上 下
35 / 54
第十一章 林間に煌めく火花

九十一話 商人の視点

しおりを挟む
 この邑に翼州(よくしゅう)から無理矢理に連れて来られた人が、いるのかどうか。
 あまり派手に探し回るわけにも行かないし、なにより覇聖鳳が弱っているなら早くトドメを刺しに行かなければならない。
 私たちは適度な休息と物資の補充を済まし、覇聖鳳(はせお)が本拠としている移動集落へと、足を転じることに決めた。
 と言っても覇聖鳳は本拠地を一つに決めていないので、数ある移動集落の内、どこに戻ったのかは不明なのだけれど。

「なんか、怪我をしたって話だからねえ。温泉が近い『重雪峡(じゅうせつきょう)』の近くで、休んでるかもしれないわね」
「確か奥方の邸瑠魅(てるみ)さまが重雪峡で療養してるはずじゃて。御母堂や他の奥方も、呼んでるかもしれんの」

 気安い世間話のテイを保ち、椿珠(ちんじゅ)さんと軽螢(けいけい)が邑の人から貴重な情報を獲得してくれた。
 邸瑠魅、生きてたのかよ!
 重い怪我を負っていたはずなので、脅威はないと思うけど。

「邸瑠魅ってのは、どんな女だい。名前と、背が高いらしいってくらいしか俺は知らないんだ」

 椿珠さんの質問に、翔霏(しょうひ)が氷のような無感情で返答した。

「片目のバカで、私が散々ブッ叩いてやったから今は瀕死のはずだ。それ以上でもそれ以下でもない」

 それを聞いて、たしなめるつもりなのか、からかうつもりなのか判然としない表情で、椿珠さんが言う。

「ただそれだけの死にかけの女を、覇聖鳳は連れて帰って傷の手当てをしてる。それがどういうことなのかを考えた方が良い。人間、価値のないものを大事にはしないもんだ」
「む……」

 言われた翔霏だけでなく、私もその問いには頭を悩ませるのだった。
 後宮を襲ったとき、翔霏にぶつける時間稼ぎの駒として、確かにあのとき、覇聖鳳は邸瑠魅を使い捨てにした。
 自分の仲間が何人と斃れても顔色一つ変えない覇聖鳳のことなので、そこまでは納得できる。
 けれど環(かん)貴人を人質にして逃げられる算段が付いた途端、他の負傷兵は見殺しの置き去りにしたのに、覇聖鳳は邸瑠魅を保護し、連れ帰ったのだ。
 筋が、理屈が通らないではないか。
 まるで、戦の最中とそれ以外の時間とで、覇聖鳳の人格が入れ替わっているのではないか、と思うくらいに、行動がチグハグなのだ。
 その噛み合わなさは、まさに今私たちがいる、この邑の光景からも感じ取れることで。

「きゃはは、俺の勝ちー!」
「待てよー! 今、ズルっこしただろー!」
「あたしも混ぜてー」

 道の端で石投げをして遊んでいる子どもと、その輪に入ろうとする別の子たち。 
 豊かな雰囲気はないけれど、この邑は平和で、楽しそうだ。
 若い男性が邑の中に少ないのは、兵隊に取られているのか、商売で駆けずり回っているのかだろうけど。
 子どもたちは、元気良く笑顔いっぱいで過ごしている。

「奥さん、干し芋あるんだけど、食べるかしら?」
「あら嬉しい。ちょうどいいお日さま加減だし、お茶にしましょうよ」

 年配のお母さまたちは、乏しいおやつに鍋たっぷりのお茶を用意し、仲良く卓を囲んでおしゃべりに興じる。
 温かい日中はなるべく外にいるようにしているらしく、民家の軒先にテラス席を構えてのティータイムである。

「積極的に日光を浴びないと、病気になっちゃうからかな」

 私の独り言じみた発言に、椿珠さんが補足する。

「こんな小さな邑じゃ、冬場に野菜なんてほんの少ししか食えないだろうからな。その代わりに茶をがぶ飲みするんだ。環家(うち)の主要品目でもある」

 ああ、新鮮な野菜を摂取できずに不足するビタミンを、お茶で補ってるのか。
 たまには羊やヤギを潰して食べることもあるだろうし、野山の獣を狩ることもあるかもしれない。
 けれどそれはどうしても限定的だったり不安定な収穫だから、わずかでも安定的に食料を輸入しないと、どうしようもないのだ。

「おっきいヤギだね!」
「こっちのおにいさんもおっきい!」
「ねーねー、なにかおかし、もってない?」

 邑の様子を観察していると、三つ子らしき幼児集団に絡まれた。
 ヤギと巌力さんが大人気である。
 昂国や北方に来てからと言うもの、双子すら見かけたことがほぼなかった。
 急に同じ顔の子どもが三人揃ってじゃれ付いて来たので、非日常感が凄い。

「豆菓子をくれてやるから、向こうに行きな。お兄さんたちは忙しいんだ」

 甘く煮詰めて乾燥させた豆を、子どもたちの手に握らせる椿珠さん。

「え? あー、きれいなおねえさんだとおもったら、きれいなおにいさんだー?」
「おねえさんだったら、とうりょうのおよめさんになれたのにね!」
「とうりょうは『めんくい』だから、きれいなおねえさんが、だいすき!」

 きゃははと笑いながら、三つ子は次の遊び場を探し求めて、走って行った。
 ふうん、覇聖鳳はルッキズムの信奉者であったか。
 言われてみれば邸瑠魅も長身でボーイッシュではあるけれど顔は整っていた。
 人質として後宮の妃を連れ帰るときも、翠(すい)さまより環(かん)貴人の方に、明らかに高い興味を示していたよな。
 けっ、これだから男ってやつはよぉ。
 そして、素朴な冬服で着ぶくれしていると、ますます男女どちらなのかわからない椿珠さんであった。

「椿珠兄ちゃん、ガキが苦手なン?」
「大人数でキャンキャン騒がれるとな、頭が痛くなるんだよ」

 軽螢の何気ない質問に、渋い顔で答える椿珠さん。
 お酒の飲み過ぎで神経が変調してるから、子どもの声が過敏に気にかかるんじゃないですかね。
 と、私は失礼な感想を胸に抱いた。

「……境界の邑でもそうだったが、子どもたちに覇聖鳳を怖がっている様子が、微塵もないんだな」

 楽しげに去って行った三つ子を眺め、翔霏がぽつりと言う。
 そう、私たちにとっては忌々しいことに、認めたくないことだけれど。
 覇聖鳳は、邑の人、特に子どもたちに慕われている。
 決して恐怖と暴力で領民を従わせている独裁者ではないのだろう。
 神台邑(じんだいむら)や朱蜂宮(しゅほうきゅう)を襲撃したときの、触れれば切れるような一面を見せていた覇聖鳳と。
 境界の邑で斗羅畏(とらい)さんと一騎打ちをしたときの、雲や風のように軽く柔軟な表情を見せていた覇聖鳳と。
 どちらが本当の、やつの素顔なのか。
 あるいはどっちも、覇聖鳳という人間の中に矛盾せず同居する性質なのだろうか。
 わからない、今の私には、わからなかった。

「重雪峡ってのはどうやら、山の中にある温泉保養地らしい。見たところ天険の要害でもあるから、覇聖鳳が逃げ隠れて骨休めをする場所としては最適だな」

 地図を確認しながら、椿珠さんが次の目的地について説明してくれる。
 雪が解けて積もって重なってを繰り返し、果てに氷のように固まって重くなるから、重雪峡と言う名前らしい。
 しかしここで静かなる牡牛、巌力さんが。

「奴才は政(まつり)も兵法も分からぬ身でござるが」

 と謙虚に前置きし、痛いところを突いた発言をくれた。

「覇聖鳳めが温泉で休息している、と周囲に思わせておいて、実は白髪部(はくはつぶ)の、なんと申したか、族長選挙に強行して向かってしまったのであれば、如何(いかが)いたす」

 気になってるのはそれなんだよね~。
 覇聖鳳が人を驚かせるために無茶をするのはいつものことなので、巌力さんが心配している展開になる可能性も、確かにあるのだ。
 こっそりと素早く、覇聖鳳が輝留戴(きるたい)の選挙会議に向かったのであれば、私たちの重雪峡行きは空振りに終わる。
 かと言って、悪い話ばかりでもない。

「そこまで裏をかかれたら、完全に私たちの負けです。でも、だとしたら環貴人だけでも頂戴して、ゆっくりと次の作戦を考えましょう」

 私の言葉に、補足としての安心要素を翔霏と軽螢が付け加える。

「覇聖鳳がそんな小賢しいことを考えていたとしても、会議で発言権を得られるほど多くの票数を持っているわけでもないだろう。足がかりとなる境界の邑も失ったわけだからな」
「そうそう。阿突羅(あつら)の親分さんや知恵者の末息子にやり込められて、大した収穫もなくスゴスゴと青牙部の領内に帰って来るンが関の山だろうな。だったら首をかく機会はいくらでもあると思うぜ」
 
 それを聞いて椿珠さんが納得する。

「突骨無(とごん)のことか。俺も兄貴たちの商売にくっついてた頃に、何度か顔を見たことがある。あいつは武骨な連中が多い白髪(はくはつ)では珍しく、話が分かるやつだ。環家もあいつに投資して、次の大統に収まってもらおうと画策したくらいだからな。おっかない親爺サマに『余計なことはするな』と睨まれて断念したがね」
「節操なさすぎでしょ、環家の商売。そんなだから家宅捜索されるんですよ」

 私はついつい呆れて突っ込んでしまった。
 隣の国の大統選挙まで、お金を動かしてどうこうしようと考えていたのか。
 わかってないな、という憎たらしい顔で椿珠さんは言う。

「人材に投資するのは商売の基本で、最終到達点でもあるからな。そいつが成功すれば得られる利益は数千、数万倍じゃ表せないケタに膨れ上がる。商人がその機会を黙って見過ごせるわけはないだろ」

 機会損失こそが、最大の不利益。
 それは古今東西を問わず、商業の鉄則である。
 実家のやり口に複雑な感情を持ってはいても、やはり椿珠さんは根っから商人の息子なんだなあ。
 ともあれ、次の指針と目的の場所が決まった私たちは、作戦会議を切り上げて先を急ぐことにした。
 その矢先、邑の出口付近にて。
 小さな赤ちゃんを二人も抱いて、洗濯ものを運んでいる若いお母さんがいる。
 逞しいなあ、どこにあっても母は強しだ。
 そのヤングなママを、軽螢がじっと見つめている。
 いくら好みのタイプでも、人妻はいかんぞ、人妻は、なんて私が思っていたら。

「……砂図(さと)姉ちゃん?」

 様々な感情が入り混じった声で呟いて、軽螢はその女の人の下へ、走って行った。
 人妻はいかんぞ、軽螢~~!!

「砂図さん? 石数(せきすう)の姉の、砂図さんか!?」

 驚きの声とともに、翔霏も続いて駆け出した。
 え、ま、まさか。
 神台邑の関係者が、ここに!?
 声をかけられた女の人は、私たちを見て驚きの表情を浮かべ。

「ひ、人違いです……!」

 そう言って、慌てて逃げ出すのだった。
 な、なんで逃げるの!?
しおりを挟む

処理中です...