140 / 213
81.『宙道』(2)
しおりを挟む
それは昔に作られた通路だと言う。
無数の魚が再び一つの形となって、深い地底湖のビルの間を擦り抜けていく間に、ライヤーは奇妙な感覚を味わっていた。
自分が細かく砕かれて、泳ぐ小魚達の心臓部分一匹一匹となっているような点在感覚。けれど同時に、その小魚達が何かに驚き一斉に身を翻すときに感じる統一感。
その二つの感覚を持ってして、湖の中に一本の道があるのに気づく。
小魚達はきまぐれで身を翻しているのではなく、ビル群の中をうねり取り巻き泳ぎつつ、一つの形を作っている。
まるで見えない通路をすすむような。
やがて、最下層の砂地が姿を現した。
小魚の視界にはまさしく水の中に沈む砂漠のような湖底。
固まり、寄り集まっていた小魚達は、そのどこに攻撃の焦点を当てればいいのかと戸惑うように拡散していく。
かつて何度も縛めを抜けて力を取り戻すべく、水上に渡る鎖網が駄目なら湖底と試みたことがあった。けれども拡散して湖底に向かえば叩き付けられ身を砕くだけで、次第次第に黒竜は体を失いやせ細っていくばかりとなった。
いつか救い主は来るかもしれない。けれど、それまでただただ待つのは苦しく厳しい日々だ、自らと引き換えにしても構わないと思うほどの命が、地上でおもちゃのように屠られ続けているのを、その悲鳴を感じ取りながら沈んでいるのは。
いつしか諦めが身を蝕む、もうこのまま沈んでいてもいいのではないか。
降り落ちてくるヒトの魂の抜け殻に身を打たれつつ、己の愚かさに悔い続ければいいのではないか。
トゥオンは語った、黒竜が本来の姿を取り戻そうと足掻くなら、今地上に繁栄している都市は崩壊するしかないだろう、かつて『獄京』を崩壊させたように。その身に罪の証を突き立てられながら、なお新たな罪を重ねたいのか? その姿を取り戻すことはすなわち『塔京』の破壊に他ならない、再びあの惨劇を繰り返すのか?
記憶の中で自分に注がれた血の涙を見いだした。必死に縋り祈りを捧げる無数の差し伸べられた指先を探した。それでもなおあなたを信じると、最後まで歌い続け寄り添い続けたあの娘はどこに消えてしまったのか?
いや覚えている。
あの娘は我が喰ったのだ、この牙で。この喉を通り過ぎ、この胃の腑に納まり、この命を永らえさせた、存在しても仕方のないこの姿であるのに、あの娘は最後まで我を信じて病まなかった。我こそ最後の砦と怯まなかった。
あの信頼を、あの懇願を、あの茜に輝く激情を、我はなぜ失わなくてはならなかった?
違うよ、失ってなんかいない。
穏やかで優しい声が我の内側で響き渡る。
時の流れに見失っていただけだ。
静かな確信に満ちた声音。
トゥオンとは違う。
外から説得するのではなく、この身の裡にあって力をもたらす。
戻ろう。
どこへ。
たった一人の、守るべき人のところへ。
今まさに意味なく屠られようとしている命のもとへ。
彼方の空に光り輝く姿が見える。
煌めく鱗、光を弾いて輝きに包まれているはずのその姿が、何と今紅蓮の飛沫に汚されている。
怒りが脈打つ。
誰か、あれを傷つけたのは。
誰か、あれを守らなかったのは。
ヒトよ、とトゥオンの声が囁く。
けれどその囁きよりも遥かにちいさな声なのに、内側に聞こえる甘い音色が教えてくれる。
僕自身だよ。
虚を衝かれる。
我だというのか。
しかししかししかししかし。
戸惑いが混乱が不安が衝撃になって統一を乱す。
そんなことがあるはずがない我が傷つけるはずがないあれを守らぬはずが。
ふいに凍る。
理解が落ちる。
そうだよ、と声が告げる。
僕が離れた。
僕が守らなかった。
僕が。我が。
自分の破壊に怯えて守りを捨てたのか。
にぃいいいいと笑みが口を引き裂いていく。
