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102.『夢を呼ぶなかれ』
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夜の闇になお黒々と羽ばたき波打つ河が天空を渡っていく。
月は煌々と輝いているはずなのに、輿を支える7人の手弱女、そして先に立つ一つ目の女の足元に広がる河は、その輝きを全て吸い込みながら先へ先へと伸びていく。
輿の中で胡座を組み、左目の眼帯を疎ましく思いながら、静かに振り返ると、既に『斎京』が掌に載るほどの大きさとなっていた。
「月の台とは天空にあるのか」
「人目については困るがための飛翔でございます」
「これは現実なのか」
「あなた様がそうお望みならば」
「望まないならこの夢は途切れるのか」
「そんなことはなさらないでしょう」
半身振り返った女が微かに笑った。
「この河はあなたの『紋章』でできております。我らを支え、人の知覚から遮り、黄金都市の月の台へ運んでくれましょう」
「黄金都市…?」
訝しく眉を潜めると、呼応するように記憶が蘇る。
「ああ、来たか」
入ってくれ。
誘うともりとはなおもきょろきょろと周囲を見回しながら開いたドアを潜った。
「どうした?」
「…極秘プロジェクトだったよね?」
「ああ、そうだな」
「にしては」
「あまりにも普通、か?」
そらは苦笑する。
確かに『桜樹』がらみの情報は厳重に管理され統制されている。
いわば地球の人類を見捨て、次世代の人類に希望を繋ごうという非情の策だ。誰が聞いても不愉快な感覚を抱くだろう。ましてやメンバーが密かに月基地『うさぎ』に集められていくことを知れば、好ましくない暴動に発展しかねない。
「だからこそだよ」
旅行鞄を示す。
「君はそれを。俺がこの鞄を持つ」
それで最後のデータを持ち出せる。
「……ネットは使わない?」
「監視の目が行き届いていてね」
もう一度苦笑いした。
「今一番安全な方法は直接会うことだよ」
「っ」
言いながら体を寄せ、小さな紙切れを手渡す。
『盗聴されている。注意してくれ』
「…そういうこと」
「ああそういうことだ」
とっさに距離を取ろうとしたもりとの頬は僅かに赤らんでいた。紙切れを受け取り素早く視線を走らせ、小さな溜息を付きながら、滲んだ汗を拭くためのハンカチを出し、そこに紙切れを滑り込ませる。無駄のないスマートで自然な動きに満足した。
もりとに旅行に出かけないかと声をかけた。
月基地へのツアーは平凡でありきたりのコースだ。古い開発施設の資料館を眺め、月面を宇宙服を着て散歩し、望むなら少々金額を上乗せしてクレーターへのドライブも楽しめる。
同じ研究チームとして意気投合した二人が、親交を深め互いのテーマについてディスカッションしならの旅行を計画したのだ。行き先が月基地になったのは、そこに似たような研究をしているあかねが居たからで、月基地であかねと合流し、数日間の滞在の後、地球に帰還する予定だった。
だが、そらともりとは地球帰還の前日に出かけたドライブで嵐に巻き込まれ消息を断つ。その実、姿を隠し、地球のシステムが崩壊した後、『うさぎ』から地球の『桜樹』に降下することになる。
そらともりとの行方不明事件は、怪しまれていただけに様々な憶測を産むだろう。真実に極めて近い話も生み出されるかも知れない。だがその真実に非常に似通った、けれど全く違う物語が、密やかに流布されていくことになるだろう。
曰く、そらともりとは恋愛関係にあり、人類滅亡を回避する研究を続けていくうち、二人だけは生き延びたいと願うようになり、ある日、貴重なデータを地球より持ち出し、月基地『うさぎ』で誰かと交渉することを決意した。だが、そのデータは直前に不審を抱いたあかねによって取り戻され、二人は仕方なくドライブに見せかけた逃亡を余儀なくすることになる。嵐が彼らを襲ったのは、あかねが正しい情報を与えなかったためで、あかねは貴重な研究データを守り裏切り者を始末した功績を認められ、月基地『うさぎ』の管理者の一人として名を連ねる。
真実は人類が92~5%の人口を失い、『うさぎ』が本来の目的の為に動き出した時に報われる。
『桜樹』プロジェクトの二人のエース、『おおき・そら』と『みささぎ・もりと』、二人をサポートする『よりふし・あかね』と言う形で。
もりととの関係は作り上げたものだと明かされ、そらはあかねを手に入れて、新世界を歩き始めるはずだ。
「…」
「?」
くす、と微かにもりとが笑って、そらは意識を戻した。
「何だ?」
「いや、この中身が」
いつの間にかバッグを開けて中身を確認していたもりとが、くすくす笑いながら歯ブラシを一本取り出した。
「緑だ」
「…ああ、それが?」
「君のは?」
「…青」
「お揃いなのかい?」
「…ああ、いや…どうだろうな…」
珍しくあやふやに口ごもったのは、確かに同じものの色違いを買った記憶があったからだ。
「好きな色だよ、そら」
優しくもりとは繰り返した。
「僕の好きな色だ。ありがとう」
見つめてくる瞳に顔が熱くなる。
もちろんこれは盗聴のためのお芝居に決まっている。だが、もりとはひょっとすると男性を好むのかも知れない。いつかのキスは性的な気配があった。
待て。
記憶の中で戸惑いながら、オウライカはそらに呼びかける。
何かが違うぞ、気づいていないのか?
何も違わない。親愛のキスを唇にする慣習などなかったはずだ。必要だと求めたらキスで応じた、あれはそういう関係を望むということだろう?
違う、とオウライカは繰り返す。
よく考えろ、そのキスが性的なものだと考えているのも、必要だと求めたのも、そして歯ブラシを色違いの揃いで買ったのも、そして『ななく』の好む紅茶をもりとが飲むのに不快がっているのも、全て『お前』なんだぞ。
そんな、ばかな。
頭を殴りつけられたような衝撃にそらはことばを失って、微笑むもりとを見つめる。
「そら?」
ふいに芽生えた自覚。
「どうしたんだ、顔色が悪い」
「…緊張しているんだろう」
声が掠れた。近づこうとするもりとの頬に指が伸びそうになる。いや、そればかりではない、腹の底に粘りつくような重苦しいものが広がり、息を呑む。
もりとを選ぶべきではなかった。
もりとを抱きたい。
もりとを蹂躙し喘がせたい。
視界一杯に広がった巨大な月の下、全裸のもりとを這いつくばらせ、呻かせながら貫くイメージに圧倒される。
「ところで」
もりとが穏やかな声で尋ねてくる。
「僕はその、君のパートナーとして振る舞えばいいのかな、この旅行の間?」
「ああ、そうなるが、可能だろうか?」
自分の声が冷ややかに確認するのに呆然とする。
「もちろん、形だけだが」
「できるよ。うまくいくかどうか、ちょっと心配だけど」
頑張ろう。
今度は唇ではなく、差し出された手を、そらは震えながら握り締めた。
月は煌々と輝いているはずなのに、輿を支える7人の手弱女、そして先に立つ一つ目の女の足元に広がる河は、その輝きを全て吸い込みながら先へ先へと伸びていく。
輿の中で胡座を組み、左目の眼帯を疎ましく思いながら、静かに振り返ると、既に『斎京』が掌に載るほどの大きさとなっていた。
「月の台とは天空にあるのか」
「人目については困るがための飛翔でございます」
「これは現実なのか」
「あなた様がそうお望みならば」
「望まないならこの夢は途切れるのか」
「そんなことはなさらないでしょう」
半身振り返った女が微かに笑った。
「この河はあなたの『紋章』でできております。我らを支え、人の知覚から遮り、黄金都市の月の台へ運んでくれましょう」
「黄金都市…?」
訝しく眉を潜めると、呼応するように記憶が蘇る。
「ああ、来たか」
入ってくれ。
誘うともりとはなおもきょろきょろと周囲を見回しながら開いたドアを潜った。
「どうした?」
「…極秘プロジェクトだったよね?」
「ああ、そうだな」
「にしては」
「あまりにも普通、か?」
そらは苦笑する。
確かに『桜樹』がらみの情報は厳重に管理され統制されている。
いわば地球の人類を見捨て、次世代の人類に希望を繋ごうという非情の策だ。誰が聞いても不愉快な感覚を抱くだろう。ましてやメンバーが密かに月基地『うさぎ』に集められていくことを知れば、好ましくない暴動に発展しかねない。
「だからこそだよ」
旅行鞄を示す。
「君はそれを。俺がこの鞄を持つ」
それで最後のデータを持ち出せる。
「……ネットは使わない?」
「監視の目が行き届いていてね」
もう一度苦笑いした。
「今一番安全な方法は直接会うことだよ」
「っ」
言いながら体を寄せ、小さな紙切れを手渡す。
『盗聴されている。注意してくれ』
「…そういうこと」
「ああそういうことだ」
とっさに距離を取ろうとしたもりとの頬は僅かに赤らんでいた。紙切れを受け取り素早く視線を走らせ、小さな溜息を付きながら、滲んだ汗を拭くためのハンカチを出し、そこに紙切れを滑り込ませる。無駄のないスマートで自然な動きに満足した。
もりとに旅行に出かけないかと声をかけた。
月基地へのツアーは平凡でありきたりのコースだ。古い開発施設の資料館を眺め、月面を宇宙服を着て散歩し、望むなら少々金額を上乗せしてクレーターへのドライブも楽しめる。
同じ研究チームとして意気投合した二人が、親交を深め互いのテーマについてディスカッションしならの旅行を計画したのだ。行き先が月基地になったのは、そこに似たような研究をしているあかねが居たからで、月基地であかねと合流し、数日間の滞在の後、地球に帰還する予定だった。
だが、そらともりとは地球帰還の前日に出かけたドライブで嵐に巻き込まれ消息を断つ。その実、姿を隠し、地球のシステムが崩壊した後、『うさぎ』から地球の『桜樹』に降下することになる。
そらともりとの行方不明事件は、怪しまれていただけに様々な憶測を産むだろう。真実に極めて近い話も生み出されるかも知れない。だがその真実に非常に似通った、けれど全く違う物語が、密やかに流布されていくことになるだろう。
曰く、そらともりとは恋愛関係にあり、人類滅亡を回避する研究を続けていくうち、二人だけは生き延びたいと願うようになり、ある日、貴重なデータを地球より持ち出し、月基地『うさぎ』で誰かと交渉することを決意した。だが、そのデータは直前に不審を抱いたあかねによって取り戻され、二人は仕方なくドライブに見せかけた逃亡を余儀なくすることになる。嵐が彼らを襲ったのは、あかねが正しい情報を与えなかったためで、あかねは貴重な研究データを守り裏切り者を始末した功績を認められ、月基地『うさぎ』の管理者の一人として名を連ねる。
真実は人類が92~5%の人口を失い、『うさぎ』が本来の目的の為に動き出した時に報われる。
『桜樹』プロジェクトの二人のエース、『おおき・そら』と『みささぎ・もりと』、二人をサポートする『よりふし・あかね』と言う形で。
もりととの関係は作り上げたものだと明かされ、そらはあかねを手に入れて、新世界を歩き始めるはずだ。
「…」
「?」
くす、と微かにもりとが笑って、そらは意識を戻した。
「何だ?」
「いや、この中身が」
いつの間にかバッグを開けて中身を確認していたもりとが、くすくす笑いながら歯ブラシを一本取り出した。
「緑だ」
「…ああ、それが?」
「君のは?」
「…青」
「お揃いなのかい?」
「…ああ、いや…どうだろうな…」
珍しくあやふやに口ごもったのは、確かに同じものの色違いを買った記憶があったからだ。
「好きな色だよ、そら」
優しくもりとは繰り返した。
「僕の好きな色だ。ありがとう」
見つめてくる瞳に顔が熱くなる。
もちろんこれは盗聴のためのお芝居に決まっている。だが、もりとはひょっとすると男性を好むのかも知れない。いつかのキスは性的な気配があった。
待て。
記憶の中で戸惑いながら、オウライカはそらに呼びかける。
何かが違うぞ、気づいていないのか?
何も違わない。親愛のキスを唇にする慣習などなかったはずだ。必要だと求めたらキスで応じた、あれはそういう関係を望むということだろう?
違う、とオウライカは繰り返す。
よく考えろ、そのキスが性的なものだと考えているのも、必要だと求めたのも、そして歯ブラシを色違いの揃いで買ったのも、そして『ななく』の好む紅茶をもりとが飲むのに不快がっているのも、全て『お前』なんだぞ。
そんな、ばかな。
頭を殴りつけられたような衝撃にそらはことばを失って、微笑むもりとを見つめる。
「そら?」
ふいに芽生えた自覚。
「どうしたんだ、顔色が悪い」
「…緊張しているんだろう」
声が掠れた。近づこうとするもりとの頬に指が伸びそうになる。いや、そればかりではない、腹の底に粘りつくような重苦しいものが広がり、息を呑む。
もりとを選ぶべきではなかった。
もりとを抱きたい。
もりとを蹂躙し喘がせたい。
視界一杯に広がった巨大な月の下、全裸のもりとを這いつくばらせ、呻かせながら貫くイメージに圧倒される。
「ところで」
もりとが穏やかな声で尋ねてくる。
「僕はその、君のパートナーとして振る舞えばいいのかな、この旅行の間?」
「ああ、そうなるが、可能だろうか?」
自分の声が冷ややかに確認するのに呆然とする。
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