神様は僕に笑ってくれない

一片澪

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10.快適過ぎる。民泊でもする気なのかな

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玄関に立ち尽くしていたまま経過していた時間はポケットのスマホが鳴ったことで中断された。

「神室さん……」

本人が目の前にいないのでいつもの癖の呼び方が出たがまあ良いだろうとメッセージアプリを開くとメッセージが表示される。
彼にしてはとても珍しい長文だ。

――いつまでも玄関にいないで中に入って冷蔵庫を開けて食べられそうな物を食べて、お風呂に入っていてね

「え……見てるの?!」

思わず天井や周りを見回したが当然防犯カメラの類は見付けられなかった。
一人暮らしだから念には念を入れて何かを付けているのか? 後で聞こう……そう思って画面を開いたまま靴を脱ごうとするとシュッと追撃が来た。

――心配しなくてもカメラなんか無いわよ

「……こわ」

いっそカメラがあった方がまだマシかも知れない。
そう思っても恭一は脱いだ靴をきちんと揃えて無人の室内に向かって「お邪魔します」と言ってから中に入った。
李壱の部屋はやっぱり綺麗だ。
何一つ散らかっている場所が無くてシンクだってぴかぴかしている。

取り敢えず手を洗って傍にあったグラスを借りてうがいをさせてもらった。……汚さない様に排水溝に静かに撥ねない様に水を吐く。そこまでして「あ、洗面所に行けば良かったんだ」と今更ながらに気付いた。
ずぼらな一人暮らしが染みついている恭一は一応手洗いうがいは健康管理の一環としてするけれどキッチンスペースで雑に熟してしまうのだが……どうしよう。
李壱は飲食店の経営をしているくらいだからそう言う所はキッチリ分けているかも知れない。
これは彼が帰って来たら素直に謝ろうと思った。

「ご飯……食べなきゃ」

今日は朝にいつものシリアルバーを齧って野菜ジュースで流し込んだだけなので流石にちょっとお腹が空いた。
「失礼します」と指紋の一つもついていない背が高いお洒落観音開き冷蔵庫を開ける。
……李壱は一人暮らしなのになんでこんなに大きな冷蔵庫なのだろうか? 料理を日常的にする人間の冷蔵庫とは一体何が入っているのだろうか。

そう思っていると綺麗に整理整頓された冷蔵庫の中に白い蓋が無いタイプのケースが二つ並んであった。
恭一の目線の高さちょい下なのでとっても見付けやすい。
そのケースの中身は……明らかに恭一用に準備してくれたのかな? と思うしかないラインナップが収められている。

固形のバランス栄養食が三種類、ゼリータイプが三種類、シリアルバーが三本、パックご飯、ふりかけ、パウチタイプのポテトサラダ、使い切りのジャム、そして三枚入りの食パン。
もう一つのケースには紙パックの野菜ジュース、お水、お茶、スポーツドリンク、飲むヨーグルト、ビタミンCたっぷりのジュース。あとプリンとコーヒーゼリーも入っていた。

そして付箋がケースの手前に張り付けられていて「冷凍庫も見てね」と書かれている。
はじめて李壱の書いた文字を見たが、男前は文字まで上手かった。……なんかもういっそ憎たらしい。
欠点を探したくなるのは自分の性格が悪いからだろうか……なんて考えも頭を過る。
しかし折角用意してくれたなら一応見ようと冷凍庫を見せてもらうと、以前恭一が継続して頼んでいると話したことがある冷凍のワンプレート弁当が数種類と冷凍パスタも入っていた。

それとは別に成〇石井のロカボ弁当なるものも入っている。……これ、なんか高そうだしそもそもロカボってなんだ? 新種の調味料かな? やめとこう。食の冒険は恭一にとってハードルが高い。

そして嬉しいことにダッツも数種類入っている。
……いや、でもこれがスーパー〇ップなら遠慮なく手を伸ばせるが、ダッツは高いのだ。
いくら食べても良いと言われていてもちょっと図々しいのではないか? と思った恭一はいつもの慣れ親しんだ冷凍弁当だけを有難く頂くことにした。

綺麗過ぎて怖いくらいの電子レンジを借りて、分かりやすく置いてあるフィルムに包まれた割り箸を一膳貰う。
恭一にとっての食事は基本的に美味しいとか不味いとかは二の次で取り敢えずカロリーを摂取する為に完食を目指すちょっとした戦いだ。
案の定いつも通りの流れで半分くらい食べた段階で嫌になってきたが李壱が折角準備してくれたものだ! と自分を奮い立たせ冷蔵庫から分けて貰ったお茶で途中から流し込む作戦に切り替えてなんとか胃に押し込んだ。

よし、全部食べたぞ! 我ながら謎の達成感である。
ゴミは……普通にキッチンスペースにあるお洒落ゴミ箱(だと思う)に入れて良いのかな? こんなに綺麗な部屋を維持している李壱はわざわざ洗剤を付けて綺麗にして捨てるタイプかも知れない。普通に入れて良いのかな? 既に入っているゴミを見て行動を決めるのは相手のプライバシーを侵害しそうでしたくない。

考えて恭一はこれまた絶妙な位置に生活感を感じさせる事無く収納されていた薄いロールタイプのビニール袋を見付けたので「頂戴します」と言って一枚貰って、パッケージを畳んで空き箱を押し潰して割り箸なども綺麗に纏めて口を縛って捨てさせて貰うことにした。

どうやって開けるのこのゴミ箱? と手を近付けたら勝 手 に 開 い た。
時代はここまで来たのか? 誰もいない部屋で「ヒッ?!」と小さく声を上げて思わず口を手で塞ぐ。足踏み式じゃ駄目なの? 世の中の人間はどんどん自力で何かをする心を手放して行っているらしいが恭一はゴミをさっと入れた。少し距離を取ってじーっと見ているとちゃんと勝手に閉まった。……メカっぽくてカッコいい。
ちょっと惹かれたけれど、こんなにすごい性能が備わっているならきっと自分では到底手が届かない高級品だろうと考えて諦めた。

「次は……お風呂だ」

後々考えれば別に李壱の言われた通りに行動する必要は一切ないはずなのにその時の恭一は素直に伝えられた行動を熟そうと動いていた。
それは恭一の中では命令と言うより李壱からのお願い、的な意味を持っているので全然嫌じゃない。

洗面所に向かうと李壱が言っていた「お泊りセット」であろう物が籐で編まれた籠の中に置かれていたので中を覗くと、本当に何一つ足りない物の無い完璧なお泊りセットだった。
歯ブラシも着替えもタオルも全部一式綺麗に揃っている。

「……将来民泊でもする気なのかな?」

首を捻ったが取り敢えず入浴だ。
飲食店に行った時にどうしても付いてしまう食べ物や酒、最近は減ったけど煙草や色々な人間それぞれの香りが混じった匂いが自分に染みついているのがあまり好きじゃない恭一は服を脱ぎ始める。

流石に湯船にお湯を溜めるのは遠慮して、この間覚えたシャンプーをまた分けて貰った。
ちゃんと身体も洗って風呂から上がり用意して貰っていたスウェットを着て髪の毛もしっかりと乾かしたし、床に落ちた髪の毛もちゃんとティッシュで集めて取ってキッチンのメカ箱にわざわざ食べて貰った。

――完璧だ。
李壱から与えられたミッションは無事に完遂だ。

でもやるべきことを一通り終えると残りの時間をどう過ごせば良いか分からなくなる。
李壱は冷蔵庫もお風呂もベッドも好きにして良いと言ってくれたけれどさすがに他人様のベッドに入り込んで仮眠をとるなんて度胸は無い。

だから恭一は李壱が帰宅した時にせめてすぐ鍵を開けて中に入れられるようにリビングのソファに座った。
目の前には大きなテレビがあるけれど日常的にテレビを見る習慣がない恭一にとってそれは魅力的な物ではない。今日は文庫本もノートパソコンも無いので時間を潰せるものが無いな……そう思っていると手近なラックに新聞があるのを見付けた。

