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01.最悪な終わりと、幸せの入り口。
しおりを挟む「和美さん、疲れただろう?少し一息つこうか」
進藤 和美は開け放っていたこれから自室となる部屋に運び込まれた数個の段ボールを整理している手を止めて声を掛けてくれた義父の顔を見た。
視線の先に居る男性である義父の名は進藤 洋輔。還暦を目前にしているとはとても思えないほど若々しく自らが代表に名を連ねる弁護士法人を現役で経営している地元の名士でもある。
これから和美は、義父と二人きりでの同居生活を始めるのだ。
「はいお義父さん。今お茶をお淹れしますね」
「悪いね」
些細な優しい言葉にすら心が癒される。それほど今の彼女は様々な事に打ちのめされていた。
二歳年下の夫、健輔と結婚したのは和美が二十七歳の時。
父と同じ法曹界を目指さなかった健輔は業界最大手の商社に勤務していて今思えば本当か嘘かも分からない不規則な勤務時間や急な出張などが交際していた時からとても多かったので実際の所かなり好き勝手に遊びまわっていたのだろう。
そんなある日自宅マンションに和美宛ての封筒が届いた。
中を見るとそれは夫が華やかな美人と二人で映っている様々な写真で、隠し撮りでは無くお互いが親密そうに寄り添って微笑み合うスナップ写真からベッドの上で淫らに絡み合う明らかにどちらかが意図的に行動しなければ世の中に出る事は無いであろう物ばかりだった。
しかもご丁寧に日付まで印字されていて二人の関係がかなり長い事が分かる。
結婚してもう六年だ。
結婚当初から忙しい健輔とは割と早い段階からセックスレスだったけれど、こんなに美しく華やかな女性と親密な関係があったのならそれもそうかと納得してしまう。
怒りも傷付く感情すら沸かないほど和美と健輔の関係はとっくの昔に冷え切っていたのである。
「――コレが届いたのだけれど」
三日ぶりに帰宅した健輔に和美は静かな声で自宅に届いた封筒を差し出す。
彼は一瞬だけ怪訝そうな顔をしたけれど中身を見て、驚くほど冷静なまま「だから何?」とだけ言った。
「だから何って…」
思いもよらぬ反応に思わずオウム返しが出る。
そんな和美を真っすぐに見て健輔は和美が丹精込めて用意した食事をいつものように無反応で食べ進めつつ言った。
「あのさ、金銭面で不自由させない所かお前の実家が困った時に俺は一千万も援助……いや、そうだな、貸与したんだ。これくらいの事で文句を言われる筋合いは無い」
「確かにあなたにはあの時金銭面で助けて貰ったわ。でもそれとこれとは話が違うでしょう」
感情的にならないように、とだけ強く思い自制を重ねながら静かに返すと健輔は何故か嫌悪感を浮かべた視線を和美に向け、冷たく言い放つ。
「――そう言う所だよ」
「何が?」
「お前全ッ然可愛く無いんだわ、機械みたいでマジつまんねえしお前と居てもちっとも癒されない。……その点瑠璃子は最高にイイ女だ、本気で目が離せなくてずっと新鮮な恋人で居られる」
ガンッと頭を強く殴られたかの様な衝撃だった。
仕事で感情的な相手と付き合わなければならない事が多く君のような落ち着いた女性と居るとほっとするよ、と言ってくれたあの言葉はなんだったのか。
自分が面白みのない地味でつまらない女だと言う事は自分が一番理解している。だから、だからこそ必死に彼が安らげる空間を守ろうと我儘も言わずずっとずっと自分なりに報われないと感じる事が多いこの冷めきった結婚生活を守って来たのに!!!
