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86.『治癒』(3)
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緑の庭園だった。
緑溢れる庭園の中、全裸のテールが立っている。
微笑んでいる。
何も隠そうとしない姿、両手を垂らし、気負いもなく、長く伸びた髪を風に舞わせて、柔らかで鮮やかな草を踏みしめている。
その笑顔はライヤーを送り出したカークに似ていた。
自分の仕事が確かに全うされていく、喜びに満ちあふれた顔。
ざああっとふいに樹々の葉が鳴り、激しい風が周囲の全てを巻き上げる。テールもまた、煽られるように上空を見上げ、両手を差し伸べる。
つられてライヤーも緑の庭園の上に広がるものを見上げ、もう一度、息を止めた。
銀色と鋼鉄色の構造物。
まるで巨大な鳥籠のような。
その鳥籠の彼方に大きな目が浮かんでいた。
驚いて無意識に竦んだ体に我に返る。
がつがつ……ざら。
目の前で激しく動いていた二体がついに砕け始めていた。
ざらざら…ざらざら。
硬質で冷ややかな音が響き渡る。ぶつかりあっていた部分から、白い体がひび割れ砕けがしゅりと床に落ちた。支えられていた銀の体がめきょりと曲がり、砕けた白い体の上に変形して転がり、みるみる融解していく。
砕け蕩けて姿を失う、最後の一片も残さぬように。白く砕けた体を銀の液体が広がりながら包む。周囲に散っていたとろみのある液体も、薄赤い煙を上げながら銀の液体に吸い込まれ呑み込まれ回収されていく。
やがてその液体は静かに広がり始めた。
意図を察してライヤーは立ち上がり、透明な床を蹴った。翼はなくとも飛翔の感覚はすぐに取り戻せる。
ライヤーの足先が床を離れると同時に、透明な床に一気に広がった銀色の流れが波立ち泡立ち、ライヤーを呑み込み損ねたのを惜しむようにすがるように立ち上がり、どぶん、と重い音を立てる。
ライヤーの眼下で銀の液体は世界を覆う海となった。表面に白い羽毛が散っている。それは銀の海に溺れ死んだ渡り鳥のようでもあり、航海の果てに砕けた船の破片のようでもあった。
ああ、同じだ。
ぞくぞくと体を震わせつつ、ライヤーは理解する。
この『紋章』はライヤーのものと同じだ。
あれほどの非道を尽くし、あれほどの破壊を望み、あれほど命を弄んだ男の中に、ライヤーと同じ海が完成している。
そんなことはない、と叫びたかった。
愛ゆえに辿り着いたものだと信じたかった。
だが『紋章』は伝える、ルートが違っていても、いずれはここに辿り着いたのだと。
ただ。
ハイトはこの海をどうすればよいかわからなかった。
今のライヤーのように。
辿り着くことは出来ただろう。けれど、この海が何を意味するものかを理解できなかった。
今のライヤーのように。
引きずり込まれそうになる。
同じような海を完成させたのだから、行き先もまた同じものではないかという説得に。
あの巨大な目がライヤーの胸の底を透かし見ている。
骨箱と鳥籠。
またいつかという再会の約束。
何が違うのか。
『父』からの問い。
私とお前と、何が違うのか。
私は『ここ』まで辿り着いた。
お前もまた辿り着いた。
ここから先を示せなければ、お前もまた私に呑み込まれるしかない。
見上げれば上空から巨大な目が見下ろしているとわかった。
命は非情だ。
前の世代より優れなければ生き残れない。
前の世代が提示した問題を解決して初めて、新しい時空への扉が開く。
テールを鳥籠に入れて愛でたような世界ではなく、カークを共に寄り添い歩ける世界を作ることができる。
美しく愛らしいだけではなく、餓え渇き堕天を望むこの魂を、遥かな蝶の高みまで押し上げてくれる存在が必須。
ふいに。
「…ふふ」
吹き零れた涙とともにライヤーは笑った。
「わからないのか、その答えが」
何?
「わからないんだろう、あなたには」
どういうことだ?
「答えなんか、ずっと目の前にあった」
ミシェル。
「僕はね、ほんと情けない男なんです、おとうさん」
くすくす笑いながら天を見上げる。巨大な瞳は訝しそうに細められている。
「ちっぽけで、たいした能力もなくて、傍迷惑で、未熟で」
ミシェル?
「いつもカークさんに怒られてる、このばかものって」
何が言いたい?
「ほんとにわからないの?」
にっこり笑って両手を広げる。
「あなたが育てるつもりがなくてゴミ溜に捨てた息子は、死なずにここまで大きくなったんですよ?」
っ。
「一体誰が、育てたのか?」
問いを放って背後へ仰け反る。足元を支えていた何かを蹴り飛ばし、背後の海へ身を投げる。やり方なんて当の昔にわかっていた。何度もやって知っていた。必要なものは備わっていた。不要なものは脱ぎ捨てていた。
ミシェエエエエエルウウウウ!
「来て、カークさん」
遅いぞ、ばかもの。
叱咤する声とともに胸にひたりと手が当たる。それだけで駆け上がりそうな快楽に満たされてライヤーは銀の海に呑み込まれる、と、次の瞬間、内側に開いた穴に周囲の海が吸い込まれ始めた。広大無辺な海だと思っていたのに、呑み込んでしまえば他愛もなく、全てを呑み尽くしたライヤーは身を縮めて一捻りし、一頭の白い蝶となって舞い上がる。
……………!!!
