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第三章 朱蜂宮(しゅほうきゅう)
二十一話 後宮侍女怪死案件、解決編の【裏】
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翠蝶(すいちょう)貴妃殿下とその侍女一同。
早めの夕食を済ませて、夜のまったりした時間を過ごしてから、翠さまがおもむろにおっしゃった。
「そろそろかしらね」
夜も更けて、今夜は月もない。
風があったので雨降りを心配したけど、結局は午後からずっと曇りで、湿った風が吹いていた。
「行きますか」
私はムンと気合を入れ直し、立ち上がった翠さまに続く。
行先は、先だって兆(ちょう)博柚(はくゆう)佳人の侍女である彩林(さいりん)さんが「事故死」した、物品庫だ。
夜中にそんなところになんの用事があるのかと言うと。
「ほらやっぱりいたわ! あたしの勘って当たるのよね」
翠さまが声をかけ、私が提灯で照らした先。
二人の女性が、ビクッっと反応した。
物品庫の中で怯えた表情の二人は、手に布巾を持っていた。
「すすす、翠蝶貴妃。これは、これは違うのです」
「あ、あの、その、わたくしどもは、その、ええと」
こうなることを予想していなかった二人の女性は、完全に混乱していた。
二人の女性とは言うまでもなく、死亡した彩林さんの同僚にして、博柚佳人の侍女である。
「現場に残っていた指紋を、拭き取りに来たんですね」
私がそう言うと、彼女たちは泣きながら膝を崩して。
「も、もう駄目なのよ。翠貴人にすべてお見通しなんだから」
「ええ、こうなってはおひいさまの企みなんて、露と消し飛ぶに決まってるわ」
すべてを諦めた彼女たちは、この「事件」の本当の顛末を、話してくれたのだった。
と、それを開陳し、事態を仕上げる前に。
少し、時間は遡る。
中庭で硫化毒ガス実験を行った後、お茶の一服を挟んで私と翠さまが向かったところがある。
それは、彩林さんを呪い殺したと疑いをかけられていた、楠(なん)江雪(こうせつ)佳人のお部屋だ。
「おお、翠貴人、聞いてくだされ。江佳人のお部屋から、このようなものが」
そこで私たちを出迎えたのは、太監(たいかん)の銀月さんだ。
博柚佳人やその周囲の人間に呪詛をかけた、という罪で疑われていた江雪佳人は、銀月さんと他の宦官から、取り調べを受けていたのである。
銀月太監は、翠さまに木彫りの、表面が艶やかに磨き上げられた人形を見せた。
胴体部分が木目に沿って、袈裟がけにひび割れている。
「粗末な人形ねえ。こんなのがなんの呪いになるってのかしら」
人形の割れ目には髪の毛が挟まっており、背中に「呪殺」という文字が書かれていた。
わかりやすいけど、チープというか安易な印象を受けた。
「し、しかしですな、このようなものが出た以上は、江雪佳人へかけられた疑いも、あながち妄言とは……」
博柚佳人と江雪佳人が反目し合っていて、江雪佳人が呪いをかけたから、彩林侍女が不慮の死を遂げた。
その可能性を否定できないと、銀月太監は言っているのだ。
ここまでは予想通りのことだったので、翠さまが冷静さを保ったまま、こう言った。
「ならこれは私が念入りに調べるから銀月たちは引き上げなさい。ご苦労だったわね」
「そういうことでございますれば」
言われたとおりに、宦官たちは江雪さんの部屋から去った。
どれだけ翠さまはこの後宮において、権威と信頼を勝ち取っているのだろうか。
もしかすると翠さまは、呪いだとかそれに対抗する結界術の専門家なのかも?
考えると少し、怖い。
そして奥から、部屋のあるじである江雪佳人が出て来た。
「ご足労をかけて申し訳ございません、翠殿下。私どももいったい、なにがなにやら」
ゆったり腰を曲げて謝罪する江雪佳人から受けた第一印象は、柳。
もしくは、切れ長の眼と、大きめの口から連想した、蛇であった。
細く、柔らかく、しなやかで、曲線的。
縄、いや鞭のような女性だと、直観的に思った。
口のデカめな美人で、私は結構好きだけどね。
爬虫類感が可愛い。
「あんたはこの人形に覚えがないんでしょ?」
翠さまが手に持った人形を振りながら訊く。
「ええまったく。いつの間に部屋にあったものか、とんと見当もつきません」
しらばっくれている風ではなさそうである。
もちろん、人を見る目が養われていない私の観察なので、真実がどうかはわからない。
「博柚や博柚の侍女を部屋に入れたことは最近ある?」
「ええ、それこそつい昨晩のことです。うちのものが博柚さまの侍女のかたの足を踏んだとか、踏んでないとかで。お部屋に上がってもらい、少しお話をいたしました」
以前から小さなトラブルがあった関係のようだ。
それだけ聞いて翠さまは納得したようで、フンフンと頷き。
「お邪魔したわね。悪いことにはならないと思うから心配しなくていいわ」
言い残して、自室に戻るのだった。
私は翠さまに質問する。
「仲が悪いというか、博柚佳人が一方的に江雪佳人を嫌っている感じですね。なにかあったんでしょうか?」
「しょうがないわね。ご先祖が昔の大乱で敵味方に別れて戦った間柄だし」
父祖からの因縁とな。
日本で言えば源氏と平氏、水戸藩と彦根藩、お江戸と薩長みたいな関係だろうか。
身分の高い人同士だと、そういう問題が生じるのだな。
庶民で良かったと思う私であった。
「どうしようもない話ですね」
「なにより確かヘビとネズミなのよねあの二人」
「は?」
私は翠さまの言っている意味が分からず、素っ頓狂な声を上げた。
確かに江雪佳人は蛇のような妖艶さが一目で伝わる女性だけど、そう言う話ではあるまい。
「生まれた氏族の話よ。父親の方の。そういえばあんたのは聞いてなかったわね」
ん、ん?
なんの話だろう?
私の家系、父親の方は。
なんだ、わからんぞ、おじいちゃんは北陸の農家です。
武士とか公家とか、立派なものじゃないとは思う。
まるで話が通じていない様子を理解した翠さまは、ハッと気付いたような顔をして。
寂しさの混ざった小さな声でおっしゃられた。
「ごめんなさい。あんたは親御さんと便りがつかないんだったわね。わからなくても無理はないか」
「は、はあ」
「とにかく江雪と博柚はご先祖も本人同士の性格も相性最悪ってことよ」
話をまとめて、翠さまは私たち侍女に、夕餉の支度をさせたのだった。
時間は戻って、今である。
うなだれて観念している侍女二人の前で、翠さまは言った。
「この人形に付いてる指の跡は詳しく調べさせてもらったわ。あんたら博柚の関係者の痕跡が出なければいいんだけどね?」
そう、呪いの木人形を江雪佳人の部屋に忍ばせたのは、博柚佳人の自作自演なのだ。
自分を呪い殺そうとしているという話をでっち上げ、江雪佳人を貶めて、立場を弱くするために仕掛けたのだろう。
部屋に人形を置いたタイミングは、江雪佳人が話していた、昨夜のことにちがいない。
「彩林侍女の死因は江雪佳人の呪いなのだと、周りの人に、うわさだけだとしても、思わせたかったんですね。真実でないとしても、悪い風評が後宮に広がるように」
二人に語りかけるでもなく、自分への確認として私はそれを言葉にする。
この人たちが夜中に物品庫にやって来たのは、周辺に付いた自分たちの指紋を消すためと。
あとは、密室死亡を演出するために仕掛けた小道具を、回収するためだろうか。
「その紐が開かない扉の秘密? ホウキの先に括り付けて扉を閉めた後に外から引っ張ったのかしら。粗末な人形と言い手が込んでいるのか稚拙なのかわからないわね」
