翠の蝶と毒の蚕、万里の風に乗る ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第四部~

西川 旭

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第十八章 雪解けと若芽

百五十四話 霧中の一歩

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 玄霧(げんむ)、母港、もとい実家に帰る。

「馬鹿なことはしていなかっただろうな」

 司午(しご)屋敷に着いて私の顔を見るなり、そんな失礼な発言をブチ込んできやがった。

「ええ、おかげさまでとても穏やかに毎日を過ごしておりますわ。おほほ」
「なにか悪いものでも食ったか。明日は医者に行け。昔から世話になっている先生がいる。信頼できる方だ。お前のような可哀想な頭の娘でも、親切に話を聞いてくれるだろう」

 本気で心配すんなや、至れり尽くせりが逆に腹立つわ。

「うるせーですっつーの。マジなにもなく、平和ですよ」
「そうか」

 途端に私なんかへの興味をさっぱり失ったかのように、話題を変えて玄霧さんは言った。

「除葛(じょかつ)のやつは、河旭(かきょく)の郊外の屋敷で謹慎している。事実上の軟禁だな」
「え、あ、はい、そ、それはなにより」

 魔人は、無事にお縄につき、囚われた。
 玄霧さんや国のお役人さんたち、仕事をキッチリと進めてくれていたようだ。
 これから厳しい取調べが、姜(きょう)さんには待っているんだろう。
 上着を脱いで自分で衣装掛けに、きびきびとした動きで吊るす玄霧さん。
 気のせいかもしれないけれど、玄霧さんは使用人とかに体を触られるのを、どうも嫌っているっぽい。
 良いとこのお坊ちゃんの割には、なんでもかんでも、自分でやる癖がついているからだ。
 神経質なんかな。
 結婚したくねえタイプだのう。
 失礼な感想を抱いている私に気付かず、帰宅後の荷物整理をしながら若干の早口で玄霧さんが話す。

「角州公(かくしゅうこう)が、翠蝶(すいちょう)の身の周りの不穏をかなり詳しく調べて河旭に情報を送ってくださった。国境で開催される市場の件も含めて、俺はしばらく州庁府で話すことになる。屋敷の細かいことは、引き続きお前たちに任せたぞ」
「ええ、それは承知しています。あと、その市場のことなんですけど」

 私と翔霏(しょうひ)も行くつもりです、と話す前に。

「もう正午を過ぎたか。司祝門(ししゅくもん)に行かねば」

 バタバタと忙しく再び出かける準備をして、玄霧さんは風のようにいなくなった。
 司祝門というのは宗教関係のことを管理する、お役所の部署だ。
 翠さまの呪い、それを仕掛けたインチキ法師たちに関するお話をしに行くのだろう。

「なんか早回しで動画を見てるみたいだな。玄霧の帰宅後ルーチーン、二倍速って感じ。お気に入りしてる視聴者は私だけのマイナーチャンネル」

 私たちも人のことを言えないけれど、玄霧さんのせっかちは度を越しているように、たまに思う。
 翠(すい)さまのお兄さんだから、仕方ないか。
 と言う事情で、玄霧さんとそして巌力(がんりき)さんもお役所の人たちと外で話していることが多い。
 私たち女衆は前とさほど変わらずに、屋敷内の雑務に従事していた。

「央那(おうな)さん、これ、僕たちからのお土産です」

 玄霧さんに続き、お屋敷に帰った想雲(そううん)くん。
 河旭で手に入れたという書籍を三冊、私にプレゼントしてくれた。

「えっホント、うわすっごい嬉しい。って言うかこの題名のない本はなに?」

 中に一つ、新品の紙にさっき書きましたと言うほどに綺麗な、紙の束を糸で綴じただけの本があった。
 題名も作者名もなく、どんな本なのかすら表紙からはわからない。
 他の二冊は、虫や植物の図巻と、持ち歩きに便利な小さい難読字典だった。
 字典はおそらく、軽螢(けいけい)からのプレゼントだろうな。
 この中では一番、安そうだし。

「その本については僕もはっきりわからないのですけど、昔のお役人さんが想像で書いた、さらに古代の伝説のお話である、というもので。古伝に記されていないような架空の王朝や王の物語が、書かれているようです」
「なにそれ意味わかんなくて超アガるし。要するに名前も残らない誰かが書いた黒歴史ノートじゃん。ごめんなさいね~読んじゃうけど呪わないでね~ウフフ」
「は、ハァ……」

 想雲くんが若干、引いているけれど気にしない。
 私は思いがけず手に入った珍品にハスハスして、眠る翠さまの傍らで読書の蟲になる。

「へえ、この王様は支配している全土の様子を、自分の子である各地に派遣した王子たちの目を通して知ることができたそうですよ」

 若干のSF的な要素もありそうな話を、私は翠さまに読み聞かせる。
 大昔にいたと設定されている凄い王国の凄い王さまは、文字通りに「全土」を、王子たちの目を通して見て知ることができた、という話らしい。
 要するにネットで常に王子カメラが映すライブ映像が繋がっていて、必要であればアーカイブもできる、みたいな仕組みだ。
 しかし、と私は名も顔も知らぬ誰かが書いたこの設定に、疑問を持つ。

