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北海道紀行
第三話
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今回の旅の九尾比丘尼のメインイベントであった、神仙集会も無事に終えて、後は徹底的に観光三昧である。
と、その前に。
気になっている方もおられるであろうから、時間を昨晩に戻すとしよう。
食事が終わってお茶を飲んでいる時、将平が尋ねた。
「なんで服が変わってるんですか? 活動的でない服は好みじゃないって言ってましたよね」
「うむ。巫女装束というのも見てくれ以上に活動的なものじゃからな。確かにこの服は…飛んだり跳ねたりは厳しいのう」
九尾比丘尼は腕を上げて軽く振った。
「それにその宴会と言ってもいいですか。そっちに荷物は持って行ってなかったですよね。その服はどうしたんです? サイズはきっちり合っているように見えますし、着ていた服はどうしたんですか」
「なんじゃ、お袋さまが言うようなセリフじゃのう。こんな感じで。
『まあ美玲ったら、こんな遅くまで何をしていたの』
『うるさいわね。何したって、あたしの自由でしょ。もうあたしも九百歳なんだから、自分のことくらい自分でできるわよ』
(なにこの小芝居。でもそこは九百歳なんだ)
『それに朝と着ている服が違うじゃないの。そんな、いつも趣味じゃないとか言っていた服、どこで着替えたの』
『べ、別にいいじゃない。趣味だって変わったりもするわよ』
『お父さん、お父さん。美玲が』
『なんだ美玲、その格好は』
『お姉ちゃん、なんかかわいくなってんじゃん』
(登場人物やけに増えましたけど)
『まあサエ子までそんなこと言うなんて。ああやはり血の繋がっていない親子はダメなのなのかしら』
『母さん、それは』
『え、お姉ちゃんが血の繋がってないってどういうことなの』
(そういう設定? ていうか人の嫁さんの名前使うなよ)
『ああ、あたしったら、なんてことを…』
…そろそろツッこんでくれい」
「あーもう、心の中で散々ツッこみましたともさ。で、結論は何です? 趣味が変わったってことですか?」
「いや今のにはなんの意味もない」
「ないんかい」
「こうじゃ」
右手を上げて軽く振ると、その右腕の袖だけが巫女装束のものに変わった。
「え、なんですか? 服に仕掛けがあるんですか」
「そういう方が逆に面倒じゃわい。お主、わしが身体すら遺伝子に至るまで変えておるというのに、衣服くらい自由自在にできんとでも思うとるのか」
また右腕を軽く振る毎に、袖が次々と変わってゆく。
「うわ。じゃあその服も」
「朝着ておったものと同じということじゃ。もっと突っ込んで言うと、いつも着ておる巫女装束そのものなんじゃがな」
「で、なんでデザインを変えたんですか」
「ああ、それは宴会の余興じゃ」
「…さいですか」
「こうやって生地を再構成すると、繊維の中に潜り込んだ異物、つまり汚れじゃな。それらも除けるので、洗濯も必要ないということじゃ。お主、わしが洗濯しておるところも、服を乾かしておるところも見たことないであろう。まあそもそもやっておらんわけじゃが」
「はあ、別に気にはしてませんでしたけど」
「まあ男ならそういうもんか。しかし残念じゃのう。わしの襦袢などが干してあれば、この襦袢は九尾比丘尼のどこの肌身に触れたものであろうかとか妄想を掻き立てられずにおられぬであろうが」
「あーはいはい。掻き立てられますねえ」
将平は静かにお茶を飲んだ。日程も二日目になって、将平も慣れ始めてきている。
「なにを悟りを開いた坊主みたいなこと言っとるんじゃ」
と、いう顛末でありました。
それでは時間を元に戻しましょう。
二人は、旭川を更に北上し、最北端、稚内は宗谷岬を堪能中…?
「寒っ! 風強っ!」
宗谷岬というか、稚内周辺は、季節風の関係で最北端でありながら、北海道内で比較すると、夏涼しく、冬暖かい気候になっています。あくまで北海道としてはですので、本州方面から来た方々には、いずれも寒いと感じるのは間違いないでしょうけど。
九尾比丘尼と将平が訪れた当日は曇り空でさらに結構風が強く、さほど高くない気温と相まって、半袖ではやはり肌寒いを通り越して、寒いとなりますよねえ。
「さ、さすが最北端じゃ。容赦ないのう」
いえいえ、北海道で本当に容赦ない寒さというのは、真夏でも死ねますから。そんな事を言える内はまだまだ余裕です。
「ともかく、なんかあったかいものでも」
「うむ。い、異論はない」
食堂なんかも兼ねている売店で、ホットミルクを飲みながら話をしています。
「九月でこの寒さは、さすがに厳しいですね。せめて長袖にしておけばよかったんじゃないですか」
「それがのう、服というか繊維の総量はそう簡単に変えることはできんのでな。半袖を長袖にしようとすれば、どこかを減らさねばならんのじゃ」
「いや、長袖のジャンバーとか買うだけでいいんじゃ…? 繊維にほぐしたりとかしないでそのまま着るだけで」
「あ」
そもそも九尾比丘尼が着ているのはいつも巫女服ばかりで、着替えるということがない。前述のように汚れても服を繊維から再構成するだけだし、破れても繕う必要もない。今回の旅にあったように繊維の総量が許す範囲でならファッションも自由自在なので、買うということが全く念頭にないのだった。
元より九尾狐となって最初に纏った衣服も、周りにあった草木の繊維を集めただけのものだったし、衣服に対するこだわりというものがないので、つい寒いのもそのまま我慢してしまったりするわけである。
続いて、利尻、礼文と渡って稚内に一泊した後、再び南下し、名寄からオホーツク海方面に向かう予定のはずだったんですが…。
「こりゃ、将平起きろ」
将平は客車の中でいつの間にか寝てしまっていたのだが、九尾比丘尼に起こされて目を開けると、そこは明らかに客車ではなく、駅の待合室だった。それもかなり小さめだ。
「ここどこですか」
「風連町」
「って、どこですかぁ!」
「ええと、名寄の隣町じゃな」
「そんなの知りませんよ。いつの間にここで降りてるんですか。今日の宿泊、紋別でしょ。早く次の汽車を調べないと」
「ああ、それなら心配いらん。今日の宿はここじゃから」
「はあ? 何をどうやったらそう変わるんですか」
九尾比丘尼は右手の親指と人差し指を九十度に開き、それをそのまま顎に持っていって、仁王立ちで言い放った。
「野生の勘」
キラッ。白い歯が眩しく光る。
…だが、将平の放った《時刻表(JTB全国版、総頁数600頁超)の角アタック》が九尾比丘尼の脳天に炸裂したのは言うまでもないであろう。
一時間後。小さいなれど街中の旅館の中にて。
「いやな、例の神仙の会合でここで何やら妙な事が起こっておるという事を聞き及んだものでな」
「それなら、そうと先に言ってくださいよ」
「すまんすまん。将平のうろたえ方がちょっと面白かったんでな」
「まあどうせ名寄で乗り換えるのだったんだから、降りるのはいいとして、なんで…」
将平の表情が微妙に胡乱なものに変わる。
「どうした将平」
「ちょっと美玲さん、伺いたいことがあるのですが、お答え願えますでしょうか」
「なんじゃ急にそんなかしこまった言いようになりおって。気色悪い」
「美玲さんは、また私めを操っておられたのでしょうか」
「いや、操るためには意識がきちんとしておることが前提じゃからな。操っている間の記憶は残さぬようにはできても、眠っておる者を操ることはできぬ」
「ではこの私めは、どなたかにご依頼されて、お運びになったのでしょうか」
「そんな面倒な事せんわ」
「では如何にして、お運びなされたのでしょうか」
「担いだ」
「はあ?」
「右手に二人分のバッグを持って、左手で将平を肩にひょいっとな」
「どっこいしょでもなくてですか」
「そこ問題か?」
「大問題ですよ。いやひょいっとか、どっこいしょか、じゃなくって。女性が大の男を肩に担いでって、何の事件ですか」
「ああ、確かに驚いたような顔をしていたのはいたような気はするが」
「俺もなんで寝てるかなあ、そこまでされて」
「そこはそれ、催眠させておったからな」
「結局あんたか」
「いや始めは別に眠らせていたわけではないぞ。将平が寝入っておったから、そういやこの先、噂になっておった所じゃのうと思ってな」
その時、旅館の人が声をかけてきた。
「タクシーが来ましたよ」
「はいはい。さ、行こうか」
「例の噂の所ですか」
まず二人が向かったのは、少し離れた中学校であった。その気になれば歩いても行ける距離である。
タクシーは今日の足として用いるために一日契約をしていたのだった。タクシーは外で待たせておいて、学校の教師と生徒から話を聞く。二人の触れ込みは新聞記者だった。ここは例の騙し(?)プレートが役に立つ。
内容は町内のあちこちで、見覚えのない子供が何人もの人にぶつかっているということだった。別にけが人が出たとかいう話もない。言ってみれば、どうということのないことだったのだが、問題は神仙の者が戯れで遠視や過去視で見ようとした時に、その子供にブロックがかかったように詳細を見通すことができなかった。それでも邪悪な気配というものは感じられなかったので、多少気にはなっていたがわざわざ現地に向かうまでもなく、そのままにしていて、集会の時の話に出たというわけである。
先刻の中学校の教師と生徒が、ぶつかられた当人である。ぶつかられたといっても、多少早足程度で、ちょっと歩く向きを変えてきたくらいのもので、遊んでいて前を見ていなかったのだろうくらいの事と思って、相手も小学生くらいに見えたので、気をつけてといった程度の声をかけただけだという。後になってみれば、服装としては、あまり小学生らしくはなかったと思えたが、それ以外に特におかしいと思えるところはなかったという。
「日中に小学生が歩き回っているというのは、変では?」
将平が教師の方に質問する。
「日中といっても、土曜日の三時頃でしたから」
生徒の方に聞く。
「僕は学校の帰り道です」
となると、時間帯としては確かにおかしい点は何もない。
「どれどれ」
九尾比丘尼も今話を聞いた教師を媒介にして過去視を試みた。子供の姿らしいものは観えた。だが確かに詳細を観ることができない。遠視を使って、今どこにいるかを観ようとしたが、これもうまくいかなかった。
「ふうむ、確かに妙と言えば妙であるかの」
次は地元の警察である。警察といっても、大きな警察署の建物があるわけではない。公民館を少し改装したような、建物だけでは警察署とはとてもわからない所だった。しかし看板は立派である。
こちらでも例の子供の件は、大ごとにはなっていないようだった。その子供に関連した、最も大きな事項というのが、十歳の女の子が突き飛ばされて泣かされたということだった。だが、これは目撃者がいて、突き飛ばされたというのは泣いた女の子の印象で、その現場を見た人の話では、ちょっと強めにぶつかっただけで、女の子は転んでもいないという。見ず知らずの男の子にぶつかられて、怖かったのだろうという話だった。
言ってみれば、その程度であったので、事件性はないものとして、少年課の方に一任されていたのであった。
ここまででようやく、その子供が男の子であるということがわかった。
「こういうものも、たまにはありかのう」
「普段だったら、九尾比丘尼様の千里眼で一発解決ですもんね。ですが、九尾比丘尼様の千里眼でも見えないということは、その少年は人間ではないことも…」
「ありうるな。人間でも子供の頃は無意識に人智を超えた力を発揮する者もおるが、今回のものはそれともちょっと違うな。もしやすると自失しておる神仙ということもありうる」
「自失…ですか?」
「本来、神仙は明確に己が神仙の力を得た事を知るのじゃ。その知らされる元が何であるかは、わからんのじゃがな。ところが、ごく稀にそれを知らぬ者が出てくることがある。それが自失じゃ。下手に人間の意識を持ち続けると危険な事もある。一番危ういのは、犯罪に用いることじゃな。人間の身からすれば、あまりにも強力な能力である故、そこに何らかの欲望が重なれば、犯罪につながる確率は大きい」
「金銭がどこにあるかはすぐに見えるし、姿を変えれば証拠も残らない」
「証拠という見方をすれば、凶器の隠滅も簡単な事じゃ。禁忌を知らぬとしたら、被害者そのものを隠滅することすらできる」
「禁忌とは?」
「神仙には神仙なりの不文律がある。例えば、人でも動物でも簡単に消し去ってはならんのじゃ。たとえ殺めたとしてもな。まあ、手練手管はいくらでもあるから、そうそう殺めるなどということは滅多にはないのじゃが」
「それなら殺すことから禁止すれば…」
