黄土と草原の快男子、毒女に負けじと奮闘す ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・3.5部~

西川 旭

文字の大きさ
15 / 22
乙の巻 失われた奇書を求めて

弐ノ陸 それより僕と踊りませんか

しおりを挟む
 石棺の中で厳重に保管されていた文書。
 洞穴の外に出て、壊れてしまった橋の場所まで戻った椿珠(ちんじゅ)たちは、その内容を軽く確認する。

「うわ、古語だなこりゃあ。想雲(そううん)、任せた」
「僕もそこまで古文は得意ではないのですが……」

 難解な語句と言い回し、普段使わない文法に目がくらみ、椿珠は匙を投げた。
 じっくり一枚ずつ、噛みしめるように一字一句を想雲は追う。

「天の下に……壙(こう)と、ギ? ビ? 知らない字ですね。ギ南(なん)? という国あり……」
「また壙南(こうなん)王朝の話か」

 千年以上前の伝説の王朝、壙南。
 その実態を知るものは世間にも少なく、新資料であればこの文書は非常に重要な発見になり得る。
 しかし想雲は首をひねり、そうではないと言った。

「い、いえ、この文書の冒頭では、壙とギ南と言う国が、ある時期に並んで別々に存在したということになっています」
「聞いたことのねえ話だな」

 商売に関わらない古代史の伝説など、椿珠が詳しいわけはない。
 壙南が大きな一つの国であろうが、内情は二つの国の分立王朝だろうが、あまり興味もなかった。
 椿珠にとってこの本の価値は、どれだけの説得力を持って世の人を惹き付けるのか、奇書古伝としての魅力がどれだけあるのかという話に収束する。
 それを判断する専門的な知識も学術的な見解も、今この場にはない。

「よくわかんねえなら、あの太った宦官のオッサンに聞いてみればいいンじゃね」

 軽螢が言うのはもっともだった。
 餅は餅屋、本を見るなら読書人に任せるのが得策だ。

「馬蝋(ばろう)総太監(そうたいかん)か。そうだな、かなりの本好きだって話だ。詳しいことを教えてくれるだろう」

 皇帝の城に近侍している、宦官の馬蝋奴(ばろうやっこ)のことである。
 宦官の身でありながら学問好きが高じて、中書堂(ちゅうしょどう)の事務監督まで任されている彼だ。
 きっと正しくこの文書の価値を判断してくれると、椿珠は安心した。

「ふーんむ……?」

 想雲は古書の内容を吟味しながら、複雑曖昧な呻き声を漏らしている。

「なにか気になるのか?」
「あ、いえ、いくつか知らない読めない字はあるのですが、文法が難しいだけで、なんとか大意は掴めます」
「ならいいじゃねえか。大したもんだ。勉強の甲斐があったな」

 英才教育の賜物であり、誇っていい美点だと椿珠は素直に称賛する。
 
「そう言っていただけると嬉しいです。しかしですね」

 と想雲は、敢えてその部分に疑問を呈した。

「本当に太古の書物なら、字の形は今と大きく違うはずです。僕程度がなんとか読めるということは、この文書はそれほど古いものではないのでしょう」
「言われてみりゃそうだな」

 ちゃんと勉強している想雲だから、真っ先に気付いたことである。
 人が使う文字の形、書き方は時代とともに大きく変遷するものである。
 特に象形文字、表意文字を使用する文化圏においては、数百年間を隔てるだけで、一般人は昔の字を読めないという場合が多い。
 ちょっと勉強のできる子どもが、ざっくりとでも読めるということは、そこまで古い文字と文章でない可能性が高いのだ。
 現代日本人でも、一般の中高生が平安時代の行書を読めないことがあるように、だ。

「元号とか、書いてないん? 皇(おう)さまの名前とか」
「ちょっと、待ってくださいね。どの字が人の名前なのかも難しいので……」

 軽螢の提案はなにげに的を射ていた。
 いつどの年代に就いて書かれている文なのかは、皇帝の名前、元号を基に参照することができる。
 特に、八つの地を歴史上で統一した王や皇帝の名は、神話の時代から今に至るまで、脈々と語り継がれてきた。

