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43.『夢を引きちぎるなかれ』(1)
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「おや、これはこれは」
出迎えた男は細身の体を楽しそうに揺らせた。薄い着流しに近い着物一枚、滑らかな首筋が光っている。匂うような華が冷ややかな殺気に隠れている、そんな顔立ちに子どものような無邪気な笑顔を浮かべた。
「おひさしぶりです、レシンさん」
「おぅ、邪魔すっぜ」
ほら、これを持ってきてやった。
レシンが見せたのは夕刻近くに仕上がったこってりとした飴色の魚。
水に放てば今にも泳ぎだしそうなそれを、相手が心底嬉しそうに受け取る。
「ああ………これはいい」
「だろ………商売はどうだ、繁盛してんのか」
「そこそこですね。もっとも、あっちが最近締め付けが厳しくなって、入り込むのも一苦労ですが」
「それでも入ってんのか」
呆れた顔でレシンが突っ込みながら、男に促されて家の奥へ入っていく。一部屋入って、次は地下への細い階段、踊り場で分岐する中を降りていくと、地下迷路にまぎれ込むようだ。
「そちらは?」
「ああ、カザルって俺の使いっぱしりだ」
「カザル、さん…」
ふぅん、それは不思議ですねえ、あっちでそういうお名前聞いたことがありますよ。
男はするすると地面の底に呑まれていくように階段を降りながら、ふいとカザルを振仰いだ。
「カザルさんも私の名前は御存じだとか?」
「おいおい、こいつぁ、『塔京』のちんぴらだぜ?」
「いえいえ」
そうじゃなかったでしょう。
一番奥の扉を無造作に開き、レシンとカザルを通しながら、男は微笑んだ。
「私の知ってるカザルさんはカーク直属の怖い人でしたよ?」
「別人じゃねえのか」
こいつぁ、好きな男に振り向いてもらえねえってめそめそしてるような甘ちゃんだぜ。
レシンが流そうとしても男は軽く首を振った。
「申し訳ないが、そこはレシンさんより多少は若いし、記憶力も残ってる。となると」
名乗るのが筋でしょうね?
男はレシンとカザルに席をすすめた。白いテーブル掛けの中央に小さな青い魚の紋様が入っている。
「『流』のフェイ・ルワンと申します、お見知りおきを」
「………俺も」
ああ、こいつがそうか。
カザルは紋様からゆっくり目を上げた。
「あんたのこと、知ってるかもしれない」
「そうですか」
ちら、とルワンの目が動いて、周囲の壁を飾っていたタペストリーの影から一人の女性が出てくる。手には丸盆、こじんまりとしてはいるが高級そうな茶器、器にとろりとした緑の液体を注いでテーブルに並べた。一礼して下がっていく、その動きは滑らかで表情は淡い微笑を浮かべたまま、まるで人形のようだ。
「………いい茶だな…」
レシンが溜め息まじりに口に運んだ。
「いつ仕入れた」
「先日です。『塔京』は戒厳令下ですが、まあルートを遮るほどのものではありませんし。ただカークさんの噂は……荒れています」
「…オウライカさんか、確認させたのは」
「確認させたどころか」
ルワンは苦笑した。
「運びましたよ」
「えっ」
「何だって」
レシンが呆然とする。
「オウライカさんを、『塔京』に?」
「ブライアンは」
「………中央宮に残られています」
「ちっ」
またそんな危ないことをしてんのか、あの人は。
舌打ちしたレシンにカザルは喉が干上がってくる。
「まあ、オウライカさんの顔はほとんど知られてないですし、いざとなればごまかしも効くからと」
「ごまかすにも限度があるだろうがよ」
「っ」
「こらっ、どこ行く、カザルっ」
「だって!」
思わず椅子を蹴立てて立ち上がってしまった。
「オウライカさん一人で『塔京』になんて!」
「大丈夫ですよ」
ルワンがしらっとした顔で肩を竦めた。
「同道して、すぐ戻りました」
「……脅かすねぇ……」
「『斎京』の贄を持ってかれても困りますしね」
「ルワンッ」
「贄?」
慌てて制しかけたレシンにカザルが口を挟む。
「オウライカさんが贄、ってどういうこと?」
「知らないんですか。カークさんもそうでしょう? もっとも、カークさんのお父上が喰われてるから、『塔京』はしばらく安泰のはずですが、『斎京』はそろそろ限界ですね」
「喰われて……る……?」
「ああ、もう、ちくしょうっ」
しまったなあ、そこまでべらべらしゃべるやつだとは思わなかった、しくじった、とレシンが地団駄踏むのをルワンが面白そうに見る。