「そこから禁じてしまうと、いざという時にどうもならん。故に禁じてはおらんのじゃ。街に供給される水源に毒を入れようとしている者には、その者にどんな理由があろうとも容赦は必要ないわ。実際にわし自身が手をかけた事もある」
九尾比丘尼の顔はかなり真剣な厳しい者になっていた。
「その…殺した相手というのは神仙ですか」
「ああ。人ならば止める手立てはいくらでもあった。ふう…さっきは少々浮かれておったが、最悪のことも考えねばならぬかもしれんな。今のところは大した状況にはなっておらんようじゃが」
「子供ですよね。あ、変化(へんげ)してたらわからないのか」
「とはいえ、行動が単純すぎる。目的があるとしても、その目的も皆目わからん。ただ単に人と関わる事のためにやっているというのなら、辻褄は合うのじゃが、それが目的だとは考え難い。浅すぎる」
「考えすぎじゃないんですか」
「むん?」
「辻褄の合う答えはあるわけでしょう。ただ単に人と関わることを目的にしているって。それと外見が子供だってことですよね。外見だけじゃなく、本当に子供なんだとしたら、わかりやすいですよ。その子はかまってほしいんです。相手に気にかけてもらいたいから、多少攻撃的…は言い過ぎかもしれませんが、ぶつかっているんでしょう。子供はただそれだけ、深くもなんともない理由で行動に突っ走りますよ」
「女の子がびっくりして泣いたというところは?」
「加減がわからないんですよ。気になる女の子に目をかけてもらいたくてちょっかいを出す男の子が、かえってその女の子から嫌われてしまう。小学生にありがちなパターンですね」
「ううむ…。どうにか会うだけでもできんものかのう」
「何か行動パターンみたいなものはないですかね。子供だったら、ちょっと気に入ったことがあると、同じ事を延々と繰り返したりもしますし」
「詳しいな」
「兄弟多いもんで。一番小さい弟とは十歳離れてますし」
「ほう。ということはその弟君はまだ中学生くらいか」
「ええ。つい二年ほど前まで小学生でしたからね」
「よし、わかった。その方面でいこう。そうなれば、出会うためには、どうするかな」
「単純に考えれば、同じ所で待っていれば出くわすでしょうね。一度上手くいった事があれば、同じことを飽きるまで繰り返すのはよくあることです」
「よし、待つか。じゃが、どこで待つかじゃのう」
「女の子を泣かせてしまった所以外は全部…ですかね」
「多すぎるわ! よし、近い所であるし、そこの公園にするぞ」
「理由は?」
九尾比丘尼は、勿体ぶって間を置いてから、徐ろに言い放った。
「野生のカン…、ぐはあっ!」
また炸裂しました。
(続く)
と、その前に。
気になっている方もおられるであろうから、時間を昨晩に戻すとしよう。
食事が終わってお茶を飲んでいる時、将平が尋ねた。
「なんで服が変わってるんですか? 活動的でない服は好みじゃないって言ってましたよね」
「うむ。巫女装束というのも見てくれ以上に活動的なものじゃからな。確かにこの服は…飛んだり跳ねたりは厳しいのう」
九尾比丘尼は腕を上げて軽く振った。
「それにその宴会と言ってもいいですか。そっちに荷物は持って行ってなかったですよね。その服はどうしたんです? サイズはきっちり合っているように見えますし、着ていた服はどうしたんですか」
「なんじゃ、お袋さまが言うようなセリフじゃのう。こんな感じで。
『まあ美玲ったら、こんな遅くまで何をしていたの』
『うるさいわね。何したって、あたしの自由でしょ。もうあたしも九百歳なんだから、自分のことくらい自分でできるわよ』
(なにこの小芝居。でもそこは九百歳なんだ)
『それに朝と着ている服が違うじゃないの。そんな、いつも趣味じゃないとか言っていた服、どこで着替えたの』
『べ、別にいいじゃない。趣味だって変わったりもするわよ』
『お父さん、お父さん。美玲が』
『なんだ美玲、その格好は』
『お姉ちゃん、なんかかわいくなってんじゃん』
(登場人物やけに増えましたけど)
『まあサエ子までそんなこと言うなんて。ああやはり血の繋がっていない親子はダメなのなのかしら』
『母さん、それは』
『え、お姉ちゃんが血の繋がってないってどういうことなの』
(そういう設定? ていうか人の嫁さんの名前使うなよ)
『ああ、あたしったら、なんてことを…』
…そろそろツッこんでくれい」
「あーもう、心の中で散々ツッこみましたともさ。で、結論は何です? 趣味が変わったってことですか?」
