『闇から見る眼』

segakiyui

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第5章

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 京介はベッドの中で目を開けた。
 高山の家に石塚が来たことも驚きだったが、彼女がボランティア・グループ『ゆえの会』に属していること、仲間の娘である結衣を赤来が巻き込んだ事件があったこと、彼女を救おうとして『ニット・キャンパス』に参加したことを初めて知った。
 加えて、高山が隠していた、孝が大輔達に弄ばれている映像。赤来が今も同じような事件を引き起こしつつ、桜木通販で事の成り行きを見守っていると伊吹が指摘したこと。そこまで伊吹が赤来に近接していたこと。
 衝撃と不安と。
 予想を越えて放り込まれて来た情報に打ちのめされた。

「『羽鳥』は私達と変わらない。だから、誰にも捕まらなかった、悪意さえ見せていませんから」
 伊吹は淡々と指摘した。
「……赤来が『羽鳥』であることを立証し、捕まえて罪を認めさせるのか」
 険しい高山の顔。
「…もし、飯島の隠し持っていたカード・キーと赤来課長の指紋が同じならば……少なくとも飯島との関係性について、映像に写った時計のことや、今警察で情報を集めているホテルへの出入りの件について、話を持ち出すことができます」
「指紋を取る気か」
 もちろん、伊吹はそうするつもりだろう。
「私がしようとしていることは正義なんかじゃありません」
 冷酷なほど突き放した伊吹の声。
「自分の弱さの始末です」
 始末をつける、自分の手で。

「……」
 空っぽの腕の中を見つめる。
 高山の家から戻って、疲れ切った気持ちと体を伊吹に甘えて癒してもらって、少し眠った。
 よほど疲れていたのか、夢も見なかった。
 眠りに落ち切る寸前、伊吹の携帯に誰かからの連絡が入り、応じた伊吹は京介を起こさないように静かに部屋を出て行った。
『…伺います』
 低めた声の鋭さを思い出しながら、体を起こす。
 枕元に洗面器、目覚めた時のためにと置いて行ってくれたのだろう、ペットボトルに水が入っている。その横に畳まれていた眼鏡を掛け、ペットボトルの蓋を開けて一口飲む。思ったほど温くなっていなくて、伊吹が出て行ったのがそれほど前ではないと知らせた。
 ベッドに座ったまま、ペットボトル片手に髪を掻き上げ眉を寄せた。
 痩せ我慢。
 伊吹が行かなくてはならないのはわかっているから引き止めなかった。
 けれど、いないことが苦しくて辛い。体が痛い。
「今からこんなんじゃ、伊吹さん困るよね…」
 一瞬たりとも離れられない恋人、いや夫なんて負担でしかない。
 右手の薬指に戻った指輪を眺めた。彼女の指にも嵌っている指輪を思い出す。
『京介』
 脳裏で伊吹が微笑んで、嬉しくてそっと指輪に口付けた。
「…頑張ろう」
 痩せ我慢でも何でも、また会えた時にうんと抱きしめてもらえばいいんだし。いや、うんとうんと抱きしめさせてもらえればいいんだし。
「伊吹さんは僕のものなんだし」
 かなり吐いてしまったから、喉はからからだ。伊吹が戻ってきた時、ぐったりしていたら余計に心配させてしまう。少しずつでも飲んでおこうと、もう一度ペットボトルを傾けかけた時に、携帯が鳴った。
「…」
 仕事用じゃない、伊吹でもない。
 ペットボトルを枕元に戻し、手を伸ばして確認する。非通知の番号だが、何となく相手の想像がつく。小さく溜め息をついて、出た。
「……はい」
『京ちゃん?』
 訝しそうな恵子の声が響いた。
 想定内というか、やっぱりこういう時に連絡してくるのか。
「何の用?」
『……何かあったの?』
「何かあったのはそっちじゃないの?」
『…聞いてるのね』
 私だって、いろいろ考えた結果なのよ。
『子ども達のことも心配だったし』
 目の前に居たなら、きっと瞬きして上目遣いに見上げてくるところだろう。自分の非など一切なくて、ただただ相手が悪かったのだと確信させるような不安げな顔で。
「…っ」
 ぎくりとした。
 そうだ、京介にはそう『見える』。
『京ちゃん?』
 思わず落としそうになった携帯を持ち直し、ベッドに座り直す。
『私は「見える」し「聞こえる」けれど、それは「見たり」「聞いたり」してるんじゃない。自分の推理や直感を視覚化したり聴覚化したりしている、そういうことです』
 蘇る、出会ったばかりの時の伊吹のことば。
「…こういうこと…か」
 唐突に色々なことが一気に組み合わさった気がして、視界が煌き、瞬きする。
『京ちゃん、どうしたの?』
 沈黙したままの京介に不審そうな恵子の声が響く。さっきまでの見せかけのものとは違う、本物の不安。何が起こっているのだろうと確かめにかかっている。
 『見える』映像が変わっていく。上目遣いの小動物のような可愛らしさが消え、牙を剥く前の獣のように、低く身を沈め、目を細めて眺めてくる。
 警戒が広がる、今にも食いつかれそうで。その先に続く逃れようのない苦しさを押し付けられそうで。問われるままに答えたくなる、被害を最小限にするために。
 その自分の心の動きもまた、はっきりと『見えた』。
 思わず枕元を振り返る。
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