神聖国 ―竜の名を冠する者―

あらかわ

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9.  アノニマス 1

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 遠くから聞こえる悲鳴と鼻を刺す鉄臭い匂いに、これは《アノニマス》による襲撃に間違いないとテイトは確信を得た。
 すぐさま仲間の一人に援軍を呼ぶよう命じ、残りの三人にはこちらに人数の不利がある分、敵を退けることよりも市民の救助を優先するよう指示を出した。

「向こうの人数は分かりませんが、こっちより多いことは必至だと思います。今は戦うよりも市民の避難経路の維持に努めましょう」
「分かった」

 緊張した顔で頷き合い、それぞれ武器に手をかけて慎重に街の中に足を踏み入れた。
 
 街は中心部から襲撃されているらしく、街の端に位置する地点では住人達も何が起こっているのか把握していないようであった。
 街の中央から見える黒煙に「火事かー?」と暢気な声を上げている者がいることは、ある意味幸せなことであろう。
 その人波を掻き分けて襲撃地点に近付くと、先程感じた鉄臭さも強くなったためテイトは顔を顰めた。

「慣れねぇな、これ」
「……慣れたくもないよ」

 未だに軽口を叩くリゲルにどこか安心しながら、テイト達はそのまま中心部へと急いだ。

 風で流れてきた煙に息苦しさを覚えるようになる頃、パニックに陥った様子で何事か叫びながら走ってくる者とすれ違ったため、どちらからともなく口を噤んだ。
 目的地はおそらく近い。
 歩調を緩めて索敵に意識を割きながら更に進んだところで魔法を使って建物を破壊する敵の存在を捉え、互いに目配せして距離を開けた。

 敵に気付かれないように建物の陰に隠れて、先ず状況を判断しようとテイトは周囲を見回した。
 この街に到着したのは、現時点では自分たちだけで間違いないようだ。
 仲間が集まるまではできるだけ身を潜めながら街の人を逃がそう、とテイトは裏で逃げる者の手助けを行った。

 しかし、敵の行動が破壊活動から殺人に切り変わると、それは一気に難しくなった。
 次第に大きくなる悲鳴と怒号によって聴覚も役に立たなくなる中、逃げる人々を追うように火の手が伸びたのが見え、テイトは慌てて建物の陰から飛び出してその間に入り込んだ。
 それと同時に魔法で自身の短剣に水を纏わせて、迫り来る火を横一線に薙ぎ払った。

「っテイト!」

 心配する仲間の声が聞こえたが言葉を返す余裕はなく、テイトはただ眼前に佇む敵を見据えた。
 対峙する相手は全身を茶色い外套ですっぽりと覆っていたためその姿形は分からなかったが、テイトを目にした瞬間面倒臭そうに舌打ちしたことだけは分かった。
 明らかな敵意にテイトは短剣を握り直した。

(敵の数は……目視できるのは三人だけど……)

 テイトは冷静に視線を巡らした。
 建物が炎上している所為で黒煙が視界を邪魔し、確認できる範囲は広くない。
 故に、三と言う数字が合っている保証はない。
 しかしそれは向こうも同じ筈だ、とテイトは短剣を構えた。

(不利な状況で戦う必要はない、せめて時間稼ぎができれば……)

 相手は魔道士。
 距離を詰めて一対一に持ち込めばテイトにも勝ち目はあるが、一つのことに気を取られれば他の魔道士に攻撃をされる可能性が高まる。
 向こうもこちらの人数を把握できていないだろうから、このまま距離を取ってプレッシャーだけでも与えられれば、きっと一人でも多くの者を逃がすことができるだろう。
 そうして時間を稼げば、いずれ仲間が合流するはずだ。

 《アノニマス》を追い払うのはそれからでも遅くない。

 建物の倒壊には仕方ないが目を瞑り、テイトは時には身を隠して魔法を避け、逃げる者が襲われそうな時には間に入ってその攻撃を妨害し続けた。
 徹底的に交戦を避けた立ち回りに相手が段々と苛立ってくるのが分かったが、それと同時に不信感も与えてしまったらしい。
 こちらの人数的不利を悟ったのか、テイトに攻撃を仕掛ける魔道士が二人になると魔法を避けるのもいよいよ厳しくなったが、それを見計らってリゲルも敵の前に姿を現してテイトと同じように立ち回り始めた。
 それでも状況が好転することはなく、テイト達は防戦一方でジリジリと後退するのみであった。
 こちらを攻撃する敵が更にもう一人と増えると完全に相手主導の攻防となってしまったため、テイトは苦しさに思わず顔を歪めた。

 前線を引き上げて被害をもう少し抑えたいのが本音だが、仲間の到着がいつになるかは依然分からない。
 どうか早く来てくれと焦りが生まれた時、敵の魔法が動きの鈍ったリゲルの左足を掠め、崩れ落ちるようにリゲルがその場に蹲ったのが見えた。