「いや今のにはなんの意味もない」
「ないんかい」
「こうじゃ」
右手を上げて軽く振ると、その右腕の袖だけが巫女装束のものに変わった。
「え、なんですか? 服に仕掛けがあるんですか」
「そういう方が逆に面倒じゃわい。お主、わしが身体すら遺伝子に至るまで変えておるというのに、衣服くらい自由自在にできんとでも思うとるのか」
また右腕を軽く振る毎に、袖が次々と変わってゆく。
「うわ。じゃあその服も」
「朝着ておったものと同じということじゃ。もっと突っ込んで言うと、いつも着ておる巫女装束そのものなんじゃがな」
「で、なんでデザインを変えたんですか」
「ああ、それは宴会の余興じゃ」
「…さいですか」
「こうやって生地を再構成すると、繊維の中に潜り込んだ異物、つまり汚れじゃな。それらも除けるので、洗濯も必要ないということじゃ。お主、わしが洗濯しておるところも、服を乾かしておるところも見たことないであろう。まあそもそもやっておらんわけじゃが」
「はあ、別に気にはしてませんでしたけど」
「まあ男ならそういうもんか。しかし残念じゃのう。わしの襦袢などが干してあれば、この襦袢は九尾比丘尼のどこの肌身に触れたものであろうかとか妄想を掻き立てられずにおられぬであろうが」
「あーはいはい。掻き立てられますねえ」
将平は静かにお茶を飲んだ。日程も二日目になって、将平も慣れ始めてきている。
「なにを悟りを開いた坊主みたいなこと言っとるんじゃ」
と、いう顛末でありました。
それでは時間を元に戻しましょう。
二人は、旭川を更に北上し、最北端、稚内は宗谷岬を堪能中…?
「寒っ! 風強っ!」
宗谷岬というか、稚内周辺は、季節風の関係で最北端でありながら、北海道内で比較すると、夏涼しく、冬暖かい気候になっています。あくまで北海道としてはですので、本州方面から来た方々には、いずれも寒いと感じるのは間違いないでしょうけど。
九尾比丘尼と将平が訪れた当日は曇り空でさらに結構風が強く、さほど高くない気温と相まって、半袖ではやはり肌寒いを通り越して、寒いとなりますよねえ。
「さ、さすが最北端じゃ。容赦ないのう」
いえいえ、北海道で本当に容赦ない寒さというのは、真夏でも死ねますから。そんな事を言える内はまだまだ余裕です。
「ともかく、なんかあったかいものでも」
「うむ。い、異論はない」
食堂なんかも兼ねている売店で、ホットミルクを飲みながら話をしています。
「九月でこの寒さは、さすがに厳しいですね。せめて長袖にしておけばよかったんじゃないですか」
「それがのう、服というか繊維の総量はそう簡単に変えることはできんのでな。半袖を長袖にしようとすれば、どこかを減らさねばならんのじゃ」
「いや、長袖のジャンバーとか買うだけでいいんじゃ…? 繊維にほぐしたりとかしないでそのまま着るだけで」
「あ」
そもそも九尾比丘尼が着ているのはいつも巫女服ばかりで、着替えるということがない。前述のように汚れても服を繊維から再構成するだけだし、破れても繕う必要もない。今回の旅にあったように繊維の総量が許す範囲でならファッションも自由自在なので、買うということが全く念頭にないのだった。
元より九尾狐となって最初に纏った衣服も、周りにあった草木の繊維を集めただけのものだったし、衣服に対するこだわりというものがないので、つい寒いのもそのまま我慢してしまったりするわけである。
続いて、利尻、礼文と渡って稚内に一泊した後、再び南下し、名寄からオホーツク海方面に向かう予定のはずだったんですが…。
「こりゃ、将平起きろ」
将平は客車の中でいつの間にか寝てしまっていたのだが、九尾比丘尼に起こされて目を開けると、そこは明らかに客車ではなく、駅の待合室だった。それもかなり小さめだ。
「ここどこですか」
「風連町」
「って、どこですかぁ!」
「ええと、名寄の隣町じゃな」
「そんなの知りませんよ。いつの間にここで降りてるんですか。今日の宿泊、紋別でしょ。早く次の汽車を調べないと」
「ああ、それなら心配いらん。今日の宿はここじゃから」
「はあ? 何をどうやったらそう変わるんですか」
九尾比丘尼は右手の親指と人差し指を九十度に開き、それをそのまま顎に持っていって、仁王立ちで言い放った。
「野生の勘」
キラッ。白い歯が眩しく光る。
…だが、将平の放った《時刻表(JTB全国版、総頁数600頁超)の角アタック》が九尾比丘尼の脳天に炸裂したのは言うまでもないであろう。
