『DRAGON NET』

segakiyui

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68.『闇に呑み込まれるなかれ』

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 輿がゆるゆると降ろされる。オウライカが降りやすいように中腰で構えた男が、片手を差し上げる。
「?」
「ここからはお一人で」
 女がゆっくりと頭を下げると、ふいにばらりと髪がほどけた。流れ落ちる美しい黒髪に見愡れていると、その髪の下に隠された女の着物も姿も溶け入るように闇に消える。
「どうぞ」
 きしるような声で死鬼が促した。黒い靄の中から差し出された掌は灰色でぐずりとした気配、顔をしかめながらそこに脚を降ろして踏みしめて輿を降りる。靴を履いていたからよかったものの、降りるときに足の下で崩れる肉の感覚があって、オウライカは微かに怖気だった。
 輿を降りるとそれらも死鬼も背後の闇に呑まれて消えた。
「戻る方法は不要、ということか」
 ますます後手に回ったな、と溜め息をついた。
 カザルは今頃どうしているだろう。もうルワンのところから戻っただろうか。オウライカが眠っていても、心配そうに側に侍っていたから、戻ってもやはりオウライカの側で目覚めるのを待ってるだろう。リヤンが食事は見てくれるし、シューラもフランシカもトラスフィもちゃんと世話をしてくれるだろうが、丸めた背中が語っていた、一人で生きていく気力が無い、と。
『オウライカさん』
 遠く響く声を耳にしたような気がして振り返る。だが、どこにも戻る道がない。
 仕方がないと諦めて、目の前の熱気を吹き出す洞穴に足を踏み入れた。

