171 / 259
第4章
30
しおりを挟む
「すみません、何度か呼ばれてました?」
「ううん、初めてだけど」
石塚は首を振り、これ、どう思う、とパソコン画面を指差した。
「? ウェイターの制服……?」
白シャツ、黒スラックスに同色カフェエプロンをまとった女性が、にっこり微笑んでいる。
「これなら体型とか年齢とか構わずに、結構スマートに見えるわよね」
「ええ、はい…?」
頷いたものの、さすがに相手の意図がわからずに美並は首を傾げる。
「まだ確定じゃないんだけど」
『ニット・キャンパス』のオープン・イベントに屋台が出るでしょ?
「ちょっと出店数が厳しいかもしれないから、各企業にブースの提案が求められるかもしれないんだって」
「そうなんですか?」
それは初耳だ、というより、真崎も口にしていなかった情報ではないだろうか。
「どこからそれを?」
「ああ、まあ、その、いろいろ」
石塚は微妙な表情で珍しくばたばたと手を振った。気のせいか薄赤くなってもいるようだ。
「高崎くんに話を振ったら、食いつきはよかったわよ」
メイド喫茶とかいいなあとか目尻下げてたけど。
「メイド喫茶……ああ、それで」
なるほど、もし桜木通販でそういうブースを考えるとしたら、元々が流通しかなかったところだから、今すぐこれといってできるような展示もなし、ならばいっそ学園祭の出店よろしく雰囲気を盛り上げる方向で考えよう、そういう発想なのだろう。もちろん、そうなれば女子社員、つまりは美並や石塚が『メイド』にさせられる可能性は大きいわけで。
「まあもちろん、最大の難関はあれだと思うけど」
くい、と顎で指し示したのは真崎の席だ。
「絶対叫ぶわよ、だめだめだめだめっ、とか」
「そうですね」
真崎の反応を簡単に想像できて、二人でくすくす笑った。
「で、ほら伊吹さんはいいけど、私はそれなりにそれなりの歳だから」
体型もまあそれなりにだから。
石塚がまた薄く赤くなった。
「でもまあ、お祭りならいいんじゃないかって気にも、少しなったから」
「つまりメイド服じゃなくて、こういう格好なら」
「納得しそうじゃない?」
「かもしれません」
「だからさ」
もし、そういうことがあったら、あっちの説得はお願い。
「そうですね」
頑張ってみます、と請け負う。
それまでに孝の一件が片付いて、『ニット・キャンパス』に集中できれば言うことなしだが、と溜め息をついたが、
「でも……珍しいですね」
「え?」
「石塚さんがこういうイベントに」
「あ、ああ、そのまあ」
石塚がふいにぎゅっと眉を寄せた。
「まあ社内でいろいろ後押しもしてくれるみたいだし、他の課も様子を見に来る、手伝うって言うから」
「もしかして」
高山さんですか?
「べっ」
別にそういうことじゃないのよただまあそのそれなりに付き合いも長いし最近いろいろ話すことも多くなったしそういうあたりで同期としてはね。
一気に石塚がまくしたてて、ちょっと呆気にとられると、はっとしたように相手は口を噤み、一転表情を変えた。
「評議会の青年部部長、真崎大輔」
「はい」
「課長のお兄さんよね?」
「……ええ」
「……よくない噂があるらしいじゃない」
石塚が今度は本気で顔をしかめた。
「喜多村会長と親しいとか」
「よくご存知ですね?」
意外と言えば意外な話に瞬きをすると、少しためらった石塚がああ、と溜め息をついた。
「遅かれ早かれわかるだろうから、話しとくけど」
「はい」
「私,実はボランティアグループに参加しててね」
そのグループが今度の『ニット・キャンパス』にも参加する。
「着なくなったニットを再利用したり、必要な所へ贈ろうという運動で」
「ああ……ひょっとして」
地域のパワフルなおばさん達、と思い出すと、そうそう、と苦笑いした。
「出店の話もそこからの流れなんだけど。それで今流れてる噂っていうのが」
真崎大輔っていうのが、裏でいかがわしいパーティを開いてもうけてるってやつでね。
思わずぎょっとして石塚を見る。脳裏に『飯島』が死体で見つかったという話が過った。
「実は……仲間の一人の娘さんがね」
石塚は声を低めた。
「その、よくない場所に連れ込まれそうになったって言うのよ」
「…それは」
「幸い、直前に親戚が通りがかって声をかけたから逃げられたらしいんだけど」
それから大学にも行けなくなって。
「優秀な子で、大学側も期待してたところがあったから、結構あれこれね、あったのよ」
それで、まあ、そういう事情がわかってきて。
「場所が『ハイウィンド・リール』だってあたりで、喜田村会長に繋がってきたらしくてね」
あの人は『ハイウィンド・リール』のかなり大きな株主なのよ。
「株主総会のときに、そういう噂があるが、と突っ込んだのが居たらしいわよ」
喜田村会長をよく思っていない相手が紛れ込ませた総会屋崩れだったらしいって。