一時間後。小さいなれど街中の旅館の中にて。
「いやな、例の神仙の会合でここで何やら妙な事が起こっておるという事を聞き及んだものでな」
「それなら、そうと先に言ってくださいよ」
「すまんすまん。将平のうろたえ方がちょっと面白かったんでな」
「まあどうせ名寄で乗り換えるのだったんだから、降りるのはいいとして、なんで…」
将平の表情が微妙に胡乱なものに変わる。
「どうした将平」
「ちょっと美玲さん、伺いたいことがあるのですが、お答え願えますでしょうか」
「なんじゃ急にそんなかしこまった言いようになりおって。気色悪い」
「美玲さんは、また私めを操っておられたのでしょうか」
「いや、操るためには意識がきちんとしておることが前提じゃからな。操っている間の記憶は残さぬようにはできても、眠っておる者を操ることはできぬ」
「ではこの私めは、どなたかにご依頼されて、お運びになったのでしょうか」
「そんな面倒な事せんわ」
「では如何にして、お運びなされたのでしょうか」
「担いだ」
「はあ?」
「右手に二人分のバッグを持って、左手で将平を肩にひょいっとな」
「どっこいしょでもなくてですか」
「そこ問題か?」
「大問題ですよ。いやひょいっとか、どっこいしょか、じゃなくって。女性が大の男を肩に担いでって、何の事件ですか」
「ああ、確かに驚いたような顔をしていたのはいたような気はするが」
「俺もなんで寝てるかなあ、そこまでされて」
「そこはそれ、催眠させておったからな」
「結局あんたか」
「いや始めは別に眠らせていたわけではないぞ。将平が寝入っておったから、そういやこの先、噂になっておった所じゃのうと思ってな」
その時、旅館の人が声をかけてきた。
「タクシーが来ましたよ」
「はいはい。さ、行こうか」
「例の噂の所ですか」
まず二人が向かったのは、少し離れた中学校であった。その気になれば歩いても行ける距離である。
タクシーは今日の足として用いるために一日契約をしていたのだった。タクシーは外で待たせておいて、学校の教師と生徒から話を聞く。二人の触れ込みは新聞記者だった。ここは例の騙し(?)プレートが役に立つ。
内容は町内のあちこちで、見覚えのない子供が何人もの人にぶつかっているということだった。別にけが人が出たとかいう話もない。言ってみれば、どうということのないことだったのだが、問題は神仙の者が戯れで遠視や過去視で見ようとした時に、その子供にブロックがかかったように詳細を見通すことができなかった。それでも邪悪な気配というものは感じられなかったので、多少気にはなっていたがわざわざ現地に向かうまでもなく、そのままにしていて、集会の時の話に出たというわけである。
先刻の中学校の教師と生徒が、ぶつかられた当人である。ぶつかられたといっても、多少早足程度で、ちょっと歩く向きを変えてきたくらいのもので、遊んでいて前を見ていなかったのだろうくらいの事と思って、相手も小学生くらいに見えたので、気をつけてといった程度の声をかけただけだという。後になってみれば、服装としては、あまり小学生らしくはなかったと思えたが、それ以外に特におかしいと思えるところはなかったという。
「日中に小学生が歩き回っているというのは、変では?」
将平が教師の方に質問する。
「日中といっても、土曜日の三時頃でしたから」
生徒の方に聞く。
「僕は学校の帰り道です」
となると、時間帯としては確かにおかしい点は何もない。
「どれどれ」
九尾比丘尼も今話を聞いた教師を媒介にして過去視を試みた。子供の姿らしいものは観えた。だが確かに詳細を観ることができない。遠視を使って、今どこにいるかを観ようとしたが、これもうまくいかなかった。
「ふうむ、確かに妙と言えば妙であるかの」
次は地元の警察である。警察といっても、大きな警察署の建物があるわけではない。公民館を少し改装したような、建物だけでは警察署とはとてもわからない所だった。しかし看板は立派である。
こちらでも例の子供の件は、大ごとにはなっていないようだった。その子供に関連した、最も大きな事項というのが、十歳の女の子が突き飛ばされて泣かされたということだった。だが、これは目撃者がいて、突き飛ばされたというのは泣いた女の子の印象で、その現場を見た人の話では、ちょっと強めにぶつかっただけで、女の子は転んでもいないという。見ず知らずの男の子にぶつかられて、怖かったのだろうという話だった。
