『闇から見る眼』

segakiyui

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第2章

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 さすがに『オリジン』には戻りにくかったので、『きたがわ』のランチを奢ることにした。
「え……いいんですか」
「いいよ」
 面白い話を聞かせてくれるならね。
 京介がそう笑うと明は、怪しいなあ、と肩を竦めながらも怯えたふうもなく席についた。
「助かりました。今日に限っていろいろと出てったから」
 彼女へのプレゼントに参考書、コンパの精算、定期も買ったし、ああ、そりゃなくなるよなあ、と指を折りながら確認し、くすぐったそうに笑う。
「サンドイッチがまずかった?」
「そうですね」
 運ばれてきたのはピラフと薄切りローストビーフを添えたサラダ、ちょっと驚いた顔になった明は、京介が促すのにいただきます、と丁寧に手を合わせる。
 それが伊吹にそっくりで。
「おいしい?」
「ん、うまいです」
 はくはくとピラフをかき込んでいく明を見守りながら、伊吹とまたここへ一緒に来れるときがあるんだろうか、と胸が苦しくなる。
「食べないんですか」
「……なんか、ちょっと」
 頼んだのにお腹が一杯になっちゃったよ。よかったらこれも。
 勧めた皿に明が嬉しそうに、いただきます、と引き寄せる。
「君は……あの男の人を追い掛けてたの」
「ん、そうです。あいつは……」
 ちょっとスプーンを止めて、明は険しい表情になった。
「姉ちゃんを捨てた、男だから」
「捨てた?」
「…………俺には姉がいるんですけど、えーと、その、弟から見てもちょっと、変わってて。あ、でも、凄くまっすぐな人で」
 知っている。
 胸の中で応じながら京介はサラダのレタスをフォークで突いた。
「けど、その、女らしいって人じゃないから、彼氏のことは家中心配してて」
「家中?」
「はい、家中」
 明が生真面目に繰り返して思わず笑ったが、明が笑わなかったのに笑みを消した。
「何か……あったの?」
「………初対面なのにこういうこと話してもいいのかな、なんですけど」
 なんだか話していいような気もするんで。
「姉は、人の気持ちが見える、って言ってる人なんですよ」
「人の気持ち?」
「うん……本人もうまく言えない時があるみたいで、そこんとこ、信じてもらわなくてもいいんだけど」
 でも、と明は眼を伏せた。
「いろいろ、きついもの、見ちゃうみたいで」
「きついもの……」
「………今はもう居ないけど、昔うるさい近所のおばさんが居たんですよね」
 明は考え考えことばをひねり出した。
「その人が、一度、姉のこと、泥棒扱いして」
「……」
「でも、そんなことするはずないって家中知ってたし、俺らは平気だったけど、馬鹿な奴らが居て。学校の行き帰りとか嫌がらせされたり、おかしな子だって言いふらされたり。うん、そりゃ、ときどきぼーっと空とか見てて、きれいよ、あきくん、とか言ってましたけど」
 小さな伊吹。
 赤いランドセルを背負って、空を見上げて、きれいよ、あきくん、と指差す姿。
 可愛い。
「……それ、実はそこのおばさんとこの子どもが盗んでて」
「え」
「それ、姉には見えてたらしいんですよね」
「……」
「ん、なんか、もや、みたいなものが見えるそうなんです。嘘ついたり、ごまかしてたりすると、黒く見えるって言ってたかな?」
「それで?」
「それで」
 ごくごくん、と京介のスープも飲み干して、ピラフも片付け、サラダも食べ終わって、明はほ、とようやく人心地ついた顔で吐息をついてコーヒーに手を伸ばした。
「なんで言わなかったの、って聞いたら、欲しくて盗ったんじゃないってわかってたからって」
 それが欲しかったんじゃない。盗みたかったんじゃない。欲しかったのは親の注目、親の愛情。自分の異変に気付いてくれる、温かな関心。
「だから、私が話しちゃだめだったの、って笑ってるような人で」
 強くて、優しい。
「俺には、どこの誰より大事な人で」
 その人を、捨てた男がいる。
「なんか、それ聞いたら、もう腹立つとかそういう問題じゃなくって」
 明は苦笑した。
「凄く、信じてたから」
 自殺したとか言っといて、のうのうと生きてるのを街で見かけて、もう後先考えずにつけてきちゃいました、と明は溜め息をついた。
「大石、圭吾、って言うんですよ、あいつ」
 そういうふうにいろんなものが見えちゃう人だから、その上で誰かを頼りにすることなんてできなくて、それでも信じてた相手なのに。
 明が付け加えて、京介は大きな杭で貫かれた気がした。
 
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