『闇を見る眼』

segakiyui

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第5章

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 夜の間に京介は高山とやりとりしていたらしい。
 翌朝、高山のところへ出向くと言う京介に無理やり同行した。
「信じられんな」
 高山は美並の話を一蹴した。
「とんでもないことを話しているという自覚はあるか」
 冷静に詰られた。
「会社で熱くなれないからって、ここで熱くならないでよ」
 元の居間に戻って、勝手知ったる家のようにお茶を淹れてきてくれた石塚が、ぴしゃりと高山をやりこめた。
「とんでもない物言いをしてるのはあんただからね。未来の社長夫人に向かって」
「う」
 高山が引き攣る。
「石塚さん、まだ決まったわけでは」
「伊吹さん、あなたは社長を知らないのよ」
 さくっと美並もやり込める。
「ああ、現課長じゃなくて、現社長ね」
 並べた茶を断りもせずに一口飲み、ほうと吐息した。職場の時より柔らかい気配だが厳しさは同じだ。
「やると言ったら必ずやる人だから。あんたの馘ぐらい平然と捻じ切るわよ」
 後半は高山に向けてだ。
「だろうな」
「あの、お二人は」
 美並は一旦話題を転じることにした。
 たぶん、この二人は何かを知っていて、美並の訴えが満更根拠のないことではないと気づいている。だからこそ、逆に話が進まなくなっているのだろう。
 側に座った真崎がぼんやりしているのも気になるし、本当は今日は切り上げた方がいいのかもしれないが。
『他には、何をご存知なんですか…?』
『それは』
 つい先ほどのことだ。
 石塚が飛び込んでしまったから途切れた会話を、真崎が引き戻し促した。
『高山課長?』
 どこか虚ろな声音に尋常ではないと石塚も察したのだろう。
『……修羅場みたいね。私が話してもいいけど』
 言われて高山も仕切り直す気になったようで、改めて四人、居間に戻った。
 たぶんこれは天の配剤。
 この機会を逃せば、聞ける話も聞けなくなる。
「同期」
 石塚が唇の端で笑った。
「男尊女卑もいいとこね、こっちは昇進、私は下っ端」
「おい」
「と言うのは嘘。始めの頃に昇進の話はあったんだけど、やりたいことがあったから」
 不満そうに突っ込みかけた高山を、石塚がいなした。
「やりたいこと?」
「話してなかったかな、ボランティア・グループ」
「ああ…着なくなったニットを再利用したり、必要な所へ贈るって言う…」
「元々は編み物を楽しむグループで…『結衣の会』と言うんだけど。『ニット・キャンパス』に似てるでしょ」
 石塚は少し悲しそうに微笑んだ。
「仲間の娘さんの名前。結衣ちゃんって編み物が得意な子で、その子が中心になっていてくれたから。皆自分の子どもみたいに可愛がってたから」
 見ようとしなくても視界に飛び込んでくる。
 石塚の胸に陰りがあった。薄黒く殺意を秘めて、それでもそれを抑え込むような鮮やかで激しい緑。
 いてくれた、から。
 なぜ過去形なのか、聞かなくてもわかる気がした。
 美並はあえて踏み込んだ。
「その方は」
「真崎大輔を見つけた子」
 側の真崎がぴくりと体を動かす。
「そう、ですか…」
『結構あれこれね、あったのよ』
 いつかの石塚の声が蘇った。
 地域の編み物を楽しむだけの集まり、中心に居た仲間の可愛い娘、その娘が成長し花開く途中に大輔に出会ってしまい、未来の夢が壊れていった。
 間近で見ながら、何もできない力になれない、仲間にも娘にも。
 歯がゆい思いだけが澱のように降り積る。
「神様なんていないと確信した」
 石塚が呟く。
「でも。神様なんて居ないのよ、はなから。だから始めたの、もう一度、『ゆえの会』」
 今度は名前じゃなくて、ひらがなの。
「できることから、できる分だけを、できる人が」
 編み物は楽しいね。楽しんだものをお裾分けしよう。誰かが要らなくなっても、私達なら役立てるように使えるよ。神様なんて居ないんだ、遠慮なんかしない。進もう願いを込めて信じるままに。
 祈りゆえに、夢ゆえに、命ゆえに、ただひたすらに。
「何かが届くと信じた」
 だから、ねえ、気づいてよ、結衣ちゃん。
 あなたにもきっと生きられる場所がある。私たちにはわからないけど、きっとどこかで何かがあなたの力を待っている。
 『ニット・キャンパス』に参加したのも願いの先にあったものだった。
「たぶん、届いたんだと思ってる」
 石塚がぽつりと言い切った。
 静かな気配が舞い降りる。
 その願いが何を生み出したのか、四人には十分わかっている。
 誰の中にも見えない歴史があって、その時間が人を動かしている。運命は一人の願いで紡がれるのではなくて、降り積もった多くの時間が流れを定めていく。
「私とこいつの関係はね」
 くすりと石塚が笑った。
「同期の親友。これからもずっと」
「…」
 むっつりと口を噤んでいる高山はそう思ってはいないのだろう。続いた石塚のことばに眉を寄せる。
「もう、子どもを持つのが怖くなって駄目」
 どれだけ大切に育てても守りきれない時がある、それを考えると耐えられない。
 苦笑する石塚に胸が痛んだ。
 ここにも一人、取り返しのつかない部分を壊されてしまった人がいる。
「お茶、淹れ直してくるわね」
 鼻声で呟いた石塚が手早く茶器を片付け立ち上がる。
「…赤来のことを調べたときにサークルの事件があったのを覚えていたから、石塚が相談にきたとき、すぐに思いついたんだ」
 ぼそりと高山が唸った。顎をしゃくりながら、
「始めは真崎、そいつの兄の身上調査がらみだったが」
 深々と息を吐いた。
「……『ニット・キャンパス』は成功させたい」
 微かな熱を帯びた声が続ける。
「会社がなくなるのも困るしな……そのためにも憂いは無くしたい」
 纏めるが、間違っていたなら指摘してくれ。
 石塚がお茶を淹れ直して戻ってくる。
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