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第十章 白き髪の戦士たち
七十八話 偉大なる丈夫
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白髪部(はくはつぶ)の騎馬武者さんに護衛され、移動している間。
「人が生きるには、どうしたって土地と食い物が必要じゃということは、わかるかの?」
星荷(せいか)さんがそんな問答を口にした。
私の方から吹っかけないのに、業を煮やしたのかな。
「それはそうでしょう。寝起きするだけの場所ではなく、土地がなければ食べものも得られませんし」
土地なくして人なし、と偉い人も言った。
私の回答に気を良くしたのか、星荷さんは満足そうに目を細め、ウンウンと頷いた。
目が細いのはもとからだったか。
「白髪部の大統である阿突羅(あつら)は、十数年前に猛威を振るった疫病の惨禍を見て、部族の人口が増え過ぎるのはいかんと判断した。土地も食い物も限りがあるわけじゃからな。人を増やしすぎないことが部族の安定をもたらすと考えたのじゃ」
「へえ。理屈はわかりますけど、それを実行するなんて凄いですね」
並のカリスマやリーダーシップでは、人口抑制政策なんて上手くは行くまい。
私はまだ実感として持てないけれど、人が集まり、男女がつがえば、子どもを作りたくなるのが人情だ。
赤ちゃん、可愛いからね、ばぶばぶ。
あ~早く翠(すい)さまの赤ちゃんに会いたいんじゃあ~~。
過去の疫病と言えば、軽螢(けいけい)のお母さんが亡くなった原因でもある。
疫病が蔓延するということは、その年は気温が低く寒冷化していた可能性が高い。
農作物自体も、翼州(よくしゅう)や毛州(もうしゅう)一帯で、不作だったのだろうな。
私の思索を見透かしているかのように、星荷さんは続ける。
「人が子を産み育てたいと思うのは、天地が始まって以来の自然な情じゃ。仲間のためと言えどもそれを抑えつけようというのは並大抵のことではない。しかし、阿突羅はそれをやってのけた。どういうことかわかるか」
「そりゃあ」
私なんかが推し量れない、規格外の人物であるということだろう。
だけれど私は、そういう人たちをすでに何人か知っている。
突然やって来て邑を焼き尽くした魔王の如き男や、頼りない体の内にどれだけの殺業(さつごう)を秘めているか、得体の知れない軍師だとか。
今更、化物の一匹や二匹増えたところで、そうそうビビったりするもんかい。
と、思っていた時期が、私にも、ありました。
「紅き眼の兄者、よく来てくれた」
白髪部の領域に四つあるという都(みやこ)。
そのうちの一つ、南都と呼ばれる場所に、サーカスのような大テントが建てられている。
領内をぐるぐると行ったり来たりしている大統の阿突羅さんと、私たちはそこで会うことができた。
「いきなり押しかけてすまんのう。死ぬまでにもう一度くらい、元気な顔を見たいと思ってな」
再会を喜び抱き合う星荷さんと、阿突羅(あつら)大統(だいとう)。
毛と皮革の衣服や帽子の上に、鉄片を組み合わせた鎧や鉢金を装備した、壮年の男性である。
「ワァ……」
青銅剣を佩く憧れの勇士を間近に見て、軽螢(けいけい)は感無量と言った感じだ。
帽子の裾からは美しい白髪が覗いており、それなりの高齢であることが推察できる。
渋くて逞しいオジさま、そのレベルがカンストしていた。
三十歳若かったら、恋に落ちてたかもぉ。
「この若者たちは」
静かに、しかし重く強い視線で、私たちを一人ずつ、じっくりと見ている。
ズン、と体全身に、重たい泥でもかぶせられたかのような感覚を私は得た。
あ、圧力が、半端じゃない!