「どこまでがほんとかわからないけど」
火のないところに煙は立たずって言うでしょ。
しばらく秘密を抱えていたのだろう、石塚は一気に話し終えると、ほう、と深い息を吐いた。
「それがらみで、こっちも何か食らうんじゃないかって、高山さんも心配してるのよねえ」
「高山さんが…」
「5年前みたいなごたごたはこりごりだからって……あ」
「5年前?」
それは美並がここに来る前の話だ。
「5年前にも似たようなことがあったんですか?」
「……内緒よ」
「はい」
「緑川課長って言うのが居て。社長の親類なんだけど」
これまた色ぼけじじいで。
石塚がばさりと切り捨てたところによると、5年前、経理部に居た緑川という男が似たようなグループと関わりを持って、かなりややこしいことになったらしい。
「そこでトップが代わって会社の改編をやって」
そこで今の桜木元子が社長を締め、真崎も課長昇進になったらしい。
「周囲は若すぎるって反対したけど英断だったわね」
じゃあ、伊吹さんは何も知らないのね、そう笑う石塚にすみません、と改めて頭を下げながら、伊吹は奇妙な符号に不安になった。
5年前の同じような事件。
ひょっとしてそれは、美並と有沢が掴み損ねたあの事件に繋がっているのではないか。
そして難波孝は、それに巻き込まれたりはしていないだろうか。
美並は手帳を取り出した。
ハルとの約束は外せない、けれど、このことは有沢には連絡を取る必要がある。
もしそれに孝や『飯島』が関わっていたとしたら。
「京介……」
まだ、話せない。
まだ、どこからどう話せばいいのかわからない。
泣きそうになった心が弱々しく本音を漏らす。
まだ、京介を傷つけず、失わずに話せる自信がない。
無意識に胸にリングの感触を確かめて唇を噛む。
しばらく迷いながら仕事を片付け、手が空いた時にメールを送った。
『ごめんなさい。今日のデート、一緒に行けなくなりました。帰ったら連絡しますね』
不安になるかもしれない。けれど、今はこれ以上伝えられない。
まだ京介を失いたくない。
ぱちりと携帯を閉じながら、美並は胸の中で呟いた。
今夜真崎と会うわけには、いかない。
「ううん、初めてだけど」
石塚は首を振り、これ、どう思う、とパソコン画面を指差した。
「? ウェイターの制服……?」
白シャツ、黒スラックスに同色カフェエプロンをまとった女性が、にっこり微笑んでいる。
「これなら体型とか年齢とか構わずに、結構スマートに見えるわよね」
「ええ、はい…?」
頷いたものの、さすがに相手の意図がわからずに美並は首を傾げる。
「まだ確定じゃないんだけど」
『ニット・キャンパス』のオープン・イベントに屋台が出るでしょ?
「ちょっと出店数が厳しいかもしれないから、各企業にブースの提案が求められるかもしれないんだって」
「そうなんですか?」
それは初耳だ、というより、真崎も口にしていなかった情報ではないだろうか。
「どこからそれを?」
「ああ、まあ、その、いろいろ」
石塚は微妙な表情で珍しくばたばたと手を振った。気のせいか薄赤くなってもいるようだ。
「高崎くんに話を振ったら、食いつきはよかったわよ」
メイド喫茶とかいいなあとか目尻下げてたけど。
「メイド喫茶……ああ、それで」
なるほど、もし桜木通販でそういうブースを考えるとしたら、元々が流通しかなかったところだから、今すぐこれといってできるような展示もなし、ならばいっそ学園祭の出店よろしく雰囲気を盛り上げる方向で考えよう、そういう発想なのだろう。もちろん、そうなれば女子社員、つまりは美並や石塚が『メイド』にさせられる可能性は大きいわけで。
「まあもちろん、最大の難関はあれだと思うけど」
くい、と顎で指し示したのは真崎の席だ。
「絶対叫ぶわよ、だめだめだめだめっ、とか」
「そうですね」
真崎の反応を簡単に想像できて、二人でくすくす笑った。
「で、ほら伊吹さんはいいけど、私はそれなりにそれなりの歳だから」
体型もまあそれなりにだから。
石塚がまた薄く赤くなった。
「でもまあ、お祭りならいいんじゃないかって気にも、少しなったから」
「つまりメイド服じゃなくて、こういう格好なら」
「納得しそうじゃない?」
「かもしれません」
「だからさ」
もし、そういうことがあったら、あっちの説得はお願い。
「そうですね」
頑張ってみます、と請け負う。
それまでに孝の一件が片付いて、『ニット・キャンパス』に集中できれば言うことなしだが、と溜め息をついたが、
「でも……珍しいですね」
「え?」
「石塚さんがこういうイベントに」
「あ、ああ、そのまあ」
石塚がふいにぎゅっと眉を寄せた。
「まあ社内でいろいろ後押しもしてくれるみたいだし、他の課も様子を見に来る、手伝うって言うから」
「もしかして」
高山さんですか?
