上 下
2 / 9

ルルーが来た!

しおりを挟む
 ルルーは長年テーのマネージャーとして、そして身の周りの世話役としても働いている。
 ルルーは元々はテーの元にやってきた弟子入り志願の一人であったのだが、魔術師としての才能はなかった。元よりその時期のテーは弟子を受け入れていなかったこともある。それでも諦めきれなかったルルーは、一大決心をしてテーの自宅に押しかけて、家政婦として働かせてくれるよう頼み込んだ。最初は断ったテーであったが、一週間だけ試させてくれという熱意に負け、とりあえず置くことにはしたが、その一週間だけで帰すつもりでいた。
 テーは当時三十九歳。古い馴染みの友人である占術師カノイの出す企画も当たり、順風満帆の日々を過ごしており、特に家のことをしてもらう者は必要ではなかったのだ。
 ルルーは押しかけで来るだけあって、家事全般見事にこなしており、それについては及第点以上と言えたが、それだけではテーが考えていた通り、一週間で帰されることになっていたであろう。

 ルルーが来て五日目の夕食を終えて、お茶を飲むテー。いつも食事を取る部屋は畳敷きの四畳半で、ちゃぶ台があり、そこで正座で食事をしている。お茶を飲む今も正座は崩さずにいる。お茶の器はかなり大きめの湯飲みで、中は緑茶である。
 ルルーがお茶請けの菓子も用意してやってくる。
「ルルー、ちょっと座って」
 テーに言われ、ルルーはお盆を前に抱えたままでテーの正面でなく、少し横に座る。
「あなたはここに来て、良く働いてくれています。仕事も丁寧で、失敗らしい失敗もありません。間違えた時なども、きちんと私に報告してくれています。家政婦として申し分ない働きぶりです」
「ありがとうございます」
 ルルーの顔に笑みが浮かぶ。
「ですが、自分の事の範囲であれば、私自身でもできます。あなたの働きぶりであれば、ここでなくとも十分に通用するでしょう」
「ですが、私はテー様だからこそ」
「待って。まだ話は終わってないの。もう少し聞いてちょうだい」
「はい…」
 一転表情が曇る。この先を聞くのも辛そうな表情である。
 テーはまたお茶を一口飲む。
「先ほど言ったように、あなたほどきちんとはできないけど、自分に必要な事は自分でできます」
「…」
「ですが、これは私にはできません。これだけ美味しいお茶を淹れることはね」
 またお茶を口にする。
「さて、ルルー・チャン」
「はい」
「あなたはこの先、私にお茶を淹れてくれることはできるかしら」
「この先…」
「この先、ずっとね」
 やっとルルーはテーの意図を理解した。ルルーの目に涙が溢れる。
「はい、はい。ずっとします。させてください」
 ルルーはお盆で半分顔を隠すような感じにして泣き出した。
「良かった…テー様が、あたしを認めてくれた…」
「まだよ、ルルー。この先も続けてしてもらうためには、条件があります。もしも、それができないというのであれば、残念ですが、お家に帰ってもらうしかありません」
 テーの言葉は静かであったが、優しいものではなく、厳しく言い放っていた。ルルーは涙を拭いてテーの次の言葉を待つ。
「その前に、あなた歳はいくつ?」
「十六…です」
「じゅ、じゅうろく~?」
 半ばずっこけるような感じで思わず妙なイントネーションで言ってしまうテーであった。
「あたし、ずっとテー様に憧れていました。テー様のお弟子になりたい一心で、両親も説得して十六になったらテー様の所に行ってもいいって言ってくれました。だからすぐに来たんです。でも…魔法の才能はないって言われて…。でも、諦められなかったんです。なんでもいいからテー様のお役に立ちたいって思って、それで無礼を承知で、お家に…」
「ふうん…。ともかくご両親は、ちゃんとご存知なのね。あなたがここにいることは」
「はい。それは知らせました」
「まあ、それならいいんだけど。それでお家はどこなの?」
「近冠国の…」
「近冠国? イオンですらないの?」
「はい」
「うわー、まいったなあ。いや、初めにちゃんと確認しなかった、あたしのミスよね。ああ、ルルー、そんな顔しなくても大丈夫。法律とか規則に違反してるわけじゃないから。そうだ、パスポート見せてくれる?」
「持ってきます」
 ルルーは荷物を置いてある部屋に行って、パスポートを持ってくる。
「あらら、本当に近冠国だ。十六歳だー。ん? 入国は空港で?」
「はい。お金だけなら船の方が安かったんですけど、近冠国とイオンは船の直通便がなかったんです」
「ああ。下手なところ経由したら、何日待たされることになるかわからないもんねえ」
「それで直通便のある飛行機で。ザムテーク・マイゼン空港の便がありましたし」
 テーはパスポートを閉じて、ルルーに返す。
「あなた結構大人びた顔立ちなんで、わからなかったわ。まあ、それならそれでいいわ。さっきも言ったように、悪い事も変な事を言われる事もしているわけじゃないから。さ、本題に戻るわよ。あなたがここで働くための条件。一つだけじゃないからね。まず一つ目」
 ルルーの喉がゴクリと鳴る。
「食事は同じ物を二人分作ること。そして、あなたとわたし、いっしょに食べること」
「えっ…」
「難しいことじゃないでしょう」
「で、でも」
「あのねルルー、わたしは家政婦を雇いたいわけじゃないの。こんなに美味しいお茶を淹れてくれる、私にできないことをしてくれる娘がお食事も作ってくれる。ねえルルー、そんな素敵なことをただ一人で味わうなんて勿体無いじゃない。わたしはあなたにできないことができるわ。あなたもわたしにできないことができる。あなたはわたしの部下でも、下働きでもないの。これからここにいる以上、家族なのよ。家族が一つの食卓を囲むのは当たり前のことでしょう」
 ルルーは、テーが家族と言ってくれたことが嬉しかった。感動すら覚えていた。しかし、小さな頃から憧れていたテー。その人と自分を同列に置くことはどうしてもできなかったのだ。
 なんとなくではあるが、テーにもその事がわかった。自分を慕い、敬ってくれるのは嬉しいが、崇拝となると話は別である。
