後宮の侍女、休職中に仇の家を焼く ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌~ 第二部

西川 旭

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第十章 白き髪の戦士たち

八十二話 駆け込み文伝え

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 小休止に立ち寄った邑の出口。
 私たちは突骨無(とごん)さんの監督下に入り、東を先行する斗羅畏(とらい)さんの軍を追うため、まさに出発しようとしていた、そのときである。

「あなたたち、昂国(こうこく)の人だよね? 大統さまと一緒に戦ってくれるの?」

 邑人の女性が笑顔で声をかけて来てくれた。
 手には中身が満杯の革水筒を抱えている。

「そうです、ご縁がありまして」

 私も笑顔を返す。
 女性は私に水筒を渡して、手を握ってすがるように言った。

「青牙部(せいがぶ)の横暴は、北方に広く響いているわ。どうか負けないように、私たちの分まで頑張って。これ、みなさんで飲んでね」

 中を確認すると、原料はわからないけれど、濁り酒だった。
 今まで飲んだお酒とは違う、ピリッとした独特の香りがするな。
 お母さんが好きだった、ラフなんとかという傷薬のような匂いのウイスキーを思い出す。

「ありがとう、お姉さん」
「きっとイイ土産話を持ってまた来るよ!」

 翔霏(しょうひ)が頭を下げ、軽螢(けいけい)が調子のいいことを言って、私たちは馬を出し、先を急いだ。
 名前も知らない縁もゆかりもない誰かも、私たちを応援してくれる。
 ワガママで戦っているだけなのに、身に余る幸福だと、私は目尻をわずかに濡らすのだった。

「紺さんって言ったな。あんた、おやじが怖くないのか?」

 道すがら、馬上で訊ねる突骨無さん。
 先ほどの睨み合い、突骨無さんが割って入ってくれなければ、私たちはあの場で殺されていたかもしれないのだ。
 翔霏はほっかむりの中に、自慢の長く美しい三つ編みを纏め上げて隠しながら答えた。
 覇聖鳳(はせお)たちに会敵した際、一目でバレないための工夫だろう。

「怖いさ。しかし、他人の怒りよりも、強大な敵よりも、もっと怖いものはある」
「そりゃあ、なんだい」
「自分の中の怒りが、消えてしまうことだ。私が、私でなくなることだ」

 キラリと瞳の奥を輝かせて言い放った翔霏に、わたしはたまらない気持ちで、うんうんと首肯した。
 覇聖鳳と戦い、倒す。
 息の根を止める。
 私たちはそのために今、この大地の上に存在している。
 そのありようを否定されるということは、私たちの命を、生を否定されるのと同じなのだ。

「羨ましいな……」

 どこか寂しげに、けれどそれ以上に優しい面持ちで、突骨無さんは笑った。
 たった一つのやりたいことのために、命のすべてを使い尽くす。
 立場のある突骨無さんには、きっとできないことなのだろう。
 そんなやりとりをしていたときである。

「申し上げます。申し上げます。旦那さま」

 私たちを追いかけるように、必死の早足で馬を駆けて来た伝令がいる。

「どうした、落ち着け」

 突骨無さんは彼を安心させる声をかけ、自分が持っていた水を飲ませた。
 私がさっき貰ったお酒はおそらく味が濃そうなので、疲れている人にいきなり飲ませるのには水の方が良かろうという判断だ。
 伝令のお兄さんは、ははあ、と恐縮してゴクンゴクンと飲み下した。
 それから早口に言うには、次の通りである。

「はい、はい、落ち着いて申し上げます。こちらに、翼州(よくしゅう)は神台邑(じんだいむら)の三人の子が伴をしていると聞き、わたくし、文を伝えるために参りました。どうしてもこの文を三人に渡せと、赤目(せきもく)の大僧(たいそう)からの、固い命でありました」
「沸(ふつ)のオジキが?」

 赤目の大僧と言うのは、つい先だって私たちと別れた、星荷(せいか)さんのことだろう。
 南都で待っているはずだけれど、気になることがあるので手紙を寄越してくれたのかな。
 突骨無さんの母親が誰かはわからないけれど、父親の義兄なのだから、伯父扱いしても不思議ではないね。