侍女が手に持っていた、先端が輪っか状に結ばれた細い紐を見て、翠さまがつまらなそうに言った。
紐で結ばれたホウキの枝部分を、鉄扉の下に噛ませれば、簡単にドアストッパーの出来上がりである。
私は物品庫に入って開閉の邪魔になっていたホウキを見たとき、同時にこの紐が床に散らかっているのを見た。
その時点で、この件はなにか臭いぞ、と思ったのだ。
「でも私たちは、一番重大なことを知りません」
私は蹲る侍女さんたちの手を取って優しく握り、懇願するように訊ねた。
「彩林さんは、どのように亡くなったんでしょう? あの物品庫の中で毒にやられて死んだのではないはずです」
彼女の死因は、硫化ガスの中毒ではない。
それはありえないことを、わざわざ実験した私自身が、よく知っている。
「この物品庫の中は、換気が行き届いています。窓も開いていましたし、壁下には通風孔があります。あのときは風が建物の中に吹きこんでいました。もし硫黄と鉄粉が反応しても、人間が死ぬような毒気は充満しません」
弱弱しいネズミの赤ちゃんならともかく、多少の有毒ガスが昇ったくらいのことで、いい歳した大人の人間一人が、死ぬわけはないのだ。
私の言葉を翠さまが継ぐ。
「午前のうちに倉の中でうつぶせに死んでる子があんなに蒼白な綺麗な死に顔であるはずもないわ。顔が下になって死んだ人間は顔に血が溜まって『むくむ』ものよ」
死斑というものである。
人間、死ぬと心臓のポンプによる血流がなくなり、血は重力に従って下方向に溜まっていく。
仰向けに死んだ人は顔面の血の気が失せて、首や背中側にうっ血した斑紋が出るものだ。
私は神台邑の二百を数える死体を埋葬して、それを嫌というほど、本当に嫌だと叫ぶほど、見た。
翠さまもきっと、身近で亡くなられた人を送った経験があるから知っていたのだろう。
一度や二度ならず、あったのだろう。
「だからあのご遺体はうつ伏せではなく仰向けで、しかも今日の午前中ではなく昨日のうちに亡くなったのだとわかったのです」
私の言葉に、侍女さんは声を震わせ。
「そ、そこまでおわかりになっておいでで、なぜ……」
なぜあんな茶番の毒実験を、衆人環視の中で行ったのか。
たまたまそこにいただけのネズミの子どもを死なせてまで、なぜ。
侍女の一人はその答えを求めて、私と翠さまの顔を交互に見た。
翠さまはフーと溜息を吐かれて。
「あの子は不幸な事故で死んだの。誰の呪いでも暴力でもなくただの事故。そういうことに私が『した』のよ。この央那をこき使って宦官をだまくらかしてね」
明確な、厳然たる答えだった。
これが朱蜂宮(しゅほうきゅう)の秩序を守り、西苑の統括を担う司午(しご)翠蝶(すいちょう)貴妃殿下のお考えなのである。
その語調の強さから私は深く理解した。
江雪佳人も、江雪佳人に罪を着せようとした博柚佳人も、この件に罪はなく、両者の間に恨みつらみもない。
そういうことに、無理矢理「した」のだ。
皇帝陛下や妃にとって安らぎの家である後宮に、こんなみっともない、憂いの要因が、あってはならないのだと。
衆目の面前でそれを証明するために、あの中庭の再現実験が必要だったのだ。
おそらくは、もう一つの動機も。
「す、翠さまは」
私は悔しくて少し泣きそうになったけど、気を張って。
「翠さまは彩林さんの死を辱めることなく、彼女の尊厳を守るために、このように心を砕き、手を尽くされたのです。そのお気持ちが、あなたたちにはわかりませんかッ」
溢れそうになる怒気を抑えながら、硬い口調で二人に言った。
不慮の死を遂げた彩林侍女の亡き骸を、陰謀の道具にしないために、翠さまは対処したのだ。
死者の誇りを保ちつつ、その遺骸を利用しようとした人たちまでも許すために、わざわざ骨を折ったのだ。
仕えてから間もないけど、翠さまが後宮の秩序と安寧をどれだけ懸命に守っているのか。
