神聖国 ―竜の名を冠する者―

あらかわ

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60.  異変

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 酷い戦いだった。

 なんとか相手を退けることには成功したが、こちらにも多くの怪我人と死者が出てしまった。

 アスバルドに似て入り組んだ造りの街では、油断していればすぐに仲間とはぐれてしまうような状態だった。
 一度道に迷えば集中的に狙われてしまい、魔法を使う相手と一対一で戦うことを強いられては明らかに分が悪く、独りになってしまった仲間が再び隊列に戻ることはなかった。

 遮蔽物の多いサラファでは意味を成さなかったも知れないが、それでも、レンリがこの場にいてくれれば状況はまた変わったのだろうかと考えずにはいられなかった。

 戦いが終わった後も地獄だった。
 目に見えて重傷な者に関してはシンが大方の治療をしてくれたのだが、如何せん人数が多すぎた。
 怪我を負っていない者を探す方が難しいような状況下では、流石に彼も疲労を隠せなかったのか、中傷、軽傷者の手当を他に任せる判断を下した。
 仲間にとってはそれも不満を募らせる一因となったのだろう。
 予想を外した、魔法での守護や治療も中途半端だ、とわざと大きな声で愚痴を漏らす者もいた。
 しかし、全て聞こえていただろうに、シンは何も言わなかった。

 元々、自分たちの仲間に強力な魔道士は存在していなかった。
 敵の襲撃地を予測できたこともなければ、そもそもそんなことができるとも思っていなかったし、怪我をすれば自分たちで手当を行うことが当たり前だった。
 それなのに、魔法の恩恵を知ってしまったばかりに、シンに過度な期待をしていることにも気が付いていない様子である。

 テイトはやんわりと諫めたが、仲間の死や悲惨な光景を目の当たりにしては、彼らも普通の精神状態ではないことも分かっていた。
 誰かを攻撃することで、自分たちはよくやった、悪くないのだ、と言い聞かせたい気持ちもよく分かった。

 満身創痍で拠点に戻った時には、既に日が暮れようとしていた。
 諸々の報告は明日で構わないから今日はよく休むように、と全員に言いつけた。
 何より、テイト自身が疲弊していた。
 すぐにでも休みたくて早歩きで進めた足は、中枢館に踏み入れた時に立ち止まった。

 初めはちょっとした違和感だった。
 中は静かで、人の気配もない。
 けれど、寒気がした。
 そして、血の臭いも。

 後ろから付いてきていたシンは、静止したテイトを訝しげに見つめた。

「どうした?」
「何か、変で」

 この感覚をどう説明したらいいのか分からず、テイトは曖昧に答えた。
 シンが眉根を寄せると、更に後ろからルゴーもやってきた。

「どうかしたのか?」

 不思議そうにそう声をかけたルゴーも、中枢館に近付くにつれて顔を顰めた。
 そして、厳しい表情で視線を走らせると、彼は警戒した様子で足を進めた。

「テイトは俺の後ろに」

 それに無言で頷くと、テイトはルゴーの背を守るような位置に付いた。
 三人で用心深く歩みを進めたところで、テイトは異質な光景を目にした。

「っ」

 石壁の一部が変形して棘のように突き出し、そこにまるで磔のように人が刺さっている。
 人を伝って赤黒い血が下へ下へと滴り落ち、床に真っ赤な水溜まりを作っていた。
 その人の顔を確認して、彼が、今日拠点に残ってもらっていた仲間だと分かった。

「っルゴー! 救援の要請を!」
「わ、わかった」

 震える身体を叱咤し、テイトは指示を出した。
 ルゴーは青い顔で先程解散したはずの仲間の元へと走っていく。
 それを尻目に、シンはゆっくりと壁に近付いた。

「手遅れだな。やられて数時間は経ってそうだ。……敵は、もう近くにはいないかもな」

 冷静な調子で告げられる言葉が、今は酷く心に刺さった。

「魔法、ですよね」
「そうだな」
「裏切り者は、ルゥじゃなかったってことですよね?」

 テイトが問うと、シンは壁に手を触れながら眉を寄せた。
 彼の魔法によって壁が元通りになると、支えをなくした男の身体がぐらりとその場に倒れ込んだ。
 グチャッと嫌な音を立てて床の血が跳ねた時、テイトは思わず目を逸らした。