「はい、不肖、このわたくしめが斧烈機(ふれき)大人(たいじん)、いえ、今は星荷とお名乗りなさる沸(ふつ)の大僧さまより、直に文を預かっております。若旦那さまに立ち会っていただけるのであれば、文の内容も確かなものであると、証を立てていただけるものと存じます」
「麗央那(れおな)さん、受け取ってくれ。並足の上でも読めるか?」

 私は頷き、伝令さんから文書を受け取って、馬上でなんとかそれを広げる。
 なるべく歩を止めたくない突骨無さんは、若干のスピードを落として馬を操ってくれた。
 手紙には朱色の筆文字が、殴り書きに近い荒い文字で走っており、そこからすでに事態の急を告げているようであった。

「結論から記す。
 覇聖鳳のやつめ、雇った刺客をおぬしらにも向かわせよった。
 これは赤目部(せきもくぶ)の近親が寄越してきた、信頼のおける報せじゃ。
 身内の恥を晒すようで心苦しいが、赤目部も一枚岩ではないのでのう。
 中には覇聖鳳と陰に手を結んで、各所で暗躍しておる輩がおることは、おぬしらも知っておろう。
 清濁併せ呑む、妖魔の如き除葛(じょかつ)の若造を暗に殺すは行い難しと思ったか。
 それともおぬしら三人の追跡を、同等の脅威と認めたのか、それはわからん。
 しかし確かなことは、おぬしらは覇聖鳳を狙うだけの立場ではないということじゃ。
 おぬしらも、とうとう狙われる立場になりよった。
 これも万物流転、万象循環、変わらざるもの非ざるなりという理じゃろうか。
 むべなるかな。むべなるかな。むべなるかな」

 以上のことが、書かれていた。
 ほう、覇聖鳳が。
 ほうほう、私たちに、殺し屋を。
 私が読み上げた内容を聞いて、軽螢(けいけい)が。

「あは、あはは、ハハハハハ!」

 翔霏も。

「くっくく、ふふふ、はーっはっはっ!」

 もちろん、私も。

「けけ、けけけけ、ひゃひゃひゃひゃひゃ!!」

 狂ったように、笑い出した。

「ヴァアアア!! ヴァアアアア!!」

 ヤギまでもがつられて雄叫びを上げた。
 正気を保って唖然としている突骨無さんと、怯えた顔の伝令さん。
 
「な、なにを笑ってる?」
「お、おいたわしや、気が……」

 理解できない二人に、私は満面の笑みを浮かべ。
 さっき邑を出るときに貰った、濁酒(どぶろく)入りの革水筒を。

「えいやっ!!」

 と道の脇に思いっきり投げ捨てて、言った。

「これが、笑わずにいられますか!? あの覇聖鳳が、女や子どもを殺しても、仲間を殺されても顔色一つ変えないあいつが!!」
「俺たちごとき、たった三人を、怖がってるなんてなァ」

 軽螢の台詞に翔霏が突っ込む。

「お前はものの数に入っていないと思うが」

 爽快過ぎて、頭がおかしくなりそうと言えば、そうかもね。
 今まで私たちはわざと、隠密ではなく、本名を隠さずに戌族(じゅつぞく)の領域を旅して回った。
 私たちがうろうろしているぞ、近付いているぞ、と覇聖鳳にいつか伝わることを見越してだ。
 それがやつに対して、いくばくかのプレッシャーになればいいと願ってね。

「やっと、思いが伝わったかあ。麗央那(れおな)、感無量!」
「毒入りの酒をしれっと渡すなんて、つまらん手だ」

 元々お酒を控え気味にしていた翔霏が、嘲るように言った。
 そう、お酒を渡してきた見知らぬお姉さんが、殺し屋の手がかかった第一号だったわけね。
 
「なんか覚えのある刺激臭だなーと思ったけど、あれ、トリカブトだわ! それを香辛料とか香草で誤魔化してたんだわ!」
「しょんべんが近くなっちまうと思って、飲まずにいて良かったなァ」

