『ラズーン』第六部

segakiyui

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6.東の攻防(4)

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 ジノがセシ公の元へリディノ死去の顛末を報告しに行った後、ユーノはしばし窓にもたれ、じっと空を見上げていた。
 星の光もなく、月もどこに隠れたのか、姿形もない。
 暗く重い空だった。
(昏い、な)
 押し寄せ攻めてくる『運命(リマイン)』軍、これでもかと繰り出されてくる軍勢の背後には、満天覆うほどの巨大なギヌアの影がある。
(光はないのか…)
 ただ一つの救いも、ラズーンには残されてはいないのか。
 時代の波に、旧きものとして埋もれていくしかない存在なのか。
 しかし、時代が変わるどれほどの必然があったとしても、『運命(リマイン)』が世を制すなら、人は人として生きることを失ってしまう。誰でのためでもない、ただ己のため、己の生き様を貫くために精一杯生きていく自由を奪われてしまう。
「………」
 ジットーは今セシ公と共に、動かせる兵を当たっているはずだった。兵力と武器、運命を変えるもの全てをかき集めるために。
 用意が出来次第お呼びします。
 そう言ったジットーの生き返ったような瞳を、ユーノは晴れがましい思いで見つめ返した。
 願いを叶えてくれる相手へ向けられる、期待と興奮。
(私に何ができる?)
 『泉の狩人』(オーミノ)を動かせるのは私だけと大見得は切ったものの、異種族のために気位の高い彼らがどこまで動いてくれるかわからなかった。ジノを死ぬために出陣(で)るんじゃないと叱りつけたのは、己の情けなさを振り切るためでもあった。
 ふと、倒れたアシャの白い顔が浮かんだ。血の気を失った白い唇、青ざめた頬、訓練の賜物か、とっさに毒酒を吐き出したものの、喉を下った数滴で意識を失うほどの猛毒、飲み込んでいたらと思うとぞっとする。苦痛に噛み切った唇から走った血が床に滴るのに、自分のことのように痛みを感じた。抱き締めて縋って声を限りに名前を呼びたい、その想いに耐えられたのは、そうしている間に手当が遅れ、アシャの生命が失われてしまう恐怖のためだけと言っても良かった。
 あの瞬間、ユーノはアシャが生きていてくれることだけを願っていた。振り向いてくれなくてもいい、永遠に友人にしか成り得なくてもいい、ただ、生きていてくれるだけでいい。
 アシャの命が失われてしまうことに比べれば、己の傷の痛みがどうだと言うのだ。心の辛さが何だと言うのだ。全てはアシャあってのことなのに。
 東へ出よう、そう決心していた。
 帰れなくとも一人で散っても。
 側に居ることも声を上げて呼ぶことも、看病を続けることもできる。けれどそれは、ユーノでなくてもいい。レアナでも『西の姫君』でも誰にだってできることだ。
 けれど今、東へ出陣することができるのは、おそらくユーノ唯一人、ユーノだけができることだ。
 出陣して救えるかどうかはわからない。何ができるとも思わない。けれど、何もできないなんて諦めるわけにはいかない。仮にも『星の剣士』(ニスフェル)の名を花冠とする限り。
 暗い空、夜明けはまだ来そうにない。だが、夜明けは呼べずとも、暁の光が地を照らすまで夜を生き抜く努力なら、まだ、できる。
(まだだ、まだ諦めるわけにはいかない)
 きゅっとユーノは唇を結んだ。
「ユーノ殿」
「…セシ公」
 声に気づいて振り返ると、相も変わらず、どこか艶かしい笑みをたたえた茶色の瞳と目が合った。
「ジノから聞きました。確かに今、事を荒立てるのはまずい」
 落ち着いた声音は興奮さえしていない。
「驚かれていませんね」
「『情報屋』ですのでね、一人二人の生死に驚いていては務まりませんよ。それに」
 セシ公は、くすくすと微かに笑った口元を軽く引き締めた。
「属する側が不利になるのに、狼狽えて騒ぎを大きくするほどのバカでもない」
「どう…思われますか?」
 ユーノの問いに、茶色の眼が鋭さを増した。
「リディノ姫の一件は、ギヌアの策ではないような気がする」
「と言うと?」
「彼女の恋心を利用すると言うのは、あまりにも微妙すぎる策だ、効果も仕掛けも。ギヌア・ラズーンならアシャの生死をあやふやにするような策など立てはすまい…となると、『私を含む』四大公のうちの誰か…」
 皮肉も込めずにさらりと言ってのける。動じないユーノに満足げに、
「そう、私を含む四大公のうちの誰かの策とも思えるが、策略としての価値が低すぎる。一歩間違えば、自分の首を絞めかねない」
「なぜ?」
「簡単です。さっきも言ったように、この策はあまりにも微妙すぎる。成功するかどうかも危ういが、それ以前に、リディノ姫の動きをしっかり捉えてないと立てられない策という事で、立てた人間がリディノ姫のかなり『身近』に居ることを暗示してしまう」
「それで?」
「…狡いお人だ」
 セシ公は薄い笑みを再び滲ませた。
「言うまでもなく、お分かりだろうに。例えば、四大公のうちの誰か、と言うなら、ミダス公邸にいないジーフォにアギャンは除外できる。私はこの策を価値が低いと評価しているから、行うはずもない。ミダス公が愛娘を殺す策を立てるわけがない。従ってこれは、ジュナ・グラティアスの先走りという結論になる」
「もう一声」
「え?」
「つまり、この一件は四大公の裏切り者にとっては計算外のことだったと言うわけですね? ならば、その裏切り者のどこかに必ず『歪み』が出てくるはずだ。そこから裏切り者を燻り出せませんか?」
「ほう」
 セシ公はゆっくり目を細めた。
「私を信じると言うわけですか?」
「もし、あなたが裏切っていたなら、アシャが倒れたときに対応策が動き出していたはずだ。例えば、アシャに毒を盛った犯人がすぐに捕まるとかが起こって、強まりかけた警戒を解くような動きが。違いますか?」
「……なるほど。名案ですね」
 セシ公は艶やかに微笑んだ。
「裏切っている人間に伝えておきましょう」
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