『闇を見る眼』

segakiyui

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第5章

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「……ああ、大丈夫そうだね」
 赤城は美並に先んじて第2会議室に入り、窓を開け、明かりをつけた。椅子を引き、自分から座る。後から来る美並を待ち構える格好で、もし美並が不審を感じて走り出せばすぐに逃げられるし、あまつさえ、扉は薄く開いたままにしていいから、と命じたあたり、真崎以上に配慮のきいた上司の振る舞いだ。
「難しい話からしておこうか。あのね、今株主側から不安が訴えられててね」
 赤来はさらりと主要な話を持ち出した。
「真崎さんが使い込みをしてないか調べて欲しいって内密に依頼があって」
「え」
「こんなに危うくなった会社を引き受けるのは怪しいって言い出した困った人が居るんだよ」
 赤来は苦笑いした。
「岩倉産業にさっさと身売りした方がいいだろうって」
「……ああ」
 そういえば、前にも岩倉産業との絡みを突っ込んだ人間が居ると聞いた。美並が岩倉産業のスパイだとか何とか、小説のような話を持ち出されたと真崎が不愉快がっていた。
 とすると、赤来の情報はまんざら嘘でもないのか。
 いや。
「…」
 美並は赤黒い靄がたゆたゆと広がるのに目を細める。
 情報は嘘ではない。けれども、その根っこは他でもない、赤来が支配しているのかも知れない。片方で桜木通販の闇を嘯き、桜木通販の中では株主への不信を煽る。平凡だが効果的な遣り口だ。
「まあ、伊吹さんにも妙な噂が立っていたし、その辺りからかな」
「岩倉産業のスパイ、ですか」
「知ってるんだ? まあ、あそこの『Brechen』の大石さん?は、伊吹さんの婚約者だったって噂もあるけど」
「そのせいですか?」
「ううん、どうだろう。けれど、大石さんは岩倉産業から離脱するかも知れないらしいね」
「えっ」
 意表を突かれた。
「『Brechen』が結構桜木通販にテコ入れしてるからって、岩倉産業の社長があまりよく思っていないとか」
 社長と婚約してて、岩倉産業を継ぐと言う話だったけれど、流れたみたいだしね。
「…ひょっとして伊吹さんの件からかな?」
 楽しげな声を響かせ、覗き込む赤来の顔は靄に覆われて見えにくくなっていた。
 また大石の行く手を遮るのか。
 怯む気持ちに、ゆっくりと深呼吸する。
『Go On』
 鮮やかな文字は真崎の温もりをまとっている。
 進め。
 抵抗は核心に迫っている道標だ。
 例えば、大石が奈保子と婚約を解消し、岩倉産業から分かれて『Brechen』を離脱させたとしても、今美並にできることは何一つない。
 美並は赤来を狩ると決めている。ハルを標的にし、源内に師匠の過去を暴かせ、京介を一人で置き去っても、自分の能力が何一つ扉を開かないと知っても、それを確認するためだけでも、美並はこの先へ進む必要がある。
「大石さんが何を考えておられるのか、私にはわかりません」
「昔さ」
 赤来はくすりと笑った。
「大石さんと仲良しだった頃に、伊吹さん、彼を失敗させたんだってね」
 なるほど。
 冷えた頭で頷いた。
 この数日を、赤来は美並の過去を調べるのに費やしていたのか。真崎を跳ね除け、有沢の追撃を躱し、自分の未来を失わないために、攻撃できるポイントを探していたのか。
「『さわやかルーム』? 懐かしいでしょ」
「…懐かしいですね」
 当然出て来るだろう場所に嘲笑う響きを載せられて苦笑した。
 蘇ったのは有沢と訪れた墓所だ。車椅子を押し、『さわやかルーム』に居た時もやはり、残り短い命を運んだことがあっただろうに、美並はその命に思い至らなかった。幼かった。自分のことで手一杯で、いろいろ見ているつもりで、何も見えていなかった。
 そうだ、美並はたぶん、この世界に生きていなかった。
 あの映画のように、数々の鍵を扉に突き刺しては開けて回り、暴いては眺め、なのに、その部屋をどうするつもりなのか、きっと考えてはいなかった。
 失敗したのも当然だ、今ならそれが良くわかる。
 美並は目を上げた。
 赤い靄に包まれた『羽鳥』を凝視する。
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