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72.『王者』(2)
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それはカークの視野を広げた。判断を研ぎすませた。意志を明確にし、思考を深くした。
荒れすさんだ『塔京』のあちこちに、カークの視線が指先が神経が届くようになった。外部からの流入を拒んでいることが、今は逆に幸いして、密閉された空間でカークは的確に問題を片付けていくようになった。
最近ではライヤーを伴って下街へ出ることもあり、エバンスはもちろん、ファローズの驚いた顔も何度も目にしている。
自分の心がライヤーを頼りに晴れやかになる瞬間も増えた。
「あ、そうだ」
ふいにライヤーが何かを思い出した顔でカークを振り向き、慌てて視線を書類に落とす。
見愡れていたなどと知られたくなかった。ましてや、側に居てくれてどれほど自分が安らいでいるか、力強く思っているか、つまりは居てくれるだけで嬉しいと思っているなどと。
所詮、オウライカの子飼い。
何度も言い聞かせたことばを繰り返すのも次第に億劫になってきている。
いずれカークは『白竜』に喰われることになるのだろう。ハイトが父を手元に置いておきたいと望む限り、カークは遅かれ早かれ贄として差し出されるのだろう。
それまでの時間の幾許かを、痛みなく過ごしたいと思ってはなぜいけない?
夕べも好きな薔薇の香油が落とされた風呂でぼんやり過ごしながらそう思った。
きっと自分は代用品なのだろう、ライヤーはオウライカのためにいつかカークを殺すのだろう、けれどそれまではこんな時間が続いてくれる。
両方助けるなどという幻の誓いを本気にはしない、が、本気にしているふりで自分を騙すことなどカークにとっては容易いことだ。
『塔京』の紛れもない王者として君臨する力を強めながら、自分の心が別な意味で脆く柔らかくなっていくのを感じている。
それでも、ライヤーになら、殺されてもいい。
「午後ちょっと出てきていいでしょうか」
「案件か?」
「ええまあ、調査の一つですね」
「…そうか」
ならば一緒に行ってもいいだろう、ライヤーの案件は『塔京』の案件、それはすなわちカークのものなのだから。
そうことばを継ごうとした矢先、
「午後お出かけになるようでしたら、エバンスくんに頼んでおきましょうか」
「……」
さりげなく一人で行くと示されて、一瞬胸が詰まった。
「いや、出かける予定はない」
体が空いている、そう示したつもりで顔を上げて相手を見ると、ライヤーは素早くキーボードに指を走らせて苦笑した。
「では、御留守番をお願いします」
「留守番?」
『塔京』のカークに留守番など言い付けるのは、きっとこの男ぐらいだろう。
「少し時間がかかるかもしれないし……ややこしいところへ行くことになるかもしれないですし」
パタリとノートパソコンを閉じたライヤーは淡々と続けて立ち上がり、まっすぐカークを見下ろした。
「カークさんには入れない場所かもしれない」
「私に、入れない場所」
下街の数カ所には確かにカークは入れなかった。カークへの根深い恨みや憎しみを積もらせた人間達の生きている所では、カークに似ているだけでリンチの対象になる、そうファローズに諭されて、それを恐れたわけではないが、殺されてせっかく整ってきた組織の動きが崩壊するのは不愉快だったから、大人しく車で待機した。
「わかった」
「申し訳ありません。じゃあ……夕方には戻ります」
ライヤーは時計を確認しつつ、急ぎ足に部屋を出ていく。その後ろ姿を身動きもせず見遣って、それからふいに、何か妙な胸騒ぎがして、カークは席を立った。
「ライヤー」
部屋を出て、これと思うルートを追う。
何をしようというのだ、と胸で嘲笑が広がっている。
『塔京』のカークが、男の名前を呼びながら足を速めているなどと知れたら、物笑いだ。
そうわかっていても、速度を緩める気になれず、むしろ速めて後を追い、ひらりと翻った見覚えのあるスーツ姿に我知らず微笑んで近寄りかけて凍りついた。
「ファローズ…」
おせえんだよ、ばか、とライヤーの頭を殴りつけているのは、他ならぬファローズだ。すみません、お詫びに何をしたらいいですか、と微笑むライヤーが、冗談のようにファローズの肩を抱き寄せて、こめかみのあたりに唇を寄せるのに、ぐら、と視界が揺れて慌てて身を引いた。
ファローズのところに居た。
調書にはそうあった。ファローズとただならぬ関係もあったらしい、とも。
それが強制されたわけではないのは今のやりとりでよくわかる。
「ファローズ…?」
ファローズをあんなふうに優しく扱う男が、カークを愛したりするだろうか。求めたりするだろうか。違いすぎるだろう、対象が。
「………道具、か」
ゆっくりと歩いて執務室に戻った。
「そうだろうな」
何を期待して追ったのだろう、そんなことはわかっていたはずのことではなかったか。
「それでこそ、オウライカさんの子飼いということじゃないか」
執務室のドアを開けた瞬間、電話が鳴り出した。直通のそれが何を意味しているのか、わかっているだけに今はうっとうしいが、そうも言っていられないだろう、それが組織というものだから。
「はい、カークです」
『今夜だ』
シュガットが低い声で嗤う。
『見て頂けるそうだぞ』
「……ハイトさんですか」
父がいるんじゃなかったのか。
口にしそうになった問いは虚しいと気付いて止めた。
『あいつの匂いは消して来いよ』
「……わかりました」
ライヤーの匂いなんてつくほども手放したことがないくせに。
切れた電話を置き、カークは浮かびかけた名前を心から削った。
荒れすさんだ『塔京』のあちこちに、カークの視線が指先が神経が届くようになった。外部からの流入を拒んでいることが、今は逆に幸いして、密閉された空間でカークは的確に問題を片付けていくようになった。
最近ではライヤーを伴って下街へ出ることもあり、エバンスはもちろん、ファローズの驚いた顔も何度も目にしている。
自分の心がライヤーを頼りに晴れやかになる瞬間も増えた。
「あ、そうだ」
ふいにライヤーが何かを思い出した顔でカークを振り向き、慌てて視線を書類に落とす。
見愡れていたなどと知られたくなかった。ましてや、側に居てくれてどれほど自分が安らいでいるか、力強く思っているか、つまりは居てくれるだけで嬉しいと思っているなどと。
所詮、オウライカの子飼い。
何度も言い聞かせたことばを繰り返すのも次第に億劫になってきている。
いずれカークは『白竜』に喰われることになるのだろう。ハイトが父を手元に置いておきたいと望む限り、カークは遅かれ早かれ贄として差し出されるのだろう。
それまでの時間の幾許かを、痛みなく過ごしたいと思ってはなぜいけない?
