バイト先は後宮、胸に秘める目的は復讐 ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第一部~

西川 旭

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第二章 亡失の中で

十三話 思考よ、なによりも速く彼方を駆けろ

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 翼州(よくしゅう)を離れ、皇都の後宮へ向かうことが決まった。
 不安はあれどもなんとかかんとか迎えた、その出発日である。

「後宮の中では苦労するであろうが、上手いこと立ち回れ。くれぐれも俺の顔を潰してくれるな」

 玄霧(げんむ)さんが、若干投げやりな言葉で、旅立つ私を送ってくれた。
 昂国(こうこく)には八つの州がある。
 皇帝陛下がいらっしゃる宮殿、それがそびえる皇都があるのは翼州の南西だそうだ。
 厳密に言うと皇都周辺は八つの州に属さない、特別行政区のような扱いらしい。

「いろいろとありがとうございます。このご恩は決して忘れません」
「小娘が大げさなことを言う。せいぜい我が妹の翠蝶(すいちょう)に尽くしてやってくれれば、それで良い」

 そう言って、玄霧さんは私を迎えに来たお役人風の人となにか言葉を交わし。

「しばらく会うことはないであろうが、達者でな。覇聖鳳(はせお)のことは、なにかわかれば文を出す。焦らず務めながら待て」

 私は玄霧さんに懇願して、神台邑(じんだいむら)を滅ぼした連中の情報を知らせてもらっている。
 玄霧さん側ではなにか特別な事情があって、私をどうしても後宮に送りたいらしい。
 私はそこに付け込んで、後宮行きを了解する交換材料として、覇聖鳳たち戌族(じゅつぞく)青牙部(せいがぶ)の情報を知らせてくれることを求めたのだ。

「なにからなにまでありがとうございます。あ、それとですね」
「はいやーッ!」

 私が質問しようとしていたことを無視して、余韻もへったくれもなく馬を返し、仕事に戻って行った。
 仕事に忙しい男、カッコいいけどね。
 話くらいは聞いてほしいものである。

「まいっか。他の人に聞けば」

 気を取り直し、私は出立の覚悟を決める。
 後宮に入れば、しばらく翼州に戻ってくることもできないだろう。
  
「これからよろしくお願いします。麗(れい)、央那(おうな)と申します」

 私は迎えの男性と護衛のみなさんに挨拶して、馬車に荷物を積み込む。
 玄霧さんの勘違いで決まってしまった戸籍名が、私の新しい名前であり、後宮の侍女としての私を表す記号だ。
 
「こちらこそよろしくお願いします。拙(せつ)は麻耶奴(まややっこ)と申すもの。道中のご案内をさせていただきます」

 髭のない、額にしわの寄った中年男性は、そう言った。
 拙、奴、というへりくだった一人称を、私みたいな小娘相手に使っている。
 私が後宮に行くのは、単に侍女としての立場だ。
 司午(しご)家のご令嬢であり、めでたく後宮入りして貴妃になられた翠蝶さまの部屋付き使用人。
 それが私のこれからの立場であり、決して宮妃でもなんでもないんだけど。

「麻耶さん、そんなにかしこまらないでください。こんな小娘相手に」

 大人の男性にそんなにへりくだられると、かえって恐縮してしまう。

「いえいえ、拙にはこれが身に着いておりますので。どうぞお気になさらず」

 ニコニコ笑って、しかし頑なに、フランクな口調での交流を拒否られた。

「でも」

 そのとき、麻耶さんの顔を見て、私は一つの違和感に気付いた。
 髭がないのは、髭を剃っているからではない。
 大人の男性ならあるであろう、青い髭剃りあとや、わずかな剃り残しが、彼の顔にはないのだ。

「あ」

 と、気付いて、危うく言葉に出しそうになったことを、引っ込める。
 髭の生えない男性。
 男性ホルモン、テストステロンの分泌が少ない人。
 麻耶さんは、いわゆる「宦官」なのだ。
 男性機能を除去された、下半身についているアレを、ちょん切ってしまった、後宮における使用人。
 後宮で暮らす妃たちと一緒にいても、浮気して不義の子を作る心配のない、男性であって、男性でない存在。

「おや、浄身(じょうしん)したものを見るのは、はじめてにございましたかな」
「え、いや、その、はい、そうです」

 混乱している私を見て麻耶さんはカカと笑い。

「驚かれるのにもすっかり慣れました。拙のことは気になさらず、ささ、席に着いてゆっくりなさいませ。道中は長いですからな」

 そう言って私が乗るための馬車の座席を、袖で払って綺麗にしてくれた。
 浄身という言葉は、恒教(こうきょう)の中に記載されていたので知ってる。
 性欲の源である男性器を切り取ってしまうことで、清らかな体になる、という意味合いの言葉だ。
 私は奨められるがままに馬車に乗る。
 気にしないように、と意識し過ぎるあまり、結果的に硬い表情になる。

「砂糖菓子でも、いかがですかな」

 麻耶さんはそんな私を見て、おやつを紙包みから取り出した。

「ありがとうございます。いただきます」

 なにかの木の実を砂糖で煮詰めたもののようだ。
 酸味と甘みで脳が覚醒刺激され、少し冷静になった。

「ごめんなさい、びっくりしてしまって。他意はないんです」
「わかりますよ。拙も『こうなる』前は、街で奴(やっこ)を見るたび、ぎょっとしたものでした。後宮でお勤めするようになって、すっかり慣れてしまいましたな」

 ニコニコと話しながら、麻耶さんは自分もお菓子を口に放った。
 そして、視線を私の手提げバッグに移し。

「おや、恒教と泰学(たいがく)でいらっしゃいますか。お読みになるので?」

 私が脇に抱える分厚い書籍二つに、興味を示した。

「あ、はい。今、恒教を読み終わって、泰学の途中です。難しくて、行ったり来たりですけど」

 麻弥さんは機嫌よさげに微笑して頷く。

「それはよろしいことで。書を読むことは散歩にもなれば、山登りにもなります」
「どういうことですか?」

 なにか、含蓄のある話っぽい。

「軽い気晴らしや暇つぶしにもなれば、一歩一文字を踏みしめることによって、自身に知恵と力を蓄える修練にもなりましょう。どちらにしても、なにもせず不貞寝して閑居するより、有益であるには違いありますまい」
「確かに、その通りです」

 私は麻耶さんの論に完全に同意して、力強くうなずいた。
 楽しみと修練、その両方を満たすのが読書である。
 そして、意識の底にうっすらとあった、自分の偏見と先入観を恥じた。
 宦官とはなにか得体のしれない、男か女か、人か奴隷かわからないような存在であると、心のどこかでちらりと思っていた。
 しかし、当たり前の話だけど、同じ人間に決まっているのだ。
 本だって読むし、お菓子だって食べるし、立派に働いているんだ。

「麻耶さんも、恒教や泰学を読んだんですね」
「ええ、幼い頃に。拙の故郷では子どもたちは皆、恒教で字の読み書きを学んだのでございますよ」

 幼い麻耶さんが、分厚い恒教の前で文字の練習に励んでいる光景を想像すると、心が和んだ。
 ひょっとすると神台邑でも、この書物が教科書だったのかもしれない。
 軽螢(けいけい)も翔霏(しょうひ)も、物心ついたときにこの本を読んで、字を勉強したのだろうか。

「あの、麻耶さんに聞きたいことがあるんですけど、いいでしょうか? 恒教の中の記述に関してなんですけど」
「拙にわかることであれば、なんなりと」

 好機逸すべからず。

「まず最初の『天地始成、四神自生』の部分なんですけど、この四つの神さまがおのずから生まれたのか、それとも、天地が先にあるからこそ、その影響下で土に花が咲くように生まれたのか、気になってて」
「ははあ、面白いことを気になさいますな。さりとて、尊貴なる四神が野の草花と同じであろうとは考えられませんので……」

 麻耶さんは私にもわかる言葉で、丁寧にその部分の解釈を教えてくれた。
 嬉しくなってついつい、追加の質問をする。

「あとその次に『四神は八畜を地に遣わし八国を定める』とありますけど、これはそのまま今の八州を指しているんですか?」
「その通りでございます。しかしながら、あくまで古(いにしえ)の神話の語ることでございますれば、恒教に書かれる八国よりも、今の昂国八州の方が、広い土地を指す言葉になっておりますよ」

 恒教の文章が成立した大昔の国土、支配領域よりも、今の方がずっと広い、と。
 その事実が示すことは。

「神話と今の歴史の間に、領土を更に広げたすごい王さま、皇帝がいたんですね」
「ほほほ、まことにご理解の速い。伝え聞くところによりますれば、千年の昔に君臨した、壙南(こうなん)という王朝の君主がですな……」

 なんてやりとりをしながら、私と麻耶さんは恒教についての談義を交わした。
 皇都への道中、馬車の上、私は実に恵まれたことに、素晴らしい教師を得た。
 麻耶さんの教導の下、二つの分厚い書物を読み解いていたおかげで、長い長い道のりも、全く苦ではなかった。

「本に夢中になってたから、距離を測るの忘れちゃった」

 そう思った頃にはもう、皇都の長大な城壁が、視界の先に見えていた。
 南面している城壁の長さは、目測でおよそ12キロメートルちょっと!
 大きい街だなあ、と私は大口を開けてた間抜けヅラで眺める。

「翼州(よくしゅう)の北網(ほくもう)から皇都、河旭城(かきょくじょう)まででしたら、二十程よりすこし長いか、くらいのものでございますよ」
「あ、そうなんですね。意外と近いんだ」
「州として見ますれば、隣ですので」

 麻耶さんが教えてくれた道のりは、およそ270キロメートル強だった。
 馬車の速度は歩くより多少速い程度、時速6キロメートルくらい。
 途中を駅や宿場で休み休みの旅。
 しかも天候不順や怪魔の撃退もあって足止めを食ったので、出発してからここまで、十三日かかった。
 
「平均して一日、20キロ弱くらいか」
「はて、なんでございましょうか?」

 私が独り言で発した単位を、もちろん麻耶さんは知らない。

「なんでもないんです」

 覇聖鳳たち戌族の騎馬部隊は、疲れを知らぬ駿馬を駆る、と玄霧さんは言った。
 場合によっては一人が二頭の馬を管理し、馬が疲れるたびに乗り換えるのだそうだ。
 その速さは一日で軽く十程以上、下手をすると二十程近くに至る。
 約125キロメートルから、最大で250キロメートルもの距離を、たった一日で移動するのだ。
 さあ、どうやってその六倍から十二倍以上もの速度差を埋めてやろうか。

「絶対に追いついてやる。首を洗って待ってろよ」

 私は目もくらむような巨大な城門をくぐりながらも、その建物の偉容に全くの感慨も得ず。
 怒涛のように駆けていく戌族騎馬の賊徒を、脳内に思い描く。
 そいつらを打倒するすべを、必死に考えるのであった。
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