「どうかな。……裏切り者と言うより、これは、」

 シンは考えるように言葉を濁した。

 自分達が帰ってきた時、拠点に待機していた仲間達は労うように出迎えてくれた。
 いつも通り、異常なんてどこにもなかった。
 この中枢館以外は。

 一体何が起こっているのか、他の仲間はどうなっているのか。
 そこまで考えて、テイトは顔を上げた。

「拠点の守りを頼んだ仲間は、彼以外にもいるはずです。手分けして探しましょう」
「……そうだな」

 シンの返事を聞いて、テイトはすぐに踵を返した。
 これ以上仲間の死を目にしたくない気持ちと、一刻も早く生きている仲間の姿を確認したいという気持ちがあった。

 ある程度離れたはずなのに、血の臭いはずっと付き纏っているようであった。
 まるで鼻の奥までこびりついているかのような不快感に、テイトは顔を顰めた。

 もう一人無残な姿で死んでいる仲間を見つけた時に、仲間を引き連れたルゴーと合流した。
 ルゴーは遺体となった仲間の姿にくしゃりと顔を歪め、二階を確認してくると告げてその場を離れた。

 テイトは念のためにと地下に下りた。

「……お、おい何かあったのか?」

 上の階から響く慌ただしい足音が聞こえたのか、扉越しにリゲルが問いかけてきた。
 ようやく見つけた生きている仲間の姿に、テイトは思わず涙が出そうになった。

「わから、ない」
「テイトか? わからないって……」

 リゲルの戸惑う声が聞こえた。
 しかし、テイトには本当に何が起こっているのか分からないのだ。

「少し前にナナちゃんの声も聞こえた気がしたんだけど、声をかける間もなく上の階に走って行っちゃったっぽいんだよね」
「え? ナナの……」

 テイトは視線を動かした。
 レンリとナナにはこの地下の一番奥の部屋を使ってもらっていた。
 リゲルにはレンリが軟禁されたことは伝えていないし、勿論それに付き添っているナナのことも伝えてはいない。
 色々なことが起こりすぎて伝える暇もなかった、というのが実情だ。

 視線の先、その二人のいるはずの奥の部屋の扉が開いていた。

 ナナが付き添いでいることから、あの部屋には元々鍵をかけていなかった。
 開いていたとしても、何ら違和感などないはずである。
 それなのに、心臓は五月蠅いぐらいに早鐘を打ち始めた。
 リゲルの声も、どこか遠くのものに感じた。

 恐る恐る近付いて部屋の中を覗き込んだ。
 中には誰もいなかった。
 上階で見たような悲惨な光景でなかったことには安堵したが、しかし、二人の姿がないということは、ここでも何かあったということなのだろうか。

「リゲル、何か変わったことはあった?」
「俺に聞かれてもなぁ」
「ナナの声がしたんだよね」
「もう数時間は前の話だぞ」
「ナナの様子が変だったとか、知らない声がしたとか」
「……声はしたけど、話してる内容までは流石に聞こえないしなぁ。変なことっつったって足音が複数聞こえたってぐらいかなぁ」
「分かった、ありがとう」

 テイトは言葉少なに地下を後にした。
 取り敢えず、二人の不在を報告しなければ、とシンの姿を探した。

 二階に上がると、ルゴー達とすれ違った。
 二階は特に異常はなさそうだと報告を受け、ほっとしながらシンを見ていないか尋ねると、ゆっくりと首を横に振られた。
 となると三階か、とテイトは更に上階を目指した。

 階段を上りきったところで、ようやくシンを発見した。
 声をかけようと歩み寄り、その傍にナナがいることに気が付いた。

「――っレンリ様が、№4に攫われましたわ!」

 シンの胸ぐらを掴み、縋るように声を張り上げるナナの姿に、テイトは呆然と立ち尽くした。
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