夕べも好きな薔薇の香油が落とされた風呂でぼんやり過ごしながらそう思った。
きっと自分は代用品なのだろう、ライヤーはオウライカのためにいつかカークを殺すのだろう、けれどそれまではこんな時間が続いてくれる。
両方助けるなどという幻の誓いを本気にはしない、が、本気にしているふりで自分を騙すことなどカークにとっては容易いことだ。
『塔京』の紛れもない王者として君臨する力を強めながら、自分の心が別な意味で脆く柔らかくなっていくのを感じている。
それでも、ライヤーになら、殺されてもいい。
「午後ちょっと出てきていいでしょうか」
「案件か?」
「ええまあ、調査の一つですね」
「…そうか」
ならば一緒に行ってもいいだろう、ライヤーの案件は『塔京』の案件、それはすなわちカークのものなのだから。
そうことばを継ごうとした矢先、
「午後お出かけになるようでしたら、エバンスくんに頼んでおきましょうか」
「……」
さりげなく一人で行くと示されて、一瞬胸が詰まった。
「いや、出かける予定はない」
体が空いている、そう示したつもりで顔を上げて相手を見ると、ライヤーは素早くキーボードに指を走らせて苦笑した。
「では、御留守番をお願いします」
「留守番?」
『塔京』のカークに留守番など言い付けるのは、きっとこの男ぐらいだろう。
「少し時間がかかるかもしれないし……ややこしいところへ行くことになるかもしれないですし」
パタリとノートパソコンを閉じたライヤーは淡々と続けて立ち上がり、まっすぐカークを見下ろした。
「カークさんには入れない場所かもしれない」
「私に、入れない場所」
下街の数カ所には確かにカークは入れなかった。カークへの根深い恨みや憎しみを積もらせた人間達の生きている所では、カークに似ているだけでリンチの対象になる、そうファローズに諭されて、それを恐れたわけではないが、殺されてせっかく整ってきた組織の動きが崩壊するのは不愉快だったから、大人しく車で待機した。
「わかった」
「申し訳ありません。じゃあ……夕方には戻ります」
ライヤーは時計を確認しつつ、急ぎ足に部屋を出ていく。その後ろ姿を身動きもせず見遣って、それからふいに、何か妙な胸騒ぎがして、カークは席を立った。
「ライヤー」
部屋を出て、これと思うルートを追う。
何をしようというのだ、と胸で嘲笑が広がっている。
『塔京』のカークが、男の名前を呼びながら足を速めているなどと知れたら、物笑いだ。
そうわかっていても、速度を緩める気になれず、むしろ速めて後を追い、ひらりと翻った見覚えのあるスーツ姿に我知らず微笑んで近寄りかけて凍りついた。
「ファローズ…」
おせえんだよ、ばか、とライヤーの頭を殴りつけているのは、他ならぬファローズだ。すみません、お詫びに何をしたらいいですか、と微笑むライヤーが、冗談のようにファローズの肩を抱き寄せて、こめかみのあたりに唇を寄せるのに、ぐら、と視界が揺れて慌てて身を引いた。
ファローズのところに居た。
調書にはそうあった。ファローズとただならぬ関係もあったらしい、とも。
それが強制されたわけではないのは今のやりとりでよくわかる。
「ファローズ…?」
ファローズをあんなふうに優しく扱う男が、カークを愛したりするだろうか。求めたりするだろうか。違いすぎるだろう、対象が。
「………道具、か」
ゆっくりと歩いて執務室に戻った。
「そうだろうな」
何を期待して追ったのだろう、そんなことはわかっていたはずのことではなかったか。
「それでこそ、オウライカさんの子飼いということじゃないか」
執務室のドアを開けた瞬間、電話が鳴り出した。直通のそれが何を意味しているのか、わかっているだけに今はうっとうしいが、そうも言っていられないだろう、それが組織というものだから。
「はい、カークです」
『今夜だ』
シュガットが低い声で嗤う。
『見て頂けるそうだぞ』
「……ハイトさんですか」
父がいるんじゃなかったのか。
口にしそうになった問いは虚しいと気付いて止めた。
『あいつの匂いは消して来いよ』
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