10 / 27
第二章 女達の迷家
女達の迷家 その4
しおりを挟むふと気付けば薄暗い廊下を歩いていた。
ボロボロの壁は漆喰が剥き出しで、廊下に貼られた絨毯は擦り切れていた。
片隅に置いてある花台は埃に覆われていて。
美しい陶器であったであろう花瓶は半分ほどに割れていた。
一歩一歩足を踏み出せば、足裏にじんわりと堆積した埃の感触がして。
さぞかし埃っぽいだろうと、周囲の臭いを取り込んでみれば、不思議と不快感は感じない。
どこか……そう、どこか郷愁を誘う夏の匂いがした。
自分の立ち位置がわからないまま歩みを進めていくと、一つの部屋に辿り着く。
部屋の向こうからは……深い嘆きの中にいるような、女性の啜り泣く声が漏れ聞こえてきた。
それは深く深く沈み込んで。
どうしようもないナニカを嘆き悲しんで。
胸が苦しくなるほどの慟哭が絶望を明らかにしていて……。
その嘆きの持ち主を、確認せずにはおれなかった。
扉の向こうには、床に頽れて慟哭する一人の女性の姿があった。
床に伏せているせいか、長い黒髪が巣穴から出てきた蛇のように広がっていて、女性の顔は見えない。
ただひたすら。
嘆き悲しむ声と、震える肩が、背中が、その悲壮を物語っていて……。
ナニカに促されるように、一歩一歩と女性に近づく。
揺れる背中が、細い肩が、近づいて……。
わたしの気配に気づいたのか、すすり泣く声が止まる。
ゆらりと海に揺れる海藻のように黒髪が流れ、だんだんと丸まっていた背中が、肩が伸びていく。
『……どうして……』
ぽとりと落ちたのは掠れ切った女性の声で。
『……どうして……どうして……』
絶望も顕わなその声は、わたしの胸をざわつかせる。
『どうして……どうしてどうしてどうしてっ!』
ゆらゆら揺れる黒髪が、段々激しさを増していく。
『どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてっ!!』
だんだん大きくなる声に、恐怖を感じてじりりと身体が逃げを打つ。
顔を覆っている女性の手に浮かぶ赤い斑点が、なんだか妙に目について。
『どうして……!! ねぇ! どうしてなのっ!?』
「ひっ?!」
ばさりと女性の顔を覆い隠していた黒髪が翻り、女性の顔があらわになって……。
白い浴衣のような襟元から覗く首筋は、ぽつぽつと小さな斑点が浮かんでいて。
こけた頬にまでそれは広がっていて。
ぽかりと開いた口元は赤く爛れ。
鼻の辺りはぺたりとゴムを張り付けたようになっていた。
元は整った顔立ちだったと伺えるが、今となってはその面影を僅かに残すだけで。
熱に浮かされたような瞳が炯々と光っていた。
『どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてっ!!』
ギラギラとした瞳がわたしを捕らえる。
ゆらりゆらりと立ち上がって、わたしの方に手を伸ばす。
「……っ!?」
斑点の浮かぶ華奢な手がわたしに向かって伸びてくる。
ふらりふらりと揺れながら、わたしに近づいて……。
ぶわりと鼻をつく死の臭いが堪えがたいほどで。
鼻先が触れ合いそうなほどに近づいた女性の顔は、絶望と憤りと怒りと悲しみと……。
ありとあらゆる負の感情が渦巻いていて。
ぼこぼこと歪に歪んでしまった鼻が、こけた頬が、恐ろしくて……。
「ひっ!?」
『ねぇどうして……?』
ドウシテ ワタシガ アンナバケモノノセイデ シナナキャナラナイノ?
間近に迫った女の顔が、どろりととけた。
◇◇◇
どこか遠くで女の悲鳴が聞こえる。
「……っ! ……こっ?!」
闇夜を切り裂くような甲高い悲鳴が耳を刺す。
「……こっ?! 目を……さま……っ!? なこっ!?」
遠くに聞こえていた悲鳴が、どんどん近づいてきて。
誰かに肩を揺さぶられて、恐ろしい夢の残滓から逃れたくて足掻く。
チカチカと瞬く光に縋るように意識を伸ばして……。
「那子っ?!」
悲鳴が自分の口から出ていると気づいた瞬間……
「ひゅっ!?」
喉が詰まる。
酸素を求めて喘ぐけど、ちっとも入らない。入ってこない。
葵さんに掴まれたままの肩を揺らしても、息ができない。
「あっ……あっ……」
浅くしかできない呼吸は十分な酸素を取り入れることなどできなくて。
酸素の足りない脳がぐらぐらと揺れ始めて……。
霞み始めた視界いっぱいに葵さんの顔が広がって……。
「ふぅ……」
塞がれた唇が苦しくて首を振るも、わたしの口を塞いでいるモノは離れていかない。
ぬるぬるした温かいモノがわたしの口を無理やりにこじ開けてきた。
ソコからゆっくりと空気が吹き込まれて、ゆっくりと吸いだされる。
それにタイミングを合わせて肺を膨らませて、しぼませて……。
気づけば鼻腔一杯に広がる花の香り。
戻ってきた視界が映し出すのは、葵さんの目元をぽつりと彩る泣きぼくろ。
「ふあっ……」
深く繋がりあっていた唇は離れたけど、葵さんの顔はまだまだ近い。
どこを見ていいかわからなくなって、ウロウロと視線を投げるも、葵さんのしっとりと濡れた唇が目に入って……。
「ふあぁぁっ?! むぐっ?!」
「な~こ? そろそろ静かにしような? ここ、旅館だからな?」