「べっ」
別にそういうことじゃないのよただまあそのそれなりに付き合いも長いし最近いろいろ話すことも多くなったしそういうあたりで同期としてはね。
一気に石塚がまくしたてて、ちょっと呆気にとられると、はっとしたように相手は口を噤み、一転表情を変えた。
「評議会の青年部部長、真崎大輔」
「はい」
「課長のお兄さんよね?」
「……ええ」
「……よくない噂があるらしいじゃない」
石塚が今度は本気で顔をしかめた。
「喜多村会長と親しいとか」
「よくご存知ですね?」
意外と言えば意外な話に瞬きをすると、少しためらった石塚がああ、と溜め息をついた。
「遅かれ早かれわかるだろうから、話しとくけど」
「はい」
「私,実はボランティアグループに参加しててね」
そのグループが今度の『ニット・キャンパス』にも参加する。
「着なくなったニットを再利用したり、必要な所へ贈ろうという運動で」
「ああ……ひょっとして」
地域のパワフルなおばさん達、と思い出すと、そうそう、と苦笑いした。
「出店の話もそこからの流れなんだけど。それで今流れてる噂っていうのが」
真崎大輔っていうのが、裏でいかがわしいパーティを開いてもうけてるってやつでね。
思わずぎょっとして石塚を見る。脳裏に『飯島』が死体で見つかったという話が過った。
「実は……仲間の一人の娘さんがね」
石塚は声を低めた。
「その、よくない場所に連れ込まれそうになったって言うのよ」
「…それは」
「幸い、直前に親戚が通りがかって声をかけたから逃げられたらしいんだけど」
それから大学にも行けなくなって。
「優秀な子で、大学側も期待してたところがあったから、結構あれこれね、あったのよ」
それで、まあ、そういう事情がわかってきて。
「場所が『ハイウィンド・リール』だってあたりで、喜田村会長に繋がってきたらしくてね」
あの人は『ハイウィンド・リール』のかなり大きな株主なのよ。
「株主総会のときに、そういう噂があるが、と突っ込んだのが居たらしいわよ」
喜田村会長をよく思っていない相手が紛れ込ませた総会屋崩れだったらしいって。
「どこまでがほんとかわからないけど」
火のないところに煙は立たずって言うでしょ。
しばらく秘密を抱えていたのだろう、石塚は一気に話し終えると、ほう、と深い息を吐いた。
「それがらみで、こっちも何か食らうんじゃないかって、高山さんも心配してるのよねえ」
「高山さんが…」
「5年前みたいなごたごたはこりごりだからって……あ」
「5年前?」
それは美並がここに来る前の話だ。
「5年前にも似たようなことがあったんですか?」
「……内緒よ」
「はい」
「緑川課長って言うのが居て。社長の親類なんだけど」
これまた色ぼけじじいで。
石塚がばさりと切り捨てたところによると、5年前、経理部に居た緑川という男が似たようなグループと関わりを持って、かなりややこしいことになったらしい。
「そこでトップが代わって会社の改編をやって」
そこで今の桜木元子が社長を締め、真崎も課長昇進になったらしい。
「周囲は若すぎるって反対したけど英断だったわね」
じゃあ、伊吹さんは何も知らないのね、そう笑う石塚にすみません、と改めて頭を下げながら、伊吹は奇妙な符号に不安になった。
5年前の同じような事件。
ひょっとしてそれは、美並と有沢が掴み損ねたあの事件に繋がっているのではないか。
そして難波孝は、それに巻き込まれたりはしていないだろうか。
美並は手帳を取り出した。
ハルとの約束は外せない、けれど、このことは有沢には連絡を取る必要がある。
もしそれに孝や『飯島』が関わっていたとしたら。
「京介……」
まだ、話せない。
まだ、どこからどう話せばいいのかわからない。
泣きそうになった心が弱々しく本音を漏らす。
まだ、京介を傷つけず、失わずに話せる自信がない。
無意識に胸にリングの感触を確かめて唇を噛む。
しばらく迷いながら仕事を片付け、手が空いた時にメールを送った。
『ごめんなさい。今日のデート、一緒に行けなくなりました。帰ったら連絡しますね』
不安になるかもしれない。けれど、今はこれ以上伝えられない。
まだ京介を失いたくない。
ぱちりと携帯を閉じながら、美並は胸の中で呟いた。
今夜真崎と会うわけには、いかない。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
23
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる