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74.『黒竜』(2)
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「…ん?」
わけのわからぬ寒気で濡れた体を震わせたとたん、ふと、水の中で何かが光った気がした。底の底の底、覗き込むその先の底に、何かがとぐろを巻いているようだ。
「…角度が悪いな」
岸から覗き込んでも、これほど澄んだ水であっても、一番の底は見えない。岩に邪魔されているわけではなく、水が濁っているわけではないのに、巧みに造られたガラス球のように、ある方向からしか中心が見通せないような。
見える場所を探して振り仰ぎ、真上に伸びた岩場に気づく。
「ああ……そういうこと」
この岩舞台は、踊るためではなくて、湖の底を覗き込むためのものなのだ。
「じゃあ、きっと」
振り向いて突き立つ岩の柱を一つ一つ目を細めて凝視し、垂れて来た前髪を振り払った矢先に飛び込んできた一本にそれを見つけた。
近づいていく。
「……古いな」
細い階段だった。岩の柱の中へ潜り込むように、人一人通れるか通れないかの階段が刻まれている。段は磨り減り、崩れかけており、造られてからの年月と、通った者の多さを語る。
これほどたくさんの者がここを辿ったのなら、なぜ伝説の一つも残っていないのだろう。
なぜ、ここには廃墟があるばかりと、誰も口を閉ざしてきたのだろう。
そして、なぜライヤーは廃墟の夢を見続け、そこに行かなくてはならない、何があるか確かめなくてはならないと思ってきたのだろう。
『白竜』は、もう『塔京』の地下にはいないのではないかと考えてはいた。竜はエネルギーの源だ。なのに、『塔京』は枯渇し飢えボロボロと欠け続けている。たとえ『白竜』が居たとしても、それは満たされた力の源泉ではなくて、奪われ貶められた形骸なのだろうと思っていた。
おそらく『白竜』は先の贄を十分に喰らっていない。カークを喰らうライヤーの夢は、ライヤーの望みではあるだろうけど、竜が見せたものでもあるような気がしていた。
喰いたい、喰いたい。
我に贄を与えよ。
叶わぬならば、我を解放せよ。
我の望みは命である。
我の本分を全うさせよ。
「っ」
声にならぬ声が響き渡った気がして、顔を歪めながら、階段に足をかける。しっくりと、吸い付くように、階段はライヤーの足を受け止めた。
確かにここには『白竜』はいない。
けれど、何か別のものがいる。
別のものが、ライヤーに呼びかけ、その訪れを待ち望んでいる。それが廃墟の夢と現実の違いに現れているのかもしれない。
両手を壁に付いて、立ち止まる。十数段目がぽっかりと抜け落ちていた。下に覗けるのは、まだ人の背ほどの高さだが、それでも安易に踏み抜けば、大怪我だけでは済まない。脳裏に過ったカークの泣き顔に、下半身が軽く疼く。
「それだけやばい場所、ということだね」
本能が刺激されるほど、平凡な見かけに反してぎりぎりの限界が隠されている。
慎重に踏み越えて、次の階段を上った。
やがてまた立ち止まる。
岩柱が切れていた。次の柱に移る数mは融合している通路の下端、左側の壁に刻まれた窪みだけだ。
ちらりと下を見やると、ぐねぐねと曲がった階段を上がるうちに高さを稼いでしまったらしく、数階建ての建物のガラス床から下を眺める状態だった。
風がないのが幸いだったが、窪みもやはり風化している。
どうやって渡る、と顔を上げれば、目より少し上に点々と、金属の輪が打ち込まれていた。赤錆だらけで、体重をかけられるかどうかいささか怪しい。
手を伸ばす。引っ張る。
意外に丈夫だ。
輪を掴んで、一番手前の窪みに足をかけ、次に手を伸ばして隣の輪を掴み、右足を窪みに移したとたん、ざらっ、と不吉な音がした。左側、今離れた足の下にあった段が見る見る崩れ欠け落ちていく。元の岩柱は思っていたよりも遠く、今右手の輪を放して降り戻っても、もう届くまい。
「至れり尽くせり」
苦笑しながら、顔を振り向け、行く先を見た。
「先へ進むしかないってわけ」
わけのわからぬ寒気で濡れた体を震わせたとたん、ふと、水の中で何かが光った気がした。底の底の底、覗き込むその先の底に、何かがとぐろを巻いているようだ。
「…角度が悪いな」
岸から覗き込んでも、これほど澄んだ水であっても、一番の底は見えない。岩に邪魔されているわけではなく、水が濁っているわけではないのに、巧みに造られたガラス球のように、ある方向からしか中心が見通せないような。
見える場所を探して振り仰ぎ、真上に伸びた岩場に気づく。
「ああ……そういうこと」
この岩舞台は、踊るためではなくて、湖の底を覗き込むためのものなのだ。
「じゃあ、きっと」
振り向いて突き立つ岩の柱を一つ一つ目を細めて凝視し、垂れて来た前髪を振り払った矢先に飛び込んできた一本にそれを見つけた。
近づいていく。
「……古いな」
細い階段だった。岩の柱の中へ潜り込むように、人一人通れるか通れないかの階段が刻まれている。段は磨り減り、崩れかけており、造られてからの年月と、通った者の多さを語る。
これほどたくさんの者がここを辿ったのなら、なぜ伝説の一つも残っていないのだろう。
なぜ、ここには廃墟があるばかりと、誰も口を閉ざしてきたのだろう。
そして、なぜライヤーは廃墟の夢を見続け、そこに行かなくてはならない、何があるか確かめなくてはならないと思ってきたのだろう。
『白竜』は、もう『塔京』の地下にはいないのではないかと考えてはいた。竜はエネルギーの源だ。なのに、『塔京』は枯渇し飢えボロボロと欠け続けている。たとえ『白竜』が居たとしても、それは満たされた力の源泉ではなくて、奪われ貶められた形骸なのだろうと思っていた。
おそらく『白竜』は先の贄を十分に喰らっていない。カークを喰らうライヤーの夢は、ライヤーの望みではあるだろうけど、竜が見せたものでもあるような気がしていた。
喰いたい、喰いたい。
我に贄を与えよ。
叶わぬならば、我を解放せよ。
我の望みは命である。
我の本分を全うさせよ。
「っ」
声にならぬ声が響き渡った気がして、顔を歪めながら、階段に足をかける。しっくりと、吸い付くように、階段はライヤーの足を受け止めた。
確かにここには『白竜』はいない。
けれど、何か別のものがいる。
別のものが、ライヤーに呼びかけ、その訪れを待ち望んでいる。それが廃墟の夢と現実の違いに現れているのかもしれない。
両手を壁に付いて、立ち止まる。十数段目がぽっかりと抜け落ちていた。下に覗けるのは、まだ人の背ほどの高さだが、それでも安易に踏み抜けば、大怪我だけでは済まない。脳裏に過ったカークの泣き顔に、下半身が軽く疼く。
「それだけやばい場所、ということだね」
本能が刺激されるほど、平凡な見かけに反してぎりぎりの限界が隠されている。
慎重に踏み越えて、次の階段を上った。
やがてまた立ち止まる。
岩柱が切れていた。次の柱に移る数mは融合している通路の下端、左側の壁に刻まれた窪みだけだ。
ちらりと下を見やると、ぐねぐねと曲がった階段を上がるうちに高さを稼いでしまったらしく、数階建ての建物のガラス床から下を眺める状態だった。
風がないのが幸いだったが、窪みもやはり風化している。
どうやって渡る、と顔を上げれば、目より少し上に点々と、金属の輪が打ち込まれていた。赤錆だらけで、体重をかけられるかどうかいささか怪しい。
手を伸ばす。引っ張る。
意外に丈夫だ。
輪を掴んで、一番手前の窪みに足をかけ、次に手を伸ばして隣の輪を掴み、右足を窪みに移したとたん、ざらっ、と不吉な音がした。左側、今離れた足の下にあった段が見る見る崩れ欠け落ちていく。元の岩柱は思っていたよりも遠く、今右手の輪を放して降り戻っても、もう届くまい。
「至れり尽くせり」
苦笑しながら、顔を振り向け、行く先を見た。
「先へ進むしかないってわけ」
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