叫んで罵ってやりたかったが長年染み付いた自制の行動パターンは今こんな状況に直面しても簡単には変えられず、和美に出来た事は静かに息を飲む事だけだったが、そんな和美に詫びる事も気遣う事もしない健輔は残酷な事実を告げた。
「元々お前は『妻』として選ぶなら親父も納得するだろうなって理由だけで選んだんだ」
「……」
怒りで沸騰するどころか冷え切って凍り付いて行く思考回路の中で義父の顔が思い浮かんだ。
厳格な義父は妻……健輔の母親である女性の不倫が元で離婚している。
それもあって自分の元妻に雰囲気が似ている華やかな瑠璃子、と彼が先ほどから呼んでいる女性との結婚は絶対に認めない事は確かに考えるまでも無く理解出来た。
だからと言ってこれはあんまりじゃないか! そう言おうとした和美を健輔は静かに睨みつけて言う。
「俺と離婚したいなら『貸してやった』一千万とその利息分を一括で払え。それが出来ないならこのまま『妻』としての仕事を続けろ。悪い話じゃ無いだろう?一流商社マンの夫を持つ専業主婦なんて今時どれだけ貴重だと思ってるんだ?……お前は女としての価値は無いが対外向けの『妻』としての役割なら申し分ないからな」
「一括なんてそんなの無理よ」
君には是非家に居て家庭を守って欲しい、と結婚時に退職を強く求めたのは健輔だ。
思えばあの頃から和美の経済力を奪う事で瑠璃子や他の女性との関係が明るみに出た時に強気で行動できるよう布石を打っていたに違いない。
それに口では和美に自由に振舞わせているみたいな事を言っているが和美が彼から受け取っている生活費は固定で、彼が言う様な豪華な生活なんてとても送れないほど和美の生活は実に質素な物だった。
――本当に、なんて卑怯な男だろう。
怒りで震え出した拳を握り締める和美に向かって健輔はなおも攻撃の手を緩めない。
「どうしようか迷ってたがバレたなら調度良いな」
「どう言う事?」
「来年から海外勤務が決まったんだ。だからこの家を引き払う」
「何を言ってるの?」
余りの身勝手さに吐き気すら覚える和美に健輔は本当に「丁度良かった」と悪びれもせず、何一つ罪悪感やら何やらを抱いていない軽い調子で続ける。
「お前は当然置いて行くから、俺の実家に入って親父と同居しろ」
「突然何を…」
「お前は馬鹿か?ここの家賃いくらだと思ってんだよ。なんで俺がお前なんかの為に毎月何十万も払ってやる必要があるんだ。だがお前が一人でアパートを借りるのも実家に帰すのも世間体が悪い。でも俺の実家に入れるなら構わないだろう?『俺は海外勤務が決まったが現地は治安が悪いし仕事が忙しいから寂しい思いをさせる。いずれは親父と同居するつもりだったから先に和美だけ預かって欲しい』って言えば一番自然だ、そうだろう?」
「………」
この最低な男と何故自分は結婚してしまったのか。自分の今までの人生は一体何だったのか。
怒りがぐらぐらと身体を支配して、今にも血管が切れそうな程だ。
和美の沈黙を健輔はどうとらえたのだろうかは不明だが、完全に会話の主導権を握っている彼はビジネスの話でもするかのように冷淡に和美に対して選択を求める。
「ソレを証拠に俺と瑠璃子に慰謝料請求したってたかが知れてるぜ?お前が訴えた時点で俺もお前に一括返済を求めるから、トータルで考えればお前のマイナスは最低でもまあ五百万だな」
「……」
「だがこの取引に応じるなら月五万程度の小遣いの送金位は続けてやるよ。パートに出る苦労を思えば有難いだろ」
フンとこちらの足元を見て吐き捨てた健輔だったが和美の心はもう決まっていた。
それは別にこの男の言いなりになる訳では無く、彼の提案は和美にとっても決して悪い事ではなかったから。
そう。
一生誰にも悟られる事無く墓場まで持っていくと決めていた和美の最大の秘密。
――和美は、もう何年も前から夫よりも義父に対して好意を持っていたのだ。
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