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82.『金卵』(1)
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行け行け行け。
この世ならぬ道を、闇の空間に開いた通路を、ライヤーの意志に束ねられた小魚達、基、無数の命で構成された黒竜は進む。
カークさん。
呼びかける声は常ならぬ経路を伝って、彼方の都市へ続くはずだ。なぜならライヤーは今、都市を繋ぐ隠されたルートを貫いて奔っている。こんなルートが存在していたことを、おそらくは今残されている『塔京』『斎京』の面々も聞いたことさえないはずだ。
いや、違うか。
ひんやりと脳裏を掠めた一つの存在。禍々しく鬼気迫る気配を放っているのに、どこまでも柔和な白い面輪、テール・カークの微笑が過る。
当の昔に白竜に捧げられ、その身を喰われているはずだ。
だが『塔京』は枯渇し病み衰えている。それは白竜が餓え渇いていることを指す。
テールは白竜に喰われていない。あるいは、喰われているように見せかけられただけ、何かのからくりが仕掛けられて、白竜は何者かに命の営みを捕縛されているに違いない。
そう考えた先に当然のように思い浮かぶのはダグラス・ハイト、『塔京』を圧倒的に支配していた男、けれどもまるでその存在が幻だったかのようにいつ頃からか姿を消してしまった男のことだった。
カークの側であれこれと補佐的な業務をこなすうち、カークの耳には入らぬ、入れてはいけないと隠されている幾つかの情報も得ることができた。大半はカークの悪名に隠れてしたい放題、これ幸いと薄暗い利権を貪る輩のどうしようもない素行の噂話だったし、無論、カークに利益をもたらさないと見極めれば、さっさと容赦なく粛正した。それもあって『塔京』は見る見る風通しがよくなっていたのだが、それでもやがて、いつも繰り返しぶつかる澱みが見えてきていた。
迂回はできない、輪郭も掴めない、けれど『塔京』のシステムそのものを変えようと動くと、必ずそこにダグラス・ハイトの名前が引っ掛かるものが立ち現れる、影のように悪夢のように。
そして、その悪夢には鉄と血の、錆びついて苦い、きしみを思わせる味があった。尖った針が打ち付けられた、解錠叶わぬ檻と錠。
このルートをハイトはおそらく知っている。このルートに再び力が流れるのを阻止するために黒竜をあの湖底に罪悪感という釘で磔にした。全能の力、人々の幸福を満たす能力を持ちながら、それを使役する魂を得られず、器を完成できなかった愚かな存在とののしりながら。
それはダグラス・ハイトという男が、命全てに向けた呪詛だった。
そうだ、歴史は間違っている。
竜は流れであり満ちて溢れるものであり固くしこった細胞の中を行き交い、形を壊しまた再構成し、旧い組織を消費して新しいシステムを作り上げるもの、つまりは命そのものだ。
都市が消滅したのは、その地下の流れを滞らせたからであって、その流れを滞らせた意図はただ一つ、巨大な力を自分の容量で扱えるようにするための姑息な願いに他ならない。
『獄京』『塔京』『伽京』『斎京』、その四大都市を循環させる構築があってこそ初めて成り立つ物語を、ダグラス・ハイトは自分の理解が及ばないシステムだと察知するや否や、その一つ一つを切り離しにかかった。『獄京』『伽京』が崩壊していたのも彼にとって幸いだった、それらを支配していていた竜は、己の無力に傷ついて、容易に人の手に掛かったから。
ぐいぐいぐいぐい,とライヤーと小魚は次第に圧迫されてくる『宙道』を駆け抜ける。ハイトの思考が、感情が、願いが、執着が、泳ぎ進む仲間を一匹また一匹と削っていく。
その形ではないだろう。
その姿ではないだろう。
その道ではないだろう。
ない。ない。ない。
ハイトの見えない期待に沿って、隠された欲望に従って、透明な網が締めつけられ、かかった小魚達が身動き出来ずに死に絶えていく。
こうしてカークが搦めとられた。
今ライヤーにはそうわかる。
カークの真実の姿は、あの黒鉄の檻に封じられた真紅の宝玉、だがしかし、もっと深く、その本来の姿とは、あの檻から流れ出し溢れ出した大量の血液。
形なんてないんだ、カークさん。
切なさに顔を歪めつつ、ライヤーはひた走る。
あなたは宝玉であることを守ろうとしなくていい。
貪欲に砂漠を犯し、人の心を侵蝕する魔性そのものであっていい。
けれどあなたは優しいから、その真実が人を僕を壊すことを恐れた。人を貪る悪夢であることを拒否した。その傷みが『塔京』を腐らせ、崩しているんだ。
小魚は減る。
