『闇を見る眼』

segakiyui

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第3章

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 とにかく、様子を見てみよう。
 体調が悪そうだったりしたら、それとなく顔色が悪いですよ、とかそんな感じで伝えられたら。
 そう考えて、美並はそれから時々そのコンビニに通うようになった。
「こんにちは」
「こんにちは。今日はサンドイッチ?」
「と、新刊」
「ああ」
 相手が笑いながらマンガとサンドとカフェラテを取り上げていくのに微笑み返しながら、そっと腹のあたりを盗み見る。時々薄赤い感じでゆらゆらしている靄は次第に濃く黒みがかっていくみたいに思える。もしものときを考えて、レジのたびに挨拶したり会話をしたりして、何か言えるような雰囲気も作ってみたが、いつ言い出せばいいのかわからない。
 それにどう言い出せばいいのかも。
 あなたのお腹のあたりに曇りがあるんですよ。
 君、霊能者か何か、と苦笑されそうだ。
 体調悪くないですか、と切り出すと今度は新興宗教の勧誘かと疑われそうだし。
 けれど確実にその澱みは濃くなっていくようで、あまり時間がないような気もするし。
「ありがとう」
「ありがとうございました」
 にこやかに微笑み返す相手にずきりとして美並は軽く頭を下げ、店を出て行こうとしてちょっと瞬きする。
 あれ?
「忘れもの?」
「あ、はい、授業で使うレポート用紙、なくなってたかも、って」
「そこにありますよ」
「はい」
 頷いて美並は店の中に戻り、レポート用紙と一緒に他のものも探す顔で棚を見つつ、そろそろと顔を上げて、棚を挟んだ向こう、雑誌のコーナーで外に向かって週刊誌を広げている男を見遣った。
 やっぱりそうだ。
 この男は前もここに居た。
 別に近くの住民ならコンビニに来ることは不自然じゃないだろうけれど、気になったのは美並がうろうろする夕方の5時6時に背広姿の30前後の男が20分も同じ週刊誌を見ている、ということだ。 
 服装はきちんとしている。靴も磨かれているし、シャツもネクタイもすっきりした品のいいもの、無難な色だし物腰も静かだからどこかの営業マンなのかもしれない。だから逆に違和感がある。どう見ても仕事がうまくいってそうな雰囲気、ならばこんな時間に、それも数回同じような状態で出くわすというのは妙だ。
 それに初めて見た時から気になっていたのだけれど、この男には左脇腹に妙な揺らぎがある。体が微かに引けているような警戒がそこだけに溜まっていて、淡いピンク色に煙って見える。けれど、それがいつもはっきりしているわけじゃなくて、まるで痕跡みたいに濃くなったり薄くなったりする。薄い時は男の気配も少し柔らかだけど、濃い時は緊張が増してる、そうも見える。
 それでも普段なら美並もそれほど気にはしない。
 なのに、今日ばかりは引っ掛かったのは、男の開いているページがさっきからほとんど動かないことだ。
 どこかの営業マン風の男が人気の少ないコンビニで20分もじっと同じページを見つめているのに出くわす。
 つまりそれは、週刊誌の立ち読みが目的ではないということだ。
 このコンビニに居ることが目的、もしくは何か別のことを考えて店の中に居る、そういうこと。
 思わず不安になって振り返った美並は、同じように男を凝視しているレジの青年と目が合った。
「…すみません、これ、追加」
「はい、ありがとうございます」
 店の中には美並と青年と男しかいない。
 青年の腹のあたりには依然鈍い色の靄が渦巻いている。男のピンクは初めて見る類だけど、青年が男の方をちらちら見るたびに腹の靄の色が濃くなっていくようで、美並はためらった。
 何だろう。
 何か、あの男に関係していることなのだろうか。
 思い出したのは先日新聞で報道されていたコンビニ強盗の記事だ。犯人はまだ捕まっていなくて、あちこちのコンビニが転々と狙われているらしい。抵抗した店員が刃物で刺されたりもしている。
 ひょっとしたら。
「……」
 思いついた可能性に美並は緊張する。
 この「よくないもの」というのが、老人の病気と同じように、命の危険を意味するものだったとしたら。
 あのまともそうな男が実は強盗を企んでいて、あの左脇腹に何か隠しているとしたら。
「あの…」
「……うん」
 美並の視線に青年は軽く頷いて、もう一度男を見遣った。
「いろいろ怖い事件がありますから」
 唐突に明るい声で言い出した。
「気をつけて下さいね」
「あ、ありがとうございます」
「帰りも暗くなってるから」
「はい」
 ひょい、と急に男は週刊誌を棚に戻した。そのまま肩を聳やかすように店を出ていく。
「………」
 無言で男を見送っていた青年が我に返ったように美並を見た。
「ごめんね、怖い思いをさせたでしょう?」
「大丈夫です、でも、あの」
 気をつけてくださいね。
「ありがとう」
 青年は微笑み、美並にレシートを渡しながら、また掌に触れた。
「今度」
「え?」
「映画行かない?」
「あ」
 一気に顔が熱くなって、美並は慌てて顔を上げ、ふいに固まる。
 青年の唇に鈍色の靄がかかっていた。
 
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