霊気だとかオーラだとかは全くわからない私だけれど、この阿突羅さんという人は、まるで、なにかが違うと、初見で思い知った。
私も、翔霏(しょうひ)や軽螢(けいけい)までもが気圧されて、一言も発せないでいる。
代わりに星荷さんが、簡単な紹介をしてくれた。
「神台邑(じんだいむら)の子たちじゃ。ほれ、この前の夏に、翼州で」
「ああ」
すうー、と長い息を吐いて、阿突羅さんは瞑目した。
そして、重厚だけれど、とても優しい声で。
「辛い思いを、したのだな」
そう言って、私たち三人の頭と頬を、分厚く皺の刻まれた手で順に撫でた。
私は彼から、たった一言かけられ、大きな掌の温もりを受けただけで。
「う、ううう、うう、ふぐううう」
溢れた涙が、止まらなかった。
ああ、そうだ。
辛い思いを、したんだ、たくさん。
今まで会った優しい人たちは、その辛さを忘れさせよう、思い出させないようにしようと、心を配ってくれた。
でも、違うんだ。
そうじゃないんだ。
私は、この辛くて身が張り裂ける思いを、そっくりそのまま抱えて進みたいんだ。
その気持ちを、真正面から、ただ純粋に受け止め、理解してくれたような気がして。
私は膝を折り、嗚咽してその場に泣き崩れるしかなかった。
「う、ひっく、じっちゃん……」
横に立つ軽螢も、尊敬している大英雄に労わられた感激か、下を向き頬を濡らす。
翔霏は鉄棍を握り締めプルプルと屹立し、上を向いて涙を溢さないようにこらえていた。
食事が用意されている香りが漂って来たけれど。
私たちが泣き止むまで、阿突羅さんたちは、黙って待ってくれたのだった。
「お、お見苦しいところを」
椅子代わりに置かれた、巨大なアンモナイトの化石。
私たちはそこに腰を掛けて、白髪部の大統である阿突羅さんの饗応を受けている。
いきなりみっともなく、唐突にめそめそ泣いてしまい、その非礼を私は詫びた。
「いい」
短く言って、阿突羅さんは馬乳酒を少し、口に含んだ。
私たちはお酒を遠慮したので、お茶やホットミルクを頂いて、食事に併せている。
阿突羅さんと上座を譲り合って、結局は座らされた星荷さんが、蒸留酒を飲みながら言った。
「のう、良くできた白き髪の弟よ。こやつら、ワシが止めるのも聞かんで覇聖鳳を殺したいとぬかしおる。一つ、言い聞かせてやってくれんか」
こいつ、そんな魂胆で白髪部の土地まで私たちについて来たのか!?
やっぱり船の上から突き落としておくんだったわい!
そんなことしちゃったら、無事にここまで来られてないんだけどね。
「そうか」
阿突羅さんの言葉は短く、間も長い。
深く熟考して言葉を出すタイプの人なんだろう。
ペラペラとお喋りの多いやつは信用できないし言葉も軽い、と世間ではよく言われるからね。
再度、酒で口を潤した阿突羅さんは、義兄に請われて、語り始めた。
「おれがはじめて戦に出たのは、数え十三の秋だった。ことを成すのに、若さは関係ない」
若いから危ないことをするな、とは阿突羅さんは言わないらしい。
この人も若い頃から切った張ったしてたんだな。
翔霏は軽くウンウンと頷いた。
話が分かる人で助かる、と思っていたけれど。
お酒を挟んで放たれた、続きの言葉は違った。
「しかし、お前たちの命は、これからも長い。恩讐でこの先の生を費やすのは」
途中で言い淀んで、再度、阿突羅さんはじっくり言葉を選ぶ。
そして、私たちの顔をじっくり、一人ずつ見てから、こう言った。
「天が、お嘆きになるだろう」
私は少し、意表を突かれ、呆気にとられた。
親兄弟や友人知人が哀しむ、と言うのではなく。
天が嘆く、とは。
意味を汲み取れていない私に言い聞かせるかのように、阿突羅さんはゆっくりと続けた。
「戦(いくさ)であれば、為さねばならぬときがある」
「おっしゃる通りだ。敵は戦って、倒さねばならない。自分だけではなく、仲間のためにも」
翔霏が自信を持って答えた。
阿突羅さんはそれを否定することなく、ウム、と深く頷き、言を繋ぐ。
「戦でなければ、その争いは私闘、獣同士の噛み合いである。そこに義はなく、天下に益もない」
ぐうの音も出ない、正論である。
私たちが覇聖鳳を狙うのは、完全な私怨であり、それ以上の大義名分はない。
覇聖鳳を殺したって、神台邑のあの人たちは、帰ってこないのだから。
「天も、お前たちに『為さねばならぬ』ことを、与えたもうたはずだ。それに殉ずることが義である」
戦士が仲間を守るために剣を振るうように、農家さんが畑仕事に汗を流すように。
やるべきことをやるのが命であり、人生だと、阿突羅さんは言いたいのだろう。
復讐を果たしても、途中で野垂れ死んでも、どちらにせよ「義」も「益」もないということだ。
だけれど、それはまったく正しいに違いないけれど。
私たちはそれでいいと思っているのだ。
たとえ天が望んでいなくても、獣のような憎しみから始まった、自分勝手な闘争だとしても。
むしろそうだからこそ、三人一緒に、くじけずにやって来られたのだ。
この戦いは、他の誰のものでも、天下のためでもない。
ただ、私たちだけのものなんだ!
だから、誰にも邪魔はさせないんだ!!
優しく、正しく、そして厳かな阿突羅さんの「気」を感じながらも。
それに負けじと意地を張り、私は彼に言い返す。
「義は、あるんです」
「ほう」
本当に、純粋に興味深そうな顔で、阿突羅さんが私を見た。
この人は確かに凄い人だけれど、他人の話を聞いてくれる。
ちんちくりんの、若輩で初対面の私なんかの意見も、真剣に耳を傾けてくれる。
そこがある意味で、私にとっての、付け入る隙だった。
私の答えは、こうだ。
「泣いている子どもがいます。覇聖鳳がこの空の下に生きている限り、その子は泣きやまないんです。ずっと、泣き続けているんです」
「子が。それは、どこにいる」
真摯な目で私に問いかける阿突羅さん。
瞳が一層輝いたように見えたのは、彼もきっと子を持つ一人の親であるからだろうか。
小さな可愛いお孫さんもいるかもしれない。
視線を逸らさず、自分の胸を親指の先で差し示し、きっぱりと言ってのける。
「ここです。私がいつも、心の中で泣いています。早く覇聖鳳を殺してちょうだいって、私が、私自身に、泣いて頼んでいるんです」
今度は、阿突羅さんが呆気にとられる番だった。
よほど好きであるはずの、手に持った酒の杯を口に運ぶのを忘れて。
理解が及ばない、という顔をしていた。
「私の胸を流れる涙は、覇聖鳳を殺すまで止まりません。私は、私という泣き虫な女の子、たった一人を救うために、覇聖鳳を殺すんです」
無茶苦茶な理屈を聞いて、最初に軽螢が笑った。
「アハハ、麗央那(れおな)がそんな弱っちい女の子かよ。こりゃ傑作だ」
ククク、と翔霏もこらえきれずに喉を鳴らした。
少々の羞恥心を抱えながら、私は決めの台詞を放つ。
「子どもの笑顔は、いつでも守られるべきもののはずです。笑顔を守るための戦い、それが私の義であり、私は私の義を貫いて、私自身を救います」
聞き終えて阿突羅さんは、じいっ、と黙って私を見つめる。
ひょっとしたら、睨んでいるのかもしれないけれど。
凄い気当たりで、体中の関節が頼りなく浮いてしまい、心臓が握りつぶされてしまうような錯覚に襲われるけど。
退かないぞ。
誰であろうと、私の邪魔はさせないと、後宮を出て行くときに、自分自身に誓ったんだ。
武者震いの中、真っ直ぐな視線を阿突羅さんに返す。
しばらく沈黙が続いたのち、阿突羅さんは杯に残っていた酒を、ぐびりと飲み干した。
「猫ではなく、虎の仔か」
それを聞いて、星荷さんはやれやれと頭を抱える。
阿突羅さんは私たちを説得することを、断念したのだ。
酒のおかわりを星荷さんに注いでもらい、阿突羅さんはこの場に来て以来、はじめて笑う。
実に楽しそうに、しわがれた声で、こう言ったのだ。
「おれも、覇聖鳳を殺してやりたいと思っている」
「人が生きるには、どうしたって土地と食い物が必要じゃということは、わかるかの?」
星荷(せいか)さんがそんな問答を口にした。
私の方から吹っかけないのに、業を煮やしたのかな。
「それはそうでしょう。寝起きするだけの場所ではなく、土地がなければ食べものも得られませんし」