もはや数十匹の姿しか残っていない。
カークさん、カークさん、カークさん。
待っていて、たったの一匹となっても、僕はあなたの側に辿りつく。
ハイトの形に囚われて、テールの願いに縛られて、こうあれかしと望まれた姿のままに抜け殻になっていくあなたの、最後の一瞬にきっと間に合う。
なぜなら、ライヤーこそは知っている、カークがどれほど潤いに満ち、力に溢れ、彼を煽り不可能に挑ませ明日を信じさせ未来に踏み込ませるのかを。
ああ、そうか。
砂漠の上空、彼方を飛ぶ黒蝶。
ライヤーは軽く身震いする。
あなたも、これを知っているのか。
『斎京』の贄となり、人々の慰めを受け入れ、祈りを背負い、独り舞い上がるように見えたあなたは、誰よりも確かなものを知っていたのだ。
今わかりました、オウライカさん。
あなたが僕を放ったこと。
どうしてカークさんの元へ向かわせたのか。
あなたは知っていたんだ、僕こそが誰よりもそれを探していたこと。
だからこそ信じた、僕ならばこそ、カークさんの中にそれを見つけられること。
息が弾む。
視界が眩む。
残された小魚は後数匹。
本体が削られるまで後数瞬。
でも、大丈夫だ、だって、ほら。
前方に光る小さな点が見える。
それは黄金色に輝く卵形の光。
いや事実それは卵そのものに違いない。
ライヤーは微笑む、もう既に小魚の守りはなくなってしまったけれど、その金の卵から降り落ちてくる紅の雫の懐かしい味を覚えているから。
体に降り注ぐ真紅の雨。
ライヤー。
優しく甘いこの声。
聞こえるだけで蕩けて駆け上がって全てを解き放ってしまいたくなる。
いつまでもいつまでも、あなたは僕を誘惑し続ける、その血の一雫が伝ってさえ、僕は一瞬にして白熱の輝きであなたを貫く。
来て。
甘い声。
いや、そうじゃない。
「…来い、ライヤー」
何をぐずぐずしている。
ああ、だめ。
一瞬に感覚が頂点を越え、ライヤーは快楽に身を震わせながら黄金の卵の中へ飛び込んだ。
「カークさん…っ!」
紅の飛沫を散らして頭上に跳ね飛ばされた愛しい相手の姿に叫ぶ。
「…遅いぞ」
薄い笑み。青白い顔に削いだような気配の、触れると傷つくが握ってしまえば心深くに食い込んで、手放す気になど絶対なれない。
「お待たせ、しました…っ」
信じられないことだがカークから伸ばされた手を強く引いて、ライヤーは相手を力の限りに抱き締める。
魔性の名前は希望。
喘ぐ吐息で口づけた。
そして、『宙道』第二の関門、突破。
この世ならぬ道を、闇の空間に開いた通路を、ライヤーの意志に束ねられた小魚達、基、無数の命で構成された黒竜は進む。
カークさん。
呼びかける声は常ならぬ経路を伝って、彼方の都市へ続くはずだ。なぜならライヤーは今、都市を繋ぐ隠されたルートを貫いて奔っている。こんなルートが存在していたことを、おそらくは今残されている『塔京』『斎京』の面々も聞いたことさえないはずだ。
いや、違うか。
ひんやりと脳裏を掠めた一つの存在。禍々しく鬼気迫る気配を放っているのに、どこまでも柔和な白い面輪、テール・カークの微笑が過る。
当の昔に白竜に捧げられ、その身を喰われているはずだ。
だが『塔京』は枯渇し病み衰えている。それは白竜が餓え渇いていることを指す。
テールは白竜に喰われていない。あるいは、喰われているように見せかけられただけ、何かのからくりが仕掛けられて、白竜は何者かに命の営みを捕縛されているに違いない。
そう考えた先に当然のように思い浮かぶのはダグラス・ハイト、『塔京』を圧倒的に支配していた男、けれどもまるでその存在が幻だったかのようにいつ頃からか姿を消してしまった男のことだった。
カークの側であれこれと補佐的な業務をこなすうち、カークの耳には入らぬ、入れてはいけないと隠されている幾つかの情報も得ることができた。大半はカークの悪名に隠れてしたい放題、これ幸いと薄暗い利権を貪る輩のどうしようもない素行の噂話だったし、無論、カークに利益をもたらさないと見極めれば、さっさと容赦なく粛正した。それもあって『塔京』は見る見る風通しがよくなっていたのだが、それでもやがて、いつも繰り返しぶつかる澱みが見えてきていた。
迂回はできない、輪郭も掴めない、けれど『塔京』のシステムそのものを変えようと動くと、必ずそこにダグラス・ハイトの名前が引っ掛かるものが立ち現れる、影のように悪夢のように。
そして、その悪夢には鉄と血の、錆びついて苦い、きしみを思わせる味があった。尖った針が打ち付けられた、解錠叶わぬ檻と錠。
このルートをハイトはおそらく知っている。このルートに再び力が流れるのを阻止するために黒竜をあの湖底に罪悪感という釘で磔にした。全能の力、人々の幸福を満たす能力を持ちながら、それを使役する魂を得られず、器を完成できなかった愚かな存在とののしりながら。