「う、うーん、この『カ九(かきゅう)』という王さまの代で、壙という国は滅びたと書いていますが、聞いたこともありませんね」

 王名の記録に存在しない王の名前が出て来ていると、想雲は紙を睨みながら言った。

「分からんことが増えるばっかりだな。ここで話しててもらちが明かん。さっさと都に戻ろうぜ」

 椿珠はそう言って、何気なく想雲から文書の一枚を受けとり、見た。
 いや、見る前に気付いた違和感がある。
 紙の、手触りだ。

「なあ想雲、こいつをヤギが何枚か食っちまったのは間違いないんだよな、美味そうによ」
「はい、僕がその場をしっかり見ました」
「メエ……」

 ヤギがしょげているが、どうでもいい。
 椿珠の疑問は、紙の材質に関わることだ。

「ヤギが食ったってことは、この紙は草とか木を漉いて作ったもんだ。今の俺たちが普通に使ってるもんと同じでな」

 羊皮紙などの動物紙ではなく、植物紙である、ということだ。

「それがどうかしたんかよ」

 椿珠の気付いたことに思いが至らない軽螢が、詳しく尋ねる。
 
「俺は歴史を詳しくないが、骨董品やら美術品やらの扱いで古物の知識は多少はある。こんなに薄くて表面が滑らかな紙が作られたのは、せいぜい昂(こう)王朝に入ってからのことだ。昔はマトモな紙なんかなかったからな。割った竹とか木の板、それか銅板石板に字を彫ったもんだ」
「あ、確かに」

 椿珠の言わんことに気付いた想雲が、短く呟いた。
 石に眠っていた奇書は、せいぜい古くても二、三百年前までしか、その由来をさかのぼることはないということだ。
 さらに怪しい点に気付いた椿珠が続ける。

「ここに書かれてる右上がりの角ばった字、なんか見覚えがあるなと思ったら、あの爺さんの家で見た日記だ。ご先祖をしてた役人が書き残したって言う、あれだよ」
「要するに……どういうことだってばよ?」

 まだ混乱している軽螢。
 椿珠の代わりに、想雲が眉根をひそめて答えた。

「……この隠されていた奇書は、日記を書いたお役人さまが、自分で仕掛けた可能性が高いということですね」
「そういうことだ。爺さんの先祖が百数十年前に、このデタラメな本を自分で書いたんだ。そうして岩の中にこっそりと隠して、奇書があり、世間が騒いでいるという、嘘の日記を書き残したんだろうよ! 朝廷も皇帝も大わらわになった、なんて丁寧に情報を補足してな!!」

 後半、椿珠は興奮して古書を地面に叩きつけそうな勢いであった。
 ぽかーんと大口を開けた軽螢が、まったく分からないという顔で訊く。

「なんでそんな、下らねえことするンだ?」
「後で読んだ人間が、日記の内容を信じて、このインチキ奇書を必死で探す光景を想像したんだろうさ」

 他人が嫌がることを好む椿珠だからこそ、わかる。
 これを仕掛けている最中の犯人、奇書の捏造者は。
 きっと、踊り出したいくらいに楽しかったに、違いない。
 どんよりと肩を落として、想雲が続きを受けて話す。

「紙の品質が今の時代と同じく高いこと、墨の文字がそれほど色あせてないこと、書かれている字体がそっくりなこと。そして本当に日記の通りに、南の壙(あな)に奇書は存在したこと。ここまで証拠が揃えば、もう確実でしょうね……」

 とんでもない自作自演に巻き込まれ、良いように踊らされてしまった。
 嘘の日記と嘘の書を作成した、百数十年は前の小役人に、椿珠たちは思惑通りに振り回されてしまったのだ。
 
「あのクソジジイ、なにからなにまでこっちをバカにしやがって。いったいどうしてくれようか」

 こめかみに血管を浮き上がらせ、目も血走らせて椿珠が唸った。
 さすがに本気で、深刻な危害を老人に加えたりしないだろうが、多少のいたずらは必ずやり返してやると決意している顔だった。
 どうして自分がなだめる役をやらねばならないのか。
 不本意に損臭い思いで軽螢が説得する。