 入った瞬間、ごう、とまた熱風が煽るように叩きつけてきて、一瞬顔を背ける。ひっきりなしに体に寄せる風にそのまま吹き飛ばされてしまいそうだ。
 だが洞穴の入り口に立ってしばらく耐えていると、風の動きに強弱があるのに気がついた。強く吹き、弱く吹く。規則正しい間隔を見計らって、ゆっくり振り向いて中央を見、息を呑む。
 そこに真紅の竜が居た。
 洞穴の岩盤を半円に溶かし込むような紅蓮の溶岩の池、その奥、背後に複雑で美しい紋様が彫り込まれた岩壁を背に、ありとあらゆる紅を一枚一枚の鱗に移したような色合いの体を伏せて、巨大な顎には真っ白な鬚のようなものがふさふさと喉から腹へと続いており、薄桃の腹が呼吸に波打っている。閉じた口は穏やかそうだが、鼻息は灼熱の温度、直接あたる岩が溶け落ちてどろどろと零れる溶岩となり、竜の周囲を囲む池を満たしている。滑らかな頭頂部には金色のねじくれたニ本の角、その間から背中にもまた白銀のたてがみが背筋にとげとげしく突き立った真っ赤な魚の背鰭を思わせるものの根元にまとわりついて生えていた。
 眩くて荘厳で圧倒するような力の存在。
 たじろぐと同時に思わず見愡れる。
 以前にここへ来た時にはこれほどの美しさはなかった。それとも意識の中だからこそ、力の真の姿を直接に感じとれているのだろうか。
 入り口に立ち竦んでいるオウライカに気付いたように、竜の呼吸が少し止まった。伏せられていた目蓋が静かに持ち上がって、その下の瞳がまっすぐにオウライカを捕える。
 来たか。
 頭を殴りつけられたような衝撃にオウライカは顔を歪めた。
 瞳の色は銀か金か、それさえもはっきりわからないほど強い光が満ちていて、思わず眼を伏せる。それでも、
「私に何の用だ」
 気丈に言い放つと、『斎京』の竜は微かに大気を震わせるような吐息をついた。ごう、とまた洞穴が揺れる。
 半身をくれてやるとは。
 また頭の芯を直接揺さぶるような声が響き渡る。
「仕方が、なかった」
 歯を食いしばりながらオウライカは言い返す。
 そなたは我のために存在するのではないのか。
「…くっ」
 がんがんがんがん、と立続けに頭を揺さぶられて、耐え切れず崩れて膝をついた。
「不満…か」
 吐き気をこらえながら問いかける。
「半身では、足りないか」
 足りない。
 竜はあっさり断じた。
 だが。
「っっ!」
 ぐい、と見えない力に引っ張られ、前に倒れ込むように体が泳いで溶岩の池が目の前に迫る。顔を打つ高温の熱気に全身一気に焼かれるのか、そう思った瞬間、オウライカの体を伸びてきた金の爪の手が握り締めた。そのまま溶岩の池を越え、脂汗を流しながら竜の前に引き寄せられると、意外にそこは静謐な気配、熱気は背後にのみ揺らめいて、竜は熱気を放っていない。
「……今、喰う気か」
 竜の手に抱えられたままオウライカは相手を睨み上げた。
 竜は応えず顔を降ろしてくる。近付くと一層その巨大さがわかる。オウライカの体は竜の牙二本で砕かれてしまうほどだ。
 すまない、カザル。
 見上げながら、胸の中で謝った。
 別れを告げる暇もなかったな。
 布団に残されたオウライカはここで喰われた後数日もたずに崩れ落ちるだろう。それを目にしたカザルの恐怖と悲嘆を思うと苦しくなる。
『オウライカさん』
 はにかんで笑った顔を思い出す。
『いつか俺と一緒にずっと暮らしましょうね?』
 冗談のように顔を背けて、そのくせ薄く頬を染めながら呟いた。
『どこでもいいです、あんたの居るところなら』
 『斎京』だって『塔京』だって。
 だからもう二度と俺を置いていかないで。
 切なく震えた声に応えることばがなかったのが今さら辛い。
 幻でも誓ってやればよかったのかもしれない、ずっとお前と一緒に居ると。何があっても、どんなことになっても、決してお前を置いていかないと。
 お互い、守れる約束ではないとわかっている。背負うものがありすぎる。引きずったものが多すぎる。それでも、カザルと紡げる未来をオウライカもまた望んでいると告げれば、それはカザルの気力になって残ったかもしれない。
 そうか。
 オウライカは目を閉じた。
 可能性まで否定することはなかったのか。気持ちまで封じることはなかったのか。
 守れない約束であっても、守ろうとしている想いは伝えてやればよかったのか。
 ふと思った。
 カザルが彫ったのが蝶ではなくて、龍だったというのも、見送り放ち転生を待つというような祈りではなく、傷だらけになってもお互いの側に居続ける、そういう意志の現れだったのかもしれない。
「っ、ぁあっ!」 
 がきっ、と打ち込まれた牙に仰け反って悲鳴を上げる。開くつもりのない口を内側から弾かれて上がった声が、情けないほど弱々しい。激痛と衝撃を受け止める間もなくぎりぎりと深くまで噛み締められて、オウライカは溢れた涙に目を開く。
 カザル。
 その瞬間、打ち込まれた牙から熱いものが体に流れ込んできて、オウライカは震えた。
 この血の味を覚えている。
 竜はオウライカの体を振動させながら伝えてきた。
 わがしもべに惜しみなく降り注いでくれたものだ。
「な…に…?」
 オウライカの脳裏に何かを強制的に映し出されているような画像が過る。『飢峡』にカザルが囚われたとき、解放を促してオウライカが左腕の血を振り撒いている。
 なるほど、そなたであったのか、我に炎を与えたのは。
 『飢峡』は竜と繋がっているもの、その事実を初めて知って、オウライカは驚く。だがしかし、それだけに留まらず、竜は自分が炎を宿すに至ったのが、オウライカの放った血と火であることを伝えてきて、なおオウライカを茫然とさせた。
 では、その体に返してやろう。
「あ、あ、…うっ」
 ぞくぞくするような寒気のする流れが左半身に打ち込まれた牙を通して注がれてくる。まるでからっぽの容器にとてもそんなものが入りようのない質量のものを、無理矢理押し込んでくるようだ。
「く、ぅ…っ」
 意識が千切れて壊れていく。半身を奪われたことで体の中に出来ていた壁が、注ぎ込まれたものに侵食されて崩れていく。
 それは昏くとろりとした炎だった。下半身を満たしていくと、否応なく煽られて膨れ上がっていくのがわかる。快感というには遥かに重い、しかも逃れようのない圧迫感でオウライカを圧倒する。
「は、ぁ、っ」
 それが腹を過ぎ、胸を満たし、喉を詰まらせ、脳髄まで達していくと、オウライカは勝手に動き出す体を止められなくなった。喘ぎながら腰を振る自分が視界を真っ赤な布で遮られて身悶えているような感覚、しかもその海に限界まで来たものが包み込まれこね回される。
 お前の快楽は旨い。
 竜は満足そうに呟いた。薄目を開けるオウライカを覗き込む竜の顔、その向こうにふいにカザルの顔が重なって息を引く。瞳を煌めかせてオウライカを銜え込み、貪る顔が微笑む。
 カザルに、喰われる。
「う、うぁ…っあああっ」
 吐き出したものをなお吸い上げられて、オウライカは蕩けながら相手を抱き締めた。
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