それはダグラス・ハイトという男が、命全てに向けた呪詛だった。
そうだ、歴史は間違っている。
竜は流れであり満ちて溢れるものであり固くしこった細胞の中を行き交い、形を壊しまた再構成し、旧い組織を消費して新しいシステムを作り上げるもの、つまりは命そのものだ。
都市が消滅したのは、その地下の流れを滞らせたからであって、その流れを滞らせた意図はただ一つ、巨大な力を自分の容量で扱えるようにするための姑息な願いに他ならない。
『獄京』『塔京』『伽京』『斎京』、その四大都市を循環させる構築があってこそ初めて成り立つ物語を、ダグラス・ハイトは自分の理解が及ばないシステムだと察知するや否や、その一つ一つを切り離しにかかった。『獄京』『伽京』が崩壊していたのも彼にとって幸いだった、それらを支配していていた竜は、己の無力に傷ついて、容易に人の手に掛かったから。
ぐいぐいぐいぐい,とライヤーと小魚は次第に圧迫されてくる『宙道』を駆け抜ける。ハイトの思考が、感情が、願いが、執着が、泳ぎ進む仲間を一匹また一匹と削っていく。
その形ではないだろう。
その姿ではないだろう。
その道ではないだろう。
ない。ない。ない。
ハイトの見えない期待に沿って、隠された欲望に従って、透明な網が締めつけられ、かかった小魚達が身動き出来ずに死に絶えていく。
こうしてカークが搦めとられた。
今ライヤーにはそうわかる。
カークの真実の姿は、あの黒鉄の檻に封じられた真紅の宝玉、だがしかし、もっと深く、その本来の姿とは、あの檻から流れ出し溢れ出した大量の血液。
形なんてないんだ、カークさん。
切なさに顔を歪めつつ、ライヤーはひた走る。
あなたは宝玉であることを守ろうとしなくていい。
貪欲に砂漠を犯し、人の心を侵蝕する魔性そのものであっていい。
けれどあなたは優しいから、その真実が人を僕を壊すことを恐れた。人を貪る悪夢であることを拒否した。その傷みが『塔京』を腐らせ、崩しているんだ。
小魚は減る。
もはや数十匹の姿しか残っていない。
カークさん、カークさん、カークさん。
待っていて、たったの一匹となっても、僕はあなたの側に辿りつく。
ハイトの形に囚われて、テールの願いに縛られて、こうあれかしと望まれた姿のままに抜け殻になっていくあなたの、最後の一瞬にきっと間に合う。
なぜなら、ライヤーこそは知っている、カークがどれほど潤いに満ち、力に溢れ、彼を煽り不可能に挑ませ明日を信じさせ未来に踏み込ませるのかを。
ああ、そうか。
砂漠の上空、彼方を飛ぶ黒蝶。
ライヤーは軽く身震いする。
あなたも、これを知っているのか。
『斎京』の贄となり、人々の慰めを受け入れ、祈りを背負い、独り舞い上がるように見えたあなたは、誰よりも確かなものを知っていたのだ。
今わかりました、オウライカさん。
あなたが僕を放ったこと。
どうしてカークさんの元へ向かわせたのか。
あなたは知っていたんだ、僕こそが誰よりもそれを探していたこと。
だからこそ信じた、僕ならばこそ、カークさんの中にそれを見つけられること。
息が弾む。
視界が眩む。
残された小魚は後数匹。
本体が削られるまで後数瞬。
でも、大丈夫だ、だって、ほら。
前方に光る小さな点が見える。
それは黄金色に輝く卵形の光。
いや事実それは卵そのものに違いない。
ライヤーは微笑む、もう既に小魚の守りはなくなってしまったけれど、その金の卵から降り落ちてくる紅の雫の懐かしい味を覚えているから。
体に降り注ぐ真紅の雨。
ライヤー。
優しく甘いこの声。
聞こえるだけで蕩けて駆け上がって全てを解き放ってしまいたくなる。
いつまでもいつまでも、あなたは僕を誘惑し続ける、その血の一雫が伝ってさえ、僕は一瞬にして白熱の輝きであなたを貫く。
来て。
甘い声。
いや、そうじゃない。
「…来い、ライヤー」
何をぐずぐずしている。
ああ、だめ。
一瞬に感覚が頂点を越え、ライヤーは快楽に身を震わせながら黄金の卵の中へ飛び込んだ。
「カークさん…っ!」
紅の飛沫を散らして頭上に跳ね飛ばされた愛しい相手の姿に叫ぶ。
「…遅いぞ」
薄い笑み。青白い顔に削いだような気配の、触れると傷つくが握ってしまえば心深くに食い込んで、手放す気になど絶対なれない。
「お待たせ、しました…っ」
信じられないことだがカークから伸ばされた手を強く引いて、ライヤーは相手を力の限りに抱き締める。
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