「………どういう、こと」
「………『竜』がいるんですよ」
出迎えた男は細身の体を楽しそうに揺らせた。薄い着流しに近い着物一枚、滑らかな首筋が光っている。匂うような華が冷ややかな殺気に隠れている、そんな顔立ちに子どものような無邪気な笑顔を浮かべた。
「おひさしぶりです、レシンさん」
「おぅ、邪魔すっぜ」
ほら、これを持ってきてやった。
レシンが見せたのは夕刻近くに仕上がったこってりとした飴色の魚。
水に放てば今にも泳ぎだしそうなそれを、相手が心底嬉しそうに受け取る。
「ああ………これはいい」
「だろ………商売はどうだ、繁盛してんのか」
「そこそこですね。もっとも、あっちが最近締め付けが厳しくなって、入り込むのも一苦労ですが」
「それでも入ってんのか」
呆れた顔でレシンが突っ込みながら、男に促されて家の奥へ入っていく。一部屋入って、次は地下への細い階段、踊り場で分岐する中を降りていくと、地下迷路にまぎれ込むようだ。
「そちらは?」
「ああ、カザルって俺の使いっぱしりだ」
「カザル、さん…」
ふぅん、それは不思議ですねえ、あっちでそういうお名前聞いたことがありますよ。
男はするすると地面の底に呑まれていくように階段を降りながら、ふいとカザルを振仰いだ。
「カザルさんも私の名前は御存じだとか?」
「おいおい、こいつぁ、『塔京』のちんぴらだぜ?」
「いえいえ」
そうじゃなかったでしょう。
一番奥の扉を無造作に開き、レシンとカザルを通しながら、男は微笑んだ。
「私の知ってるカザルさんはカーク直属の怖い人でしたよ?」
「別人じゃねえのか」
こいつぁ、好きな男に振り向いてもらえねえってめそめそしてるような甘ちゃんだぜ。
レシンが流そうとしても男は軽く首を振った。
「申し訳ないが、そこはレシンさんより多少は若いし、記憶力も残ってる。となると」
名乗るのが筋でしょうね?
男はレシンとカザルに席をすすめた。白いテーブル掛けの中央に小さな青い魚の紋様が入っている。
「『流』のフェイ・ルワンと申します、お見知りおきを」
「………俺も」
ああ、こいつがそうか。
カザルは紋様からゆっくり目を上げた。
「あんたのこと、知ってるかもしれない」
「そうですか」
ちら、とルワンの目が動いて、周囲の壁を飾っていたタペストリーの影から一人の女性が出てくる。手には丸盆、こじんまりとしてはいるが高級そうな茶器、器にとろりとした緑の液体を注いでテーブルに並べた。一礼して下がっていく、その動きは滑らかで表情は淡い微笑を浮かべたまま、まるで人形のようだ。
「………いい茶だな…」
レシンが溜め息まじりに口に運んだ。
「いつ仕入れた」
「先日です。『塔京』は戒厳令下ですが、まあルートを遮るほどのものではありませんし。ただカークさんの噂は……荒れています」
「…オウライカさんか、確認させたのは」
「確認させたどころか」
ルワンは苦笑した。
「運びましたよ」
「えっ」
「何だって」
レシンが呆然とする。
「オウライカさんを、『塔京』に?」
「ブライアンは」
「………中央宮に残られています」
「ちっ」
またそんな危ないことをしてんのか、あの人は。
舌打ちしたレシンにカザルは喉が干上がってくる。
「まあ、オウライカさんの顔はほとんど知られてないですし、いざとなればごまかしも効くからと」
「ごまかすにも限度があるだろうがよ」
「っ」
「こらっ、どこ行く、カザルっ」
「だって!」
思わず椅子を蹴立てて立ち上がってしまった。
「オウライカさん一人で『塔京』になんて!」
「大丈夫ですよ」
ルワンがしらっとした顔で肩を竦めた。
「同道して、すぐ戻りました」
「……脅かすねぇ……」
「『斎京』の贄を持ってかれても困りますしね」
「ルワンッ」
「贄?」
慌てて制しかけたレシンにカザルが口を挟む。
「オウライカさんが贄、ってどういうこと?」
「知らないんですか。カークさんもそうでしょう? もっとも、カークさんのお父上が喰われてるから、『塔京』はしばらく安泰のはずですが、『斎京』はそろそろ限界ですね」
「喰われて……る……?」
「ああ、もう、ちくしょうっ」
しまったなあ、そこまでべらべらしゃべるやつだとは思わなかった、しくじった、とレシンが地団駄踏むのをルワンが面白そうに見る。
「………どういう、こと」
「………『竜』がいるんですよ」
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