――なんだと?! 恭一は驚いた。
李壱は経済新聞と英字新聞の二誌を購読しているらしい。
……何ということだ。これはとんでもなく恐ろしいことである。

経済新聞はまあ……まあ、良いとしよう。経営者らしいし。
しかし英字新聞なんてハッキリ言って本気で読んでいる人間を初めて見つけた。実在したのか。
え? これ……インテリアだよね? カッコつけてモテアイテムとして潜ませているだけだよね? と恐る恐る見てみたら今日の日付だ!!! しかも目立たない位置に捨てる用のストックがあってそれも見るとちゃんと毎日分があるではないか。しかも明らかにきちんと読んで戻した的な痕跡がある。

優しくて顔が良くてスタイルが良くて……お洒落で、料理も多分出来て――英語も分かるだと?
神は少し李壱を依怙贔屓しすぎではなかろうか。解せぬ。本当に欠点を知りたい。
ちょっとやさぐれた気持ちで英字新聞を開いたが当然恭一にはさっぱりだった。見出しすら意味不明だ。
知っている単語を探す気にもなれずに、気持ち大雑把に畳んでラックに戻してやった。

そうだ……。
確か祖父も毎朝珈琲を飲みながら欠かさず新聞を読んでいた。
日経新聞と毎日新聞だったかな? なんで二つも読むのかさっぱりだったけど、恭一の中で新聞&珈琲=大人の男性の嗜みと言う認識があるのは祖父の影響だと思う。

祖父は恭一に将来困らない様にと色々な事を教えてくれた。
今はもう制度が変わったがジュニアNISAをいち早く取り入れて分かりやすく経済のことも軽く教えてくれた。
「ねえねえ、円安なのに日経平均株価が上がるのってなんで?」とか「ドルの方が世界中でたくさん使われてそうなのになんでユーロの方が高いの?」とか今思えば妙なことを質問する中学生だったと思う。

でも祖父はそう言った質問にいつも丁寧に答えてくれた。
正直言ってよく覚えていないので今説明しろと言われても出来ないのが申し訳ないが、若いうちから金融リテラシーの入り口をきちんと教わっていた恭一は自分なりに「個別株は怖いので僕は手を出しません。手堅い投資信託をコツコツ&放置作戦一択で行きます」と断言出来る程度の知識は身に着けているし、NISAだけじゃなくiDeCoもしっかり利用している。

一応会社員である恭一にiDeCoの恩恵は今の所感覚的に薄いけれど未来の自分の為に効率の良い貯金をしていると割り切って利用している。
ちょっと昔を思い出すきっかけになった経済新聞をちゃんと元の場所に戻して恭一は座り心地の良いソファに深く座った。
一言敢えて添えるなら雑に戻した英字新聞を隠すように綺麗に経済新聞を置いたのがポイントである。

そうやってぼんやりしていると一つのことに気が付いた。

――李壱の家は、何と言うかとっても落ち着く。
なんでだろう? こんなに静かだと前は落ち着きよりも寂しさが強かったのに。
自分が大学の頃住んでいたマンションはとにかくだだっ広くて、それが却って孤独を突き付けて来る感じが苦しくてわざわざ狭めの今のマンションに引っ越したのに李壱の広いこの部屋にいても全然そうならない。
誰かがちゃんと生活しているという痕跡が至る所にあるからだろうか?

いつもなら全然余裕で起きている時間帯なのにふと欠伸が出て、恭一はちらりと時計で時刻を確認した。
確か李壱のお店の夜の部は二十四時まで営業だ。
それから後片付けをして戻るとなるとそれなりの時間になるだろう。

「ちょっと……寝ちゃおうかな」

インターフォンの音に気付けなくてもスマホを鳴らしてくれるだろうと思った恭一は頭の傍にスマホを置いてソファの上で丸くなった。
そしてここ最近の積み重なった疲れのせいもあってすとんと眠りに落ちたのである。
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