土地なくして人なし、と偉い人も言った。
私の回答に気を良くしたのか、星荷さんは満足そうに目を細め、ウンウンと頷いた。
目が細いのはもとからだったか。
「白髪部の大統である阿突羅(あつら)は、十数年前に猛威を振るった疫病の惨禍を見て、部族の人口が増え過ぎるのはいかんと判断した。土地も食い物も限りがあるわけじゃからな。人を増やしすぎないことが部族の安定をもたらすと考えたのじゃ」
「へえ。理屈はわかりますけど、それを実行するなんて凄いですね」
並のカリスマやリーダーシップでは、人口抑制政策なんて上手くは行くまい。
私はまだ実感として持てないけれど、人が集まり、男女がつがえば、子どもを作りたくなるのが人情だ。
赤ちゃん、可愛いからね、ばぶばぶ。
あ~早く翠(すい)さまの赤ちゃんに会いたいんじゃあ~~。
過去の疫病と言えば、軽螢(けいけい)のお母さんが亡くなった原因でもある。
疫病が蔓延するということは、その年は気温が低く寒冷化していた可能性が高い。
農作物自体も、翼州(よくしゅう)や毛州(もうしゅう)一帯で、不作だったのだろうな。
私の思索を見透かしているかのように、星荷さんは続ける。
「人が子を産み育てたいと思うのは、天地が始まって以来の自然な情じゃ。仲間のためと言えどもそれを抑えつけようというのは並大抵のことではない。しかし、阿突羅はそれをやってのけた。どういうことかわかるか」
「そりゃあ」
私なんかが推し量れない、規格外の人物であるということだろう。
だけれど私は、そういう人たちをすでに何人か知っている。
突然やって来て邑を焼き尽くした魔王の如き男や、頼りない体の内にどれだけの殺業(さつごう)を秘めているか、得体の知れない軍師だとか。
今更、化物の一匹や二匹増えたところで、そうそうビビったりするもんかい。
と、思っていた時期が、私にも、ありました。
「紅き眼の兄者、よく来てくれた」
白髪部の領域に四つあるという都(みやこ)。
そのうちの一つ、南都と呼ばれる場所に、サーカスのような大テントが建てられている。
領内をぐるぐると行ったり来たりしている大統の阿突羅さんと、私たちはそこで会うことができた。
「いきなり押しかけてすまんのう。死ぬまでにもう一度くらい、元気な顔を見たいと思ってな」
再会を喜び抱き合う星荷さんと、阿突羅(あつら)大統(だいとう)。
毛と皮革の衣服や帽子の上に、鉄片を組み合わせた鎧や鉢金を装備した、壮年の男性である。
「ワァ……」
青銅剣を佩く憧れの勇士を間近に見て、軽螢(けいけい)は感無量と言った感じだ。
帽子の裾からは美しい白髪が覗いており、それなりの高齢であることが推察できる。
渋くて逞しいオジさま、そのレベルがカンストしていた。
三十歳若かったら、恋に落ちてたかもぉ。
「この若者たちは」
静かに、しかし重く強い視線で、私たちを一人ずつ、じっくりと見ている。
ズン、と体全身に、重たい泥でもかぶせられたかのような感覚を私は得た。
あ、圧力が、半端じゃない!