私はそれを今回、重々、痛いくらいに思い知った。
神台邑(じんだいむら)もいい所だったけど、次の就職先のご主人さまも負けないくらい、素晴らしい。
そんな翠さまに、こんな汚れ仕事をさせやがって。
吐かなくてもいいはずの嘘を、吐かせやがって。
怒りと苛立ちのせいで、言い方がキツくなってしまうのだった。
「は、ははあーッ……」
「かようなご慈悲を賜り、なんと、なんと申して良いか……」
侍女二人は平伏し、何度も叩頭する。
その様子を翠さまは、左手で水晶のレンズを弄びながら。
簡単には形容できない、複雑な表情で、黙って見下ろすのだった。
早めの夕食を済ませて、夜のまったりした時間を過ごしてから、翠さまがおもむろにおっしゃった。
「そろそろかしらね」
夜も更けて、今夜は月もない。
風があったので雨降りを心配したけど、結局は午後からずっと曇りで、湿った風が吹いていた。
「行きますか」
私はムンと気合を入れ直し、立ち上がった翠さまに続く。
行先は、先だって兆(ちょう)博柚(はくゆう)佳人の侍女である彩林(さいりん)さんが「事故死」した、物品庫だ。
夜中にそんなところになんの用事があるのかと言うと。
「ほらやっぱりいたわ! あたしの勘って当たるのよね」
翠さまが声をかけ、私が提灯で照らした先。
二人の女性が、ビクッっと反応した。
物品庫の中で怯えた表情の二人は、手に布巾を持っていた。
「すすす、翠蝶貴妃。これは、これは違うのです」
「あ、あの、その、わたくしどもは、その、ええと」
こうなることを予想していなかった二人の女性は、完全に混乱していた。
二人の女性とは言うまでもなく、死亡した彩林さんの同僚にして、博柚佳人の侍女である。
「現場に残っていた指紋を、拭き取りに来たんですね」
私がそう言うと、彼女たちは泣きながら膝を崩して。
「も、もう駄目なのよ。翠貴人にすべてお見通しなんだから」
「ええ、こうなってはおひいさまの企みなんて、露と消し飛ぶに決まってるわ」
すべてを諦めた彼女たちは、この「事件」の本当の顛末を、話してくれたのだった。
と、それを開陳し、事態を仕上げる前に。
少し、時間は遡る。
中庭で硫化毒ガス実験を行った後、お茶の一服を挟んで私と翠さまが向かったところがある。
それは、彩林さんを呪い殺したと疑いをかけられていた、楠(なん)江雪(こうせつ)佳人のお部屋だ。
「おお、翠貴人、聞いてくだされ。江佳人のお部屋から、このようなものが」
そこで私たちを出迎えたのは、太監(たいかん)の銀月さんだ。
博柚佳人やその周囲の人間に呪詛をかけた、という罪で疑われていた江雪佳人は、銀月さんと他の宦官から、取り調べを受けていたのである。
銀月太監は、翠さまに木彫りの、表面が艶やかに磨き上げられた人形を見せた。
胴体部分が木目に沿って、袈裟がけにひび割れている。
「粗末な人形ねえ。こんなのがなんの呪いになるってのかしら」
人形の割れ目には髪の毛が挟まっており、背中に「呪殺」という文字が書かれていた。
わかりやすいけど、チープというか安易な印象を受けた。
「し、しかしですな、このようなものが出た以上は、江雪佳人へかけられた疑いも、あながち妄言とは……」
博柚佳人と江雪佳人が反目し合っていて、江雪佳人が呪いをかけたから、彩林侍女が不慮の死を遂げた。
その可能性を否定できないと、銀月太監は言っているのだ。
ここまでは予想通りのことだったので、翠さまが冷静さを保ったまま、こう言った。
「ならこれは私が念入りに調べるから銀月たちは引き上げなさい。ご苦労だったわね」
「そういうことでございますれば」
言われたとおりに、宦官たちは江雪さんの部屋から去った。
どれだけ翠さまはこの後宮において、権威と信頼を勝ち取っているのだろうか。
もしかすると翠さまは、呪いだとかそれに対抗する結界術の専門家なのかも?