言ってみれば、その程度であったので、事件性はないものとして、少年課の方に一任されていたのであった。
ここまででようやく、その子供が男の子であるということがわかった。
「こういうものも、たまにはありかのう」
「普段だったら、九尾比丘尼様の千里眼で一発解決ですもんね。ですが、九尾比丘尼様の千里眼でも見えないということは、その少年は人間ではないことも…」
「ありうるな。人間でも子供の頃は無意識に人智を超えた力を発揮する者もおるが、今回のものはそれともちょっと違うな。もしやすると自失しておる神仙ということもありうる」
「自失…ですか?」
「本来、神仙は明確に己が神仙の力を得た事を知るのじゃ。その知らされる元が何であるかは、わからんのじゃがな。ところが、ごく稀にそれを知らぬ者が出てくることがある。それが自失じゃ。下手に人間の意識を持ち続けると危険な事もある。一番危ういのは、犯罪に用いることじゃな。人間の身からすれば、あまりにも強力な能力である故、そこに何らかの欲望が重なれば、犯罪につながる確率は大きい」
「金銭がどこにあるかはすぐに見えるし、姿を変えれば証拠も残らない」
「証拠という見方をすれば、凶器の隠滅も簡単な事じゃ。禁忌を知らぬとしたら、被害者そのものを隠滅することすらできる」
「禁忌とは?」
「神仙には神仙なりの不文律がある。例えば、人でも動物でも簡単に消し去ってはならんのじゃ。たとえ殺めたとしてもな。まあ、手練手管はいくらでもあるから、そうそう殺めるなどということは滅多にはないのじゃが」
「それなら殺すことから禁止すれば…」
「そこから禁じてしまうと、いざという時にどうもならん。故に禁じてはおらんのじゃ。街に供給される水源に毒を入れようとしている者には、その者にどんな理由があろうとも容赦は必要ないわ。実際にわし自身が手をかけた事もある」
九尾比丘尼の顔はかなり真剣な厳しい者になっていた。
「その…殺した相手というのは神仙ですか」
「ああ。人ならば止める手立てはいくらでもあった。ふう…さっきは少々浮かれておったが、最悪のことも考えねばならぬかもしれんな。今のところは大した状況にはなっておらんようじゃが」
「子供ですよね。あ、変化(へんげ)してたらわからないのか」
「とはいえ、行動が単純すぎる。目的があるとしても、その目的も皆目わからん。ただ単に人と関わる事のためにやっているというのなら、辻褄は合うのじゃが、それが目的だとは考え難い。浅すぎる」
「考えすぎじゃないんですか」
「むん?」
「辻褄の合う答えはあるわけでしょう。ただ単に人と関わることを目的にしているって。それと外見が子供だってことですよね。外見だけじゃなく、本当に子供なんだとしたら、わかりやすいですよ。その子はかまってほしいんです。相手に気にかけてもらいたいから、多少攻撃的…は言い過ぎかもしれませんが、ぶつかっているんでしょう。子供はただそれだけ、深くもなんともない理由で行動に突っ走りますよ」
「女の子がびっくりして泣いたというところは?」
「加減がわからないんですよ。気になる女の子に目をかけてもらいたくてちょっかいを出す男の子が、かえってその女の子から嫌われてしまう。小学生にありがちなパターンですね」
「ううむ…。どうにか会うだけでもできんものかのう」
「何か行動パターンみたいなものはないですかね。子供だったら、ちょっと気に入ったことがあると、同じ事を延々と繰り返したりもしますし」
「詳しいな」
「兄弟多いもんで。一番小さい弟とは十歳離れてますし」
「ほう。ということはその弟君はまだ中学生くらいか」
「ええ。つい二年ほど前まで小学生でしたからね」
「よし、わかった。その方面でいこう。そうなれば、出会うためには、どうするかな」
「単純に考えれば、同じ所で待っていれば出くわすでしょうね。一度上手くいった事があれば、同じことを飽きるまで繰り返すのはよくあることです」
「よし、待つか。じゃが、どこで待つかじゃのう」
「女の子を泣かせてしまった所以外は全部…ですかね」
「多すぎるわ! よし、近い所であるし、そこの公園にするぞ」
「理由は?」
九尾比丘尼は、勿体ぶって間を置いてから、徐ろに言い放った。
「野生のカン…、ぐはあっ!」
また炸裂しました。
(続く)
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