ならば簡単なことではないか。
払うべき代償を払ってやろう。
この砂漠の全てを我が血で覆ってしまえばよい。
乾き切った大地が我が臆病の結末ならば、手段は明快、我が命をくれてやればいいだけのこと。
湖底の全ての面を覆うように、小魚達は広がり泳ぐ速度を速めていく。勢いに水が泡立ち波立ち、互いの姿も見えないほどだが、意志ははっきりしている。
最初の一匹が湖底の砂地にぶつかって弾け飛んだ。だがその千切れた体を押し込むように次の一匹が、その毟られた背鰭を畳むように次の一匹が、砂地に小魚達が次々と激突していく。
紅を含んだ砂が叩き起こされ掘り下げられ、出来た窪み目がけて無数の小魚が我が身を突っ込みながら食い込んでいく。
湖水は見る見る赤くなる。無数の死骸を浮かばせつつ波打ちうねり荒れている水に、都市が傾き降り注ぐ。
「ひっいいいっ!」
逃げ延びるはずだったが、終末の凄まじさに思わず魅入られ覗き込んだトゥオンは、金の糸に我が身を引っ掛けられ、都市とともに水中へ引きずり込まれた。
トゥオンを呑み込んだ次の瞬間、ずしいいん、と洞窟全てが震えたかと思うと、赤黒く濁った水が巨大な渦を巻いて一気に中央へ吸い込まれて行く。
道が開いた。
第一の関門突破。
『宙道(シノイ)』が湖底の巨大な黄金の円環を輝かせて闇へと続いている。
無数の魚が再び一つの形となって、深い地底湖のビルの間を擦り抜けていく間に、ライヤーは奇妙な感覚を味わっていた。
自分が細かく砕かれて、泳ぐ小魚達の心臓部分一匹一匹となっているような点在感覚。けれど同時に、その小魚達が何かに驚き一斉に身を翻すときに感じる統一感。
その二つの感覚を持ってして、湖の中に一本の道があるのに気づく。
小魚達はきまぐれで身を翻しているのではなく、ビル群の中をうねり取り巻き泳ぎつつ、一つの形を作っている。
まるで見えない通路をすすむような。
やがて、最下層の砂地が姿を現した。
小魚の視界にはまさしく水の中に沈む砂漠のような湖底。
固まり、寄り集まっていた小魚達は、そのどこに攻撃の焦点を当てればいいのかと戸惑うように拡散していく。
かつて何度も縛めを抜けて力を取り戻すべく、水上に渡る鎖網が駄目なら湖底と試みたことがあった。けれども拡散して湖底に向かえば叩き付けられ身を砕くだけで、次第次第に黒竜は体を失いやせ細っていくばかりとなった。
いつか救い主は来るかもしれない。けれど、それまでただただ待つのは苦しく厳しい日々だ、自らと引き換えにしても構わないと思うほどの命が、地上でおもちゃのように屠られ続けているのを、その悲鳴を感じ取りながら沈んでいるのは。
いつしか諦めが身を蝕む、もうこのまま沈んでいてもいいのではないか。
降り落ちてくるヒトの魂の抜け殻に身を打たれつつ、己の愚かさに悔い続ければいいのではないか。
トゥオンは語った、黒竜が本来の姿を取り戻そうと足掻くなら、今地上に繁栄している都市は崩壊するしかないだろう、かつて『獄京』を崩壊させたように。その身に罪の証を突き立てられながら、なお新たな罪を重ねたいのか? その姿を取り戻すことはすなわち『塔京』の破壊に他ならない、再びあの惨劇を繰り返すのか?
記憶の中で自分に注がれた血の涙を見いだした。必死に縋り祈りを捧げる無数の差し伸べられた指先を探した。それでもなおあなたを信じると、最後まで歌い続け寄り添い続けたあの娘はどこに消えてしまったのか?
いや覚えている。
あの娘は我が喰ったのだ、この牙で。この喉を通り過ぎ、この胃の腑に納まり、この命を永らえさせた、存在しても仕方のないこの姿であるのに、あの娘は最後まで我を信じて病まなかった。我こそ最後の砦と怯まなかった。
あの信頼を、あの懇願を、あの茜に輝く激情を、我はなぜ失わなくてはならなかった?