「ご先祖の日記にそんな仕掛けがあるなんて、あの爺ちゃんも知らなかったんじゃねえかな。なんせ昔の、百年も前の話なんだからさ」
「ぐ、ぬう……」

 その可能性は確かに高い。
 しかし老人に悪気がないとすれば、椿珠の怒りの矛先はどこへ向ければいいかという話になり、忸怩たる思いで歯噛みするしかない。
 なににしても、老爺にたちの悪いいたずらを仕掛ければ、気のいいお婆さんも悲しませることになる。
 かような状況は避けなければならないと、脇に立つ想雲は彼なりの責任感で、なにか良い案が出せないかと考えた。
 元々は、どうしてこんなところに奇書を探しに来たのか。
 それは、麗央那(れおな)を喜ばせるため、なにか珍しいものを探そうと、三人が同じ思いを持ったからではなかったか。

「……この、本と言っていいのかわかりませんが。紙束に書かれている内容は、荒唐無稽のようでいて、結構面白いのではないかと、僕は思います。少なくとも、未知に溢れてはいます」

 誰も知らない王朝に関しての、妄想の類が書き連ねられているのだ。
 顔も知らぬ昔の人が作った、黒歴史ノートに違いない。
 未知の塊であるという点だけは、確実である。

「だったらなんだよ。お前が面白いと思っても、こんな出所の怪しいもん、古本屋だって買い取ってはくれんぞ」

 すっかりやさぐれてしまっている椿珠が悪態を吐く。
 刺激しないように、冷静に落ち着いた口調で、想雲は述べた。

「央那(おうな)さんは、こう言った不思議な物語も好きで読んでいます。これ、そのまま央那さんへの贈り物になるんじゃないでしょうか」

 ぽりぽり、と少し恥ずかしそうに想雲は自分の頬をかき、付け足す。

「世に二つとない珍しいものかもしれませんし、僕たちが頑張って手に入れたと話せば、その冒険譚も含めて喜んでくれるのではないでしょうか」

 うんうん、と軽螢が腕を組んで頷いた。
 男三人とヤギ一匹がドタバタの果てに。
 手に入ったのは怪しい文書、名も知らぬ一役人が書いた、恥ずかしくも不思議な物語。
 麗央那の趣味には、間違いなく合致している。
 納得半分、時間経過による冷静さの復活が半分。
 腹を立てているのは自分だけだという自覚が、椿珠の怒りを鎮めた。
 ふんすー、と長い息を吐いて、椿珠も目を閉じて首肯した。

「わかった。お前らがそう言うなら、今回はこれで良しとするか」

 ほっ、と気が抜けたように安心し、軽螢と想雲は目を合せて笑った。
 
「ただし」

 と椿珠は付け加えた。

「念のために馬蝋総太監には見てもらおう。万が一にでも貴重な発見の可能性はあるからな。複製する必要があるなら、中書堂の兄さんたちに手伝ってもらえばすぐに終わるはずだ」

 機嫌が直った椿珠に、細かい心配りを算段する余裕が生まれて来た。

「それは至極まっとうな、いい考えだと思います。さすが椿珠さんです」
「ヤギがいくらか食っちまったことは、秘密にしておこうな」
「メェ……」

 こうして彼らは、少し苦労して別の橋を探し見つけた末に、河旭(かきょく)の街へと戻ったのだった。
 まったくの不意を突かれて、縁もゆかりもない赤の他人に、良いように踊らされてしまった。
 この悔しさは、椿珠の心の底に長く残り続けるだろう。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】悪役令嬢は婚約破棄されたら自由になりました

きゅちゃん
ファンタジー
王子に婚約破棄されたセラフィーナは、前世の記憶を取り戻し、自分がゲーム世界の悪役令嬢になっていると気づく。破滅を避けるため辺境領地へ帰還すると、そこで待ち受けるのは財政難と魔物の脅威...。高純度の魔石を発見したセラフィーナは、商売で領地を立て直し始める。しかし王都から冤罪で訴えられる危機に陥るが...悪役令嬢が自由を手に入れ、新しい人生を切り開く物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...