考えると少し、怖い。
そして奥から、部屋のあるじである江雪佳人が出て来た。
「ご足労をかけて申し訳ございません、翠殿下。私どももいったい、なにがなにやら」
ゆったり腰を曲げて謝罪する江雪佳人から受けた第一印象は、柳。
もしくは、切れ長の眼と、大きめの口から連想した、蛇であった。
細く、柔らかく、しなやかで、曲線的。
縄、いや鞭のような女性だと、直観的に思った。
口のデカめな美人で、私は結構好きだけどね。
爬虫類感が可愛い。
「あんたはこの人形に覚えがないんでしょ?」
翠さまが手に持った人形を振りながら訊く。
「ええまったく。いつの間に部屋にあったものか、とんと見当もつきません」
しらばっくれている風ではなさそうである。
もちろん、人を見る目が養われていない私の観察なので、真実がどうかはわからない。
「博柚や博柚の侍女を部屋に入れたことは最近ある?」
「ええ、それこそつい昨晩のことです。うちのものが博柚さまの侍女のかたの足を踏んだとか、踏んでないとかで。お部屋に上がってもらい、少しお話をいたしました」
以前から小さなトラブルがあった関係のようだ。
それだけ聞いて翠さまは納得したようで、フンフンと頷き。
「お邪魔したわね。悪いことにはならないと思うから心配しなくていいわ」
言い残して、自室に戻るのだった。
私は翠さまに質問する。
「仲が悪いというか、博柚佳人が一方的に江雪佳人を嫌っている感じですね。なにかあったんでしょうか?」
「しょうがないわね。ご先祖が昔の大乱で敵味方に別れて戦った間柄だし」
父祖からの因縁とな。
日本で言えば源氏と平氏、水戸藩と彦根藩、お江戸と薩長みたいな関係だろうか。
身分の高い人同士だと、そういう問題が生じるのだな。
庶民で良かったと思う私であった。
「どうしようもない話ですね」
「なにより確かヘビとネズミなのよねあの二人」
「は?」
私は翠さまの言っている意味が分からず、素っ頓狂な声を上げた。
確かに江雪佳人は蛇のような妖艶さが一目で伝わる女性だけど、そう言う話ではあるまい。
「生まれた氏族の話よ。父親の方の。そういえばあんたのは聞いてなかったわね」
ん、ん?
なんの話だろう?
私の家系、父親の方は。
なんだ、わからんぞ、おじいちゃんは北陸の農家です。
武士とか公家とか、立派なものじゃないとは思う。
まるで話が通じていない様子を理解した翠さまは、ハッと気付いたような顔をして。
寂しさの混ざった小さな声でおっしゃられた。
「ごめんなさい。あんたは親御さんと便りがつかないんだったわね。わからなくても無理はないか」
「は、はあ」
「とにかく江雪と博柚はご先祖も本人同士の性格も相性最悪ってことよ」
話をまとめて、翠さまは私たち侍女に、夕餉の支度をさせたのだった。
時間は戻って、今である。
うなだれて観念している侍女二人の前で、翠さまは言った。
「この人形に付いてる指の跡は詳しく調べさせてもらったわ。あんたら博柚の関係者の痕跡が出なければいいんだけどね?」
そう、呪いの木人形を江雪佳人の部屋に忍ばせたのは、博柚佳人の自作自演なのだ。
自分を呪い殺そうとしているという話をでっち上げ、江雪佳人を貶めて、立場を弱くするために仕掛けたのだろう。
部屋に人形を置いたタイミングは、江雪佳人が話していた、昨夜のことにちがいない。
「彩林侍女の死因は江雪佳人の呪いなのだと、周りの人に、うわさだけだとしても、思わせたかったんですね。真実でないとしても、悪い風評が後宮に広がるように」
二人に語りかけるでもなく、自分への確認として私はそれを言葉にする。
この人たちが夜中に物品庫にやって来たのは、周辺に付いた自分たちの指紋を消すためと。
あとは、密室死亡を演出するために仕掛けた小道具を、回収するためだろうか。
「その紐が開かない扉の秘密? ホウキの先に括り付けて扉を閉めた後に外から引っ張ったのかしら。粗末な人形と言い手が込んでいるのか稚拙なのかわからないわね」
侍女が手に持っていた、先端が輪っか状に結ばれた細い紐を見て、翠さまがつまらなそうに言った。
紐で結ばれたホウキの枝部分を、鉄扉の下に噛ませれば、簡単にドアストッパーの出来上がりである。
私は物品庫に入って開閉の邪魔になっていたホウキを見たとき、同時にこの紐が床に散らかっているのを見た。
その時点で、この件はなにか臭いぞ、と思ったのだ。
