、確実にあばらの二、三本は折れたであろう。
 鉄火場の最中に腰を抜かしていた司祝門の長官。
 気を取り直して屋敷の勝手口から逃げおおせようと、みっともなくオタオタ歩き始めたが。

「その場のもの、全員動くな! 州都衛士隊である!!」
「神妙にいたせ! 抵抗するとろくなことにならんぞッ!!」

 正門から雪崩れ込んできた、州の警邏武官たちが色めき立って巌力や長官たちを囲んだ。

「あれ、あんた、雑夫(ざっぷ)溜まりで会ったか……?」
「そのようでござるな」

 その中には巌力が町人の喧嘩を止めた際に駆け付けた、若い衛士青年もいた。
 州の高官の屋敷で、これだけの大立ち回りを、暴行の限りを尽くしてしまったのだ。
 事情はどうあれ、巌力たちがお縄について、正式な調べと裁きを受けなければならないのは、当然の話であった。

「得どの……?」

 衛士が大量に屋敷に侵入して、中庭は人が多すぎの収拾がつかない状況にある。
 巌力はその高い視線から周囲をぐるりと一瞥したが、得さんの姿がない。

「逃げおおせたのなら、なによりでござったな」
「なに言ってんだよ。暴れて逃げたりしないでくれよ、ホント」

 巌力の独り言に、若い衛士は身を震わせながら懇願した。
 しかしこれで、尾州の怪しい男も、角州の調べと裁きを受けることになるだろう。
 あとは政治的な力の問題になってしまうが、不思議と巌力は先の予測を暗く持たなかった。

「得どのは司祝門と繋がりのある宗教結社の調べが、州として進んでいないことを憂えておられた。これで公(おおやけ)の調査が進めば、見えなかった部分が明らかになるであろう」

 警察権力である衛士隊が介入したことで、尾州の男と司祝門の長官がなにを企んでいたのか。
 それはじきに明らかになることだ。
 巌力や得さんの目標はそこであり、やはり今日、この場で暴れたことには意味があったのだと巌力は自分自身を納得させた。
 もっとも。
 事の次第を司午(しご)屋敷で心配しているであろう、玉楊に脳内で必死に謝罪しながらのことではある。
 巌力は拘束連行され後日、州都の裁判所である司律門(しりつもん)に出頭することになった。

「あんた、いったいなにやったんだい」
「牢が狭くなっちまってかなわねえな」

 ブタ箱に放り込まれて冷たい飯を食う巌力。
 同部屋のケチな犯罪者たちに巨体を珍しがられ、煙たがられていた彼を、面会するために訪れた人がいる。

「ぎょ、玉楊さま、それに利(り)女史……」

 翠蝶(すいちょう)の侍女頭である利(り)毛蘭(もうらん)が、困り顔を浮かべて玉楊を連れて来た。
 複雑な事情があり玉楊は指名手配のかかっている身なのだが、今は一応、処分保留されている。
 人目を忍んで外に出ること自体に、支障はないのであった。
 巌力が留置所でも元気、健全であることを読み取り、玉楊は一瞬、笑顔を浮かべたが。

「なにをしているんですか、本当に」

 主人としての威厳を保つため、厳めしい顔を作ってそう説教した。

「ご心配をおかけして、まことに、申し訳のしようもなく……」
「あなたことですから、善かれと思ってしたことでしょうけれど」

 はー、と溜息を吐き、仕方ないなという顔で玉楊は言った。

「怪我は、ありませんでしたか」
「は、額に多少の擦り傷以外は、さほどのこともなく」

 目の見えない玉楊であるが、巌力が言う前にそれはわかっていた。
 血や怪我の香りに、玉楊は敏感なのだ。
 後宮に上がる自分のために、宦官になるために、男の宝物を大量の血と共に切り離したのが、巌力なのだから。
 巌力が更に傷を負う。
 それを思うだけで玉楊は全身が締め付けられるように、痛いのである。
 うんうんと安心したように頷き、玉楊は言った。

「裁きの場には、わたくしも同席します、役には立たないでしょうけれど」
「いえ、あるじがいらしていただけるならば、百人力でござる」

 心からの感謝に、巌力は意識せずとも大きな体を屈し、頭を下げるのだった。
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