葵さんのてのひらで口元を塞がれてしまった。
分かったとコクコク頷くと、口元は解放され、ついでに腕を引かれて起こされた。
離れていった葵さんが戻ってくると、その手には水のペットボトルが握られていた。
「那子? 飲めるか? それ飲んで落ち着いたら……何がどうしたか話せるか?」
開封済みのペットボトルを渡されて手を伸ばすも、自分の指先が僅かに震えていることに気づいた。
零してしまいそうでペットボトルは受け取れず、震えが止まるようにぎゅっと指先を握りこむ。
「……那子?」
名前を呼ばれて顎を掬われて……。
再び唇に自分以外の熱が戻ってくる。
とろりと注がれる水を、零れないよう慌てて飲み干して。
ドドドドッと、夢の残滓とは違う意味で早まる鼓動を持て余しながら、何度かぬるい水を飲み込んで。
どちらともなく、ふうと息を吐いた。
いつの間にか伏せていた目を開ければ、目の前には葵さんの顔があって。
それが徐々に近づいてきて……。
トントントン。
突然響いたドアを叩く音に、びくぅ! と漫画みたいにお互いの身体が跳ねた。
「おーい。二人ともー? だいじょうぶかー?」
時間を気にしてか、辺りを憚る小さな亀田さんの声がドアの向こうから聞こえてきた。
その声にハッとして、乱れてもいない袷を直す。
立ち上がった葵さんに手渡された半纏を羽織っていると、ドアの向こうで僅かなやり取りが聞こえ、誰かが入ってくる気配がした。
「おー、那子ちゃんだいじょうぶかぁ? なんか葵くんに無体な事でもされたんかぁ?」
「……変な濡れ衣掛けないでください……」
亀田さんの呑気な声が響いて、葵さんの後ろに大きな影が……
「ひえっ?!」
「? 那子?」
わたしの反応をいぶかしんだ葵さんがこちらに近づいてくるけど、その後ろにいる玄武の存在感があり過ぎてなんとも。
ていうか、なんでまた葵さんに触れてないのに視えてるの?
「那子? もしかして……視えてるのか?」
葵さんの言葉にこくんと頷きを返す。
そうこうしているうちに、いつかのように玄武の輪郭がじんわりと滲んで行って、浴衣に丹前を羽織った亀田さんが心配そうにこちらを見ていた。
「那子ちゃん? 大丈夫かい?」
亀田さんに問いかけられて、慌てて口を開く。
……葵さんは何かを思案するように押し黙ったままだった。
「あ……いえ……。変な……えぇ、ちょっと怖い夢を見て……見ただけで……」
そうだ。
アレは夢だ。
悪夢だったけど、所詮夢。
夢は夢でしかない。
……ないはずだ。
じっとりと背中を濡らす汗が、どんなに気持ち悪かろうとあれは夢だ。
怖い夢を見て、大騒ぎして、過呼吸まで起こして、挙句……。
そこまで考えてぼわりと頬が熱を持つ。
いやいやあれは治療の一環っ! 過呼吸に苦しむ同僚を助けてくれただけっ!
そうっ! それだけっ!!
「……那子ちゃんどうしたの?」
ぶんぶんと脳内のピンク妄想を振り払っていたら、訝し気な亀田さんの声が聞こえてきた。
「いえっ! なんでもありませんっ! ていうか、夢を見ただけでお騒がせしてすみません……」
わたしの言葉に、葵さんと亀田さんが顔を見合わせる。
「那子、どんな夢を見たか教えてくれないか?」
妙に真剣な表情で葵さんが訊ねる。だけど……。
「でも……夢だよ?」
たかが夢。ここまで大騒ぎをしたうえで、更に恥の上塗りは避けたい気分なんだけど……。
「俺達のような界隈の人間にとって、夢は大きな意味を持つ。
夢見って能力があるくらいだからな」
葵さんの横で亀田さんが深く頷いている。
だから……しぶしぶと夢の内容を告げた。
「それは……」
「何というか……」
わたしの夢の話で複雑な表情を浮かべる二人に、居た堪れない気持ちになる。
「だから、わたしの夢なんて……」
「いや、恐らく那子の見た夢は……あの屋敷の……」
「記憶……だろうねぇ。
すごいねぇ、那子ちゃん! どんどんできることが増えてくねっ!」
亀田さんの言葉、微妙に嬉しくないのはなんでだろう?
「それにしても……。その女性が何番目の妻か分からないが……いや、死にたくないという意思があったなら、最初の妻か……?」
顎に手を当てた葵さんが唸るように呟いた。
「いや、夢だからね? わたしの見た適当な夢だからね? でもなんで最初の奥さんだと思うの?」
真剣に取り扱われて、思わず否定を繰り返す。
「縊鬼に憑りつかれてた場合、本人の意識としては自死だから、死にたくないとは思わないはずなんだ」
「だけど……最初の奥さんは病気で亡くなったんじゃなかったっけ? あぁでもそれなら死にたくないって思うかぁ」
葵さんの言葉に首を傾げる。
「そう……だよなぁ」
「そもそも、バケモノって……何を指してるんだろうな?」
亀田さんの言葉にさっきとは逆に首を傾げる。
確かにあの人が最初の奥さんなら、あの屋敷に縊鬼はまだいなかったはずだから……。
色々謎が深まっただけになったけど、現状ではこれ以上わかることもなく、翌日の現地調査に挑むことになった。
15
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる