灰色の雲と青色の春

丹羽邦記

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灰色の雲と青色の春

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「雨、だいぶ強くなってきたな……」
 小さな川の流れる河川敷を右にして堤防を歩く、高校からの帰り道。俺――鹿島大和かしまやまとは、傘と地面との間から覗く灰色の空を見上げ、そう呟いた。
 梅雨入りから今日で3日。気圧と比例するように、俺の気分もだんだんと下がっているような気がしてならない。これがまだ1ヶ月は続くのかと思うと、マジ萎えぽよって感じだ。
「え? 大仏がなんだって?」
 傘の代わりに鞄を頭上へ掲げ、意気揚々と前を行くガタイのいい男――クラスメイトで野球部の大村勝次おおむらかつじは、俺の独り言に反応してこちらへと振り返った。
「おいおい、誰が大仏なんての話なんて……ん? あめ、だいぶつ、よくなって……ああ、なるほど。そういう理屈」
 反射的にツッコミを入れようとして、俺は寸でのところで踏み止まる。
 こいつ、いったいどんな耳の鍛え方してやがるんだ? 雨音のノイズの中、独り言から同音異義語を的確に拾い上げるなんて芸当、一朝一夕で身につくもんじゃないだろう。
 よし、ここはこいつの努力を買ってやるとするか。
「そうそう。小学校の修学旅行ぶりに、奈良の大仏を見に行きたいって言ったんだ」
「へえ……鹿島って変な趣味してんのな」
「お前は奈良県出身、並びに在住の方々と、それから行基さんに今すぐ謝罪しろ」
 と、そんな他愛もない会話を交わすうちに、雨脚はさらに強まってきた。傘のある俺はともかく、大村の方はさすがにそろそろしんどい頃だろう。
「なあ大村、ちょっと雨宿りしていこう」
「はあ? 傘差してるくせに何を日和ってんだよ。風邪を引くのがそんなに怖いか?」
「善意でてめえの身を案じてやってるんだよ、察しろ馬鹿」
 こっちはお前の怖いもの知らずぶりが怖くてたまらないよ。お天気キャスターの『降水確率は90%です』という言葉を受け、『ならば俺は、残りの10%に賭けよう』と、傘を自ら自宅へ置いてくるようなお前という人間に、俺は恐怖の念を抱かざるを得ないよ。
 とは言え、恐れ戦いてばかりもいられない。こうしている間にも、雨粒の数と勢いは次第に増していっている。急いで帰るにしたって、俺たちの家はここからさらに半キロほど先にあるわけで――クソだるい授業のおかげですっかり疲れ果てているこの身体を、500メートル走によって更に痛めつけようとは、とてもじゃないが思えない。
 俺は立ち止まると、辺り一帯をぐるりと見渡す。しかし、軒下のある小店も、人気のなさそうな寺社も、視界の中には見当たらない――と、そこで一つだけ、雨を凌ぐによさそうなオブジェクトを発見した。
「大村、ひとまずあの橋まで走ろう」
 少し先に見える赤い鉄橋を指差して、俺はいつもより声を少しだけ張り上げて言う。振り返った大村は、何故かにやにやと気持ちの悪い笑みを浮かべていた。
「橋まで走る、って……なんだ、その低レベルな洒落は? まさしく小心翼翼だぜ。かかってこいよ、駄洒落の勝負なら負けねえ。なんたって俺には、俺自ら制作と編集を施した、1万を超えるネタ数を誇る《駄洒落辞典》があるんだ」
「………」
「ちなみに、制作時間は10年だぜ」
 ……呆れてものも言えないとは、まさにこのことだ。それはもちろん、こいつが『笑止千万』と『小心翼翼』の意味を取り違えて覚えているのも含めて。
 さすがに突っ込むのも面倒になり、大村を置いて先に帰ってしまおうかとも考えた。しかし、騒がしく地面に降り注ぐこの水滴の弾幕を進むのは、傘を差しているとは言え、いまいち気乗りがしない。
 お前はお前の好きにしろ、俺は知らん――心の中で大村を一蹴し、俺は河川敷へと下りる階段に足をかける。俺が無視をしたことに文句を垂れながらも、大村はその後に続いた。
 雨で濡れたコンクリートの階段を慎重に下り、川に沿って伸びた、レンガが埋め込まれたようなデザインの遊歩道を歩いて行く。鉄橋の下にまでやってくると、俺はようやく傘を下ろし、一つ息を吐き出した。
「あーあ、靴下までびしょ濡れだよ……」
 階段を下りてからここに来るまで、それ自体が水溜りのであるかのような道を進んできた。そのせいで、最近買ったばかりの白いスニーカーは、すっかり泥色のマーブル柄に染め上げられている。気に入っていただけに、精神へのダメージは大きい。
 靴の中で水が踊る感覚の気持ち悪さも相まって、気分は最低最悪だった。
「安心しろ、俺はパンツまでびしょ濡れだ」
 ……何をどう安心すればいいのか、まったくもって理解不能なのですけどもね。
 しかし確かに、こいつより数段マシなのは、火を見るより明らかだ。今の今まで滝行をしていたのかとも思えるほどに、ムラなく全身ずぶ濡れである――少なくとも、風邪を引くことはすでに決定事項だろう。……もしかしたら、風邪では済まないのかもしれない。
「ほら見ろよ鹿島。この白いシャツから透けて見える肌、なんかエッチじゃね?」
「ぜんっぜん」
 わずかに芽生え始めていた心配も、大村の一言で一瞬にして引っ込んだ。よし、こいつには俺様直々に、《ムードブレイカー大村》の異名を与えてやろう。
 そんな一方の大村、もとい《ムードブレイカー大村》は、俺の完全否定にもへこたれることなく、こちらに自身の肉体を自慢げに見せつける。何故サイドチェストなんだ。
「そんなこと言うなって……ほら、この二の腕の辺りとか、胸元の辺りとか。このほんのり見える肌色が、なかなかエッチな感じだろ?」
「いいや微塵も思わないね。例え天地がひっくり返ったところで、その野球に特化したホメオティック突然変異の筋肉に性的興奮を覚える日は、未来永劫訪れないよ。断言する」
 俺がそう強く吐き捨てるも、大村の心に傷をつけるには至らなかったらしい。
「まあまあ、そう言わずにさあ……ほら、ちょっとなら触ってもいいから!」

「お、おい、やめろ気持ち悪い! こっち寄んなアホ!」
 俺は迫り来る大村を突き放し、一気に距離を取った。全身ずぶ濡れの生物に触れられるってだけで不愉快極まりないのに、それが筋骨隆々のクラスメイトとなると、不快感は上限値を大きく上回る。
 それでもなお、不敵な笑顔でゆっくりと距離を詰めてくる大村を正面に、俺は川の方を背にしてじりじりと後退する。落下防止のフェンスが背中に当たり、もう一歩も下がれなくなったその時――不意に突き刺さるような視線を感じて、俺は堤防の方を見上げた。
「あ、香取」
 俺の声と視線に反応し、大村は振り返る。そしてそこにあった、こいつの想い人であるクラスメイト――学年のマドンナ、毒薔薇姫こと香取優奈かとりゆうなの姿に、大村の動きは完全に停止した。
「…………」
 黒い傘を手に佇む香取は、蔑むようにこちらを見下ろしたまま、何やら口を動かす。声が聞こえないのはもちろん、雨のモザイクで口の動きもよく分からないけれど――おそらくは、母音が『い』と『お』の2文字で形成された言葉。状況と、それからこちらへ向けられた視線の冷ややかさを鑑みれば、それを推理するのは簡単なことだった。
「俺たち、キモいってさ」
 ショックに固まる大村の肩を叩き、ざまあみろと俺は笑った。
 このタイミングでハッピーエンドよろしく、雨が上がって青空に虹でもかかれば傑作だよなあ。
 そう思って、俺は空を仰ぐ。しかしそこには、あと1ヶ月は雨を降らし続けそうな分厚い灰色の雲が、遥か彼方まで広がっていた。

 ――翌日、大村は学校を休んだ。その真の理由は、俺を含め、誰にも分からない。
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