霊気だとかオーラだとかは全くわからない私だけれど、この阿突羅さんという人は、まるで、なにかが違うと、初見で思い知った。
私も、翔霏(しょうひ)や軽螢(けいけい)までもが気圧されて、一言も発せないでいる。
代わりに星荷さんが、簡単な紹介をしてくれた。
「神台邑(じんだいむら)の子たちじゃ。ほれ、この前の夏に、翼州で」
「ああ」
すうー、と長い息を吐いて、阿突羅さんは瞑目した。
そして、重厚だけれど、とても優しい声で。
「辛い思いを、したのだな」
そう言って、私たち三人の頭と頬を、分厚く皺の刻まれた手で順に撫でた。
私は彼から、たった一言かけられ、大きな掌の温もりを受けただけで。
「う、ううう、うう、ふぐううう」
溢れた涙が、止まらなかった。
ああ、そうだ。
辛い思いを、したんだ、たくさん。
今まで会った優しい人たちは、その辛さを忘れさせよう、思い出させないようにしようと、心を配ってくれた。
でも、違うんだ。
そうじゃないんだ。
私は、この辛くて身が張り裂ける思いを、そっくりそのまま抱えて進みたいんだ。
その気持ちを、真正面から、ただ純粋に受け止め、理解してくれたような気がして。
私は膝を折り、嗚咽してその場に泣き崩れるしかなかった。
「う、ひっく、じっちゃん……」
横に立つ軽螢も、尊敬している大英雄に労わられた感激か、下を向き頬を濡らす。
翔霏は鉄棍を握り締めプルプルと屹立し、上を向いて涙を溢さないようにこらえていた。
食事が用意されている香りが漂って来たけれど。
私たちが泣き止むまで、阿突羅さんたちは、黙って待ってくれたのだった。
「お、お見苦しいところを」
椅子代わりに置かれた、巨大なアンモナイトの化石。
私たちはそこに腰を掛けて、白髪部の大統である阿突羅さんの饗応を受けている。
いきなりみっともなく、唐突にめそめそ泣いてしまい、その非礼を私は詫びた。
「いい」
短く言って、阿突羅さんは馬乳酒を少し、口に含んだ。
私たちはお酒を遠慮したので、お茶やホットミルクを頂いて、食事に併せている。
阿突羅さんと上座を譲り合って、結局は座らされた星荷さんが、蒸留酒を飲みながら言った。
「のう、良くできた白き髪の弟よ。こやつら、ワシが止めるのも聞かんで覇聖鳳を殺したいとぬかしおる。一つ、言い聞かせてやってくれんか」
こいつ、そんな魂胆で白髪部の土地まで私たちについて来たのか!?
やっぱり船の上から突き落としておくんだったわい!
そんなことしちゃったら、無事にここまで来られてないんだけどね。
「そうか」
阿突羅さんの言葉は短く、間も長い。
深く熟考して言葉を出すタイプの人なんだろう。
ペラペラとお喋りの多いやつは信用できないし言葉も軽い、と世間ではよく言われるからね。
再度、酒で口を潤した阿突羅さんは、義兄に請われて、語り始めた。
「おれがはじめて戦に出たのは、数え十三の秋だった。ことを成すのに、若さは関係ない」
若いから危ないことをするな、とは阿突羅さんは言わないらしい。
この人も若い頃から切った張ったしてたんだな。
翔霏は軽くウンウンと頷いた。
話が分かる人で助かる、と思っていたけれど。
お酒を挟んで放たれた、続きの言葉は違った。
「しかし、お前たちの命は、これからも長い。恩讐でこの先の生を費やすのは」
途中で言い淀んで、再度、阿突羅さんはじっくり言葉を選ぶ。
そして、私たちの顔をじっくり、一人ずつ見てから、こう言った。
「天が、お嘆きになるだろう」
私は少し、意表を突かれ、呆気にとられた。
親兄弟や友人知人が哀しむ、と言うのではなく。
天が嘆く、とは。
意味を汲み取れていない私に言い聞かせるかのように、阿突羅さんはゆっくりと続けた。
「戦(いくさ)であれば、為さねばならぬときがある」
「おっしゃる通りだ。敵は戦って、倒さねばならない。自分だけではなく、仲間のためにも」
翔霏が自信を持って答えた。
阿突羅さんはそれを否定することなく、ウム、と深く頷き、言を繋ぐ。
「戦でなければ、その争いは私闘、獣同士の噛み合いである。そこに義はなく、天下に益もない」
ぐうの音も出ない、正論である。
私たちが覇聖鳳を狙うのは、完全な私怨であり、それ以上の大義名分はない。
覇聖鳳を殺したって、神台邑のあの人たちは、帰ってこないのだから。
「天も、お前たちに『為さねばならぬ』ことを、与えたもうたはずだ。それに殉ずることが義である」
戦士が仲間を守るために剣を振るうように、農家さんが畑仕事に汗を流すように。
やるべきことをやるのが命であり、人生だと、阿突羅さんは言いたいのだろう。
復讐を果たしても、途中で野垂れ死んでも、どちらにせよ「義」も「益」もないということだ。
だけれど、それはまったく正しいに違いないけれど。
私たちはそれでいいと思っているのだ。
たとえ天が望んでいなくても、獣のような憎しみから始まった、自分勝手な闘争だとしても。
むしろそうだからこそ、三人一緒に、くじけずにやって来られたのだ。
この戦いは、他の誰のものでも、天下のためでもない。
ただ、私たちだけのものなんだ!
