上 下
572 / 676

572・王城への道(ファリスside)

しおりを挟む
 ファリスが目を覚ましてすぐさま行動を起こしたベルンの手によって、彼らは今鳥車に揺られていた。何度も同じ光景を眺めていた彼女は退屈そうにため息を吐いた。まさか来た道をそのまま戻るとは思っていなかったのだろう。再びごとごとと揺られている身体は、既に魔力を完全に取り戻していた。普段通りに振舞う程度にはなんら支障はないだろう。しかし、ファリスは誰にも一つの魔導が失われた事を説明していなかった。
 彼女の神偽崩具はいわば切り札だ。最も強く、信頼を置いていた物が消え失せたのだ。本来ならば何か言うべきだったのかもしれない。
 だが、この状況を。一致団結して祖国の城を取り戻し、ダークエルフ族に雪辱を果たす事に団結した彼らに水を差すべきではないと判断した。それが正しいかは今はわからない。それを不安に思わないと言えば嘘になる。しかし既に幕は上がってしまったのだ。後は可能な限り戦い続けるのみ。

「ファリス様、緊張されているのですか?」

 水袋を持って声を掛けてきたユヒト。言われて自分がようやく緊張している事を理解したファリスは、ふるふると小さく首を振って水袋を受け取る。

「いいえ。大丈夫。ありがとう」

 強がるように振舞っているが、ユヒトはそれ以上は何も言わなかった。とりあえず口を付けるとひやりとした感覚が口内に広がり喉をするりと流れ落ちる。最近では小さな魔石を中に入れて水袋の中身を冷やす事が出来るようになった事を聞いていたな……などとのんきな事を思い出していたが、すぐさま気を引き締め余計な感情を締め出す。

 彼女は今は軍を率いてきた者だ。そんな彼女が不安に感じていたり動揺していれば、それは周囲の兵士達に伝染し、最終的には士気に関わる事態になってしまう。それは避けなければならない。
 当初の頃ならばそんな事気にもしなかっただろう。思うままに振舞い、やりたいようにやっただろう。

(わたしもヤキが回った……という事なのかも)

 厄介なもの抱えたな……なんて思っているが、彼女自身悪い気はしない様子だった。
 落ち着きを取り戻してゆったりしていると、鳥車の速度が徐々に緩やかになっていく。目的地直前まで到着したようだ。
 何度も町に寄っては英気を癒し、敵がなるべく来ない道を選び続け、極力戦力を減らさないように工夫した結果、到着に七日という時間を要したが、なんとか無事に全員が辿り着くことが出来た。

 既に先行部隊によって作られた簡易的な拠点が待ち受けており、大きなテントはシルケット王家の紋章が掲げられていた。
 鳥車から降り立ったファリスは長旅で疲れたと言いたげに伸びをして軽く身体を動かして、そのテントを目にして疑問を抱いた。

「あれじゃあそこを狙ってくださいって言ってるようなものじゃない?」
「ベルン様はあちらのテントでお休みしておりますよ」

 オルドの指さす方はそれなりに立派ではあるがいたって普通のテント。特に護衛も付けていないからむしろ大丈夫なのか? と思うほどだった。

「いや……まあ……いいか」

 ここで変に反論してしまったらまたややこしくなるのがオチなのは目に見えていた。適当に言葉を濁してそこで話題を終わらせてしまった。

「ファリス様」

 まるで待っていたかのように現れ片膝を付いたのはベージュの毛並みをした猫人族の兵士。若干キリっとした目が知性を感じさせる。

「ベルン様が及びになっておりますにゃ。是非こちらのテントにお越しを……」
「わかった。すぐ行くからそう伝えて」
「わかりましたにゃ!」

 深々と頭を下げた兵士は素早い動きで立ち上がり、そそくさと大きなテントの隣にあるベルンのテントへと向かっていった。

「……それじゃあ、ちょっと行ってくるね」
「はい。十二分に話をされてください」

 見送るオルドの視線を背に、ファリスはベルンがいるであろうテントへと向かった。中に入ると既にベルンが様々な書類を読んでいて部下に指示を飛ばしていた。どうやらルドールの食糧事情の話らしく、ファリスは適当に興味なさそうに待つことにした。
 ある程度の指示を与えたベルンはファリスに気付いたらしく、神妙な面持ちをしていた。

「待たせて済まないにゃ。よく来てくれたにゃ」
「ここ一番の大勝負だからね。それで、何か作戦でもある?」

 こんな状況でも遠慮なしの言葉遣いで話せるのはファリスならではだろう。いつもの調子のファリスにどこか安堵した表情のベルン。やはり倒れた一件が心配だったのだろう。

「今回の作戦はティリアース、シルケットの両軍にとって大切な一戦にゃ。ファリスには軍の前線で戦って指示を飛ばしてもいたいのだけど……構わないかにゃ?」
「わかった。前線の部隊はわたしの指揮下になるってことで構わない?」
「問題ないにゃ。病み上がりにまた酷使させる事になって本当に申し訳ないにゃ」

 深々と頭を下げられた瞬間、ファリスはなんで自分をここに呼んだのか理解した。倒れるような事態になってもまだ戦わせなければいけない現状を嘆いての事だと。

「別に気にしてない。わたしは戦うためにここに来たんだしね。だから王子は安心して後ろで指示を出してちょうだい」

 ファリスはそれだけ告げて「失礼します」とテントを出た。ベルンの心配は理解している。だからこそファリスも戦うのだ。これ以上戦いを長引かせないように。……ついでに早くエールティアに会う為に。
しおりを挟む

処理中です...