僕が生き延びた時点で、あなたの世界は終っていたんだ。
眼下の青空を浮かべた透明な床が一瞬にして砕け、同時に周囲は暗転する。
帰りますね、カークさん。
星星の輝く宇宙を、白銀の蝶は静かに飛び始めた。
緑溢れる庭園の中、全裸のテールが立っている。
微笑んでいる。
何も隠そうとしない姿、両手を垂らし、気負いもなく、長く伸びた髪を風に舞わせて、柔らかで鮮やかな草を踏みしめている。
その笑顔はライヤーを送り出したカークに似ていた。
自分の仕事が確かに全うされていく、喜びに満ちあふれた顔。
ざああっとふいに樹々の葉が鳴り、激しい風が周囲の全てを巻き上げる。テールもまた、煽られるように上空を見上げ、両手を差し伸べる。
つられてライヤーも緑の庭園の上に広がるものを見上げ、もう一度、息を止めた。
銀色と鋼鉄色の構造物。
まるで巨大な鳥籠のような。
その鳥籠の彼方に大きな目が浮かんでいた。
驚いて無意識に竦んだ体に我に返る。
がつがつ……ざら。
目の前で激しく動いていた二体がついに砕け始めていた。
ざらざら…ざらざら。
硬質で冷ややかな音が響き渡る。ぶつかりあっていた部分から、白い体がひび割れ砕けがしゅりと床に落ちた。支えられていた銀の体がめきょりと曲がり、砕けた白い体の上に変形して転がり、みるみる融解していく。
砕け蕩けて姿を失う、最後の一片も残さぬように。白く砕けた体を銀の液体が広がりながら包む。周囲に散っていたとろみのある液体も、薄赤い煙を上げながら銀の液体に吸い込まれ呑み込まれ回収されていく。
やがてその液体は静かに広がり始めた。
意図を察してライヤーは立ち上がり、透明な床を蹴った。翼はなくとも飛翔の感覚はすぐに取り戻せる。
ライヤーの足先が床を離れると同時に、透明な床に一気に広がった銀色の流れが波立ち泡立ち、ライヤーを呑み込み損ねたのを惜しむようにすがるように立ち上がり、どぶん、と重い音を立てる。
ライヤーの眼下で銀の液体は世界を覆う海となった。表面に白い羽毛が散っている。それは銀の海に溺れ死んだ渡り鳥のようでもあり、航海の果てに砕けた船の破片のようでもあった。
ああ、同じだ。
ぞくぞくと体を震わせつつ、ライヤーは理解する。
この『紋章』はライヤーのものと同じだ。
あれほどの非道を尽くし、あれほどの破壊を望み、あれほど命を弄んだ男の中に、ライヤーと同じ海が完成している。
そんなことはない、と叫びたかった。
愛ゆえに辿り着いたものだと信じたかった。
だが『紋章』は伝える、ルートが違っていても、いずれはここに辿り着いたのだと。
ただ。
ハイトはこの海をどうすればよいかわからなかった。
今のライヤーのように。
辿り着くことは出来ただろう。けれど、この海が何を意味するものかを理解できなかった。
今のライヤーのように。
引きずり込まれそうになる。
同じような海を完成させたのだから、行き先もまた同じものではないかという説得に。
あの巨大な目がライヤーの胸の底を透かし見ている。
骨箱と鳥籠。
またいつかという再会の約束。
何が違うのか。
『父』からの問い。
私とお前と、何が違うのか。
私は『ここ』まで辿り着いた。
お前もまた辿り着いた。
ここから先を示せなければ、お前もまた私に呑み込まれるしかない。
見上げれば上空から巨大な目が見下ろしているとわかった。
命は非情だ。
前の世代より優れなければ生き残れない。
前の世代が提示した問題を解決して初めて、新しい時空への扉が開く。
テールを鳥籠に入れて愛でたような世界ではなく、カークを共に寄り添い歩ける世界を作ることができる。
美しく愛らしいだけではなく、餓え渇き堕天を望むこの魂を、遥かな蝶の高みまで押し上げてくれる存在が必須。
ふいに。
「…ふふ」
吹き零れた涙とともにライヤーは笑った。
「わからないのか、その答えが」
何?
「わからないんだろう、あなたには」
どういうことだ?
「答えなんか、ずっと目の前にあった」
ミシェル。
「僕はね、ほんと情けない男なんです、おとうさん」
くすくす笑いながら天を見上げる。巨大な瞳は訝しそうに細められている。
「ちっぽけで、たいした能力もなくて、傍迷惑で、未熟で」
ミシェル?
「いつもカークさんに怒られてる、このばかものって」
何が言いたい?
「ほんとにわからないの?」
にっこり笑って両手を広げる。
「あなたが育てるつもりがなくてゴミ溜に捨てた息子は、死なずにここまで大きくなったんですよ?」
っ。
「一体誰が、育てたのか?」
問いを放って背後へ仰け反る。足元を支えていた何かを蹴り飛ばし、背後の海へ身を投げる。やり方なんて当の昔にわかっていた。何度もやって知っていた。必要なものは備わっていた。不要なものは脱ぎ捨てていた。
ミシェエエエエエルウウウウ!
「来て、カークさん」
遅いぞ、ばかもの。
叱咤する声とともに胸にひたりと手が当たる。それだけで駆け上がりそうな快楽に満たされてライヤーは銀の海に呑み込まれる、と、次の瞬間、内側に開いた穴に周囲の海が吸い込まれ始めた。広大無辺な海だと思っていたのに、呑み込んでしまえば他愛もなく、全てを呑み尽くしたライヤーは身を縮めて一捻りし、一頭の白い蝶となって舞い上がる。
……………!!!
僕が生き延びた時点で、あなたの世界は終っていたんだ。
眼下の青空を浮かべた透明な床が一瞬にして砕け、同時に周囲は暗転する。
帰りますね、カークさん。
星星の輝く宇宙を、白銀の蝶は静かに飛び始めた。
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