だから、誰にも邪魔はさせないんだ!!
優しく、正しく、そして厳かな阿突羅さんの「気」を感じながらも。
それに負けじと意地を張り、私は彼に言い返す。
「義は、あるんです」
「ほう」
本当に、純粋に興味深そうな顔で、阿突羅さんが私を見た。
この人は確かに凄い人だけれど、他人の話を聞いてくれる。
ちんちくりんの、若輩で初対面の私なんかの意見も、真剣に耳を傾けてくれる。
そこがある意味で、私にとっての、付け入る隙だった。
私の答えは、こうだ。
「泣いている子どもがいます。覇聖鳳がこの空の下に生きている限り、その子は泣きやまないんです。ずっと、泣き続けているんです」
「子が。それは、どこにいる」
真摯な目で私に問いかける阿突羅さん。
瞳が一層輝いたように見えたのは、彼もきっと子を持つ一人の親であるからだろうか。
小さな可愛いお孫さんもいるかもしれない。
視線を逸らさず、自分の胸を親指の先で差し示し、きっぱりと言ってのける。
「ここです。私がいつも、心の中で泣いています。早く覇聖鳳を殺してちょうだいって、私が、私自身に、泣いて頼んでいるんです」
今度は、阿突羅さんが呆気にとられる番だった。
よほど好きであるはずの、手に持った酒の杯を口に運ぶのを忘れて。
理解が及ばない、という顔をしていた。
「私の胸を流れる涙は、覇聖鳳を殺すまで止まりません。私は、私という泣き虫な女の子、たった一人を救うために、覇聖鳳を殺すんです」
無茶苦茶な理屈を聞いて、最初に軽螢が笑った。
「アハハ、麗央那(れおな)がそんな弱っちい女の子かよ。こりゃ傑作だ」
ククク、と翔霏もこらえきれずに喉を鳴らした。
少々の羞恥心を抱えながら、私は決めの台詞を放つ。
「子どもの笑顔は、いつでも守られるべきもののはずです。笑顔を守るための戦い、それが私の義であり、私は私の義を貫いて、私自身を救います」
聞き終えて阿突羅さんは、じいっ、と黙って私を見つめる。
ひょっとしたら、睨んでいるのかもしれないけれど。
凄い気当たりで、体中の関節が頼りなく浮いてしまい、心臓が握りつぶされてしまうような錯覚に襲われるけど。
退かないぞ。
誰であろうと、私の邪魔はさせないと、後宮を出て行くときに、自分自身に誓ったんだ。
武者震いの中、真っ直ぐな視線を阿突羅さんに返す。
しばらく沈黙が続いたのち、阿突羅さんは杯に残っていた酒を、ぐびりと飲み干した。
「猫ではなく、虎の仔か」
それを聞いて、星荷さんはやれやれと頭を抱える。
阿突羅さんは私たちを説得することを、断念したのだ。
酒のおかわりを星荷さんに注いでもらい、阿突羅さんはこの場に来て以来、はじめて笑う。
実に楽しそうに、しわがれた声で、こう言ったのだ。
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絶望の果てにたどり着いた辺境の村で、レイナはひっそりと薬を作り始める。だが、彼女の薬はどんな難病さえ癒す“奇跡の薬”だった。
やがて重病の王子を治したことで、彼女の正体が王家の“隠し子”だと判明し、王都からの使者が訪れる――
「あなたの薬に、国を救ってほしい」
導かれるように再び王都へと向かうレイナ。
医療改革を志し、“薬師局”を創設して仲間たちと共に奔走する日々が始まる。
薬草にしか心を開けなかった少女が、やがて王国の未来を変える――
これは、一人の“草オタク”薬師が紡ぐ、やさしくてまっすぐな奇跡の物語。
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
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●本作は「ボロ雑巾な伯爵夫人、旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます。」からの続き作品です。
前作では、二人との出会い~同居を描いています。
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