『DRAGON NET』

segakiyui

文字の大きさ
142 / 213

82.『金卵』(1)

しおりを挟む
 行け行け行け。
 この世ならぬ道を、闇の空間に開いた通路を、ライヤーの意志に束ねられた小魚達、基、無数の命で構成された黒竜は進む。
 カークさん。
 呼びかける声は常ならぬ経路を伝って、彼方の都市へ続くはずだ。なぜならライヤーは今、都市を繋ぐ隠されたルートを貫いて奔っている。こんなルートが存在していたことを、おそらくは今残されている『塔京』『斎京』の面々も聞いたことさえないはずだ。
 いや、違うか。
 ひんやりと脳裏を掠めた一つの存在。禍々しく鬼気迫る気配を放っているのに、どこまでも柔和な白い面輪、テール・カークの微笑が過る。
 当の昔に白竜に捧げられ、その身を喰われているはずだ。
 だが『塔京』は枯渇し病み衰えている。それは白竜が餓え渇いていることを指す。
 テールは白竜に喰われていない。あるいは、喰われているように見せかけられただけ、何かのからくりが仕掛けられて、白竜は何者かに命の営みを捕縛されているに違いない。
 そう考えた先に当然のように思い浮かぶのはダグラス・ハイト、『塔京』を圧倒的に支配していた男、けれどもまるでその存在が幻だったかのようにいつ頃からか姿を消してしまった男のことだった。
 カークの側であれこれと補佐的な業務をこなすうち、カークの耳には入らぬ、入れてはいけないと隠されている幾つかの情報も得ることができた。大半はカークの悪名に隠れてしたい放題、これ幸いと薄暗い利権を貪る輩のどうしようもない素行の噂話だったし、無論、カークに利益をもたらさないと見極めれば、さっさと容赦なく粛正した。それもあって『塔京』は見る見る風通しがよくなっていたのだが、それでもやがて、いつも繰り返しぶつかる澱みが見えてきていた。
 迂回はできない、輪郭も掴めない、けれど『塔京』のシステムそのものを変えようと動くと、必ずそこにダグラス・ハイトの名前が引っ掛かるものが立ち現れる、影のように悪夢のように。
 そして、その悪夢には鉄と血の、錆びついて苦い、きしみを思わせる味があった。尖った針が打ち付けられた、解錠叶わぬ檻と錠。
 このルートをハイトはおそらく知っている。このルートに再び力が流れるのを阻止するために黒竜をあの湖底に罪悪感という釘で磔にした。全能の力、人々の幸福を満たす能力を持ちながら、それを使役する魂を得られず、器を完成できなかった愚かな存在とののしりながら。
 それはダグラス・ハイトという男が、命全てに向けた呪詛だった。
 そうだ、歴史は間違っている。
 竜は流れであり満ちて溢れるものであり固くしこった細胞の中を行き交い、形を壊しまた再構成し、旧い組織を消費して新しいシステムを作り上げるもの、つまりは命そのものだ。
 都市が消滅したのは、その地下の流れを滞らせたからであって、その流れを滞らせた意図はただ一つ、巨大な力を自分の容量で扱えるようにするための姑息な願いに他ならない。
 『獄京』『塔京』『伽京』『斎京』、その四大都市を循環させる構築があってこそ初めて成り立つ物語を、ダグラス・ハイトは自分の理解が及ばないシステムだと察知するや否や、その一つ一つを切り離しにかかった。『獄京』『伽京』が崩壊していたのも彼にとって幸いだった、それらを支配していていた竜は、己の無力に傷ついて、容易に人の手に掛かったから。
 ぐいぐいぐいぐい,とライヤーと小魚は次第に圧迫されてくる『宙道』を駆け抜ける。ハイトの思考が、感情が、願いが、執着が、泳ぎ進む仲間を一匹また一匹と削っていく。
 その形ではないだろう。
 その姿ではないだろう。
 その道ではないだろう。
 ない。ない。ない。
 ハイトの見えない期待に沿って、隠された欲望に従って、透明な網が締めつけられ、かかった小魚達が身動き出来ずに死に絶えていく。
 こうしてカークが搦めとられた。
 今ライヤーにはそうわかる。
 カークの真実の姿は、あの黒鉄の檻に封じられた真紅の宝玉、だがしかし、もっと深く、その本来の姿とは、あの檻から流れ出し溢れ出した大量の血液。
 形なんてないんだ、カークさん。
 切なさに顔を歪めつつ、ライヤーはひた走る。
 あなたは宝玉であることを守ろうとしなくていい。
 貪欲に砂漠を犯し、人の心を侵蝕する魔性そのものであっていい。
 けれどあなたは優しいから、その真実が人を僕を壊すことを恐れた。人を貪る悪夢であることを拒否した。その傷みが『塔京』を腐らせ、崩しているんだ。
 小魚は減る。
 もはや数十匹の姿しか残っていない。
 カークさん、カークさん、カークさん。
 待っていて、たったの一匹となっても、僕はあなたの側に辿りつく。
 ハイトの形に囚われて、テールの願いに縛られて、こうあれかしと望まれた姿のままに抜け殻になっていくあなたの、最後の一瞬にきっと間に合う。
 なぜなら、ライヤーこそは知っている、カークがどれほど潤いに満ち、力に溢れ、彼を煽り不可能に挑ませ明日を信じさせ未来に踏み込ませるのかを。
 ああ、そうか。
 砂漠の上空、彼方を飛ぶ黒蝶。
 ライヤーは軽く身震いする。
 あなたも、これを知っているのか。
 『斎京』の贄となり、人々の慰めを受け入れ、祈りを背負い、独り舞い上がるように見えたあなたは、誰よりも確かなものを知っていたのだ。
 今わかりました、オウライカさん。
 あなたが僕を放ったこと。
 どうしてカークさんの元へ向かわせたのか。
 あなたは知っていたんだ、僕こそが誰よりもそれを探していたこと。
 だからこそ信じた、僕ならばこそ、カークさんの中にそれを見つけられること。
 息が弾む。
 視界が眩む。
 残された小魚は後数匹。
 本体が削られるまで後数瞬。
 でも、大丈夫だ、だって、ほら。
 前方に光る小さな点が見える。
 それは黄金色に輝く卵形の光。
 いや事実それは卵そのものに違いない。
 ライヤーは微笑む、もう既に小魚の守りはなくなってしまったけれど、その金の卵から降り落ちてくる紅の雫の懐かしい味を覚えているから。
 体に降り注ぐ真紅の雨。
 ライヤー。
 優しく甘いこの声。
 聞こえるだけで蕩けて駆け上がって全てを解き放ってしまいたくなる。
 いつまでもいつまでも、あなたは僕を誘惑し続ける、その血の一雫が伝ってさえ、僕は一瞬にして白熱の輝きであなたを貫く。
 来て。
 甘い声。
 いや、そうじゃない。
「…来い、ライヤー」
 何をぐずぐずしている。
 ああ、だめ。
 一瞬に感覚が頂点を越え、ライヤーは快楽に身を震わせながら黄金の卵の中へ飛び込んだ。
「カークさん…っ!」
 紅の飛沫を散らして頭上に跳ね飛ばされた愛しい相手の姿に叫ぶ。
「…遅いぞ」
 薄い笑み。青白い顔に削いだような気配の、触れると傷つくが握ってしまえば心深くに食い込んで、手放す気になど絶対なれない。
「お待たせ、しました…っ」
 信じられないことだがカークから伸ばされた手を強く引いて、ライヤーは相手を力の限りに抱き締める。
 魔性の名前は希望。
 喘ぐ吐息で口づけた。
 そして、『宙道』第二の関門、突破。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

敗戦国の王子を犯して拐う

月歌(ツキウタ)
BL
祖国の王に家族を殺された男は一人隣国に逃れた。時が満ち、男は隣国の兵となり祖国に攻め込む。そして男は陥落した城に辿り着く。

過保護な父の歪んだ愛着。旅立ちを控えた俺の身体は、夜ごとに父の形で塗り潰される

中山(ほ)
BL
「パックの中、僕の形になっちゃったね」 夢か現か。耳元で囁かれる甘い声と、内側を執拗に掻き回す熱。翌朝、自室で目覚めたパックに、昨夜の記憶はない。ただ、疼くような下腹部の熱だけが残っていた。 相談しようと向かった相手こそが、自分を侵食している張本人だとも知らずに、パックは父の部屋の扉を開く。 このお話はムーンライトでも投稿してます〜

カテーテルの使い方

真城詩
BL
短編読みきりです。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

創作BL短編集

さるやま
BL
短編まとめました。 美形×平凡、ヤンデレ、執着・溺愛攻め多め

処理中です...