「リゲルっ!」
「っ大丈夫だ、心配ない!」

 リゲルは声を張り上げて返してくれたが、苦悶の表情を浮かべて左足を押さえたまま一向に立ち上がる気配がなかった。
 更なる追撃が来る前にリゲルの元へ、と動き出そうとしたテイトの耳に突如として幼い子供の泣き声が聞こえ、テイトははっと息を呑んで声の方に視線を向けた。

「ママぁー、パパぁー」

 煤汚れた幼い女の子が、大きな泣き声を上げてぬいぐるみを片手によたよたと歩いている。
 その姿にテイトは一瞬自身の妹を重ねて固まってしまった。

 その隙を敵が見逃さなかったと気付いたのは、外套の隙間から覗く口元がニヤリと弧を描くのが見えたからだった。
 敵がリゲルと女の子の両方に手を向けた時、テイトは手足が冷たくなる恐怖を感じた。
 
 左手に見える子供を守ればリゲルが危険に晒され、右手に見えるリゲルを守れば子供が危険に晒される。

 分かっているのに、分かっているからこそ、テイトは動けなかった。

「っバカ、子供を守れっ!」

 喧噪の中、子供の泣き声とリゲルの怒号だけが嫌に鮮明に聞こえた。
 テイトは歯を食いしばって子供の方へと駆けた。

 それは、リゲルを見捨てる選択だった。
 
 後悔に似た感情に支配されているというのに、何故か頭は冷静だった。
 一歩出遅れた故に自分の負傷の確率が上がった、と敢えて短剣を利き手とは逆の手に持ち替える余裕があった。
 そして、子供と迫り来る火の魔法の間に割り込むと左手を思い切り振り上げた。
 
 リゲルの方はもう見ることができなかった。

「――……ぇ?」

 その時、己の目を疑う出来事が起こった。
 敵の魔法はテイトの目の前で、まるで最初から放たれていなかったかのように、跡形もなく消失したのだ。
 
 驚き目を瞠るテイトの眼前には、同じように驚き立ち尽くす術者の姿があった。
 敵も意図したことではなかったのだと気付き、テイトは半ば呆然とリゲルの方へ視線を移した。
 蹲った体勢は変わらないが、そこに見えるリゲルの無事な姿にテイトは泣きたくなるほどに安堵した。

 少し気が緩むと同時に背に庇った子供の存在が思い出され、テイトは慌てて振り向いた。
 泣きじゃくっているが怪我はない様子の子供と視線を合わし、指で方向を指し示しながら逃げるよう声をかけると、子供は泣き顔のまま頷いて一目散に走り去っていく。
 それを見送っている間に動揺から立ち直ったのか、敵が再度魔法を発動する素振りを見せたため、テイトはリゲルとの距離を一息に詰めて魔法を纏わせた短剣で迎え撃とうと構えに入った。
 しかし、やはりそれはテイトに届く前に綺麗さっぱりと消え去ったため、敵は酷く狼狽した様子で一歩後退った。

 何が起こっているかは明らかではないがこれは自分達にとっては紛れもなく好機だ、とテイトは敵を警戒したままリゲルの怪我を窺った。

「……一体何が?」
 リゲルが唖然とした様子で呟いた。

 リゲルの左足のズボンは真っ黒に焼け焦げ、そこから覗く膝から足首にかけてが重度の火傷を負ったような状態になっていた。
 真っ赤に焼けただれた悲惨なその足を見るにこれ以上の戦闘継続は不可能と判断を下し、テイトは唇を噛んだ。

「リゲル、立てる?」
「あ、あぁ、なんとか」

 リゲルは我に返った様子で返事をし、ゆっくりと立ち上がりながら顔を苦痛に歪めた。

「――っお怪我はありませんか?」

 この場に似つかわしくない声に、テイトとリゲルは弾かれたように振り返った。

「レンリさん!?」
「レンリちゃん!?」

 駆け寄る姿を見てほぼ同時に声が漏れた。
 そして、ここが安全地帯ではないことも思い出し、テイトはリゲルと近寄ってきたレンリの手を取り、黒煙に紛れるように建物の陰へと誘導した。
 移動した際にリゲルがうっと呻いた気がしたが、テイトは構わずレンリを見つめた。

「っレンリさん、どうしてここに?」
「何かお手伝いができれば、と」
「だけど、ここは安全じゃないし、僕たちだって自分たちのことでいっぱいで、貴女を守る余裕もない」

「私、魔法が使えました」

 テイトは一瞬黙り込んで、それから信じられないものを見る目でレンリを凝視した。

「まさか……」

 リゲルも同じ考えに至ったようで、言葉を失ってレンリを見つめている。

 不自然に消えた敵の魔法。
 その正体を量りかねていたが、それは、彼女の魔法だったのか。

「……レンリさんが、僕たちを助けてくれたんですか?」
「魔法を使うという感覚はまだよく分かりませんが、守りたいと願ったら、お二人を守ることができました。――無事で、よかった」

 泣きそうな表情で微笑まれて、テイトもリゲルも言葉が出てこずに口を噤んだ。
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