雪解けに願いを込めて

丹羽邦記

文字の大きさ
1 / 1

雪解けに願いを込めて

しおりを挟む
 曇天の寒空の下訪れているのは、この緩やかでだだっ広い斜面。冬枯れしてベージュの絨毯のようになった芝の上には、局所的に白い雪が積もっている――局所的とはいっても、芝生の面積が広すぎるだけで、その直径は50メートルほどありそうだ。
「……あれが噂の」
「はい、楠井くすいさん。あれがお父様に買って頂いた、最新型の人工降雪機ですわ!」
 ぼくの独り言に、隣に立つ蛍光ピンクのダウンジャケットを着た黒髪ロングヘアの少女、高校のクラスメイトであ椎名しいなは得意げに言った。
 人工降雪機とは文字どおり、人工的に雪を降らせる機械のこと。そして、あそこで少しずつ雪を吐き出し続けている、扇風機と戦車の合体したような装置のことでもある。
「気温に左右されず、より自然に近い質感の雪を生成できる優れものですのよ。開発されて間もなく、国内にまだ5台しかありませんの。予報では夜まで曇り空が続くとあり、初雪ももう少し先と言っていましたが、あれがあればモーマンタイですわ!」
 椎名の声に、ぼくは「ふうん」と、そんな空返事を返した。
 ここまでの会話で分かるとおり、彼女は普通じゃない。日本でも有数の資産家のもとに生まれ、その両親からとんでもない量の愛情を受けて育った、生粋の箱入り娘なのだ。
 まあ、ぼくら一般人における『普通』を逸脱しているとはいえ、椎名にしてみればこの環境こそが『普通』。だから少なくともぼくは、あえて彼女を特別扱いするつもりもない。
『――楠井さん! 明日、私と雪合戦をいたしませんか!』
 そんな椎名から、ぼくが出し抜けに変哲な招待を頂いたのは、昨日の放課後のことだ。
 むろん、『高校生にもなって雪合戦?』とは思ったけれど、家にいたってどうせやることなんてない。それに、もしかしたら前に遊んだ時みたく、高級なケーキにありつけるかもしれない――てなわけで、他の追随を許さないほどに生粋の甘党であるぼくは、全力のサムズアップを以って了承の意を伝えたのだった。
 ……我ながら、小狡い思考回路をしているなあ。
 ずれている椎名と、すれているぼく。クラスで浮いている者同士という関係性があって、いつからかつるむようになったが、ぼくはともかく、椎名は別に嫌われていたりするわけでもない。どこかファンタジー世界の住人みたいな言動が目立つお陰で、少し話しかけにくい相手だと思われているだけなのだ。
 だからぼくなんかじゃなく、それこそ同性の子を誘えばよかったのに――なんてことを考えているぼくの前で、
「さあ楠井さん、こちらへ!」
 と、そんな声が聞こえた。
 椎名に促されるまま、ぼくは白い地面に足を踏み入れる。ふんわりと積もり、三十センチほどの厚さになった雪の層に体重をかける度、なんだかこそばゆい感覚が体を走った。
 歩きづらい足元に苦労しながらも、ようやく積もった範囲の中央辺りまでやって来ると、ぼくはその場に屈み、「どれどれ」と、手袋をはめた右手で足元の雪をすくってみる……うん、多少湿り気があるような気がするけれど、まあ悪くないだろう。むしろ、ほどよい水気のおかげで丸めやすく、雪合戦をするうえでは好都合なのかもしれない。
「では、さっそく始めましょう!」
 ハツラツな声に顔を上げると、椎名はなにやら奇妙な準備運動に勤しんでいた。……あ、そうそう、あれはひと昔前に流行ったマエケン体操だ。懐かしいもんやってんな。
「じゃあ、ひとまずルールを決めよう。ただ投げ合うだけじゃつまらないし」
 準備運動が終わった頃を見計らって、ぼくは椎名へそう切り出す。その立案に対し、椎名は「それもそうですね」と頷いた。
「まずは範囲か。ドッジボールみたく陣地分けをしてもいいけど、せっかくこれだけ広いんだし、雪が積もってる場所全部を範囲としよう。そんで、そうすると当てるのも難しくなるだろうから、三回クリーンヒットした時点で負けってことにしない?」
「ええ、そういたしましょう。あまり長くやって、体調を崩してもいけませんものね」
 そうしてぼくらは、5メートルほど離れた位置に向かい合った。
「準備はいい?」
「はい、バッチグーです!」
「じゃあ、よーいドンでスタートねよーいドン!」
「きゃあ!?」
 あの椎名が不意打ちなど予想しているはずもなく、スタートの宣言とほとんど同時にぼくの手を放れたテニスボールサイズの雪玉は、椎名の肩に直撃して崩れ去った。
「はっはっはっ、まさか卑怯とは言うまいな! なにせ、ここはとっくに戦場なんだ。戦争が始まるのが分かっていて銃に弾を込めないまま特攻するような兵に、端から命はないぜ」
 つまり、さっきしゃがみ込んだ際、雪の状態を確認する振りをして雪玉を一つ作り、ずっと背中に隠し持っていたというわけさ。
 雪玉の破片が首元に入ったのか、マフラーをパタパタとはたく椎名に向け、ぼくは胸を反らす。たとえ相手が女子だろうと、勝負事となれば負ける気はさらさらない。こう見えてぼくは、ムッツリスケベならぬムッツリ負けず嫌いなんだ。
「……やってくれましたわね」
 震えるような声音に、ぼくは正面を見据える。すると、顔を伏せる椎名の肩もまた、声と同じくらい震えているのが分かった……もしかしなくても、やり過ぎたか?
 久々に雪というものに触れ、柄にもなく高揚していたが、冷静になって考えると(冷静でなくてもそのくらい気づけよ、という話でもあるけれど)誰よりも無垢な深窓の令嬢が相手であることを、もっと早い段階で意識するべきだった。
 急な罪悪感に駆られ、歩み寄ろうと視線を椎名から一瞬だけ外したその時、ぼくの目線は白色に遮られた。
「――冷たっ!」
 遅れて襲う突き刺すような冷たさから逃れようと、ぼくは自分の顔に張りついた雪を慌てて袖で拭う。ようやく解放された視界の中心で、彼女は笑っていた。
「ざまあみろですわ! 油断していたら、もっと冷たい目を見させますわよ!」
 あっかんべー、と、椎名はこちらへ向けて舌を出す。そんな想定外の反応を目の当たりにして、ぼくは思わずその場に立ち尽くした。
「どうしましたか? わたくしの華麗な不意打ち返しに、言葉も出ないといったところでしょうか! 雪だけに、思考もフリーズをしてしまったといったところでしょうか!」
「……ははっ、なんだよそれ」
 椎名の無邪気な笑顔に釣られるように、ぼくも笑う。
 肩と、それから髪に乗った雪を払い落として、ぼくは白い息を短く吐いた。
「おっけ、仕切り直しといくか……って、あれ? さっきより雪が強くなってないか?」
「あら、本当ですわね。設定変更は一切していないはずですのに……」
 ぼくが空を見上げて言うと、椎名も上を向いて言った……うん、間違いない。降る雪の量は間違いなく、さっきまでの2倍ほどに増えている。
「……じゃあ、初雪ってことか? 偽物と混ざってるから、いまいち実感湧かないけど」
「ええ。でも私、こうしてあなたと初雪を見られたこと、心の底から嬉しく思います」
 どこか意味ありげなセリフに顔を動かすと、椎名もまたこちらに目線を移していた。
「初雪って年に一度しかないのに、寝ている間に降って、起きたら止んでいることが多いでしょう? それがこうして2人で見られるなんて、これは運命としか思えませんわ!」
 目を輝かせながら笑う彼女の声に、ぼくは小さなため息を溢して苦笑した。
「……運命ねえ。そんなもんが実在したら、苦労はないんだけどな」
「はい? 何かおっしゃいましたか?」
 無意識に険しい表情をしてしまったからだろうか。椎名は少し不安そうな表情で、ぼくの顔を覗き込むように首を傾げる。ぼくはそれに「なんでもないよ」と返すと、両の手のひらで足元の雪を救い上げ、軽く球状に握った。
「さあ、再開しよう。勝負はまだまだこれからだろう?」
「ええ、望むところですわ!」
 そう言って、椎名は笑う。その笑顔はやっぱり、冬の空気よりも澄んでいて、一面に積もる雪よりも純白だ。ぼくは改めて、そんな彼女に憧れているのだとだと実感し、惹かれているのだと痛感した。
 本当は、ケーキなんて要らない。あれはあくまで口実のつもりだったんだ……なんて、不器用ゆえ、斜に構えるのがすっかり癖になった今では、口が裂けても言えないけれど。
 だから今は、精一杯の気持ちをこの雪玉に込める。春が来て、この雪が解ける頃には、ぼくも少しは変わっている――と、いいな。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

【1話完結】あなたの恋人は毎夜わたしのベッドで寝てますよ。

ariya
ファンタジー
ソフィア・ラテットは、婚約者アレックスから疎まれていた。 彼の傍らには、いつも愛らしい恋人リリアンヌ。 婚約者の立場として注意しても、アレックスは聞く耳を持たない。 そして迎えた学園卒業パーティー。 ソフィアは公衆の面前で婚約破棄を言い渡される。 ガッツポーズを決めるリリアンヌ。 そのままアレックスに飛び込むかと思いきや―― 彼女が抱きついた先は、ソフィアだった。

いまさら謝罪など

あかね
ファンタジー
殿下。謝罪したところでもう遅いのです。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

処理中です...