「派遣した王子がどうでもいいものばっかり見てるとか、実は行った先で視力薄弱になってしまって物が見えないとかだったら、意味ないシステムですよね。王子の中には王さまに反感を持ってて、なんとかしてデタラメの視覚情報を送ろうとした子がいるかもしれないし」

 自分で見ていない、王子たちの目というバイアスを通してしか入手できない映像と情報に、どれだけの価値があるのか。
 本当にそれは真実を映しているのか。

「ならあんたは頑張って自分の目で本物を見にあちこちへ行きなさいな」

 私の幻聴か、と思った。
 翠さまの声で、私の独り言や思索に対する回答が聞こえたのだ。
 室内には他に誰もおらず、幻聴でないなら翠さまが言ったに違いないけれど。

「す、翠さま?」
「むにゃ。すぅ、すぅ」

 いくら確認しても、今までどおり安らかに眠り続ける翠さましか、この部屋にはいないのだった。

「これも今、私が聞きたがってる言葉でしかないのかな」

 他者ではない、自分の感覚に身を委ねても。
 人は、私は見たいものしか見ないだろうし、聞きたいことしか聞かないだろう。
 王子たちの目を通して四方八方を見ていた幻想の王さまも、自分が見たくないものは結局、見なかったに違いない。
 人が識(し)る世界はどうしても狭く、偏りがあり、目に映るのも「思い込み」と言う名の色眼鏡フィルターがかかった虚像だらけなのだ。

「私にとっての『本物』かあ」

 少なくとも今現在、私が自分の目で見たい、この手に触れたいと本心から思っているのは、翠さまの産む赤ちゃんだ。

「辛いこともあるけど、世界は素敵で楽しいよ。早く会えるといいね」

 翠さまのお腹をそっと撫でる。
 返事のつもりなのか、わずかに中から蹴り返して来たような気がした。
 
「明日には出発だね」

 日を重ねて、国境市場の開催が目前に迫った。
 寝たきりだというのに翠さまは食欲が以前よりも増して、お粥のようなドロドロ食品も難なく嚥下できるようになった。
 私は翠さまのお世話に数日の空白を作ることに後ろめたさを感じながらも、お出かけセットを準備している。

「軽螢(けいけい)は『行けたら行く』と言っているようだ。期待しないでおこう」

 翔霏(しょうひ)が翼州(よくしゅう)からの定期連絡を読みながら言った。
 神台邑(じんだいむら)の再建、最初の青写真を作る作業は、なかば軽螢と椿珠(ちんじゅ)さんに任せっきりになっている。
 翠さまが子どもを無事に産んで後宮に戻った暁には私たちも合流する予定だけれど、まだ先の話。
 長老の孫とやさぐれ商人がタッグを組んで造る新しい邑というのも、夢とロマン溢れる物語であるな。
 角州にいる私たちの側でも、新しい門出がある。

「想雲くんにとっては武官見習いのお仕事始めだね。怪我をしないで無事に終わると良いけど」
「角州左軍の仲間たちに囲まれているんだ。危ないことなどあるまい」

 玄霧さんと想雲くんは、軍のみなさんと一足早く現地入りして、準備や警戒にあたっている。
 お父さんと一緒の仕事に取り組める機会とあって、想雲くんは目に見えて張り切り、現場である国境の砦へ向かって行った。

「出店だけで百以上かあ。意外と集まったもんだね」
「なにせはじめてのことだからな。様子見で顔を出したい店が多かったんだろう。次に繋がるかどうかは知らないが」

 市場開催は当初、小規模でも仕方ないという空気が流れていた。
 どれだけのお客さんが来るか未知数だし、暴威で鳴らした旧青牙部の人間を怖がる人が多かったからだ。
 しかし、角州公爵家がみずから、宝物のいくらかをこの市場で放出すると宣言した日から、流れが変わった。
 その話を受けた斗羅畏(とらい)さんサイドも「余剰の毛皮や獣骨を処分したいのだが、買い手はいるだろうか」と角州に相談を持ちかけた。
 ここからはもう、雪崩のように出店希望者が続出し、最終的には抽選まで行われて百を超えるお店が並ぶことになったのだ。
 おめでたい話が進む裏で、私の中にある不安要素と言えば。

「玄霧さんは、戌族同士が揉め続けてくれた方が都合が良いって考えてる人たちが、姜(きょう)さんの他にもたくさんいるって言ってた」

 翔霏は腕を組んで目を閉じ、フムと呟いて返答する。

「実際そうなのだろう。あの若白髪の軍師が軟禁されていようが、なにかを起こしたいやつはあちこちに潜んでいるのだろうな」
「でも斗羅畏さんたちと角州が仲良くなれば、他の勢力がおいそれと斗羅畏さんに手出しできなくなるよね?」

 パワーバランス、抑止力による平和というものだ。
 他の氏族はどうあれ、斗羅畏さんは今回の交流が上手く行けば、相互防衛という面で他の勢力を一歩、先んずる。
 小さな、けれど大事な一歩だ。
 フッと皮肉っぽく笑い。
 珍しく、本当に珍しいことに、翔霏が泣きそうな顔で呟く。

「私たちの邑を焼いたような連中を、頭目が変わったからといってこんなにも、気にしてやる日が来るなんてな……」

 彼女の言葉に、私はなにを返していいのか、わからなかった。
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