「でも私たちは、一番重大なことを知りません」
私は蹲る侍女さんたちの手を取って優しく握り、懇願するように訊ねた。
「彩林さんは、どのように亡くなったんでしょう? あの物品庫の中で毒にやられて死んだのではないはずです」
彼女の死因は、硫化ガスの中毒ではない。
それはありえないことを、わざわざ実験した私自身が、よく知っている。
「この物品庫の中は、換気が行き届いています。窓も開いていましたし、壁下には通風孔があります。あのときは風が建物の中に吹きこんでいました。もし硫黄と鉄粉が反応しても、人間が死ぬような毒気は充満しません」
弱弱しいネズミの赤ちゃんならともかく、多少の有毒ガスが昇ったくらいのことで、いい歳した大人の人間一人が、死ぬわけはないのだ。
私の言葉を翠さまが継ぐ。
「午前のうちに倉の中でうつぶせに死んでる子があんなに蒼白な綺麗な死に顔であるはずもないわ。顔が下になって死んだ人間は顔に血が溜まって『むくむ』ものよ」
死斑というものである。
人間、死ぬと心臓のポンプによる血流がなくなり、血は重力に従って下方向に溜まっていく。
仰向けに死んだ人は顔面の血の気が失せて、首や背中側にうっ血した斑紋が出るものだ。
私は神台邑の二百を数える死体を埋葬して、それを嫌というほど、本当に嫌だと叫ぶほど、見た。
翠さまもきっと、身近で亡くなられた人を送った経験があるから知っていたのだろう。
一度や二度ならず、あったのだろう。
「だからあのご遺体はうつ伏せではなく仰向けで、しかも今日の午前中ではなく昨日のうちに亡くなったのだとわかったのです」
私の言葉に、侍女さんは声を震わせ。
「そ、そこまでおわかりになっておいでで、なぜ……」
なぜあんな茶番の毒実験を、衆人環視の中で行ったのか。
たまたまそこにいただけのネズミの子どもを死なせてまで、なぜ。
侍女の一人はその答えを求めて、私と翠さまの顔を交互に見た。
翠さまはフーと溜息を吐かれて。
「あの子は不幸な事故で死んだの。誰の呪いでも暴力でもなくただの事故。そういうことに私が『した』のよ。この央那をこき使って宦官をだまくらかしてね」
明確な、厳然たる答えだった。
これが朱蜂宮(しゅほうきゅう)の秩序を守り、西苑の統括を担う司午(しご)翠蝶(すいちょう)貴妃殿下のお考えなのである。
その語調の強さから私は深く理解した。
江雪佳人も、江雪佳人に罪を着せようとした博柚佳人も、この件に罪はなく、両者の間に恨みつらみもない。
そういうことに、無理矢理「した」のだ。
皇帝陛下や妃にとって安らぎの家である後宮に、こんなみっともない、憂いの要因が、あってはならないのだと。
衆目の面前でそれを証明するために、あの中庭の再現実験が必要だったのだ。
おそらくは、もう一つの動機も。
「す、翠さまは」
私は悔しくて少し泣きそうになったけど、気を張って。
「翠さまは彩林さんの死を辱めることなく、彼女の尊厳を守るために、このように心を砕き、手を尽くされたのです。そのお気持ちが、あなたたちにはわかりませんかッ」
溢れそうになる怒気を抑えながら、硬い口調で二人に言った。
不慮の死を遂げた彩林侍女の亡き骸を、陰謀の道具にしないために、翠さまは対処したのだ。
死者の誇りを保ちつつ、その遺骸を利用しようとした人たちまでも許すために、わざわざ骨を折ったのだ。
仕えてから間もないけど、翠さまが後宮の秩序と安寧をどれだけ懸命に守っているのか。
私はそれを今回、重々、痛いくらいに思い知った。
神台邑(じんだいむら)もいい所だったけど、次の就職先のご主人さまも負けないくらい、素晴らしい。
そんな翠さまに、こんな汚れ仕事をさせやがって。
吐かなくてもいいはずの嘘を、吐かせやがって。
怒りと苛立ちのせいで、言い方がキツくなってしまうのだった。
「は、ははあーッ……」
「かようなご慈悲を賜り、なんと、なんと申して良いか……」
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そんな彼の手腕に惹かれ、集まってくるのは一癖も二癖もある高貴な美女たち。
これは、底辺から這い上がった若き伯爵が、最強の布陣で自領を帝国一の都市へと発展させ、栄華を極める物語。
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