山田の記憶

とある、山田

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最終章

目覚め

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山田は、毎朝6時半に起きる。

そう――思い込んでいた。
目を覚まし、顔を洗い、コーヒーを淹れて、パンを焼く。
妻の不在、同僚の声、染めた色、工場の朝霧。
繰り返される一日。それは、確かに“日常”だった。

だが。

今、目を開けたとき。
そこには、あの見慣れた天井はなかった。

真っ白な、無機質な天井。
機械の電子音。カーテン越しの、やわらかな太陽の光。

山田は、静かにまばたきをした。
視界の端に、点滴。手にはモニターの線。
微かに薬のにおいがする。
口は乾き、喉が焼けるように渇いている。

――ここは、病院?

すぐには言葉も出なかった。
だが、心の底で確かに“わかっていた”。

(……長い夢を、見ていた)

“毎日同じ朝を繰り返す”夢。
色が変わり、味が変わり、音が消え、誰の声も届かなくなっていく夢。
やがて、色も、言葉も、記憶すらも消えてしまった。

けれど、今――

「……山田さん、聞こえますか?」

看護師の女性の声が、静かに届く。
その声には、温かさがあった。輪郭があった。人の気配が、あった。

山田は、ゆっくりと、ほんとうにゆっくりと、頷いた。

「よかった……! 意識が戻られました。すぐに先生を呼びますね」

慌ただしく出ていく足音が遠ざかる。

窓の外を見る。
青い空。
白い雲。
差し込む光が、天井に反射している。

あの夢のなかと、そっくりだった。
けれど今、色は確かに“生きて”いた。
空の青が、胸に迫るほど澄んで見えた。

山田の目に、涙が滲んだ。

(……戻ってきたんだな)

パンもコーヒーも、妻の笑顔も、
佐藤の軽口も、染色機械の音も――
全部が、奇跡のように、当たり前にあってくれる。

それが、こんなにも尊い。

長い、長い夢の中で失った“日常”の重みが、静かに胸に染みた。

その日。
山田は、生まれ変わったような気持ちで、ただ天井を見上げていた。

涙が、ひとすじ、頬を伝った。

生きていること。
色があること。
誰かと話せること。

それが、どれほどかけがえのないことか。
それを知った朝だった。




最後までお読みいただきありがとうございました。
この物語は、「日常のかけらが少しずつ崩れていく恐怖」と「それでも朝はやってくる」という回復をテーマに描いています。
この物語は、現実と似て非なる「もしも」の世界を描いたフィクションです。登場する人物や出来事は、すべて想像に基づくものです。
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