 ルルーはどう答えていいものか考えが定まらず、少しうつむいたままでいた。テーはその額にそっと指を立てて、正面を向かせる。ルルーの見たテーの顔は口をへの字して、少し目を細めていた。怒っている、というのとはちょっと違う。そしてテーはルルーの頬を両手でつまんだ。
「テーひゃま?」
 テーはそのままルルーの頬を指でプニプニと遊ぶように動かした。
「あ、あにょお」
「柔らかくって、みずみずしくて、お化粧ひとつしていないのに艶やかなお肌。あーあ、あたしも若い頃はこんなんだったのよね。若いっていうだけで、羨ましくなっちゃうわ、本当に」
 テーの顔はいつしか微笑んでいた。ルルーの顔がほころび、思わず笑いがこぼれる。
「テー様が、う、羨ましいだなんて」
 お互いひとしきり笑って、静かにテーが話し始める。
「あたしもね、他の人のいろーんな事が羨ましくなる、ただの人間なの。本当にそれ以上でもそれ以下でもないわ。人よりも占術系魔法は得意だけど、あたしよりいいもの得意なことを持っている人に嫉妬もするし、自分のできないことで落ち込んだりもするの。そんな時があったら、ルルーが助けてくれたら、嬉しいな」
「あたしにできるでしょうか」
「できるわ。あなた、とても頭がいいもの」
「あたし中学校しか行ってませんよ」
「そっちじゃなくて、人の言うことをすぐに正確に理解するってこと。空気が読めて、その時にどうしたらいいかもよくわかってる。ルルー、あたしはあなたにいてもらいたい。だからこそ、まず、一緒にご飯を食べよう」
「…わかりました。明日の朝から、そうします」
「OK、まず一つクリアね」
「いくつあるんでしょう」
「今にところ全部で三つよ。話の途中で増えるかもしれないけど」
「あと二つですか」
「では、二つ目。学校に通いなさい」
「学校ですか」
「うん。今十六でしょ。まだ充分に間に合うわよ。せめて高校は行っておきなさいよ。あたしは高卒で就職して、会社が倒産した後フリーターやってたから、あまり偉そうなことも言えないんだけど、何か学びたいと思うことがあるなら、大学だって行きなさい」
「え? 就職…にフリーターですか? 本当なんですか」
 ルルーの表情が曇る。
「いや、本人が言ってるんだけど…。あなた、どういったことを聞かされてたのよ」
「あの…、聖なる光に導かれて」
「ごめん、もういいわ。テレビで? 本か雑誌で?」
「本です。持ってます」
「見せて」
 しかし、ルルーの持ってきた本は、近冠国の母国語、ケイルム語の物だった。テーはまったく読めない。
「偉大なる魔術師テーの聖法記、です」
「内容は言わなくていいわ。タイトルだけでカユくなりそうな気配バンバンするもの。奥付けだけ読んでくれる?」
 ルルーの言った奥付けは、版元がエンガルの会社であった。テーはその会社を嫌と言うほど覚えている。思わずため息が出る。
「そことは裁判終わっちゃってるのよねえ。今さら追加情報あっても、しょうがないわ。まったく、まだ毒振りまいてるのか、あそこの本は」
「テー様が、就職…」
「ルルー」
「は、はい」
「悪いけど、一つ増えた。というかこっちの方が先だわ」
「どんな事ですか」
「あたしの本当の事、きちんと知って、きちんと理解しなさい。あたしが話すから。嘘偽りなく全部。もしも、それであなたが幻滅したとか言うのなら、それも仕方ない。このハードルを越えないと、あたし達はまともな関係じゃいられないもの。まだちょっと引っかかってる事はあったのよね。こんなのがあるなんて思ってなかったわ」
「うう…」
「悪いけど、あなたの崇拝していたテー様は、お話の中のただの偶像、嘘っぱち。その偶像にしがみついていたいのなら、この場を去るしかないわよ。残酷かもしれないけど、嘘で固められた姿に見られるのはまっぴらなの」
「テー様…」
 ルルーはテーの勢いに気圧される。しかし、テーはにっこりと笑い、ルルーの手を取った。
「言ったでしょ、家族だって。まだたった五日だけど、あなたはわたしにとって大切な人なのよ。役に立つとか、そういう意味じゃなくてね」
 そう言われ、ルルーも決心がついたようだった。
「わかりました。あの本の事はウソだったんですね。お願いします。教えてください」
「ええ。もう一回言うけど、覚悟してね」
 それからテーはルルーに語り続けた。語り終えた時は、夜もかなりふけた時間となっていた。
「じゃあこの本は何も本当のこと書いてないじゃないですか」
「ひどいでしょ。あたしの名前じゃなくて、別の架空の人の名前、架空の場所にしたら小説として成り立つわよきっと。そっちに力を入れたらそれなりに売れたんじゃないかと思うくらいだもの。実際にそれをやってたら現実とは完全に違うから、あたしも気づかないんじゃないのかしら。あたしがモデルだとか」
「怒りを通り越して、呆れちゃいますね」
「当人は通り越すことはないわけなのよ」
「す、すいません」
「いいのよ。あなたが悪いわけじゃない。この本自体も悪くはないの。悪いのはそういうことで金儲けを企む輩よ。あなたのような人の憧れとか、貴ぶ心を喰い物にしようとする連中ね」
「裁判はどうなったんですか」
「勝ったわ。でも、ぎりぎりなんとかってところでね。賠償金と今後の販売差し止めは取れたけど、既に出てしまった書籍の回収までは…無理。書店は協力してくれた所もあるわ。けど、売れてしまった個人の所有物になってしまった物は追いかけようがないからね」
「この本も、ネットオークションで買ったものです」
「それもあるわよね。個人の取引は止めようがない。あたしも一応有名人ではあるから、関連の物は値はそれなりに付くのよね」
「どうしたらいいんでしょう。この本は」
「別にいいわ。あなたが私のことを正しく理解してくれれば、持っていても手放しても。さっきも言った通り、その本自体は良いも悪いもないの。なんかすっかり遅くなっちゃったわね。全部は話しきれなかったけど、私たちにとって必要な事は話せたわ。続きは明日にして、今日はもう休みましょう」
「はい」
 そしてテーはルルーに向かってにっこりと笑った。
「明日からよろしくね」
「は、はい」

 こうしてルルーはテーの元に住まうようになった。
 ルルーは家事全般だけでなく、学業にも身を入れて、大学ではマネージメント関連の習得を行ない、テーのマネージャーとして見事に勤めている。
 そんなルルーも今では当時のテーと同じ三十九歳。浮いた話もなかったわけではないのだが、一番身近にいる人が高名で人身潔白な者となると、周囲の者はどうしてもかすんで見えてしまう。
 そうしなければいいだけの話なのだが、どうしてもテーとの比較をしてしまうので、わずかな欠点も心象的にアウトとなってしまって、男女の付き合いというところまで発展しなかったのである。
 テーにも指摘されたことであるが、ルルーの返答は
「いいんです。そう言われるテー様はどうなんですか」
 ぐっと返答に詰まることを返されるのであった。とはいえ、テーの場合は単純に縁がなかっただけの話で、恋愛や結婚に否定的なわけではないのであるが。
 とにもかくにも相手が気おくれしてしまい、男女間の付き合いにまで発展しなかったのである。友人として、知人として親しい者や、テーから見ても尊敬できる人物は数多いが、何の因果であるか、お互いを同等と見て恋愛を語るような人物に出会うことがなかったのであった。

 そんなこんなで、年の差が親子ほども離れている間柄ながら、お互いを大切に思い、信頼しあっている二人。この先もつつがなく過ごす日々となるのは想像に難しくないであろう。

(了)
しおりを挟む

処理中です...