違うよ、失ってなんかいない。
穏やかで優しい声が我の内側で響き渡る。
時の流れに見失っていただけだ。
静かな確信に満ちた声音。
トゥオンとは違う。
外から説得するのではなく、この身の裡にあって力をもたらす。
戻ろう。
どこへ。
たった一人の、守るべき人のところへ。
今まさに意味なく屠られようとしている命のもとへ。
彼方の空に光り輝く姿が見える。
煌めく鱗、光を弾いて輝きに包まれているはずのその姿が、何と今紅蓮の飛沫に汚されている。
怒りが脈打つ。
誰か、あれを傷つけたのは。
誰か、あれを守らなかったのは。
ヒトよ、とトゥオンの声が囁く。
けれどその囁きよりも遥かにちいさな声なのに、内側に聞こえる甘い音色が教えてくれる。
僕自身だよ。
虚を衝かれる。
我だというのか。
しかししかししかししかし。
戸惑いが混乱が不安が衝撃になって統一を乱す。
そんなことがあるはずがない我が傷つけるはずがないあれを守らぬはずが。
ふいに凍る。
理解が落ちる。
そうだよ、と声が告げる。
僕が離れた。
僕が守らなかった。
僕が。我が。
自分の破壊に怯えて守りを捨てたのか。
にぃいいいいと笑みが口を引き裂いていく。
ならば簡単なことではないか。
払うべき代償を払ってやろう。
この砂漠の全てを我が血で覆ってしまえばよい。
乾き切った大地が我が臆病の結末ならば、手段は明快、我が命をくれてやればいいだけのこと。
湖底の全ての面を覆うように、小魚達は広がり泳ぐ速度を速めていく。勢いに水が泡立ち波立ち、互いの姿も見えないほどだが、意志ははっきりしている。
最初の一匹が湖底の砂地にぶつかって弾け飛んだ。だがその千切れた体を押し込むように次の一匹が、その毟られた背鰭を畳むように次の一匹が、砂地に小魚達が次々と激突していく。
紅を含んだ砂が叩き起こされ掘り下げられ、出来た窪み目がけて無数の小魚が我が身を突っ込みながら食い込んでいく。
湖水は見る見る赤くなる。無数の死骸を浮かばせつつ波打ちうねり荒れている水に、都市が傾き降り注ぐ。
「ひっいいいっ!」
逃げ延びるはずだったが、終末の凄まじさに思わず魅入られ覗き込んだトゥオンは、金の糸に我が身を引っ掛けられ、都市とともに水中へ引きずり込まれた。
トゥオンを呑み込んだ次の瞬間、ずしいいん、と洞窟全てが震えたかと思うと、赤黒く濁った水が巨大な渦を巻いて一気に中央へ吸い込まれて行く。
道が開いた。
第一の関門突破。
『宙道(シノイ)』が湖底の巨大な黄金の円環を輝かせて闇へと続いている。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】抱っこからはじまる恋
* ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。
ふたりの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります。
YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
BLoveさまのコンテストに応募しているお話を倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
お兄ちゃんができた!!
くものらくえん
BL
ある日お兄ちゃんができた悠は、そのかっこよさに胸を撃ち抜かれた。
お兄ちゃんは律といい、悠を過剰にかわいがる。
「悠くんはえらい子だね。」
「よしよ〜し。悠くん、いい子いい子♡」
「ふふ、かわいいね。」
律のお兄ちゃんな甘さに逃げたり、逃げられなかったりするあまあま義兄弟ラブコメ♡
「お兄ちゃん以外、見ないでね…♡」
ヤンデレ一途兄 律×人見知り純粋弟 悠の純愛ヤンデレラブ。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
【完結】 男達の性宴
蔵屋
BL
僕が通う高校の学校医望月先生に
今夜8時に来るよう、青山のホテルに
誘われた。
ホテルに来れば会場に案内すると
言われ、会場案内図を渡された。
高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を
早くも社会人扱いする両親。
僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、
東京へ飛ばして行った。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる