上 下
24 / 56
第四章 皇城の泡沫(うたかた)

二十四話 零と、一と、二と、無限

しおりを挟む
 彩林(さいりん)さんの仮葬(かりそう)は、慎ましやかに、厳かに、混乱なく執り行われた。
 本来、喪主を務めるべきは、彩林さんの雇用主である兆(ちょう)博柚(はくゆう)佳人なんだけど。
 なにもせずに役立たずだったのは、キリキリ働いた私として、腑に落ちない。

「余計な口出しするより黙っててくれた方がいいわ」

 と、私のご主人である司午(しご)翠蝶(すいちょう)貴妃殿下が言った通りではあるのだけどね。
 翠さまの差配で万事つつがなく、故人を見送ることができたと思う。
 哀しい想像だけど、やっぱり翠さまは近親者の死を送った経験が、豊富なのだろう。
 人々の感情と面倒な段取りが交差し渦巻く葬送の現場を、何度も体験して、そのたびになにかを学んだに違いない。

「お疲れさまでございました」
「あんたもね」

 合間に翠さまの手足をモミモミしていたら、私もねぎらわれて、ちょっと泣きそうになった。
 私も微力ではあるけど、花を並べたり、椅子を並べたり、お棺を運んだり、せわしく務めさせていただいた。
 死者に届くかわからないけど、少なくとも送った側、私たちにとっては、いい葬儀だったと思う。
 印象に残ったのは、葬儀の最終盤のことだ。
 火葬された彩林さんのお骨を壺に入れ終わって、さらに箱に納めて封を閉じたとき。

「虚空へと安らかな旅に出た御魂(みたま)を、拙僧が念辞(ねんじ)を唱えてお送りさせていただきます」

 葬儀の監督役を務めた、沸教(ふっきょう)の学士僧、百憩(ひゃっけい)さまがそう言って、お骨が置かれている祭壇の前に歩み出た。
 彩林さんのご実家は、西方からの外来宗教である沸教の信徒だったらしいので、その縁だ。
 念辞の一部を、下に記す。

「水の如く固まり、水の如く流れ、水の如く沸く。

 沸きし水はいずれ雲となり、雨となり、海に還る。

 宇宙万物、等しくこのさだめの環の下にあるなり。

 しかれどもその身朽ちて、生の終わりに往きし道。

 其(そ)は無限の環から解き放たれし虚空なり。

 潤氏(じゅんし)の女(むすめ)、彩林の魂、今まさに虚空となる。

 むべなるかな、むべなるかな、むべなるかな……」

 言い終わって百憩さまは、錫杖の先に付いた輪っかの束を、シャンと鳴らして一礼した。
 説法の内容は、一回聞いただけでは私にはハッキリとつかめなかったけど。

「二とか八とか、きっぱり割り切れる数字を重視してる『恒教(こうきょう)』の感覚とは、ずいぶん違う気がしますね」

 葬儀後のバタバタが落ち着いた後、お茶を飲みながら先輩侍女の毛蘭(もうらん)さんに、そんな話を振ってみた。
 恒教と泰学(たいがく)という分厚い二冊の書物から、この昂国(こうこく)の常識を教わった私にとっては、意外な追悼の辞だったからだ。

「そうねえ。私はよくわからないけど、翠さまは沸教をあまりお好きではないみたいね。言ってることがはっきりしてない、って理由で」

 昂国の基礎的な価値観である恒教は、二で割り切れる事象を非常に重要視している。
 最初は慣れなかった八進数や十六進数のものの数え方、測り方も、二の累乗数であり、それは神話の時代から尊ばれている聖数なのだ。
 そこから私は恒教と昂国に流れる「哲学・価値基準」を、少し理解することができた。
 天地が二つに分かれ、四神が生まれ、八畜が国土を定めたように。
 さらにそこから様々な命が、人々の氏族が枝分かれして行ったように。
 まず「二つに割る、分ける」ことが、世界を貫く秩序の大前提として存在するのだ。
 分別して弁えることこそが、秩序という言葉の本質、とでも言おうか。
 天と地。
 自と他。
 上と下。
 右と左。
 内と外。
 善と悪。
 白と黒。
 生と死。
 男と女。
 文と武。
 敵と味方、などなど。
 世界は二極に始まりその枝分かれで構成されていると考えるのが、恒教の基本理念である。
 単純で明快、わかりやすいからこそ、その哲学は人々に広く親しまれ、普遍的であるように思える。

「特に翠さまは、はっきりしたお方ですからね」
「そうねえ。これだけ後宮に尽くしておられるのだから、早く御子が授かれば、と思ってしまうわ」

 寂しそうに毛蘭さんは呟いた。
 翠さまはかぞえで十九歳。
 同じくかぞえで十六歳である私の、三つ上だ。
 皇帝陛下より一つ年上の、姉さん女房である。
 最高の歳の差カップリング、と私の趣味傾向から、言わざるを得ない。
 ま、正妃じゃないんだけどね。
 兄の玄霧(げんむ)さんが州軍の幹部を務めていることからわかるように、司午(しご)家という名門の武官一家の生まれだ。
 五年前から後宮入りしているけど、まだ陛下との間にお子さまがいない。

「翠さまの赤ちゃんなら、きっと利発で元気で、可愛らしいでしょうね」
「ふふ、央那(おうな)もそう思う? 私も、翠さまに似た皇子さまが、お生まれになってくれればと、ずっと思っているのよ」

 有り余るエネルギーで、周囲百官を大いに振り回す、天衣無縫なプリンスになるに違いない。
 などと女二人、少し不敬で不謹慎で、それ以上に楽しいトークを繰り広げた。

「赤ちゃんかあ」
 
 一人になり、改めて考える。
 ここは後宮だ。
 後宮の役目は、皇帝の世継ぎを生産することである。
 私は恒教の、まず「原初のなにか、書かれていないもの」から天地が生じて分かたれたという記述を思い出す。
 天地始めに成る。
 それは生物の受精卵がまず最初に二つに分かれ、そして四つに分かれて多細胞生物が形成されることに似ている、と思った。
 後宮という場所は抽象的な意味でも、現実的な意味でも、受精を待っている卵細胞と、それを囲む子宮であるのだ。

「でも受精卵は『原初の一』じゃないよね。精子と卵子の合体でできるんだし」

 人は男と女が合一しなければ、新しくは生まれない。
 神話のように、謎のカオスから勝手に天地が分かれて出来上がりはしないのだ。
 原初の一、受精卵が最初に出来上がる前に必要な条件は、異なる二極、男と女の混じり合いである。
 一が二に分かれる反面、二は一に合わさる。
 異なる二つが一つになったときに、命は始まるのだ。

「この視点は、恒教にも泰学にも書いてなかった気がするな」

 考えすぎて疲労感が増した。
 あとで中書堂にでも行って、参考になる本があるかどうか、探してみよう。
 百憩さんはまだ、なんかつかみどころがなくて、苦手意識あるんだけどね。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

孤独なまま異世界転生したら過保護な兄ができた話

BL / 連載中 24h.ポイント:45,283pt お気に入り:2,617

後宮にて、あなたを想う

キャラ文芸 / 連載中 24h.ポイント:127pt お気に入り:128

役目を終えて現代に戻ってきた聖女の同窓会

恋愛 / 完結 24h.ポイント:2,712pt お気に入り:76

悪役令息の義姉となりました

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:23,136pt お気に入り:1,360

待ち遠しかった卒業パーティー

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,072pt お気に入り:1,287

王子様から逃げられない!

BL / 完結 24h.ポイント:6,626pt お気に入り:341

処理中です...