 私の見解を聞いて、ちょっと残念そうに軽螢が溢す。
 うん、きみの好みそうな、背が高くふくよかなお姉さんだったからね。
 楽しそうに話す私たちに、突骨無さんはいやいやいや、と首を振り、提案する。

「あんたらは南都に戻った方が良い。護衛を付けさせるから、オジキと一緒に待っていてくれ」
「断る」

 翔霏がドヤ顔で拒絶。
 突骨無さんは、若干お説教をするような、たしなめる口調で言う。

「覇聖鳳と戦う。それは義のある行いで、あんたらの怒りも十分に伝わっている。しかし、あんたらが殺し屋から追われているとなれば話は別だ。暗闇から忍び寄る刺客を避けて逃げることは、なんの恥でもない」

 いちいち言うことがもっともなイケメンに、私は毅然と反論する。

「だからこそ、なんです。覇聖鳳はとんでもない過ちを犯しました」
「どういうことだ」
「私たちに殺し屋を放ったということは、私たちは死ぬかもしれません」
「だから、安全な場所で身を守ってくれと、俺は言っている」

 にちゃぁ、と私が笑う。
 それを見ておそらく翔霏は、私の考えがわかったのだろう。
 虎視眈眈、との言葉が似合う、悪い顔を私と翔霏は見合わせる。
 身内を囮にする作戦を平気で立てる、切れ者の突骨無さんだけれど、よその子である私たちには、基本的に優しいのだ。
 その優しさが、あなたの叡智を曇らせるのです。
 首狩り軍師の域に達するには、お互いまだまだですね。
 私は彼にドヤ顔で言った。

「いっそのこと、さっきのトリカブト酒で私たちは死んだことにしましょう。突骨無さんはその情報を、わざとらしくない程度に、お仲間さんに知らせてください」
「んなあ」

 言葉を失い、面白い顔をする突骨無さん。
 イケメンの表情が大きく変化するのが大好きなどうも私です。
 翔霏も楽しそうに拳の関節をペキペキと鳴らす。

「覇聖鳳のやつも、まさか死人が背後から襲って来るとは思うまい。余計な企みで墓穴を掘ったな」

 そう、死んで欲しいのなら、望みどおり死んでやる。
 死んだはずの私たちが、思いもよらない方向から、お前に一撃を喰らわせてやるぞ。

「伝令さん、お手数ですけど南都の星荷さんにも、そのようによろしくお伝え願いますか」
「ああ、あなたさまたちはなにをお考えか、小人のわたくしめには皆目わからぬ。しかし、わからぬまでも、言いつけられた務めは果たしましょう。わたくしめはきっと、南都に戻り行きてこのことをお伝えしましょう。翼州の三人は、道半ばにして刺客の手に斃れたのだ、と。恐ろしい、まことに恐ろしいことでございます」

 敵を欺くにはまず味方から。
 私たちと関係の深い人が私たちの死を知れば、それだけ大きな説得力になる。
 独特な話し方の伝令さんを見送り、私たちは突骨無さんとも一時の別れを決める。
 
「私たちは死にました。これからはもうお気になさらず、みなさんは覇聖鳳との戦いに集中してください」
「美味しいところだけ持って行くことになるが、悪く思うな」
「兄ちゃんは死ぬなよ」
「メエェ」

 私と翔霏は同じ馬に、軽螢は暗い色の布をかぶせて目立たない姿に変身したヤギに乗る。
 再出発した私の背中に、突骨無さんが叫ぶ。

「麗央那さん! 紺さん! 戦いが終わったら、二人とも俺の嫁になってくれ!! 他の野郎に渡すのは惜しすぎる!!」
「ごめんなさいちょっと無理です」
「貴公にそれほど興味はない」

 イケメンがノータイムでお断りされて。

「ぎゃははははははは。残念~~~!!」
「メェ~~……」

 軽螢が実に腹の立つ笑い方をしていた。
 ヤギはちょっと同情している感じだった。
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